第4章 選んだもの
「ハァ……ハァ……ハァ……」
走る。躓く。持ちこたえる。走る。走る。段々臭いがわかってきた。肉が焼ける臭いだ。僕ですらわかるくらいなんだから、普通の人はもっと強烈に臭っているのだろう。走る。走る。転ける。見ると左掌を擦りむいていた。でも痛みがないからすぐ立ち上がれる。走る。走る。喧騒が大きくなってくる。そしてついに爆発が起こったであろう現場に辿り着いた。
そこは正しく、地獄以外の表現ができないような、凄惨な状況だった。
「おい!誰か手を貸してくれ!」
「ねぇ!お願い!返事をして!」
「誰か…………助け……………………」
「ねぇ、返事をしてよ!ねぇってば!」
「バカヤロウ!目を開けてくれよ!」
誰かが誰かを呼ぶ声が響き渡っていた。明らかに人が瓦礫に潰れた跡、ちぎれた手足が転がり、瓦礫の中も外も悲鳴が上がっている。想像以上の地獄に膝から崩れ落ちる。
「なん…………だよ、これ………………。」
悲鳴。助けを求める声。段々とか弱くなっていく声。何も異常がない僕の聴覚は、それらの声を全て聞き取ることができる。そしてこの臭気だ。血生臭く、肉の焼ける臭い。煤の匂い。粉塵の臭い。嗅覚が鈍くなった僕ですらわかる強烈な死の臭い。
一体何人の人間が巻き込まれたんだ?目を背けたくなる現実に、一瞬パニックになりそうになったけど、瞬時に思考が切り替わる。僕がパニックになったところで何になる。冷静になれ。僕に何ができる?一人一人瓦礫から引っぱり出す?…………いや、何をしたらいいかなんて、僕はもう答えを持っている。僕には、この惨状を“どうにかする力”がある。ストーリーテラー、見ているんだろ?僕にセレクターを使わせるために、この惨状を引き起こしたんだろ?だったら…………僕はもう迷わない。僕は僕にできることをやるだけだ。僕の思いに呼応するかのように、目の前に白いボードが静かに出現した。
『おめでとう、如月 陽太。
キミに最後の選択を与えよう。
A.講義棟のガス漏れはなく、爆発事故が起こらない
B.94人の死亡と、88人の重軽傷者の確定
キミのことだからAを選ぶんだろうね。
ただし、その時は代償としてキミの存在全てぼくが貰う。
せめてもの慈悲だ。
じっくりと考えてくれたまえ。』
もう最初の頃しか見た記憶がない、文字化けをしていないボードだった。大きな代償を払い出してから初めてじゃないか?改めて書かれている内容を吟味する。代償は僕の存在全て。最初の頃は、代償の内容なんて何も出てこなかったから、文字通り体で理解するしかなかった。それなのに随分と今回は親切じゃないか。じっくり考えろと書いているけど、僕の考えなんて見透かされているし、そもそもこの場に駆け出した段階で…………いや、ストーリーテラーが夢に出てきた段階で既に覚悟は決まっている。後悔はない…………と言えば嘘になる。でも、大勢の人を巻き込んだ責任が僕にもあるし、何より僕の存在一つでこんなに大勢の人が助かるんだ。内心、自分でもびっくりするくらい穏やかな気持ちで、Aを選ぼうと実態のないボードに左手を伸ばしたその時、背後から僕を呼び止める声が聞こえた。
「待って!お兄ぃぃぃぃぃぃ!!」
驚いて後ろを振り返ると、そこには先輩と翔に任せたはずの海月が駆け寄ってきていた。後ろから先輩と翔も遅れて駆けてくる。
「ちょっ………待って、海月ちゃん!」
「ハァ……ハァ……陽太、このバカヤロウが!一人で突っ走るんじゃねぇ!」
駆け寄ってきた勢いで海月が僕に抱きついてくる。その表情には激しい怒りと、深い哀しみが混じっていた。
「お兄!その白いボードに書いていること、何!?お兄の存在全部持っていくってどういうこと!?」
多分海月にだけは、セレクターの白いボードが見えるんだろう。海月が巻き込まれたあの時以来発動してなかったから、もしかしたらとは思ってたけど、やっぱりそうだったのか。だから海月をこの場に連れてきたくなかったのに。
「…………言葉の通りだよ、海月。僕の存在一つでこの惨状をどうにかできるんだ。なら、僕は僕にできることをやらなくちゃ。」
「陽太……お前…………!またバカなことを!」
「ごめんな、翔。でも…………これが僕なんだ。どんなに狂えなくても、体を削り取られようと…………今ここで動けないなら僕は一生後悔する。それに、どの道代償は進んでいるから、ここで選ばなくてもいずれ全部持っていかれる。…………だから、後悔のない選択をさせてくれないか?」
僕の言葉を聞いた翔は苦虫を噛み潰したような表情で俯いていた。ややあって言葉を紡ぐ。
「…………あぁ、そうだったな。俺が言ったんだもんな。後悔だけはするなって。なら…………俺から言えることは………………何もねぇよ。」
「翔、ありがとう。」
俯いた翔の表情はよく見えない。でも、握りしめた拳が震えている。最後の最後まで翔には迷惑をかけてしまったな。そして、僕は先輩の方を見る。
「…………陽ちゃん。陽ちゃんは、本当にそれでいいの?もう、私たちに会えなくなるんだよ?」
「先輩、ごめんなさい。でも、さっきも言ったとおり…………これが僕なんです。先輩が好きになってくれた、否定せずに肯定してくれた僕自身の出した答えなんです。」
「………………そっか。そうだよね。でも、そんな誰よりも優しいあなただから、私は好きになれたんだろうな。」
「先輩、最後に一つだけお願いがあります。…………海月を、僕の大切な妹のことを……どうかお願いします。」
「…………うん、わかったよ。」
そう言って先輩は僕に顔を近ずける。僕の唇と先輩の唇が重なる。優しく触れる程度の最後のキス。先輩は涙を流しながら微笑み、海月を後ろから抱きしめ僕の体から引き離す。
「行ってらっしゃい……陽ちゃん。」
「…………ハハッ。最後にとんでもないプレゼントを貰っちゃったな。じゃあ、行ってきます!」
「待って!おに…………お兄ちゃん!!」
泣きじゃくる海月に後ろ髪を引かれながら振り返り、再度ボードに向かう。再度僕は左手を白いボードに掲げる。
これは予感だけど、セレクターの全てを知覚することができる海月以外…………つまり、先輩と翔は改変した後の世界で僕のことは思い出せなくなると思う。この世界に最初からいなかった人間として。それでも、翔と先輩は必ず海月のことを支えてくれる。根拠は無いけど、あの二人ならきっと約束を守ってくれる。それに、僕の部屋に海月に残したものがある。海月がそれを見つけられるかは賭けだけど……きっと大丈夫だ。
僕はそのまま左手でボードのAに書かれている選択をなぞる。瞬間、僕の視界は白い光に包まれた。




