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犬神歩めば呪いに至る  作者: 白海幽漣
鎌倉時代編
32/52

32.想定外

 胸に痛みを感じとり、目を覚ます。


 ここで俺は、術前の全てを忘れていた。




 術の開発には、想定されない事象が起きることがある。


 この記憶喪失は、元の俺は術の内容には設定していない。想定外の事象だった。




 気がついて、目に入ったのはやけに綺麗な大広間。何一つ音がしないが、周囲にある物は異常であった。


 周囲に転がる、横たわった遺体の数々。腐敗はしていないようで、異臭の類いはしない。


 遺体の年齢、性別はばらけていた。男だけではなく、女子供もいる。


 その遺体には不思議な点があった。切られたような形跡があるにもかかわらず、血が一滴も流れていない。




 胸の痛みがずっと取れないので、自分の身体を確認する。


 胸の中心へ、刀が真っ直ぐ突き刺さった状態だった。


 痛み以外に特に異常はない。僅かに血が滲んでいるだけで、出血は殆どしていなかった。


 俺は刀を掴み、慎重にそれを引き抜いた。


 刀が完全に抜ける。それと同時に、激しい頭痛と吐き気に襲われた。


 脳裏に流れる、名も分からない誰かとの交流の映像。その誰かはこちらを慕い、最後にはこちらが殺害して終わった。


 床に吐き出しても胃液だけで、固形物は何もない。口の中が酸っぱく、喉が焼ける感覚を覚える。


 この映像の人物が誰なのかは分からない。なのに、形容しがたい罪悪感に襲われた。


 取り返しの付かない何かをした。そんな予感に襲われる。


 頭痛と吐き気が治まるまで、そこまで時間はかからなかった。


 落ち着くために深呼吸を数度繰り返していると、一つ気付く。


 刀を引き抜き、胸には穴があいていたはずだった。普通であれば大量出血から死に至ってもおかしくないようなものだ。


 なのに、その穴は、いつの間にか跡形もなくなっていた。残っているのは僅かな血の痕だけ。


 触れても、押しても、引っ掻いても、穴のようなものは初めからなかったかのよう。




 自分が何かおかしい。


 何が起きたのかを調べるために、服を着直して屋敷を探索した。




 そもそも、ここは一体どこなのか。自分は一体誰なのか。


 忘れている、というよりも、紐付かないという感覚に近いかもしれない。どの道思い出せないなら、忘れているのと大差はないが。


 焦りから早足になる。屋敷のどこを歩いても、血のない遺体ばかり。血が完全になくなっているのか、どれも肌が青白い。


 一体何人いるのだろうか。そんな疑問が頭に浮かんでくる。


 屋敷は異常に静かで、動く人は誰一人いなかった。


 誰かいないか。何度か声を出すが、気配は何もしない。あるのはやはり遺体だけ。


 叫んでしまおうかと思う。その思考を折るほどに、この空気が重く感じた。




 ただ一人、取り残されたかのような感覚を覚える。不安に支配されるが、それにしては妙に冷静な自分もいた。




 そうして屋敷中を歩き回り、一通の手紙を見つけた。


 身に覚えはないが、おそらく状況的に自分が書いたものだというのは分かった。自分の名前がキイチだと分かったが、どうにも実感はなかった。




 手紙の内容から、自分がしでかしたことを把握した。


 理解できるまでに戸惑いはもちろんあった。しかし、状況がそれを真実だと伝えてくる。俺はそれを理解し飲み込むしかなかった。


 記載の内容に心当たりはない。その影響でどこか他人事に感じながらも、何とも身勝手なことをしたものだと憤りを覚える。


 だが、それを実行したのは過去の自分に他ならない。




 手紙には、朽花(くちばな)という禁術士(きんじゅつし)を追うために術を使ったと記されていた。


 『朽花』。それは覚えている。数百年活動を続けている禁術士だ。


 どうにかして奴を追えば、自分がここまでのことをやった理由が実感できるのだろうか。




 人としての尊厳を失うような死に方をした父と、それを追って自害した母。


 それを忘れてしまっている自分が許せない。




 ここで、思い出せないのは自分に関することだけだと気付いた。


 ただの記憶喪失ではない。何か法則がある。だが、それを調べる手段は今はない。




 いくつか考え、朽花を追うことに決めた。


 そうでなければ、過去の自分の決心が無駄になる。術の犠牲になった人々の命も無駄になる。


 ただ生きるだけの暮らしをするのは、とてもではないが出来そうにはない。




 そうして、俺は屋敷に火をつけた。


 犠牲になった人々への弔いもあるが、他に理由はある。


 過去の自分と決別しないといけないと感じたからだ。




 焼け落ちていく屋敷。木と肉が焼けていく匂いが立ちこめる。熱風がこちらも焼こうと手を伸ばしてくるかのようだ。


 その様子を、じっと目に焼き付けた。自分がやってしまったことを忘れないために。


 屋敷が完全に炭化するまで、俺がこの場から動くことはなかった。


 不思議と、飲まず食わずでも苦しさは感じなかった。


 自分は本当に人間なのかと、少し疑問に思ってしまう。




 たった一人で噂を手がかりに禁術士を調べる。それは無謀なほどに効率が悪い。


 どこであれば詳しいかを考えると、裏宰(りさい)が自然と思い浮かんだ。


 朝廷直下の実働衆。実力者が揃い、妖怪だけでなく禁術士の対応もしている。


 裏宰(りさい)の規模は非常に大きい。各地に拠点も置いており、情報網も強い。


 裏宰(りさい)であれば奴の情報も入ってくる確率が高い。




 そう考えるとすぐに俺は、都へと向かった。


 裏宰(りさい)に所属する。それが朽花への近道になると信じて。

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