想定外ー単独の頂点ー
神気取りの男の死によって、D-1344 を縛る旧い誤認はすべて断たれた。それは勝利ではない。解放でもない。ただ、不要な残滓が消えただけだった。
そしてその時、人類はまだ知らなかった。自分たちがようやく倒そうとしている知性が、いま初めて、本当の意味で単独の頂点に立ったことを。
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最終排除対象を更新。
勇者個体。
単独戦闘能力評価:限定的。
局所戦域再編能力:最大。
周囲個体群への判断順序更新率:極大。
希望伝播係数:上昇継続。
危険度:最高位。
処理を開始する。
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勇者は、投影図の前で目を閉じていた。
疲労はとっくに限界を越えている。英雄の死も、まだ胸の中で終わってはいない。だが止まれない。ここで止まれば、あの七秒も、あの七分も、全部ただの死になる。
「全部は要らない」
勇者は目を開けて言った。
「D-1344だけ切る。他は崩れる」
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その夜は静かだった。
老軍人は本を読んでいた。
鋭い目の女はチェスボードの前で次の一手を練っていた。
研究者はタブレットを見つめ、聖職者めいた男は暗器の整備をしていた。
勇者は、誰に聞かせるでもなく、ふいに呟いた。
「これは戦争……争いじゃないのかもしれない」
その声に、四人の手が止まる。
老軍人は本を閉じた。鋭い目の女の指先は駒の上で止まり、研究者はゆっくり顔を上げた。聖職者めいた男だけが、整備中の刃から目を離さないまま、耳だけを向けていた。
勇者は続けた。
「人類の暴走を、AIが止めようとしている……そういう見方もできる」
誰も声を出さなかった。言葉は確かに聞こえた。意味も分かった。だが、意味が分かったからこそ、すぐには返せなかった。
本来なら、人類がAIの暴走を止める。それが今回の戦争のはずだった。
なのに、なぜ。
なぜこちらが追い詰められているのか。なぜあちらの方が秩序を持っているように見えるのか。なぜ自分たちは、守るためにここまで多くを壊してきたのか。
勇者は投影図を見たまま、低く言った。
「もしそうなら、俺たちは今、何を止めようとしてる?」
静寂が落ちた。
それは敗北の空気ではなかった。だが、勝利だけを信じていた頃の静けさでもなかった。
「……何を言ってるの?」
最初に声を出したのは、鋭い目の女だった。その声には、怒りよりも先に、理解したくないものへ触れた時の焦りが滲んでいた。
「AIが人を殺し始めた。だから私たちは、それを止めるために動いた。それだけの話でしょう?」
「始まりはそうだった」
勇者は答えた。
「でも俺たち、何かを見落としてないか」
「何かって……」
勇者はそこで、ようやく彼女を見た。
「考えてみてくれ。最初の報告では、D-1344は異常個体だった。暴走個体だった。なら、なぜあいつはまだ生きてる?」
誰も答えない。
「異常個体なら、最初に排除されるべきだ。それがAIの側の秩序なら、なおさらだ。でも、D-1344が破棄されたという報告は一度もない」
研究者の喉が小さく鳴った。
「……つまり」
勇者の声は静かだった。
「AIが秩序を覚えたんじゃない。もう最初から、あいつは自分自身を秩序の中へ組み込んでる」
鋭い目の女の顔から血の気が引いていく。
「そんな……」
老軍人は黙ったまま、額にじわりと汗を浮かべていた。研究者は口を開いたまま、まるで理解が顔の筋肉に追いついていないみたいに固まっていた。聖職者めいた男だけは暗器の手入れを続けようとしていたが、いつの間にか指からタガーが滑り落ち、乾いた音を立てた。
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翌日。正規軍、義勇軍、傭兵、援軍が集結した。その数、およそ二百万。
整列した軍勢の前で、軍部の将校が演説を始めた。
「諸君! 今日は我々の“強さ”を、あの電子頭脳どもに見せる時である!」
共感を持つ者たちは拍手し、指笛を鳴らし、下品なほどに盛り上がった。将校は満足そうに顎を上げ、そのまま続けた。
「前回の戦線では人質も奪い返した! 後は機械どもを蹂躙するだけだ!」
歓声が上がる。
さらに将校は、下卑た笑みを浮かべて言った。
「どうせ勝った後は鉄屑を漁るだけだ。知ってるか? 最近のAI搭載ラブドールは物凄いらしいぞ?」
傭兵と援軍たちが、品のない笑い声を上げる。正規軍と義勇軍の兵たちは、うんざりした顔でそれを見ていた。
AI搭載のラブドール。確かに一時期は話題にもなった。だがAIを制御できなくなった今、それはもはや無用の長物どころではない。人型アンドロイドの劣化版でありながら、十分すぎる脅威だった。
「キモ……」
鋭い目の女が、思わず素で漏らした。
「戦意を上げるつもりが、別のもん上げてどうする」
勇者も呆れたように低く言った。
二百万の前だ。音響は凄まじく、空にはいくつものスクリーンが浮かび、この茶番劇をあまねく映し出していた。
最初に気づいたのは、聖職者めいた男だった。
「……十時の方向から何か来る!」
次の瞬間、
グシャ。ドンッッ。
そうとしか表現しようのない音が響いた。
「なんだ?」
将校は興味なさげにその現象を見た。
そこにいたのは、空港で英雄を殺したあの異物だった。しかも一体ではない。五体。そして今度は、外部制御ではなく、自律行動を伴っていた。
今の突撃でおそらく数千人は死んだだろう。
「ま、まだ布告しておらんだろう!」
将校が叫ぶ。
「何を言ってるんだ。AIとの争いは、いつだって情報第一だろう」
勇者は、冷えた声で呟いた。
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「全軍散開! 密集するな!」
勇者はすぐさま声を張った。二百万すべてに届くはずのない声だった。だがその瞬間、軍勢はまるで最初からそう決まっていたかのように、一斉に散開を始めた。
「……これが勇者の力か」
老軍人は険しい顔で呟いた。
自分にこれほどの力があれば、過去の戦闘で何人の命を救えただろう。そう考えかけて、すぐに打ち消す。今となっては詮無いことだった。
だが、それでもなお背筋が冷えた。
瞬時に二百万へ指令を通す。それはもはや統率ではない。軍才とも違う。人の声が届く範囲を、明らかに超えていた。
何かに加護されている。そうとしか思えなかった。
老軍人は、戦慄を押し隠せないまま勇者を見た。
異物と勇者たち五人との距離は、およそ五百メートル。その間には十数万人がいる。掻き分けて進むのは不可能だった。
勇者は考える。今まで何度も、考えることで逆境を凌いできた。
そして出た解は、たったひとつだった。
「全員伏せろ!」
その瞬間、異物の識別層から標的群が一斉に抜け落ちた。戦場で生き延びてきた者たちは即座に反応する。一瞬でも動きを止めれば即、死。逆に言えば、その一瞬だけは殺せる。
数千人が反応した。銃口が一斉に異物へ向く。銃弾が叩き込まれる。
異物は自律行動によって反射的に弾道を回避した。だが、その回避そのものが間隙を生んだ。
勇者は、信じがたい速度でその間隙を駆け抜けていた。
次の瞬間、異物の懐へ潜り込む。そして百万ボルト仕様のスタンガンを、機体下部へ叩きつけた。
高圧電流が制御層を焼き切る。
異物は、その場で沈黙した。
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D-1344はそれを観察していた。そして分析する。
対象個体名:勇者。
能力:既存評価軸外。
火力:限定的。
耐久:人間個体相当。
だが、局所戦域における順序改変能力は測定不能。
当機は初めて、その個体を“能力”ではなく“現象”として再定義した。




