39.不穏な屋敷
夜の帳が空を覆い、月明かりが屋敷を照らす。夜風はざわめき木の葉を揺らした。
どこか懐かしい雰囲気がするこの光景。何なのかを考えると、すぐに心当たりを思い出した。
そうだ、犬神の儀式の時に似ているんだ。あの日も、こんな静かな日だった。
命令で、犬神の儀式を完遂させられたあの日。私の運命は何もかもが変わった。
私たちは今、塀の上に上り屋敷の様子を窺っている。
見張りの話し声が時々小さく聞こえてきた。アヤの話の通り、見張りの数が少なく、入るのであればこの機会を逃す手はないだろう。
結界の中は、錆びた鉄の匂いがどこかから漂ってくる。屋敷のどこから来ているのかは分からない。だが、屋敷の中で何かが起きていることは察せられた。
「感知用の結界があったから、それは誤魔化しといたで。それにしても、確かに手薄ではあるけど、なんやここ?」
「気配が普通じゃないね。気になるところでもあった?」
「結界の作りからして朽花の雰囲気はある。ただ、いつもより偽装のやり方が陰湿やな。例えるなら、まず生きた毒虫に見えるんよ。よく見たら死んでいるんやけどな。で、それを無視しようとしたら虫に隠された毒針が飛んできて刺さる、って感じや。下手に触ってもアカンし、無視もできへん。根本部分を理解して対処せんと引っかかるわ」
「ちなみに、引っかかったらどうなりそうだった?」
「手順を踏まずに解除や、強引な破壊をしようとすると実行者に反動が来そうやな。内容的に死にはせん。結界を無視するだけやったら反動もなくただ感知されるだけやで」
「即死するようなこともないんだ……。朽花のこういう罠って殺しに来る印象が強いんだけど」
「せやな。下手に生かして情報を落とされたくないんやろ。……なら何で今回は死なない程度なんや? ……わからん!」
千歳が思わず手を上げた。
これは、今まで奴の痕跡を見続けてきて、実際に奴と会話した私だからこそ感じることだと思う。朽花が普段と違うことをやるときは、決まって何か思惑がある気がする。
今考えたところで答えが出るわけではない。あんな人ですらない呪物が考えることを、理解できるとは到底思えなかった。
塀を降り、地面に降り立つと、私たちは敷物である莚を被り姿を隠した。
この莚には千歳の偽装結界が使われている。その影響で周囲からは見えなくなっている、はずだ。
「千歳、結界に穴を開けたときに構造は見ている?」
「見とるで。大雑把にしか確認はできとらんのやけど、アレは多分蔵やな。あそこの地下に変な空間があるわ」
「前から思っていたけど、便利なようで、わかる人には構造物の配置を把握されたり欠点もあるね」
「ウチみたいな例外を除いたら呪術士しか解析出来へんと思うで。勘の良い奴で何とか存在がうっすら分かるって感じやろか」
「……ん? あれ? 千歳って呪術士じゃないの?」
「ちゃうで。今まで言っとらんかったか? ただ、カンナの術を解析していたら結界術と封印術をちょっと使えるようになっただけや誰にも教わっとらん。カンナ以外の呪術士がどういった知識を持っているかも殆ど知らん」
千歳と長い間一緒にいるが、意外と知らないところもあることに少し驚いてしまった。これまで呪術士の拠点に入ること自体がほぼなかったのも一因だろう。
千歳の案内の元、蔵の方向へ進んでいく。
進む度に血の臭いも濃くなる。流石に見張りの数も増え、緊張から汗が頬を伝う。
見張りが近くにいるときは身をかがめ、息を潜める。足音が過ぎていくのを、互いに口を手で塞ぎながら待つしかなかった。
私であれば、不意打ちで気絶させることは出来たかも知れない。だが、騒ぎに気付かれると、朽花であればすぐに姿を消す可能性があった。
そうなれば、最悪振り出しに戻ってしまう。慎重に行動せざるをえなかった。
そうして、隙を見つつ蔵に入ることに成功した。どうしてか、出入り口には誰も立っていなかった。それに加えて、出入り口は開けっぱなし。
蔵を間近で見て、妙な違和感を覚えた。どこか、建材が真新しいような。建て直しされたのか、増築したからなのか。結論は出なかったものの、頭の片隅に、ささくれが刺さるように残った。
不穏な空気を感じ取りながらも、私たちは確認するほかなかった。
蔵に入ると、誤魔化すために千歳が結界を張る。いつも千歳は手際が良い。安心感がある。
血の臭いが異常に濃い。今まで見てきた中で一番かもしれない。鼻が利く影響もあって、気分が悪くなってきそうだ。
音を立てる訳にはいかないのに、小さく咽せてしまった。
「普通の蔵、とはどう見てもちゃうな。食料も資材もない」
確かに、この蔵には物がほとんどなかった。これが元からなのか、つい最近運び出されたのかは分からない。
地面に触れる。地下空間があるのであれば、どこかに出入り口があるはずだ。千歳を呼ぼうと振り向こうとすると、その直前に声をかけられた。
「真奈。何か、変や。固まった方がいい。結界が、誰かに触られている」
千歳が私に寄って、地面に触れる。その表情は青く、目が見開かれていた。
「ああ、アカン。結界が、壊される」
その直後、出入り口で高い破壊音が響く。室内に一瞬吹き荒れる突風。
そこから入ってきたのは、木彫りの面を付け、頭に布を巻いた女性。両手には籠手を嵌め、肌の露出がほぼない。
面の穴から見える目線は、真っ直ぐにこちらを見つめていた。




