42.信じるか信じないか
篠坂信成の元へと屋敷を走り抜ける中、何体もの変異した人妖が立ち塞がる。
今の自分は助けられる手段を持っていない。被害を抑えるため、せめて苦しませないため、なるべく彼らを切り払った。
骸となった人妖を後に、思考を巡らす。
まず、人妖になったのは屋敷の内部の全員じゃない。武士が多く、一部下人が混ざっている。
何人も切り伏せたが、手の感触から、刀の切れ味が大分落ちていそうだ。牛頭馬頭との戦いと連戦の影響で、限界が近いのだろう。
呪符の数も限られている。万が一のためにも節約はしたい。
平次との別れ際に朽花の目的を聞いた。
人妖の製造実験。それ自体は何も意外性はない。これまでに朽花を追っていれば、そういった傾向にあることは分かっている。
だが、人の中に無自覚に仕込み、遠隔で起動可能な運用をしているとは、俺は想定できていない。
朽花が死んだとしたら、この状況には違和感があった。
この状況を引き起こして、朽花以外で誰に利点がある?
一度整理する。この状況は、朽花の死体が見つかってから起きている。そして、最初に変異した人妖が持っていた笛。
あの人は自分から笛を吹いたのか? 自分が人妖になることを知っていたのか?
最後の助けを求める声。自らの意思で吹いて、人外になろうとしておいて、あの発言をするのは不自然だ。
それなら知らなかったか、知っていて脅されて吹かざるを得なくなったのかのいずれかだろう。離反の可能性もあるが、それならわざわざ混乱を作る必要性がない。
脅されて吹かざるを得なかったのだとしたら、誰によって命令された?
篠坂家ではない外部の人間が干渉した? だが、篠坂家を滅ぼすのであればもっと簡単な方法がある。裏宰に何をやっていたのか報告すればいい。それだけで裏宰は動いて調査し、場合によってはその領地を解体する。
そもそも、わざわざ笛を吹くなんて発想は外部の人間から出るだろうか?
あの木彫りの面を付けた人妖を思い出す。あれは朽花の作り出した人妖のはずだ。
朽花との関係がある以上、今回の騒ぎと関係はあるだろう。
奴は今はどこにいる?
いや、そもそもあの老婆の死体は本当に朽花か?
老婆ではなく、あの面の人妖が朽花という可能性は?
奴が顔を見せていない以上、可能性はある。
いずれの場合にも対応できるようにしておかなければいけない。
奥歯がミシリと音を立てる。噛み締める力が、無意識に強くなっていたようだ。
平次も洗脳されていない保証がない。彼とは「やるべきこと」の詳細を聞けないまま別れることになった。
善人ではないかもしれない。だが、こんな地獄の中だと無事を祈ってしまう自分を甘く感じていた。
◆◆◆
邪魔な目元を覆っていた布を外し、人妖と武士たちが争う中を駆け抜ける。
不幸中の幸いか、全員が人妖に変わった訳ではないようだ。起因はあの笛の音。規模的におそらく朽花の仕込みだろう。
叫び声やうめき声、怒声があちこちで響く。周囲からは血と臓物の匂いが漂い鼻孔を燻る。完全に混乱状態だ。自分も含め、きっと誰も正確な状況が分かっていない。
力が及ばなかった人が、言葉にもできない惨状で横たわっている。
人妖も死んでいるのが数体いたが、それは人間よりもずっと少なかった。
大抵の妖怪は人よりも丈夫で力も強い。ただ腕を振るうだけでも十分に脅威だ。
人妖でもそれには変わらない。奴らを殺すには攻撃に当たることなく、正確に急所を突かないと人間には難しい。
それをこの状況で強いられるのだ。
武士たちがいかに戦い慣れているとはいっても対人に限った話。急に妖怪の檻の中に閉じ込められて冷静な判断は難しいだろう。
人妖になった者は戻せるのだろうかと考えなくもなかった。だが、そんなことを考えて手を鈍らせる訳にはいかない。その隙にこちらが負傷する可能性だってある。
そもそも、この仕込みが朽花によるものなら、戻せる手段を用意しているとは到底考えられなかった。
一体の人妖が道を塞ぐ。オレは小刀で急所を突き、それが倒れる間もなく先へ進む。
今この場で神足通は使えない。あれは身体の負荷も強い。それに、通り道に障害があると、更に強い負荷がかかり肉体や装備が壊れる。だから攻撃の際は止まらないといけず、それが隙にもなってしまっていた。肉体が壊れるのは人間としての強度が問題だ。鍛錬ではどうしようもない。
天眼通の視界も万能ではない。人妖の姿も様々な影響で、急所を判断するために視界を近づけないといけない。かといって、離れないと菖蒲様を見つけられない。
天眼通で視界を離せる距離は自分を中心に精々一町まで。屋敷全体を見るのは容易いだろう。だが、視界に入っていても認識できないと本末転倒だ。
結局天眼通は距離を離せず、神足通はほとんど使えない。
それでも、止まる訳にはいかない。諦める訳にはいかない。
離座敷の中で、ようやく彼女を、菖蒲様を見つけた。護衛が倒れ、血を流している。侍女も既に亡くなり、彼女は単独で人妖達に囲まれていた。
人妖は三体。普通に戦えば菖蒲様を守れない。気付いたときには、神足通を使っていた。
オレは一体、二体と切り伏せる。神足通を解除せずの連撃。小刀が二体目を切り裂いたところで根元から折れる。
残るは一体。オレは右手を握りしめる。神足通を解除しないままの一閃。拳が人妖の側頭部に入り、砕けるような感触がした。
殴られた人妖は壁をいくつか突き破りながら吹き飛ばされる。吹き飛ばされた先で、指先一つ動くことはなかった。
「……平次さん?」
菖蒲様が希望に満ちた目でこちらを見る。全身が震えており、声はか細い。こんな状態でも涙を流さないのは、彼女の強さを感じる。
周囲に人妖がいないことを確認した上で、天眼通を自分の目の位置に移動させた。
「菖蒲様、無事でしたか」
そう言って右手を差し出そうとして、オレは止める。右手の拳は砕け、皮膚は裂け、血が滴っていることに気付いたから。
「右手、大丈夫ですか? 手当ては……」
菖蒲が近づこうとしたところで、オレは左手を差し出して止めた。確かに右手が痛む。手当ても必要だろう。だが、今優先するべきことじゃない。
「こんなことよりも、貴女の無事の方が優先です。今この屋敷全体が結界で閉じ込められている。オレが結界を壊すので、そこから出てください」
「貴方は、一緒に来るのですよね……?」
「オレは結界を壊した後に人妖が出ないようにしないといけない。被害を出さないためにも、分かっていただけますか?」
オレは彼女に跪き、静かに告げた。菖蒲様は納得していなさそうな表情でありながらも、ゆっくりと頷く。
その瞬間、彼女と目があった。それも一瞬だけのこと。何故か、違和感を覚えた。
オレの視界は普通の人間とは違う。それでも、調整すれば普通の人のように見ることはできた。なのに、彼女の目の奥に、何も感じなかった。
間違いなく所作は彼女のもの。匂いも、雰囲気も、言葉も含めて。
いや、今考えるべき事ではない。事態は一刻を争う。
左手で手を差し伸べ、手を引こうとする。だが、菖蒲様には「大丈夫です」と断られた。
もし手を引けばオレは両手がほぼ使えなくなる。無理に手を引くようなこともなく、オレは菖蒲様を先導した。
幸い、屋敷の門まで人妖がいることはなかった。
最悪の事態はこれで避けられると、少し息を漏らした。
菖蒲様を背後に、張られた結界を確認する。結界の輪郭を確認しつつ、左手に意識を集中した。
修験者に伝わる結界破りの術。原理は知らないが、そういう技術だと伝えられたものだ。
左手を手刀の形にし、術を纏う。突き破るために腰を落として姿勢を取り、力を込める。結界を貫く槍を思い描き、一息に結界へ突き入れた。
結界に手が食い込み、巨大な亀裂を作る。
普段であれば、そうなるはずであった。
手に結界が刺さることはなく、突き刺した手の指が折れる。想定していなかった結果に、一瞬思考が止まってしまった。
その瞬間、背に鋭い痛みを覚える。その時点から、身体が思うように動かない。
倒れながらも、天眼通で何が起きたのかを見た。見えてしまった。
オレの背には楔が突き刺さった状態であることが確認できる。
背後には、菖蒲様が一人だけ。オレをただ無機質な目で見つめる、何かがいた。
お前は、誰だ?




