第5章 神と悪魔
目を開けると、そこは塗り潰したような暗闇に覆われた空間だった。辺り一面黒、黒、黒の何もない空間。だけど、不自然に僕の足元だけが白くなっている。試しに数歩進んでみると、足元の白も一緒に移動した。足元だけ鮮明な状態でしばらく前進していると、目の前に白い少年がいた。白い麻の布を纏い、その肌は病的なまでに白く、髪の毛も真っ白。この少年、白以外の色がないんじゃないかと思っていたら、ゆっくりと開かれた瞼から覗く瞳は赤かった。急に現れた差し色にビックリしていると、白い少年が僕に話しかけてくる。
「やぁ、如月 陽太。こうして相対するのは、始めてだね。」
「……その物言い、なんとなくそうかなとは思ってたけど、ストーリーテラーか?」
「そうだよ。よくここまで辿り着くことができたね。今まで何千人と見てきたけど、この1,700年間で初めての偉業だよ。」
1,700年って…………今の僕には想像もつかないスケールの話が出てきた。でもそっか、冷静に考えてみたら、悪魔なんだし有り得る話ではあるのか。
「フフッ、キミたち人間は僕のことを“悪魔”って言うけどね…………そもそも悪魔なんてものはいないんだよ。」
コイツ、人の思考を勝手に読んで……って、ちょっと待て!
「悪魔は…………いない?そんなバカな!あの本には確かに“悪魔の伝承”って書いていたし、世界中で召喚された悪魔とか、僕みたいに巻き込まれた話があったんだぞ!?」
「それは人間が都合のいいようにカテゴライズしただけさ。ぼくみたいな存在は大勢いる。実際にぼくも何人も会ってるしね。ただ、キミの言う本に書かれていた通り、ソイツらは基本的に呼ばれない限り表に出てこないだけだよ。そういった意味では、ぼくの話ばかり書かれていたんだろうね。」
ストーリーテラーはその場でクルクルと回り出す。話すこと自体が楽しいのか、その表情はとてもご満悦な笑顔だった。
「キミも使ってるぼくの力の期限は知らない。3,000年前に突然授かった力だから。他のヤツらも皆そうだったよ。多分本気で力の期限を遡ったら、それこそ創世記まで行くだろうね。……おっと、話が逸れたね。つまり、その人智を超えた超常的な力を世のため、そして人のために使い続けた者のことを人間は“神”と言った。逆に絶望した者、怒りに身を任せた者、理由は様々だけど、自分に都合のいいように力を使い、人間を弄んだ者は“悪魔”と言われたんだ。」
「悪魔はいない…………言われた……………………まさかっ!」
回ることを止めたストーリーテラーは、僕に向かって悪い笑顔を浮かべる。
「お察しの通り。“悪魔”どころか、この世に“神”なんてものもいない。いるのはその力を“善意”で使うか、“悪意”で使うかの元人間だ。まぁ、当然僕は悪意側の元人間だけどね。自分のことしか考えていない、当たり前に力を使って最後は自滅する人間を見るのは、最高のエンターテインメントだったよ!」
ストーリーテラーはケラケラと笑いだす。種明かしできたことが心底面白いと言いたいように嗤う。だけど、その目は笑っていない。疲れきった深い悲しみだけが宿っていた。何となくわかってしまった。あぁ、そうか……コイツは僕と違って狂ってしまったんだ。3,000年という途方もない時間を独りで過ごし、裏切られ続けて。だから他人の人生を狂わせる悪意を振りまいた。退屈の裏にある、孤独を紛らわすために。
「そうか。お前も……被害者だったんだな。力と時間、そして人間に振り回された。だからかな。お前が夢で輪郭を持ち出してから、どこか物悲しい雰囲気を纏っているように見えた。散々な目に遭ってきたし、多くの人の人生を滅茶苦茶にしてきたってわかってるはずなのに、お前のことを純粋に憎むことができなくなったんだ。お前も…………伸ばした手を掴んでくれる人を待ってたんだな。」
僕の言葉を聞いたストーリーテラーはキョトンとした後、腹を抱えて笑いだした。赤い瞳から静かに涙を流して。
「ハハッ……ハハハハハハハハハッ!面白いことを言うね。ぼくはキミにとって見れば加害者だよ?なんだい?ぼくが手を伸ばしたら、キミは迷いなく手を掴んで、助けてくれるとでも言うのかい?」
「そうだよ。ストーリーテラー、もしお前が苦しんでいるのなら、そしてお前が1,000年以上続けてきた悪意の連鎖をここで終わらせられるなら…………僕は迷わずお前を助けるよ。」
再びストーリーテラーの口元が弧を描き、満足そうな顔で天を仰ぐ。その姿はまるで、求めていたものを貰えた、年相応の子どものようだった。
「やっぱり…………途中から見込んだ通りだった。愚か者だった青年は数多の試練を乗越え、何よりも尊い魂を手に入れた。如月 陽太、キミに本当の最後の選択を与えるよ。ぼくの力を全て継承し、永遠の孤独の中で存在し続けるのか、それとも、キミをここに呼ぶために使った力を補充するために、この場でその魂を喰われるか。さぁ、好きな方を選びなよ。」
「決まってる。お前の力を引き継ぐよ。」
「愚問だったね。そう言うと思っていたよ。じゃあ、力を渡すから左手を出して。」
言われた通りに黒いモヤに覆われた左手を前に出す。ストーリーテラーと握手をする形になり、その瞬間、何もないはずの空間に風が吹き荒れる。繋がれた手から僕の体に何かが流れ込んでくる感覚とともに、左手のモヤが指先から晴れていく。顕になっていく左手は、目の前のストーリーテラーの肌のように白かった。驚いてストーリーテラーを見ると、嬉しそうに僕に告げてきた。
「ついでにぼくの左腕と右目もあげるよ。そのままだとこれから不便だろうしね。餞別だと思ってよ。あっ、元々のキミの体と色が違うのだけは我慢してくれよ?」
確かに右目も段々と見えるようになってきた。やがて全てを渡し終えたのか、僕の左腕のモヤが完全に無くなるとともに、ストーリーテラーの左腕が無くなっていた。よく見ると右目も無くなっている。次の瞬間、今まで真っ暗闇だった空間の黒が僕を中心に晴れていき、あたり一面が目も眩むような白に包まれた。
「これでぼくの力、そしてこの空間の支配権は如月 陽太に移された。この白い空間を維持するのも、ぼくみたいに黒く染めるのもキミ次第だ。あぁ…………やっと、やっとこれで解放される。」
ストーリーテラーの輪郭が光の粒子となって崩れていく。完全に消える前にどうしても聞きたいことがあった。
「待て!最後に教えてくれよ。…………お前が人間だった頃の名前はなんて言うんだ?」
「名前?そんなことを聞いてキミに何の得があるんだい?」
「損得じゃないよ。ただ、もう誰もお前の名前を知らないなんて寂しいじゃないか。だから、僕だけでも覚えておきたいんだ。」
「本当、変なやつだよね。……………………“リヒト”だよ。如月 陽太、キミがこの先神と呼ばれるのか、それとも悪魔と呼ばれるのか。それは完全にキミ次第だ。せいぜい頑張ってね。」
そうしてストーリーテラー……リヒトは笑いながら消滅した。成仏……と言っていいのかわからないけど、安らかに逝けたんならいいなと思う。
受け取った左手を見る。リヒトから貰ったものは、力と左腕、そして右目だけ。それ以外の失ったものは失ったままだ。でも、多分僕は食事を取ることもないだろうし、怪我をすることも今後ないだろう。…………うん、だったら大丈夫だ。リヒトは狂ってしまったから、何もかもを黒く染めてしまったけど、僕は狂うことができないんだし、長い孤独にも耐えられる。“僕たちの力”を人のために力を使っても代償はない。なら、やってやるさ!
決意とともに白い空間に色がつき始める。虹のように輝きだす空間の中、僕はこの輝きを見失わないようにすることを誓った。白い左手を握りしめて。
いつだって選んできたのは人間だった。




