43.先人
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手に纏わり付く粘性の液体。周囲に転がる、元は人間だった存在の遺体。
未だに手に感触が残っている。骨を折った時の音や、叫び声が耳にこびりついていた。
何度も肩で息をする。肉体的には動くことに支障はない。だが、精神的苦痛から自然と息が荒くなっていた。
頬から垂れる液体が汗なのか返り血なのかすら分からない。不愉快でありながらも、拭うことで正体を確かめたくはない。
地下の牢の中で、私は変異した人妖を皆殺しにした。元に戻らないから殺さざるを得ないことは分かっている。放っておけば、他の人々に被害が出るのも分かっている。そんなもの、朽花を追っていく中で十分に承知していた。
それでも、やはり人を殺すという行為に慣れない。変異する前の姿を見てしまっていたせいか、いつもより胸が苦しい。
「真奈、動けるか?」
「……大丈夫。朽花が近くにいるなら、止まっている場合じゃない」
千歳が案じるような目で見る。自分が無茶をしていることぐらい分かっていた。
息を落ち着かせた後、私たちは地下牢の階段を上る。蔵の中に出たとき、見たことがないものが転がっていた。
全身が黒く染まり、おびただしい数の水疱に覆われた遺体。それも二体。
装備と僅かな匂いから、地下牢の見張りの二人だと気付くのに時間はかからなかった。
その近くで胡座をかく、木彫りの面を付けた人物がいた。
その人物はこちらを確認すると、軽く咳き込みながら立ち上がる。面の下にある目は真っ直ぐにこちらを見据える。赤茶けた瞳には、不思議と敵意は感じ取れない。
あの二つの遺体は、この人の仕業か?
下手に近づく訳にもいかず、私たちは対峙する形になる。
「地下の人妖は……?」
湿った声でこちらに問いかけてくる。声や、改めて立ち上がったときの体型から分かった。この人は女性だ。
そして、膿のような匂い。遺体からではない。それならこの人物からの匂いだろう。おそらく、この人は病に冒されている。
「全員、倒したよ」
「殺したって、言ってもいいんだよ。別に、アタシは咎めない」
朽花側にいる存在とは思えないぐらい、こちらの心をくみ取った優しい口調。
それに戸惑ったのか、千歳が思わず口を挟む。
「……朽花の、手先なんよな?」
「熾。アタシの名前。朽花には、訳あって従っている。けど、アイツの方針に賛同している訳じゃない。
できれば、そっちの犬神の方。名前を教えて欲しい」
彼女はそう言いながら、少しズレたのか、右手で面の位置を直す。手は黒ずみ、肌は荒れている。手首も細く、前に結界を強引に破壊したのが信じられない。
私は一瞬千歳の方を見た。彼女は頷き、一歩後ろに下がる。私は熾の目を見ながら、話を続けた。
「真奈。こっちは千歳。あなたは朽花の、なに?」
「基本的には用心棒。ここでのアタシの役目は、時間稼ぎ。でも、大人しくここで待ってくれるなら、アタシは何もしない」
「……なんで?」
「真奈、アンタは先人だから」
「先人?」
「人妖を作り出す実験の、先人。朽花は、アンタを参考に、白髪の少女を素材に使って、実験を繰り返している。アタシは、そのはじめての成功例。
アンタがいなければ、アタシはとっくの昔に死んでいる。だから、なるべく戦いたくない」
「……白髪の少女って言った?」
反射的に、私は言葉にしていた。一瞬腹の底から熱いものがこみ上げてくる。思わずつかみかかろうとしてしまうが、理性でそれを堪えた。
「ここには、いない。遠く、離れた所で、何人かの人間が、世話をしている。アタシと朽花は、ほとんど近づけないから。
ここにあるのは、肉や髪の余った一部ぐらい。それも今は、殆ど残っていない、はず」
「どこにいるかは、教えてはくれないかな?」
「無理。朽花だけが、経路を把握している」
「それじゃあ、朽花がどこか教えろ」
私は熾に一歩近づく。自然と声が低くなり、目を剥く。拳を握り、気付けば自然と戦闘態勢を取っていた。
「尚更無理。いいから、そこの遺体と、同じ状態になりたくなければ、大人しくして」
そう言って熾は強く咳き込んだ。面の下から液体がしたたり落ちる。落ち着いたのを見計らいながら、私は口を開く。
「具合が悪いなら時間稼ぎなんてしないで。そもそも、その二人は殺す必要があった?」
「真奈と話をするのに、邪魔だったから。そっちこそ、妖狐に意識を向けないように、話に乗ってきている」
こちらの言葉すら交わさず役割分担をしていたことを、熾は気付いていたようだ。
千歳は蔵に触れながら、結界を分析している。千歳であれば解除に時間はかからない、そう思っていた。
一瞬聞こえた、千歳のうめき声。地面に手を突くような音がし、私は振り向こうとする。
だが、その直前に彼女の言葉を聞き、私は思いとどまった。
「真奈! こっち向かんでええ。ウチは平気や。ちょっと罠にかかっただけで、何も問題はない」
「それでも……」
確かに、私は振り向ける状態にない。意識を一瞬でも熾から逸らせば、彼女は攻撃をしてくる可能性がある。
彼女は本来私を待つ必要なんてない。彼女自身の私への敬意がなければ、とっくに戦闘になっているだろう。
「結界も、朽花が逃げたら、解除されるようになっている。だから、待っていてくれない?」
「……やっと、朽花の尻尾を掴めるんだ。長年ずっと追ってきているんだ……。奴を見逃せる訳がないだろ」
最後の言葉は、自分でも驚くぐらい冷たい声だった。
義手を振るい、熾の顔面を殴りつけようとする。それはあっさり止められるが、その瞬間私は彼女の腹部に蹴りを入れた。
僅かに吹き飛ばされて倒れる熾。だが、彼女は平然な様子で立ち上がった。
「残念だけど、殺すしかないか」
熾はそう言いながら、両手を開き、掴みかかるための構えを取る。
私は左腕の義手を盾のようにしながら構え、彼女の攻撃に備えた。




