38.束の間の平穏
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日は昇り、風は穏やかに肌を撫でる。農作業をしている人々を見る平和な時間。不穏なものなんて何もないんじゃないかと思えるほどの、静かな時間であった。
田畑の近辺にある川辺で、私と千歳は胡座をかいて農具を弄っている。
軸が痛んだ鍬から金属部分を外す。新しい軸を削り出す千歳。一方私は鍬先を洗い流し、軽く研いでいる。
「千歳、体調は問題ない?」
「ん? ああ、今のところ痛みはないな。昨晩は死ぬかと思たけど」
昨晩の下山中のことだ。甚兵衛と戦った後、私たちは山を降りていた。
月も昇り切った夜の時間。あと少しで村に着くという所で、千歳は突然吐血した。曰く、あの牛頭馬頭の蹴りが防ぎきれていなかったという。
それもよく考えれば当然だろう。通常では力押しでの破壊は困難な結界を、それも相当に結界術に精通している千歳の結界を力尽くで破壊してきた相手なのだから。
吐血した後は千歳を背負い、近場の農民の家で厄介になった。彼女は小柄なこともありとても軽い。私の膂力が強いのか、彼女が軽すぎるのかは定かではない。
夜間の訪問であったため、当然警戒はされてしまった。でも、彼らは日中の手伝いと引き換えに屋根を借りることを許してくれた。
私も、千歳も人の姿とは言え妖怪だ。一晩明かせば、動ける程度には回復できていた。
「ウチも結局は人から外れとんな。まあ、頭から生えた耳もあるし、今更やけど。あの手この手で引っ込められるか試したけど効果はないし」
「私よりはいいでしょ。隠す場所がどんどん増えていくし」
「真奈はその内全身布で覆い尽くすかもしれへんな。頭に籠を被る僧がいるって噂を最近聞いた気がするけど、そういう姿がええんやないか?」
「えー? それ聞いたの最近だっけ? 何年か前だった気がするけど……。まあいいや。頭に籠被るのか……」
「丁度ええやろ?」
「えー……何か、ヤダ」
私がそういう姿になった時のことを想像して目を細める。籠を被るだけでも、形容しがたい忌避感を覚える。
そういえば、その僧集団が何をしている人なのかよく知らない。多分千歳も詳しくは知らない。
「結局さ、一河さん何も知らなかったよね」
「あいつのこと炭焼きとしてしか認識しとらんかったな。そういう流れで話を進めてくれって言われていたのは言質取ったんやけど」
「正体さえ分かれば、次に会ったらどう立ち振る舞うか考えられるんだけどね」
甚兵衛の正体は結局は分からずじまい。一河さんを尋問するような行為はそもそも選択肢に上がっていない。やり方を一切知らないし、カンナもやらないと思ったからだ。
そんな雑談をかわしながら、研いだ鍬先を水で流した。ある程度刃こぼれが直ったのを確認すると、今度は鍬先の曲がり方を確認する。
使い込まれた影響か少々真っ直ぐになっているそれは、本来であれば金槌などを用いて直したりするだろう。
私は先と根元を握り、膝を軸にして力尽くで曲がり方を元に戻した。直す前と比べると比較的よくなったそれを見て少しだけ嬉しくなる。
「真奈、それ失敗したらどうするつもりやったん?」
「え? 千歳に直して貰うつもりだったよ?」
「流石にそんな失敗やったらウチはやらんで。……ちょうどええわ、それ貸して」
呆れ顔の千歳に鍬先を渡す。彼女が削り出した軸を鍬先に差し込むと、軸と鍬先の間に少し隙間が開いていた。
千歳の失敗かと思いきや、軸先をよく見ると少し切れ込みが入っていることに気付く。そこに対して千歳は楔を打ち込み、更に削って鍬先を固定した。
「おお、手際がいいですね。こういったこと、経験おありで?」
突然の聞き覚えのない声。それに対して私たちは同時に振り向いた。
質素な小袖姿の少女。髪は黒く、細長い。丸みを帯びた目元は、優しい印象を抱かせる。
小袖は農民にしては妙に綺麗で、細かな所作が気品の高さを感じさせた。
その少女の存在に気付くとほぼ同時に、身覚えのある視線を感じ取る。周囲を改めて見回すが、その人物の姿は見えない。
「どうか、しましたか?」
「いや、何でもないよ。ここの村の人?」
「ええ、そうです。えっと……アヤといいます。そういう貴女たちは、見かけない顔ですけど、旅の方ですか?」
彼女の受け答えは丁寧だ。汚れ一つない彼女の笑顔。日に照らされ、綺麗に咲く花のように思えた。
ただの村人ではないと思いながらも、少女に対して悪意の類は感じ取れない。彼女自身への警戒を解きながら、千歳は彼女に問いかける。
「そやで。ウチら人を探しとるんやけど、聞いてもええか?」
「あら、変わった言葉遣いですね。訛り、というものですか?」
「あー、いや、そういう訳やないけど……」
千歳の言葉遣いに反応されて逆に困っているのを見るのは新鮮だ。思えば何故あんな口調をしているのか、細かい理由は聞いたことがない。ただ、「印象に残るやろ?」と笑みを浮かべながら言ってきたことがあるのを覚えている。
「私、この地で育ったので外のことをあまり知らないのです。他の人に聞いてもあまり答えてくれませんし、折角なので時間が許す限り教えてくれませんか?
もちろん! 人探しについてもちゃんとお答えします」
アヤは手を軽く叩く。ぱんっと軽い音が川のせせらぎと重なった。
私と千歳はゆっくり顔を合わせる。どうするべきか少し考えた。
今もある正体不明の目線。心当たりは一人いるが、確証はない。
このアヤという少女、探りを入れるためだけに送り出された存在だとしたら、あからさますぎた。所作から、少女がある程度身分の高い存在であることも分かる。相手の立場で考えれば、何かあった時の懸念事項が多すぎる。
そんなせいか、千歳が小さく耳打ちをしてきた。
「なあ、真奈。これって釣りだったりせんよな?」
「釣り?」
「そうそう。わざと隙を晒して行動を誘って罠に嵌めようとしている、とか考えてしまうんやけど」
千歳の考えも分かる。でも私は逆に、そういうことがないのではとも思う。
調べたい相手は朽花。奴の手先であれば、もっと自然な振る舞いをするはずだ。
それでなければどこの手先になる? ここで考えられるのは一番近い篠坂家になる。それなら尚更こんな分かりやすいことをするだろうか?
何も知らない者を使うのであれば、わざわざ身分のある者、それに近しい者を使う必要はない。そんなもの、適当な農民で済むのだから。
「私は一旦信用する。変な誘いがあったらすぐに切り替える。その方針でいい?」
「……まあ、それならええよ」
千歳は渋い顔をしつつも了承する。こそこそと話をしている様子からちょっと不審がられていたようで、アヤは怪訝な視線を向けてきていた。
「ごめんごめん。外の話、だったよね? それよりも前に、人探しについて聞かせて欲しいんだけど」
「はい、どうぞ」
「白髪の少女を、見ていない?」
「白髪の少女は、見たことありませんね。この辺の人は全員頭に入れていますけど、そんな子がいたことはないです。来訪者にもいなかった記憶ですね。背の小さい老婆、ではないんですよね?」
アヤの回答は早かった。考えるような素振りもなく、回答を用意していたような感じでもない。記憶をすぐに辿ったような感覚であった。
「そんならもう一人聞きたいんやけど、片目が花柄の義眼の人を見たことないか?」
その言葉に、アヤの表情が一瞬固まったのを見逃さなかった。彼女の額に光る一滴の汗。その後、アヤはおそるおそる口を開く。
「……その人物を探して、どうするのですか?」
その声は少し震えている。アヤは、少々うつむいて目を伏せ、感情を隠すような素振りを見せた。
「私たちは、そいつを何年も追っている。さっきの少女の行方も、そいつなら知っているはずだから」
奴の所業は言わない方がいいだろう。思い返すだけでも嫌気が刺す。あの呪いが立ち去った後に残るものは、言葉にしようとすると寒気を覚えるほどだ。
「そう、ですか。……その人物について、私から話せることはありません。ですけど、私の反応から、もう分かっていますよね?」
私は黙って頷く。アヤは哀愁を帯びたまなざしを向けてきた。彼女は時間を置いて目を瞑り、少しため息をつく。
彼女はゆっくりと瞼を開きながら、言葉を続ける。その視線には、覚悟の灯った力強さが感じられた。
「この地から離れるのが賢明です。でも、貴女たちはそうもいかないのでしょう?
……亥の刻にて、見張りの交代があります。屋敷の東が手薄です。来るのであれば、そこがいいでしょう」
「……なんでそこまで知っているの?」
「ああ、昔からこっそり夜に歩き回っていたので。最近は歩きづらくなりましたけど」
「……ついでに、そんなこと言ってもええん?」
「もちろんダメですよ。ああ、平次や父上に怒られてしまいますね。でも、今はそれでもいいと思えます。期待してしまっている、のでしょうね。領地の人々の安全を考えれば、1回怒られる程度、たいしたことありません」
最後に少し笑いながら、彼女は踵を返した。そのまま立ち去ろうとする背に、私はつい声をかけてしまう。
「外の話、聞くんじゃなかったの?」
「ああ、そうでした。折角侍女に見つからないように抜け出したのに……今はそういう気分でなくなってしまいましたね。次に会ったとき、またお願いしますね」
アヤが最後に見せた顔は、散っていく桜のような儚さを感じた。
どこからか感じていた謎の視線は、彼女が見えなくなるといつの間にか消えていた。
「千歳。今の話、信用する?」
「それウチに聞く? まあ、信用しないのは簡単やけど……」
「やけど?」
「現場見てからでも、判断は遅くはないやろ?」
千歳は薄い笑みを浮かべながらこちらを見る。私はそれに対して微笑み返した。
そうして修理した農具を返してから、時間が過ぎていく。
千歳の傷も完全に癒え、私の調子も悪くはない。
日が完全に落ち、周囲が暗くなる亥の刻。空に昇るのは欠けのない満月。いつもよりも、周りがよく見える。
私たちは屋敷の側で、時が来るのを待っていた。
「千歳、懸念事項を整理する。
朽花がいるのであれば、罠の存在は確認が必須。人妖実験の成功体がいる可能性もある。不審な人物がいれば近づかないこと」
「あとは、甚兵衛やな。前に結界を破ってきた方法は、修験者に伝わっている方法やと思う。あの時、結界術らしきものが、あいつの手に見えた。他の呪術士が使ってるような記憶もないしな。細かい理論は分からへんけど、ああいうのは神通力扱いはされんと思うわ。あいつがこの辺にいる可能性があるとすれば、警戒するに越したことはないな」
千歳の表情は神妙で、普段では感じられないぐらいに真剣であった。
今回、幾年ぶりの朽花との接触があるかもしれない。そう考えれば当然だ。
奴の危険性は私たちが誰よりも知っている。失敗したときの末路を考えるだけでも恐ろしい。奴に身体を弄られるのであれば、ただ死ぬほうが余っ程マシだろう。
屋敷の中で、東の方から人が少なくなる。事前に言われていた交代の時間だろう。確かにこれは手薄だ。侵入するにはこの時間しかないだろう。
「千歳、周囲の結界の確認は済んでる?」
「とうの昔にやっとるわ。穴も開けて、身を隠す準備もやった。いつでもいけるで」
その言葉に、私は一言「流石」とだけ返す。千歳がちょっとだけ嬉しそうな表情をしたのを、私は見逃さなかった。
私たちは、互いに肩を持ちながら穴をくぐり、結界の内側へと侵入した。




