37.宵闇の対談
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宵の闇が屋敷を包む。風は戸を揺らし、僅かに侵入したそよ風が、屋内の人間の肌を撫でる。
屋外では警備の松明がいくつか灯された。警備が何人か歩き、床が軋む音や砂利を踏む音が時折聞こえてくる。
寝所で、一人の男、篠坂信成が座り込んでいた。目の前には明かりが付いた灯明。その手には手紙が一枚。
揺れる炎は文面を照らす。少しずつ強く握られた紙には皺が寄る。眉をひそめ、手紙を読む彼の目線はゆっくりとしたものだった。
朽花からの報告書。彼は朽花との直接的なやり取りを避けていた。
朽花を食客のような扱いをして3年ほど。それでも対面で話をしたのは片手で数えるほどだ。
信成は呪術に対する知識が薄い。それ故に、朽花の挙動がどう術をかけられる導線になるのかも分からない。そのため、いつの間にか術をかけられることがないように警戒をしていた。
部屋の周囲に警備を多めに配置しているのも、それが理由だ。朽花にも常に監視を付けている。朽花を利用しつつも、信成は信用をしていなかった。
人妖の作成補助。信成はそんなものに手を貸している現実に嫌気が刺している。
元々、圧倒的な力を欲して信成は朽花に協力していた。だが、許可をした自分が愚かだと信成は考える。案の定、他領からの拉致や領民に手を出す朽花に対して、信成は止めることができないでいた。
朽花を止めるには、個としての力が足りなさすぎる。それに、一度犠牲を出した以上、途中で止めることは憚れた。
唯一、止められる可能性がある人材はいた。だが、彼は替えがきかない。朽花に利用されることを恐れた信成は、彼を手の届きづらい場所に配置していた。
手紙を読んだ信成は、灯明の炎にそれをかざす。炎は紙に移り、手紙を黒い炭と白い灰に変えていく。信成は燃える紙を皿に置き、燃え尽きるのを静かに見守った。
そうした中、信成は何かの気配に気付いたのか、目だけを天井に向けた。
周囲の気配も確認し、誰もいない機会を見て声を出す。
「降りてもいいぞ」
そうして天井裏から降りたのは、一人の男。首元から下げられた麻袋。白濁とした瞳。
その男は、信成を前に片膝を突いていた。
「平次、いや、今は甚兵衛と呼んだ方がいいか?」
「いいえ、炭焼きの甚兵衛はここにはいません。ここにいるのは、密偵の平次です」
その答えに信成は笑みを浮かべた。甚兵衛、平次は彼の忠実なる手足。朽花が近くにいることで張り詰めた精神が和らいだのか、少し長めに息を吐いた。
「ここに来たということは、何か報告があるのだろう?」
「はい。妖怪、女の人妖が2体、朽花を追ってこの領地に来ております。廃寺の実験作に当てるように誘導しましたが、実験作の方が倒されたことを確認しました」
「……そこで何もしないお前ではあるまい」
「一度戦闘をしました。ですが、人妖達は実験作との戦闘で傷を負っていると考えていましたが、想定を遥かに下回る負傷でした。死体を回収、もしくは深手を負った相手を始末する程度だと考えていましたが、想定が甘く武装が出来ておらず、倒しきれませんでした。
時間がかかると人目につく可能性もあったため、一度切り上げてこちらに報告に来た次第であります」
信成は報告を聞き、苦い顔をする。この報告は、複数の問題が一辺に来たのと同じなのだから。
まず、廃寺の実験作が倒されたという報告。これは朽花が勝手に配下の武士を実験に使ったのだと聞いていた。当然信成は糾弾したが、朽花の心には何一つ響いていないだろう。
その強さと凶暴性から、朽花でも廃寺に搬送後は近づくことはなかった。
それをほとんど傷を負わずに倒せるだけの実力者が近づいている。脅威と認識せざるをえない。
そして、平次がその人妖を倒しきれなかったという報告も信成の頭を悩ませた。
平次が倒せなかったというのはこの際仕方がない。朽花でも手を焼く存在を倒してしまっているのだから。
問題は人妖たちが平次として接触後に生きたままだということ。これは、平次の正体について言いふらされる可能性がある。平次は密偵とは明かしていないだろう。だが、下手に村で噂になれば、今後の運用に支障が起きうる。人目に付かなかっただけまだいいが、信成は今後どうするかすぐさま考え出した。
考えを巡らす中で、平次は信成に告げる。
「他にも、あの実験体の遺体について不審な点があります。
片腕が切断されており、刀かそれに近い刃物が使われたはずです。それなのに人妖達はそれを持っておりませんでした。
奴らの協力者か何かがいるはずです。その者の行方は辿れていません」
「そうか。つまり正体不明の第三者がいる、ということか。問題は山積みだな。
……人妖たちと第三者が協力して腕を切断して倒したのか、第三者が腕を切断した後に第三者が去って人妖達が奴を倒したのか。可能性として2通りあるが、今平次を調査に向かわせるのは得策じゃない……。他に動かせる人材の余裕もない……。
平次。可能性として低いが、もし裏宰の関係者との接触があれば、すぐに朽花を売れ。奴を庇う必要は何もないし、奴に脅されたとでも言えばなんとかなるはずだ。
事実、私たちに奴らに逆らう力はないからな。
裏宰の者は色のついた刺繍をしていると、話したことがあるな? 形も覚えているか?」
「はい、記憶しております」
信成は「それならいい」と言い、瞼を静かに閉じ、ゆっくりと目を開けた。
「……状況は分かった。それならば、ひとまず屋敷で菖蒲の護衛に入れ。朽花とはなるべく距離を置きつつな」
「菖蒲様の護衛、ですか。お館様のご息女でありますし、既に護衛が複数いる認識ではありますが……」
平次は顔を上げ、信成に意見をする。それに対して信成は苦い表情を浮かべる。
「あのお転婆もお前が側にいればまだ大人しい。それに、朽花の動向がきな臭くてな。念のためだ」
「詳細について聞いても?」
「……今日の朽花の報告では、必須である材料を切らしたという。その影響で熾とともにしばらくこの地を離れるそうだ。
ここにいる朽花の関係者は護衛である熾だけ。片方だけを行かせたいのは山々だが、我々と奴らとでは力に差がありすぎる。下手にいざこざを起こすと、こちらもただでは済まない可能性が高い。
朽花に対してある程度調べて貰っているお前なら分かるだろうが、去り際に奴らがこちらを切り捨てる可能性もある。
作成中の人妖達を無理矢理起動された時に備え、お前を近場に置いておきたい」
信成の言葉に平次は耳を傾ける。そして、ただ一言「御意のままに」とだけ残し、平次は幻だったかのように姿を消した。
屋敷の裏に、平次は屋根から飛び降りる。周囲に人影はない。ただ枯れ葉と虫だけがカサカサと動く。
息をつけた平次の背後で、抑揚のない声がした。
「おや、こんなところで何をしているのかな?」
誰もいないことを確認したはずであった平次は、反射的に顔を声がした方向に向ける。
屋敷の影の最も濃い部分に、その人物は佇んでいた。
灰色混じりの白髪をまとめて下げた、皺の深い老婆。その片目は特徴的な花柄の義眼。
3年前にこの地を訪れた呪術士、朽花。
その声は、僧の説法を聞いている時の感覚に陥らせてきた。
対面するだけで、背筋に少し冷たい汗が流れる。
平次には、この状況が理解できなかった。彼の認識では、そこに誰もいないことは何度も確認したはずだからだ。
「話す必要はない。そういう朽花こそ、護衛も連れず何をしている?」
「近場で侵入者の反応があってね。熾を向かわせたんだ。人には荷が重い相手だろうからね」
真奈たちの話だろうか、それとも正体不明の第三者なのだろうかと平次は思考を回す。
どちらであっても、この情報は渡すべきではないと平次は判断した。
そして、今の話を信じるとすれば、しばらく朽花は一人だ。
熾は厄介だ。だが、朽花単体であれば戦闘能力はそこまでではないはずだ。
ここで朽花を殺してしまえば、信成からの叱責があるかもしれない。言い換えれば、それ以上の問題はない。万が一の人妖達の暴走も不意の機会に起こされることはなくなる。
熾も単体であれば、装備さえあればどうとでもできる。
「その考えはやめた方がいい。こんな姿でも、そういう事に対して十二分に備えはしている」
朽花からの言葉で、平次は現実に戻る。気付けば、朽花の皺だらけの指先は、平次の額に触れる寸前まで突きつけられていた。
僅かでも反応が遅ければすぐに指に触れてしまう。平次はすぐに距離をとり、その勢いで背が屋敷の壁に当たった。平次の頬に汗が一筋伝う。平次はこの老婆に底知れなさを感じていた。
「驚かせただけだよ。それじゃあ、私は作業に戻るとするよ」
そう言って表情一つ変えることなく、朽花は背を向けて立ち去った。平次は、その背を見送るしか出来なかった。攻撃をする考えが消えていたことは、姿が見えなくなってから気付いた。
肩の力が抜ける平次。それに続いて大きく息を吐いた。
生きた心地がしない感覚は、彼が今までどんな妖怪と退治した時も感じたことがない。
気分を一新させるために、見えもしない目を閉じ、また開く。
平次は屋敷の影を、隠れるように歩こうとした。
「平次さん?」
また平次は声をかけられる。その声は彼がよく知っているものだった。
朽花とはまた違う意味で汗が流れる。その声を拒絶することもできず、平次は笑顔を作りその声の主へ顔を向けた。
「菖蒲様、こんな時間に奇遇ですね。お久しぶりでございます」
平次は優しい声を作る。菖蒲と呼ばれた人物は、その言葉に少しむすっとした表情をした。
長く、絹糸のような黒髪。緩やかな結い方をし、落ち着きと気品がある。月の光で照らされる肌は白く、傷一つない。目付きは優しく、体格は華奢。小袖姿は清廉さを感じさせ、育ちの良さを感じさせる。
そのまま頭を下げようとする平次の行動を、菖蒲はすぐに距離を詰めて止めた。
「そういう行為はやめてください。父上からは長期任務に入ったと聞いていたのですけど、終わったのですか?」
澄んだ柔らかい声。それを聞いた平次は少し落ち着きを取り戻す。彼女を前に観念したのか、言葉を返した。
「……そうですね。しばらく、この屋敷にいる想定です」
その言葉で、彼女の表情は桜のように花開いた。可憐で、触れると崩れてしまうのではと思えるほど繊細。
それを見た平次の表情が、無意識にただの笑みに変わっていることに、本人は気付いていない。
「それはよかった。平次さん、手紙は読んで貰えましたか? 熾さんに配達してもらったものです」
平次は彼女が何をしでかしたのか理解していなさそうで、彼は思わずため息をついた。
「はい、読みました。あの人によく頼む気になれましたね……。あの手が危ないって分かっているでしょう」
熾の手は人を簡単に殺せる。一瞬でも直に触れれば呪われ、正体不明の病に冒されて死ぬ。元の姿も分からないほどの、水疱と黒い皮膚に覆われて。
そんな相手に何かの配達を頼むなんて、ハッキリ言って正気の沙汰とは思えない。
「ええ、最初は断られました。それでも何度も何度も頼んで、やっと折れてくれましたけど」
「なんでそこまで……」
「貴方に想いを伝えたい。それだけじゃ不足ですか?」
まっすぐと菖蒲は平次の濁った瞳を見る。
平次はその顔を、どうにも見続けることができなかった。
「あ、今私の方を見ていないでしょう? 天眼通で見ていることはちゃんと覚えていますからね」
菖蒲は平次の顔を掴んで自分の方向に無理矢理向ける。彼女は顔を向けさせること自体には、意味がないと分かっている。ただ、平次に触れる口実を得たが故の行動であった。
天眼通。千里眼とも言う、遠方を見たり未来を見るとも言われる、神通力の一つ。
平次は天眼通を盲目の補助に使い、周囲を俯瞰視点で常に確認している。
「痛いのでやめてください」
そう言って平次は右手で彼女の手首を優しく触れる。平次の手を見て、菖蒲は血相を変えた。
「その手、どうしたのですか!?」
平次は叫ばれるまで気付いていなかった。自分の手首の皮膚が裂け、赤い血の塊がこびりついていた。
血は止まっていたが、平次は触れられると顔をしかめた。
平次は真奈との攻防で右腕を強く握られ、蹴りを防いでいる。その際に皮膚が裂けたのだろうと分析した。
「ここに来る前に、少し戯れがありまして。傷は何も問題はないです」
「問題ないことありますか。こっちに来なさい。侍女に水も持ってこさせましょう」
菖蒲は平次に有無も言わせず、手首を掴んで引きずっていく。母親に無理矢理連れて行かれる子供のようであった。
菖蒲は平次の手を優しく掴む。彼女は水瓶の水を汲み、彼の手首を洗い流す。自分の手が濡れることも顧みず、彼女は進んで手当てをした。
「菖蒲様、オレのような下賎な者にこういったことは……」
「私の前でそういう話をするなと何度言わせるんですか? もうはじめて会ってから5年ですよ」
血が完全に洗い流されると、菖蒲は慣れた手つきで、平次の手首に布を優しく巻いていく。
「何度も助けられて、守られてきたんです。これぐらい、恩を返させてください」
菖蒲の柔和な声は、平次が次に吐こうとした自虐的な言葉を止めた。
平次は菖蒲の言葉が表向きの理由だとは分かっている。陽だまりを思わせるような表情を、平次は天眼通から静かに見つめていた。




