48.枯れた花が見つめている
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崩れた蔵の中で、千歳を介抱する。
千歳の右目に布を優しく巻く。目の部分から赤い染みが広がり、傷が塞がっていないことが伺える。
彼女の左足の状態から歩けそうにはない。このまま連れ歩くのは無理だ。
「ウチは結界で自分を守る。真奈は朽花を追ったらええ。屋敷全体に結界が張られとる。外に出られていないなら、まだ探せるやろ」
「……分かった」
「ああ、そうや。これ渡しとこか」
そう言って、千歳は懐から三枚ほどの紙束を渡してきた。文字やら記号が細かく描かれている。見るからに呪符だ。
「……なにこれ?」
「起動したら起爆するで」
「そんなもの渡してくるな」
「まあまあ」
私が突き返そうとすると、千歳は私に押し返した。その反応に私は言葉を飲み込む。
「昔使われて真似したのはええんやけど、ウチには使い道がないねん。
この呪符の権限を真奈に譲渡したい。今回の騒ぎが終わったら破り捨てたってええ」
「……なんで?」
「朽花相手にするんなら、隠し球の一個ぐらいいるやろ。呪術士でもない真奈が呪符を使ってくるとは思わへんやろうし」
それを聞いて、一つため息をつく。確かに、千歳の案にも一理ある。私はその案に乗ることにした。
「そうと決まれば……はい、これを口に含んで」
「……本気?」
千歳は私に指を差し出す。その指先に乗っているのは血の雫。目から垂れたものを掬ったものだ。
「本気も本気や。色々方法はあるんやけど、互いの血を摂取するのが一番手っ取り早いねん。ウチらに悩む時間はないで?」
それを言われると引くに引けなくなる。舌を出して、おそるおそる指先の赤黒い雫を舐めとった。
味わう気はなかった。なのに、甘美に感じてしまい、衝動的に噛んでしまいたくなるが、理性で抑え、口を離した。
その後、私の血を与えるために、懐にしまい込んでいた短刀を取り出す。
カンナの形見を肌身離さず持ち歩いていた。手入れを欠かしたことはない。
その刀身を抜き、指先を少しだけ切る。
指先を千歳に向けると、彼女は抵抗もなく舌でなぞり、そのまま嚥下した。
千歳は呪符に向けて指を空で切るような動きをし、私に改めて呪符を押しつけた。
「これで譲渡はできたで。意識の向け方には注意してな。間違えたら暴発するから」
その直後、門の方向で轟音が響いた。
普通の戦闘音とはとてもではないが思えない。私たち以外で戦闘をするとしたら誰かと考えると、キイチのことを思い出した。
もし大徳である彼が苦戦しているようであれば、何か放っておけるような存在ではないだろう。もし協力できるようであれば協力しておきたい。
私は千歳が結界を張ったことを確認すると、この場を後にした。
真っ直ぐ、戦闘音のする方向へ走るつもりであった。
だが、その最中、屋敷の周囲を覆う塀の上に、何かがいることに気付いた。
小綺麗な衣服。整った黒髪。あの少女の顔を、私はどこかで見たことがある。
思わず立ち止まり、様子を少し観察した。
彼女が、私に気付いたのか視線を向けてくる。
その右目が、作り物に見えた。
目を凝らす。正体をすぐに確認する必要がある気がしたから。
そして、その目を確認した瞬間、私はその方向へ駆け出していた。
花柄の義眼。村で見たアヤと名乗った少女。この組み合わせが何を意味するのか。
「朽花!!」
私は叫びながら、朽花へと殴りかかる。
朽花は動じる様子はなく、こちらの動きをただ目で追っていた。
拳を振り下ろすが、それは朽花に届かない。屋敷を覆う結界に阻まれ、拳から血が滴り落ちる。
「あれから347年ぶりか。片腕をなくしたのに、義手をつけてでも追ってくるとは。その右手の小指はどうした?」
その言葉を聞き流しながら、私は何度も拳を打ち付けた。拳が痛い。カンナの肉体を自分で傷つけてしまっている。それ以上に、朽花の破壊に執着している自分がいた。
犬神の儀式のあの日。ナズナがいた廃寺の凄惨な状況。ナズナを射貫いた瞬間。朽花を追い続け、これまでに見てきた実験場。朽花への憎悪を掻き立てる記憶が次から次へと湧いてくる。
結界が割れさえすれば、朽花に手が届く状況。朽花の声に耳を傾ける気が起きない。
そんな私を見て、眉も表情も変えることなく、朽花は口を開く。
「聞きたいことがあるから言うが、この結界を力尽くで割るのは無理だ。破壊耐性を可能な範囲で引き上げてある。見たところ、あの狐はいないな? あの蔵の結界は解いたようだが、動けない状態、といったところか」
それを聞き、私は振り上げる拳をやっと止めた。結界には亀裂一つ入らない。焼けるように拳が痛む。息を荒げながら、ゆっくり手を下ろした。
「その身体は、どうした?」
「ああ、これなら色々都合がよくてな。知り合いか?」
その言葉に、元の身体の持ち主に対する敬意などは感じ取れない。
アヤの顔を思い出す。礼儀正しく、花のような可憐さがあった。
今の顔は冷たく、枯れきっている。
拳を固める力が強くなり、指の間から熱い液体が溢れてきた。
「千歳が別で結界を操作している、としたらどうだ?」
「それはないな。結界全体を解除するなら、術者なら干渉してくる感覚は分かる。それを回避するためにも穴を開けるような技術が発達しているんだ。
もし私を壊すなら、お前のやるべきは、私を視認し次第千歳と合流して穴を開け、私を追い詰めること。そうしていない時点で、お前の嘘は聞くに値しない。
それに、今結界を壊せば、人妖達が外へ出るぞ。私はいいが、お前達はそういう選択は取れないだろ」
冷静に、こちらの状況を見抜いた上で、淡々と告げてくる。
確かに、発生した人妖達はまだ何体か残っている。千歳は動けないから屋敷の結界を解除したりはしないだろう。
「私にとって、檻の外から中を観察しているに過ぎない。お前は、アレをどう見る?」
朽花は結界の中の遠い場所を指差す。私はその方向を見ると、空を飛ぶ何かがいた。
「……天狗?」
「量産体とは別で、お前のような存在をもう一体作れないかと思ったんだがな。思ったより自我が薄い。アレだと成功とは言いづらい」
私が元に、奴の研究が本格化したのは知っている。最初に対峙したとき、再現性の話をしていたのはハッキリと覚えている。
それを奴が口にしたのが異様に不愉快で、いつの間にか顔をしかめていた。
「そこでだ、自然発生した人妖であるお前に、人妖へと変化した際に自我を失うようなことがあったのか聞きたい」
「大人しく言うとでも?」
「聞ければ参考になると考えただけだ。言わないなら言わないでいい」
朽花はその回答を予想していたとばかりに、こちらを見もせずに返す。
朽花は天狗を再度見て、すぐに踵を返した。まだ戦闘らしき騒ぎは終わっていない。
「アレの観察を続けていたが、面白い変化もない。観察はもうやめにして、しばらく身を隠すよ」
「……朽花」
「一つ言い残すとすれば、もう追ってくるな。次に視認すれば脅威と判断して、状況を問わず殺す」
私が言葉を言い切るよりも前に、朽花は塀を降りて姿を消した。気配はすぐに消え、今この状況だとどこに行ったかすら定かではない。
私はまた結界を殴りつけ、続きの言葉を吐く。
「必ず、必ず追い詰めて、破壊する。呪いを見るのは、うんざりだ」
私は踵を返し、戦闘の現場へと向かう。
理性を失いかけ、ナズナのことを聞けなかった。次は冷静さを失ってはいけない。
息を深く吐き、冷静になるように自身に呼びかける。
あの天狗のような人妖。アレは放っておけるような存在じゃない。
一人になったとしても、アレを倒さないと朽花は追えない。
道中、胸を大きく貫かれた男が倒れていた。覚えている。ここの領主の篠坂信成だ。
既に息絶えていたが、その顔があまりにも悲しげで、気付くと私は彼を壁に横たわらせていた。
どういう理由で彼が朽花をこの地に入れたのかは知らない。
ただ、この地を守ろうとした意思は、この場だけでも継ごうと思えた。
私が戦闘の現場に着くと、キイチは息を切らしながら空を見ていた。
何かに集中して、こちらには気付いていない。
声をかけようとしたところ、キイチが横方向へ跳躍した。
何かと思った瞬間、空から黒い塊が急速に接近してくる。
これは避けられない。
私は反射的に義手を前に出して防御する。
その刹那、強烈な衝撃に襲われ、私は吹き飛ばされることになった。




