41.混乱の渦
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風が一瞬強く吹き、肌を撫でてくる。満月の光が木々の隙間から漏れ、足元を少し照らした。
木の幹を背に座り込んでいた俺は、右腕の状態を確認する。昨晩呪いを受けたことで自ら切り落としたそれは、術で再生能力を上げたことで形を取り戻していた。
拳を固め、そして開く。そこから手のひらを少し揉む。
感覚は少しだけ鈍い。だが、動かすには十分だろう。これ以上ここで大人しく時間を使う訳にもいかない。
再生力を高めるために発動していた犠牲術を解除する。身体の文様が消え、反動で全身から汗が噴き出てくる。
息を整えるために、数度の呼吸を挟む。そして、呪符を一枚丸めて口に放り込み、飲み込んだ。
一粒符。札に込めた術を体内で発動させ、一時的に身体の調子を整えた。
すぐに汗が引き、また大きく息を吐く。無理矢理腕を再生させたこともあり、次に無茶をすれば今後の活動に支障が出る可能性がある。近接戦闘はなるべく避けたいが、そんなことを言っていられる状況ではない。
もう亥の刻を過ぎた。遠目で見ていたが、屋敷の方で何か動きがある。この機会であれば侵入も容易だろう。
俺は立ち上がり、屋敷に向けて山を降りた。
人も獣も通らない道なき道を踏みしめる。手入れもされていない茂みをかき分けて進める中、違和感を覚えた。
腐臭。動物かと思ったが、これは人の死体の匂いだ。思えば蠅も多く飛んでいる。
ただの死体だと無視することはできなかった。蠅の群がる位置に方向を変え、正体を確認する。近づくにつれ、草の中に横たわるそれを目視できるようになる。
それは人の遺体であった。それ自体は特に驚くような事はない。
その死体は、片目をくり抜かれ、胸元が大きく開かれた老婆であった。
あの牛頭馬頭が持っていた手紙に記載された老婆の容姿と似ている。それにしては、不思議な点がいくつかあった。
開いた胸元から見える臓物には、何か足りない物がある。それが心臓だと気づくのには時間がかからなかった。心臓をくり抜かれたのは何故だ?
そして、何故ここに遺体があるのか。周囲を見るが、他に人が通ったような気配はない。草の折れ方から、遠方から投げ捨てられたような印象がある。
それにしては屋敷から距離があった。普通の人間ではなく、余程の怪力を持った存在が遠方から投げ捨てでもしないと、この場所に遺体が横たわることはないだろう。
あの面を付けた人妖を思い浮かべる。アレであれば、ここまで投げることは可能かもしれない。だが、確信はない。
調べるために老婆の遺体に触れて分かる。結界術が使われた形跡がある。それもかなり高度な、常人にはできないような構成。
朽花だとしたら、誰が倒した? 朽花でなければ、これは誰だ?
もし朽花であれば、篠坂家で何が起きている?
遺体の状況と内容の意味が分からない。
いずれにせよ、何が起きたのか調べる必要がある。
老婆の遺体を横目に、篠坂家の屋敷に近づいた。
屋敷に近づき、異物感を感じ取る。これは結界だ。屋敷全体に感知用の結界が張られている事は、すぐに分かった。
だが、今既に屋敷で騒ぎが起きている。そして、結界には罠が張られている、かと思ったがよく調べたらそうでもない。以前も見たことがある、罠があると思わせて何もないこの結界。気持ち悪さを覚えるそれは、朽花以外で使っている人物を見たことがない。
少しだけ考えた俺は、そのまま侵入することを選んだ。今の俺には解除のために解析する時間はない。そして、こういう結界は感知されたとしても術者本人しか感じ取れない。つまり感知されたとしても即座に屋敷全体が警戒状態になる訳ではない。そういった危険性と緊急性を天秤にかけた。
侵入して屋敷の路地裏に降り立つ。屋敷中で何か話をしているような雰囲気があるが、何を話しているのかは聞き取れないでいた。
状況を知るためにも、人目を避けつつ、話をしている集団に近づこうとした。
その瞬間、どこからか感じる視線。どこを見てもその視線の主は見つからない。神経を尖らせていると、突如背後から殺気を感じ取った。
ぬるりと、背後から腕を回される。右手には小刀が握られ、左手は口元を塞ごうとしてくる。物音一つせず、突然現れた気配に背筋が冷える思いをした。
俺は即座に体勢を落とし、首を掻き切られることを回避する。そのまま背後の足を払おうとするが、それは空を切った。
それと同時に自分を覆う影が大きくなっていることに気づく。俺は反射的にその場から身体を転がして離れた。
その人物は、さっきまで俺がいた場所へ小刀を地面に突き刺す。一瞬でも判断を間違えれば、このやり取りで二度は死んでいる。
俺は刀を抜き、その人物の容姿を確認した。
その人物は、全身を黒装束に包んだ男だった。肌を殆ど出さず、右手には小刀を握る。何よりも特徴的なのは、目元を隠すように巻き付けた布。見えているのかと疑問に思うと同時に、男の視線の向きが分からない。
そして、この人物はただの人間だ。呪いの形跡もなく、人妖の類いでもない。
だが、人間としてはかなり特殊だろう。視線を感じてから、首を切られかけるまで、背後に気配をほとんど感じ取れなかった。
そうして思考を回しているうちに、男がまた動き出す。まばたきの間に距離を詰められ、俺は刀を抜いて応戦する。数度響く金属音。男の特殊な身体捌きは、動きを読みづらい。防御は間に合うものの、右腕が万全ではない今ではそのうち限界が来るだろう。長期戦をするべき相手ではないと判断した。
防御をしつつ僅かな隙を見計らい、俺は呪符を投げつける。だがそれは瞬時に回避され、背後を再度取られた。
刀を持つ手首を握られ、また首元に突きつけられる小刀。今度は掻き切られるような殺気はない。
「何者?」
男は俺に問う。静かで、確かめるような声色。
特殊ではあるが、朽花の実験の産物、とは考えづらい。男の高速移動には、術を使うような動きがなかった。そして、妖怪の力のような雰囲気も感じられない。呪術とはまた違う、別系統の技術だろう。
男と朽花との関係について確信を持てない。このまま殺されてから不意打ちをしてもいいが、それだと情報を得られない。
ここは一旦素直に答え、状況について把握することを優先することにした。
「裏宰の呪術士、と言えば伝わるか……?」
「裏宰……紫の刺繍……。そうか、話に聞いていたあの裏宰か」
背後の男は動揺することもなく、小刀を下げて背から離れた。
敵意を解いてくれたのはいいが、疑問がある。どうやって、あのような目隠しをした状態で、俺の正面側にある服の刺繍をどうやって確認した?
高速移動に加えて、何か視界を補助する力があるのか?
「裏宰とは気づいていませんでした。失礼を詫びさせて欲しい。訳があって、警戒を強めていました」
冷静に淡々と、男はこちらに片膝を突いた。裏宰について把握しているのであれば、領主に近い存在だろう。
推定、領主の篠坂信成は朽花と関わりがある人物だ。洗脳されているような可能性すらある。
篠坂信成が完全に朽花側であれば、この男の所作は罠である可能性が高い。
もし洗脳を免れていたのであれば、信成と朽花との関わりは何だ? 何か利害が一致したと考えるのが自然だが、だとしてもその利害はなんだ?
この辺は聞くか調査を進めないと分からないだろう。しかし、聞き方を間違えて口をつぐまれるような事態になることは避けたい。だから今は信用を得られるように動く。
警戒を強めていたのは、騒ぎありそうな時点で分かっている。
問題はその内容だ。他の人の話を聞く前に一度戦闘を起こしてしまった。これだと他者に聞こうにも必ずこの男が挟まる。そうなれば本質を掴めない可能性が出てくる。
朽花の話は避けた方がいいだろう。口に出したところで隠されるのが見えている。
どうにかして、信用できる情報を得る必要がある。
「その訳というのは、この騒ぎと関係が?」
「関係はあります。ですが、こちらの事情によるものです」
「詳細は話せるか?」
「既にこちらで解決しています。今騒いでいるのは事後処理の影響です」
やはり、詳細を話してはこない。今の騒ぎについてもおそらく嘘が混じっている。
隠していることがあるのは確定している。
となれば、知らないフリをしながら聞くことを探す必要がある。それは、既に一つ見つけている。
「ここに来るまでに山道を歩いた。茂みをかき分けている途中で、老婆の遺体があった。それに、心当たりはあるか?」
「老婆の……遺体?」
男はその言葉を聞き、急に固まりだした。どこかから感じていた視線も一瞬消え、視線が戻った時、男の額から汗が伝っていくのが見える。
そうして踵を返そうとする男に対して、俺はすぐに首を掴む。
ここで逃してはいけない。そう判断して、手に仕込んでいた封印術を起動した。
あの高速移動を使われたら、きっともう会話ができなくなる。再度仕込むのに時間がかかるのだが、この際仕方がない。
動けなくなった男の前に立ち、呪符を構えた。
尋問用の術を使うか一瞬迷う。朽花のことだ、情報を漏らせば自死する術がかかっている可能性がある。
万が一を想定し、呪符を使わずに問う。
「答えろ、あの遺体は誰だ?」
「……朽花」
それを聞いた俺は、目を見開いた。聞き間違いだと思いたかった。相手の誤解だと信じたかった。
だが、男の戸惑い方から、その言葉に真実味を感じざるを得なかった。
「間違いないか? 聞いてから少し固まったな? 何があった?」
「……オレは、周囲を俯瞰視点で見ることができる。あの遺体も、ちゃんと見ている。間違いなく朽花だ。
朽花の情報が欲しいのなら、喜んで提供します。お館様、信成様の意向です」
「さっき誤魔化した理由はなんだ?」
「警戒が解けきっておらず、反射的に誤魔化してしまいました。この件はお詫び申し上げます。
現在人妖を2体捕まえており、それの段取りを組んでおりました。また、朽花が現在行方不明なのも相まって騒ぎになっております。その朽花は……」
そう言いかけて、彼は口をつぐむ。
人妖が2体。大方、真奈と千歳のことだろう。何をやっているんだあの馬鹿どもは。
そして、あの遺体が朽花だと言われたが、どうにも違和感を覚えている。あの、何百年も活動を続けている存在が、あんな不自然な死に方をするのだろうか?
もし呪いの扱いを誤った呪詛返しを受けたのだとしても、それも変だ。奴はそういう扱いについては裏宰にすらない技術を持っているだろう。そうでなければ、そんな相手が何百年も指名手配されることはない。
それでは、アレは本当に朽花なのか? 蠅を潰したときのような、一瞬の安心感と、中から蛆が湧いてきた不快感。
やはり、どう考えてもあの程度で終わる訳がない。
朽花が行方不明であれば、領主と直接話が必要だ。
その瞬間、屋敷全体に響くような、笛の音が響いた。
誰がやったのか、その答えはすぐに分かる。
笛の音が止まり、静寂に包まれる。そのすぐ後、一人の武士が、喉元を抑えながら路地裏へ踏み入った。
何かと思いながら見ていると、地面に何かを落とす。それが笛だと気づくのに時間はかからなかった。
「お前、どうしたんだ?」
俺の声に反応して、武士はこちらを見てくる。瞳孔は揺れ、鼻水や唾液が絶えず溢れている。
明らかに、普通ではない。念のために呪符を一枚取り出し、警戒を強める。
「たすけ……て……」
武士がそういった瞬間、肉体が変異していく。
両腕が異様に太くなり、爪が鋭くなる。頬は裂けていき、舌が三尺もの長さに伸びる。胴体が不自然に長くなり、その背から徐々に腕のようなものが生えていく。
俺はその変異が進む武士に走り出した。腕を叩き付けてくるが、それをくぐり抜け、その瞬間に胴体へ呪符を貼り付ける。
呪符に込めた封印術を起動したことで、その武士は倒れ、動きを止めた。
何が起きているのか、その考えを巡らす瞬間に、屋敷中で騒ぎが起きる。一箇所や二箇所ではない。ここはもはや阿鼻叫喚の巷だ。
屋敷の状況を確認するために塀に登ろうとすると、また別のことに気づく。
感知用の結界とは別に、閉じ込める結界が張られていた。
起動した時点から、笛の音に反応して自動起動するようになっていたのだろうと推測できた。
結界解除にも時間はかかるし、今優先するべきは信成の安全だ。もし彼が死んだら情報がいくつも消えてしまう。
俺は塀を降りて黒装束の男の封印術を解く。
「お前の名前は?」
「平次」
「平次、信成はどこだ。案内はできるか?」
平次はそれを聞き、一瞬考える素振りを見せた後に俺の肩を掴んだ。力が思ったよりも強く、少し痛みを感じる。
彼は取り乱した様子で、荒げた声で言った。
「お館様の場所を教える。オレは、他にやるべきことがある」




