20.行き先
『真奈、そろそろ返事ぐらいせえへんか? ここまで返事がないんなら……般若心経でも大声で唱えたろうかな?』
耳元の石から聞こえる、変なことを企んでいる千歳の声。私はここで我に返る。ここで放っておくと千歳は必ずやってくる。私は手首の石に向けて低い声で釘を刺す。
「千歳、それやったらこの石ころ壊すからね」
『おっと、聞こえとったか』
「前に言ったけど、こういう警告はこれで五回目だよね。次にそういうふざけたことやったら逆さ吊りするよ。
……とりあえず、まだ調べる必要はあるけど村の脅威は取り除けたと思う。村の中で合流しよう。私は結界術未だによく分かんないから調べられないし」
『ほんま? りょーかい。すぐそっち行くわ』
千歳の声はどこか軽さを感じた。反省しているのかどうなのか。きっとそういう意識はないだろう。
千歳とは付き合いが長い。単純に一人が嫌なだけなことは想像できた。
千歳が手を振りながら、こちらに歩いてくるのが見える。手製の編み笠を被り、焦げ茶の短髪が、その下から伸びていた。肌は陶器のように白く、薄紅の頬。黄金色の大きな瞳が私を捉えている。体格は小柄で、煤けた深紫と墨黒を基調にした狩衣風の装束を着込んでいる。ただ、装束は破れたところを継ぎ合わせたような意匠があり、だいぶ年期が入っているように見える。
私は耳飾りを外して千歳に渡した。
「千歳、これ耳が痛いんだけど、どうにかならない?」
「そこは今後の課題やね。ところで、義手の方はどうや? 指が5本になったけど、動きに問題は?」
千歳の義手は、私が隻腕になってから本格的に作り始めたものだ。これまでに何度も作り直されていて、指が5本になったのはつい最近。それから調整を何度もやって、今回が初実戦投入だった。
「正直、関節の動きがまだ鈍いね。少し動かしづらいし、考えてから腕が動くまでにちょっとだけ時間がかかっている。攻撃にはあまり使えなさそうかな。まあ、前までの義手よりはマシだよ。普段使いには文句はないかな」
私は義手を動かしながら答える。
千歳は元々仏師の娘だからか手先が器用だ。義手を動かす術も千歳が作った。元々は日常の補助として作った二本指の形状の腕だったのが、私の義手となるとは当時は想像もしていなかった。
「まだ鈍いんか……。ヤスリもかけてるんやけどな……。となると、油の量を増やすしかないか? でも油は貴重なんよな。猟師生活やっていた頃ならまだしも、買う金もないし……」
「結界術で上手いことできないの?」
「そんな万能やあらへんぞ。そもそも戦闘用に強化術使っている時点で、他の結界術と併用はやりづらいねん。競合起こしたら結界の強度は落ちやすいし、最悪破綻して結界が成り立たへん。いかに天才のウチでもそこは苦手や」
考え込む千歳に、思いついたことを言ったがすぐに否定された。千歳はいたずらや嘘をつくことが多いが、真剣な話題の時にはそういった性質は身を潜める。そういった面から、私は千歳を信用していた。
「で、この村の結界はどう?」
「ああ、今からやるで。ところで、この辺にナズナの気配はあんの?」
ナズナ。300年前に朽花に連れ去られた、特異体質の子供。呪いや妖怪を惹き付けて取り込んでしまう体質を持ち、朽花の実験に利用されていた。
一度は朽花の元から保護していた。だが、あと少しで都に送り届けられるところで、朽花に連れ去られてしまった。
私たちは、朽花の破壊とともに、彼女を奪還することを目的にしている。
普通の人間であれば、300年なんてとうに寿命で亡くなっているほどの年月だ。
だが、ナズナは特異体質で人魚の性質を取り込んでおり、不老不死となっている。つまり、寿命で朽花から解放されるような状態ではなかった。
村の蔵から漂う、ナズナの残り香。彼女の血の匂いは、目の前で矢に射られた場面から鼻にこびりついている。
「ここにいた。それは確かだよ」
「……そっか。もう、ずいぶん待たせとるな……」
地面に触れながら千歳は小さく呟く。私の視点から千歳の顔は見えないが、きっと普段のようなへらへらした表情はしていないだろう。
「いつの結界かは分かったで。解除して立ち去ったのはだいたい3年ほど前やろな。痕跡の経路から考えると、多分ここから北に行ってると思うわ」
「ここから北となると……」
「確か篠坂家の領地や。守護代ってぐらいしか知らんけど、適当な村から話を聞いた方がええやろな」
私たちは揃って北の方角を見た。今までも地頭や守護が関わる領地へ足を踏み入れることはあった。だが、調査のために寄っただけで、朽花の被害が出ていることは滅多になかった。被害があったとしても、外れの小規模な集落で実験をしていた形跡があったぐらいだ。
それなのに、今回は妙な胸騒ぎがした。北に向かって吹く風が、妙に気味が悪く感じる。
これは、朽花に近づいていることを確信したせいだろうか。それとも、朽花に近づくことを私が恐れているのだろうか。
そうしたことを考えていると、突如村の中で叫び声が響いた。
声の方向を見る。そこに佇むのは一人の男。男の周囲には3体ほどの妖怪の遺体。
おそらく、他にも朽花の実験体が潜んでいたのだろう。私たちに襲いかからなかったのは、私たちが妖怪だからか?
遠目から、男の容姿を確認する。漆黒の直毛を後ろにまとめ、前髪は目に入らない程度に整えられている。目は深い藍色の切れ長。肌はやや色白。背は高く、おそらく私より頭半分ぐらいは大きそうだ。服装は濃紺を基調とした直垂風の装束。軽装ながらも品位がある。腰には刀の鞘、右手には抜いた刀。静謐で、正直なところ近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
おそらく呪術士だろう。彼らの生業の一つは妖怪退治。当然、私たちもその対象に含まれている。
呪術士と戦うのははじめてではない。ここまで接近されたなら、適当に気絶させて逃げようかと考えていた。
男はこちらに気付いたのか、まっすぐと歩いてくる。そこで、私たちは一つ気付く。
男の服に、円形の紫色の刺繍があることに。
「真奈! 裏宰の大徳や! 逃げるで!」
裏宰の大徳。都の呪術専門の実働衆の中でも、最上位の階級を持つ者。戦ったとして、勝ち目は非常に薄い。
千歳が叫ぶと同時に、周囲に複数の何かが飛んできた。
それは呪符。周囲に飛んだそれらは結界の起点となり、私たちは閉じ込められることとなる。




