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犬神歩めば呪いに至る  作者: 白海幽漣
鎌倉時代編
28/30

28.犬ができる最後の事

「この役割、絶対ウチやないやろ……」


 千歳は目の前から歩いてくる大男を前にぼやく。その言葉と共に懐から札をいくつか地面に投げ、手をまた少し切り握りしめて血を垂らす。


 ため息をつきながらもその所作(しょさ)に無駄がない。熟練の呪術士の佇まいを思わせる。




 大男は千歳を視認したのか、咆哮(ほうこう)をあげた。息を荒げながら歩幅が大きく変わっていく。殺気を振りまきながら、鐘を持つ手に力が入っているのが分かる。


 大男が左手の鐘を振り上げる。大男の両手は焼けた痕が残っているが、どうやら動きに支障はないようだ。そのまま鐘を勢いをつけて千歳に叩き付けた。


 だが、それが彼女に届くことはない。その直前で空間に亀裂を作りながら、鐘は止まっていた。結界術に精通した千歳だからこそ、任せられた囮だ。ここまで強引な力だけで亀裂が入っているのを見たのははじめてだ。長くは持たないと考えた方がいいだろう。


 千歳は眼前の鐘を見ながら冷や汗をかく。彼女はほとんどまばたきもできず、腰を引いて逃げる体勢を取っている。


 私は鐘が止まると同時に、キイチから渡された鍵縄を投げた。それは大男の左腕に巻き付く。鍵が腕に食い込んだことを確認すると、私は全身の力でそれを引っ張った。


 大男がこちらを見る。奴がこちらを攻撃対象として認識する。強い殺気から足がすくみそうになると同時に、反対側の茂みから影が飛び出した。


 キイチの様子は普段と違っていた。服の下から片頬にかけて何らかの文様が浮かんでいる。それは一定ではなく、少しだけ動いているように見えた。手に持つ刀の刀身は赤く灯る。熱を帯びているのか、少し蒸気が上がっていた。


 大男がキイチへ振り向く前に、彼は刀身を左腕へ一閃する。肉を切り、骨を焼く。以前は通らなかった刃。それが、腕と胴体を分離させた。


 これで大男は武器をなくし、片腕もなくなった。あと警戒するべきは怪力だけ。そう思っていた。


 奴の左手は、腕が切り離されると同時に、鐘を手放していた。男は右腕を鐘に手を伸ばし、それを掴んだ。




 キイチがそれに気付いたとき、行動するにはもう遅かった。


 振り回される鐘。殺意の込められた巨大な金属の塊が、速度を持ってキイチの肉体を直撃する。


 耳を塞ぎたくなるような音が響いた。肉が潰れ、骨が砕ける音。意識が残っているか、即死したのか定かではない。確認する暇もない。キイチはそのまま、数度地面を跳ね、樹木に直撃してようやく止まった。血の染みはあちこちに広がり、腕があり得ない方向に曲がってしまっている。生存は絶望的に思えた。


 そして、大男はこちらに鐘を投げつける。あの重量と大きさから直撃は避けないといけない。私がそれを避けると、何かが割れる音がした。


 身を守っていた結界が強引に破壊された千歳。彼女に対して、逃げる暇もないまま腹部に蹴りが入るのを目の当たりにした。


 彼女もまた吹き飛ばされ、姿が見えなくなる。今度は奴がこちらを見てきた。


 奴は片腕がないとはいえ、体格が全く違う。どうやって二人を回収して逃げるか考えるが、奴はその暇を与えてこなかった。


 自分よりも遥かに大きい体躯から、異様に早い足。あっという間に距離を詰められる。何度か攻撃を避けるが、避けきれず頭を掴まれてしまった。


 頭から鳴る異音と痛み。あまりの握力から、抵抗しなければ死ぬと予感する。持ち上げられた状態で何度も身体に蹴りを入れる。自分の力は普通の人間よりも強いという自負があった。しかし、びくともせず、骨を折ることもできない。腕に爪を立てる。それでも皮しか裂けず、私の顔を掴む力が緩むことはない。


 このままだと頭を柿のように潰されて死ぬ。カンナだと分からない状態で死ぬのは嫌だ。


 他に何も思いつかなかった。私は、顔を掴んでいた奴の手のひらに、歯を食い込ませた。


 血が滲み、口の中に入ってくる。それでも顎の力は緩めない。不快な錆びた鉄の匂いが鼻にこびりつく。


 だが、直後に妙な感覚に支配されてしまう。頭に広がる多幸感。舌に感じる不思議な旨味。この世のものではない何かを口にしたように思えた。


 それは痛みで現実に戻る。あの感覚は一瞬だったはず。それでも、生き血に幸福感を覚えた自分に対して、吐き気を覚えた。妖怪は人喰いだと言われる所以を身をもって理解する。


 その次の瞬間、奴は私を放り投げた。


 何が起きたのか理解するよりも、私は不快さに堪えきれない。逃げるよりも優先して口に含んだ血肉を吐き出す。その傍らで、奴は悶え苦しみ、地面をのたうち回る。そして、最後にはこちらに手を伸ばした。


 その手には、腕には、肉体には、いつの間にか無数の歯形が付いていた。それは人のものではなく、犬のような形状をしていた。


 血が出ることもない不気味なその痕跡に戸惑っていると、奴は力尽きているのに気付く。


 気絶かと思い、その肉体に触れて脈を確認した。脈は動くこともなく、体温が下がっていくのを感じ取る。


 獣頭の大男は、どういう訳か死亡していた。

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