45.死にたくないけど殺されたい
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アタシは彼女に、恐怖を抱いていた。
これまで見てきたはずの怪力、そして露骨に触れようとする動作。触られたら横たわる遺体と同じになると、察することぐらいはできるはずだ。
なのに、彼女は、真奈は、アタシとの戦いで引くことはなかった。
接近戦主体なら、アタシはこれ以上ないくらい相性が悪いはずだ。それなのに、彼女に恐怖心はないのか?
真奈には何度も触ろうとした。だが、それは避けられるか、上手く義手で受けてくる。既に手を警戒しているのか、素肌に触れることはなかった。
右腕の接合部が痛む。朽花に繋げてもらったとはいえ、完治したわけではない。千切れるまではいかなくとも、繋がりかけた骨が折れるのは、時間の問題だろう。
何で、アタシはこんなことをしているのだろうか。
農地にいた頃は、こんな人と生き死にのやり取りをすることになるとは、考えたことがなかった。
山奥の農村。川の近くで細々と暮らす人々の中で、アタシは生まれた。
事が起きたのは、17か18歳ぐらいの時だ。
その時は、何もない、平和な時間を過ごしていた。
「そっちの作業もあるのに手伝ってもらって悪いねえ」
「いいんですよ。アタシはそこらの男どもよりは動けるから」
「その容姿でそこまで動けるなら、旦那選びには困らんだろう。何ならワシが貰いたいぐらいだ」
「おいジジイ、聞こえてるぞ」
お婆さんの手伝いをする中、横から爺さんが茶々を入れてくる。
「無駄口叩く暇があれば手を動かせジジイ」と小さく言いながら、今後について考えていた。
確かに、そろそろ嫁になることを考えないといけない。そんな年頃だ。
近寄ってくる男たちに悪い気はしなかった。理想があるわけでもなく、縁談があれば考える気はあった。
ただちょっと高嶺の花になっていたのか、男たちは牽制し合っているようで、中々話が進まなかった。
それも時間の問題で、そのうち話が進むと楽観的ではあった。
「ねえ、洗濯物が溜まり気味なんだ。代わりに洗ってきてはくれんか?」
腰を痛めているお婆さんが、アタシに向かってお願いをする。別に珍しいことでもなく、これまでにも何度も引き受けたことがある。アタシは二つ返事で了承した。
川辺に、洗濯物を運び込む。この時期は暑く、草もよく伸びていた。
川の水を使い洗濯をする、ただの日常風景の一つでしかない。
この時、気まぐれに近くの葉を除けようとした。その時少しだけ手を切ってしまい、熱とともに血が滲んでくるのを感じる。
アタシは、適当に川の水で流しただけで済ませた。冷たい水が指に触れる。心地いい感覚でしばらくこのままでいたいと考えてしまう。
だが、洗濯をそのままにできない。血が止まったのを確認すると、洗濯はさっさと終わらせた。
そうして用事を済ませ、帰ろうとした矢先、川下に何かがあることに気付いた。
それが流れ着いた人であることに気付く。うつ伏せになっていて、呼吸が出来ているのかすら分からない。アタシは近寄り、生きているのか確かめようとした。
ただの死体であれば、それで十分。男手を呼ぶのも手間なので、そのまま川に流してしまう気でいた。
その体を起こすと、アタシは思わず飛び退いた。全身の水疱。醜く変わったそれを見て、触れてはいけないものだとすぐに気付いた。
疱瘡。患えば、死ぬことも珍しくない不治の病。それだけで済めばいい。全身が水疱に覆われ、元の顔すら分からなくなることだってあると聞く。
その人は冷たくなっており、死んでいると判断するには十分だった。
これを処理するのに人を呼ぶべきだろうかと一瞬よぎったが、別の考えに支配された。
これと接触したと知られれば、アタシは村にいられない。
そう考えた瞬間、アタシはそれを水に沈めた。周りには誰もいない。アタシが何も起きなければ、今までと変わらない生活が送れる。
そう、何も起きなければ……。
数日後、身体が熱くなり、頭も全身も痛む。この時も、ただの風邪で、すぐに治ると思っていた。
そこから二日三日ほど経ち、口周りに赤い小さなできものが出来ていることを指摘された。ただの一時的なものかと思っていたが、その程度で治まることはなかった。
それ以降、アタシは自分に起きていることをやっと理解できた。
全身の水疱。身体中にできたそれは、かつて褒められた容姿を塗りつぶしてきた。
アタシは、噂になるよりも前に、村を逃げ出した。これから陰口や迫害があると考えると、今までの自分を否定されるようで恐ろしかった。
どれほど逃げたのか、もう分からない。
木の根元で倒れ、全身に虫がたかるのを感じ取っていた。このまま病は酷くなり、全身の痛みに苛まれながら、死ぬのだろう。
身体中が痛む中、ふとした瞬間に意識が途切れることがあった。それでいつか本当に目覚めない時が来るのではと考えると、アタシは怖くて仕方がなかった。
死ぬのが、虫に食われるよりも、迫害されるよりも、何よりも怖く感じた。
そうした中、何かの影がアタシを覆う。
認識できたのは、花柄の目。何かと思っていると、それは口を開いた。
「疱瘡、か。思えば、病人を使うことはなかったな」
抑揚のない、無機質な声。その瞬間、ああ、この人はアタシに興味はないのだろうと考えた。
そのまま触れることもなく、見捨てられるのが嫌で、アタシは力の限り手を伸ばした。
「……まあ、外れ値の確認としてはいいか」
そう言って、その人はアタシの手を取った。病に冒されたことを気にも留めず、優しい人なのかと錯覚した。
それが、更なる地獄に繋がるなんて、考えもしなかった。
でもきっと、アタシはそれを知っていたとしても、手を伸ばしていただろう。
それほど、死ぬ恐怖から逃れたかった。
アタシを連れ去ったのは、禁術士の一人、朽花。
奴は人妖を作る実験を繰り返していた。
アタシは、その実験台の一つとして使われた。
白髪の少女からえぐり取った肉片と何かを混ぜ合わせ、アタシの傷へと流し込む。
こうして人妖に変わったのは、その少女が特殊なのか、混ぜ合わせた物が特殊なのかは、当時は知らなかった。
その瞬間から、アタシは想像を絶する苦痛に襲われた。全身の皮を剥がされた感覚。その上で針で貫かれたような痛み。腹の中をぐちゃぐちゃにかき回されているような不快感。
死んだ方がマシだと、普通なら思ってしまうかもしれない。
アタシは、それでも死にたくはなかった。
生への執着にしがみついたアタシは、最後まで自己を失うことはなかった。
どれだけ経ったのかは分からない。苦しみが一瞬だったのか、長い時間が経っているのか、アタシに判断はできなかった。自分の身体が変化していく感覚。蜘蛛に糸で巻き付けられ、内臓を啜られている夢を見る。生きているのか死んでいるのか分からなくなり、生への執着が薄れていく。そうして正気を失いかけた時期にやっと、全身の苦痛が治まった。
その瞬間から、アタシは人から妖怪になった存在、人妖に変わった。
だが、身体の調子は完治した訳ではなかった。
病は呪いとしてアタシを蝕み、定期的に発生する吐血と全身の痛み、発熱として現れた。朽花はそれを抑える薬を作り、アタシに与えた。
それと同時にアタシは察した。こいつから離れたら、アタシは長くは持たないと。
妖怪としての生命力で、今は何とかなっているに過ぎないのだと。
元々褒められていた容姿は見る影もなく、水面を見ることすらできなくなった。
身体も全身が黒ずみ、肌は荒れ、誰かに見られることを恐れるようになった。
そこからは、アタシは自分の顔をお面で隠すようになった。
素肌も出ないように可能な限り布で巻いて隠した。
そうして体調が安定してきたアタシに、朽花は名前を聞いた。
アタシはそれに答えることはなかった。村娘の自分と、今の自分を同一視したくなかったから。
そうして黙った影響で、朽花はアタシに熾と名付けた。曰く、適当に病の名前で人の名前にも使えそうなものを選んだという。
アタシはそれに忌避感はなかった。今の自分と村娘の自分。それが別の存在だと思い込まないとやっていられなかった。
朽花は、アタシに朽花自身を守らせるために体術を教え込んできた。
アタシには拒否権はない。朽花を壊すこともアタシには出来ない。
薬を打ち切られることが怖く、アタシは体術を身に付ける他なかった。
体術を学ぶ最中、アタシは自身の怪力を思い知る。この細腕からどうやってその力が出ているのか、アタシは妖怪としての力だと無理矢理納得する他なかった。
そうして身体の動かし方を覚え、ついに人を実際に殺す場面が訪れた。
こちらの拠点を特定してきた呪術士の一人が拘束されている。
拠点の移動をしようと準備をしていた最中で、余計な荷物になると判断され殺す必要が出たのだという。
それをアタシの前に差し出され、殺し方は一任された。
アタシは人を殺すのに、抵抗を覚えた。
人を殺さないといけないという状況が恐ろしく、心臓が高鳴っていく。呼吸が浅くなり、面の下が汗で蒸れていく。
アタシは呪術士の頭を掴み、首を折ろうと考えた。殴るよりも簡単で、確実に殺せると思ったから。
だが、掴んでから覚悟を決めるまでの数秒の間に、異変が起きた。
手の内側から広がっていく、黒ずみと水疱。それは掴んだ頭を覆っていく。
反射的に手を離したのに、その黒ずみと水疱の広がりは止まることがなかった。
顔全体を覆った段階で死んでいるはずなのに、その異常は止まることはなく、やがて全身に広がっていた。
これが、アタシの呪いを自覚した瞬間だった。
どうしてか、殺した瞬間には何も感じなかった。
自認が人ではなく妖怪になっている影響だろうか。
それとも殺さなければ朽花の補助を受けられなくなるという立場が影響しているのか。
それでも、アタシは自分の行いが悪いことだと自覚はしていた。
こうして何人も殺すことになったアタシは、きっといつか裁かれるべきなのだろう。
目の前の人妖、真奈を見る。
彼女がいなければ、朽花は人妖の研究を深めることはなかったという。
そうであれば、彼女は命の恩人に近い存在だ。
そんな彼女であれば、アタシを裁いてくれるのだろうか。




