俺のまわりと、科学的根拠なやつ。
無意識に生きる自分がこの世界にいる。無意識に呼吸をして、何かを眺め感じて、うっすらと微笑む。こころをくすぐられるように何かを思い出して、髪を撫で下ろす。ゆるみ上がった口角を効き手でなぞっては、笑い、その手を頬から目尻へ移り前髪を揺らす。もう一度呼吸したとこで、僕は目を覚ます。
『おはよう。』
ようやく買えた自分の靴がまた磨り減って、品格を下げる日をいまか今かと待ち受ける。中古でようやく手にした年齢的に出遅れた白いシャツは、クシャクシャに洗われながらも愛用されて風に吹かれてる。お世辞でも何年も穿いていますと言えないジーンズは、真っ黒だったものが冷めてグレーなオシャレデザインとして、短い脚を魅せている。長年誰の手にもお手入れさせなかったセルフカットの髪もようやく過去の思い出から抜け出して、ロングになり遊び癖を覚えた。体を守る毛たちもまた、本来あるべき姿と時代に呑み込まれながらも成長しようと背伸びする。
『うれしい。』
時に、どうしようもないときに嘆く自分がいる。
自分を産んだ自分に嘆き傷つけ痕を残し、踏みいじりののしって行く。「小説のように世界を作れたなら…こんな世界は生まれない」と鼻を高くする。しかし僕たちの生きる世界は僕たちの生き方で変わっていくんじゃないかと、僕の心にいる編集者や読者、まわりの人たち編集者が忠告をしてきてる。裏を返せば、それは僕を創造した脚本家さんが僕を信じるがゆえに成り立っているんじゃないかっていうことに辿り着きそうな気がする。
要するに僕がどう思って行動しようが自由で、僕が笑いたかったら自然にその笑いが自然と創造されてまわりも笑いになっていくように作られる、情景を描いてくれる。無理に僕が笑うと、それはまた違った形で描写をされて違った表現で反応が返ってくる・・・。うーん、難しい。こんな話、誰も聞きたくない。でもこれだけは想っていて、僕がいろんな経験して色々考えさせてくれる出来事があるということは、僕を成長させてくれようとしている誰かがいるんじゃないかってこと。ソコから僕は創造をされて歩いていき、いろんな人たちと巡り出会い経験をし、一生を終えていく。まるでひとつの物語のように、伝記のように描かれる。脚本家だけじゃ、誤字の間違いでとんでもないことになりかねないから校閲をかねた編集者がいっぱいいて、その主人公にもいっぱいいて・・・。その世界の中を、いま僕らはいきていて・・・。
んー。
こうして生きているけど、薬が足りないときがあって記憶があいまいなときがあった。僕がこの短い私小説を綴る中でも、いろんな出来事があった。でもそれは脚本家に意図があってそうなったんだろう。もしかしたら、本当に編集者がいなくて僕の人生がむちゃくちゃになってたのかもしれない。
この世界では、科学的根拠で生きている世界だけど、きっとそっちから目線からしたら、まるでミステリー小説を書くように僕を動かしていたんだろう。宗教のはなしをすれば、これは創造されて出来ている話だったり自分で自分のための過程だったりという位置づけになるんだろう。
であれば、この世界をどうにかして欲しいとは言わないから、逆に僕から、小説サイトで綴って活かさせてもらいたい。
『僕らの世界は、僕らの手で作られている。委ねられている。そう、争いごとも楽しいことも。』




