44.花の咲く場所
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「貴方が、篠坂信成か?」
平次に言われた、信成の居場所。そこに向かう途中の、庭の中央で、明らかに風貌が違う人物が立っていた。
彼の周囲に横たわる、切り伏せられた人妖。彼の手に握られる刀は血が滴り、衣類や肌もあちこちが赤く染まっている。
肩で息をしながらも、彼の視線はしっかりとこちらを見据えている。警戒するような視線ではあったが、こちらの刺繍に気付いたのか、それはすぐに和らぎ、今度は徐々に眉をひそめていく。
彼はこちらに頭を下げ、口を開く。
「……裏宰でしたか。このような見苦しい状況で申し訳ない」
「貴方が信成か? 報告は後だ。今は、貴方の身の安全を優先する」
「その前に、いいだろうか」
「なんだ?」
「この場の出来事は、禁術士が訪れたことが……」
「その程度、今言う必要はない。……朽花はどこだ」
「……見張りは付けていたが、その見張りも今日行方が掴めず。朽花の所在は分かっていない状況にある」
思わず舌打ちが出そうになり、寸前で止める。おそらく、見張りは既に朽花の手に堕ちているだろう。探しても見つからないのであれば、結界術を張ってどこかに隠れている可能性がある。術の知識を持っていないのであれば、最初から見張りは朽花から干渉を受けていたかもしれない。
このまま時間を浪費する訳にもいかない。俺たちは屋敷の門へと走った。
そうして門が見えてきた時、俺たちは走るのを止めた。
誰かが倒れ、それを介抱しているような所作をしている。
怪我人だろうかと、歩み寄っていくと、信成が声を上げる。
「……菖蒲? 倒れているのは、平次か! 何があった!?」
菖蒲。確か信成の娘だったか。
そんなことを考えていると、確認する間もなく信成が走り寄っていく。俺は違和感に気付いて止まるように言うが、それは間に合わなかった。
見えない壁に阻まれ、信成は菖蒲と平次の元に行くことが出来ない。信成は悪態をつきながら結界を叩くが、結界はびくともしない。
俺は結界に触れると、地面に楔が打ち込まれていることに気付く。それには紐がくくりつけられ、菖蒲の方向へ伸びていた。
結界は今まで見たことがないほどの精度の代物。これを解除するには、純粋に難しく時間がかかりそうだ。
信成の呼びかけを聞き入れることなく、菖蒲は平次の身体に何かをしている。身体の裂け目へ手を突っ込み、何かを押し込んでいるかのような動きをしていた。それが終わったのか、どこかから取り出した針と糸で、その裂け目を縫い合わせる。治療と呼ぶには、違和感があった。
彼女はそれが終わって、はじめてこちらを向く。血まみれの手を拭おうともしないまま、笑みを浮かべて言う。
「父上、ご無事でしたか」
「……菖蒲、じゃない。お前は誰だ」
「流石に騙せないか。そうであれば、こうすれば分かりやすいな」
信成の言葉で一瞬で無機質な表情と目に変わる。一瞬見せた表情は何だったのかと思っていると、彼女は想像もしていない行動を取り始めた。
自らの右目に指を突っ込み、抵抗もなく片目をえぐり出した。痛みを感じていないのか、表情は一切変わらない。
ただただ俺たちは声を失った。
俺たちは何が起きているのか分からず、この状況をただ見守るしかできなかった。
そうして、彼女はえぐり取った目を地面に落とす。空洞となった右目から落ちる血の雫。その孔の闇が、あまりにも空虚で、背筋に冷たいものが流れた。
彼女は懐に手を入れ、何かを取り出した。それを右目に無理矢理ねじ込み、右目を再度こちらに向けてくる。
右目にあった物を見て、全身が凍り付くような感覚に陥る。
花柄の義眼。目の前の存在が何なのか、否応なしに理解させられた。
「……朽花」
俺たちはほぼ同時に呟く。その後すぐに、信成が冷静さを欠きながら叫び出した。
「朽花! 菖蒲はどうした!? その身体はなんだ!?」
「答える必要はない。と言ってもいいのだが、答えようか。もう死んでいるよ。確かに、この身体は菖蒲の遺体だ」
朽花の言葉に、青ざめていく信成。言葉が出なくなった彼を横に、俺は朽花に問う。
「朽花、お前の目的は、正体は何だ。何故、何百年も活動を続けている」
「お前は、裏宰か。それも大徳。……熾の報告では右腕をなくしているはずだが……いや、それよりも……」
朽花の様子が、俺の顔を見てから変わっていく。目を見開いたまま動作が止まり、小さな声で何かを絶えず呟き始めた。小さくてほとんど聞き取れていないが、ただ一言「記憶が紐付かない」という言葉が何度も出てきたのは分かった。
その様子も唐突に止まり、朽花はこちらの問いかけに答え始める。
「今優先するべきことじゃない。これ以上の思考は止める。
ああ、目的の話ぐらいはやってもいい。行動原理は呪術の研究をするために行動をしている。今の題材は人妖の量産だな。ここを選んだのは、資金援助と人材の補充に丁度よかっただけだ。裏宰が来た以上、証拠隠滅と同時にできることはやっておきたくてな」
「できること?」
「今足元にいる人物は元修験者だ。それもいくつか神通力に目覚めている。希少な対象だから、量産とは別でどうなるのか、試してみたくてな。このために、専用の呪物も用意してある」
「何故こんな無駄話をする? もうすぐ、この結界を破壊できる」
「こうして話しているのは、呪物が馴染むまでの時間稼ぎだよ。それももう十分だ。後片付けは、こいつに任せる」
そう言って、朽花は懐から笛を取り出し、口に付けた。先ほどとは違う音色が屋敷に響く。それとともに、平次の肉体が動き始める。
朽花は笛を折り捨てて、屋敷を覆う結界の方へと歩き出した。それを信成は止めるが、朽花は意に介さず言う。
「お前が考えていることも、死んだらどうでもいいことだろう?」
そうして、朽花は紐を引っ張り、行く手を阻んでいた結界を解除した。
僅か一瞬。朽花と俺との間に阻む物がなくなる。
刀を構えた状態で駆け出し、足の一本でも切り落とす。そのつもりだった。
だが、切っ先が届くと思ったときには、朽花は既に屋敷を覆う結界の外に出ていた。
朽花は笑いもせず、じっとこちらを見てくる。
結界を解除しようと触れるが、朽花はそれを止めた。
「後ろには、気をつけた方がいい」
朽花の言葉で後ろを向くと、平次の意識が戻ったのか苦しみだしていた。
それに駆け寄る信成。それを見てか、また朽花の声が聞こえてくる。
「この記憶の違和感も、ここでお前が死ねば些事か」
朽花が平次に何かをしていた。朽花を優先するあまり憂慮するべきことが抜けていたことに自覚すると、信成に止まるように叫んだ。
全ては手遅れだった。
信成の胴体を貫く平次の腕。
平次の肉体は変異を続け、人外の風貌へと変わっていく。
服を突き破り、巨大な両翼が生えてくる。色が黒く、カラスのような翼。
両腕と両足は鳥のような鉤爪のように変異していた。
平次だったそれは、信成を投げ捨てる。主人と従者であったことも忘れたかのような振る舞い。人としての意識は期待できそうにない。
そして、こちらに気付いたのか、それはゆっくりと振り向いてきた。
鳥のようなクチバシと目付き。
その風貌は、天狗と呼んで差し支えないものであった。




