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10 オーダー

日の落ち始めた訓練場に、刺すような冷たい空気が満ちていた。


規則正しく響く、硬質な剣戟けんげきの音。

夕闇に紛れそうな火花が、打ち合う刃の間で鋭く散る。

それらを切り裂くように、一つの、けれど迷いのない足音が割り込んだ。


「イーサン様……?」


誰かがその姿に気づき、動きを止めた。

水面に広がる波紋のように、訓練場に静寂が広がっていく。


皇帝補佐官、イーサン。


彼がこの時間に、この場所に現れることが何を意味するか。騎士たちは本能的に察していた。

イーサンは騒がしい中心へと、視線を揺らすことなく進んだ。


「カイル」


名を呼ぶ。

その瞬間だった。


――ガラン、と。

乾いた音が静寂を打つ。


カイルと対峙していた騎士の剣が弾かれ、無様に宙を舞った。

勝負は、すでに決していた。

カイルは半歩も動かず、流れるような所作で剣を鞘に納める。

激しい打ち合いの直後だというのに、呼吸一つ乱れてはいない。


「……そこまでだ」


短く、よく通る声。

それだけで、場の空気は完全に氷結した。

カイルはゆっくりと振り返り、イーサンへと視線を向けた。

その瞳は相変わらず、深い淵のように底が見えない。


「……何用だ」


無駄を削ぎ落とした問い。

そこには再会を喜ぶ情も、公務への愚痴もない。

イーサンもまた、一切の前置きを省いて応えた。


「陛下よりの特命です」

「……」

カイルの眉が、わずかに動いた。

周囲の騎士たちが、一斉に息を呑むのが分かる。


「瘴気が、発生しました」


その一言が放たれた瞬間、場に戦慄が走った。

ざわめき、困惑、そして正体不明の恐怖。

百年の眠りを経て目覚めた「災厄」の名は、鍛え抜かれた騎士たちの心をも容易に揺さぶった。


だが――カイルだけは、微動だにしなかった。


「聖女を伴い、即刻、浄化遠征を行います」

イーサンの淡々とした報告が続く。

「貴殿を、その警護隊長に任じるとのことです」


一拍。

重苦しい沈黙が訓練場を支配する。


「兵は五十。発生地は帝国北西、辺境の村です。……即時出立を要します。準備はよろしいですか」


必要な情報だけが、冷徹に並べられる。

カイルはそれを遮ることなく、ただ、静かに受け止めていた。

そして。


「了解した」


即答だった。

迷いも、状況の確認もない。

皇帝の命令オーダーは、その瞬間に受領された。


「……準備に入る」

それだけを告げる。

カイルの思考は、すでに戦場へと切り替わっていた。

「聖女はどこだ」

「現在は、書庫にて待機されています」


「そうか」


わずかな間。

だがそれは、少女を案じるための時間ではない。

移動経路、護衛配置、そして未知の敵との接触シミュレーション。

膨大な情報を整理するための、極限の集中に過ぎない。


「一刻後、西門に出る」


断定。

それが、この場の絶対的な決定事項となる。

イーサンは満足げに、静かに頷いた。


「承知しました。各所への通達と物資の徴収はこちらで済ませます」

「任せる」

短い応答。

それだけで、この二人には十分だった。


カイルは踵を返し、夕闇に染まり始めた廊下へと歩き出す。

騎士たちが、割れるように道を開けた。

誰も声をかけない。いや、かけられないのだ。


その背にあるのは、圧倒的な「任務遂行者」としての気配。

そこには個人の感情も、死への恐怖も、生への執着すらも介在しない。

ただ、陛下に与えられた命令を果たす。

その一点のためだけに研ぎ澄まされた、無機質な「刃」そのもの。


カイル・ヴァルテンベルク。


その苛烈なまでの背中を、騎士たちは震えるような敬意を込めて、ただ無言で見送っていた。

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