トモア3
眩しい。
カーテンの隙間から漏れ出た光がマールの目元をちらちら横切る。
建物に足を踏み入れたのが夜だったので気付かなかったが、マールが毛布を与えられ寝ていたのは台所であった。周囲を眺めてみると、建物は古くところどころガタがきているのが一目瞭然であるが、置かれた物はきれいに整頓されている。
先生もガウシアも二階の部屋に行ってしまったので、ここにはマールしかない。しつこく鶏が鳴き続けている。ぼさぼさの髪を撫でながら、マールはゆっくりと上半身を起こした。
釜の底を火かき棒でかき回すと、小さな火種が赤く光っていた。ふー、ふー、と息を吹き込んで励まし、枯草を入れる。火が十分育ったのを確認して、今度は大きめの木を入れる。
「何をしている」
振り返ると、背後にガウシアが立っていた。
面を被っているかのような、相変わらずの無表情。
「あ、あの、朝食を作って差し上げようかと思って」
「いらん」
とりつく島もない。
「先生の口に入るものは私が作る」
「はあ」
ガウシアはできぱきと朝食の準備を始めた。パンを切って、クリームチーズと蜂蜜を薄く塗り、千切ったレタスを挟む。釜の灰の中に差し入れておいた鉄板はじゅうじゅうと熱を帯びている。薄くスライスされた肉はその上で一瞬のうちに焼けてしまった。粉にしたクミンと唐辛子を少々まぶして、ひっくり返して――
そのとき、ぎぃぎぃと階段が鳴った。一歩一歩沈むような足取りで、先生が二階から降りてきたのだ。
「げ、レタス入っている。嫌いだってガウシア君に言ったよね?」
ガウシアは振り向きもせずに応える。
「ええ、だから入れました」
「悪魔の食べ物だ」
「仲保者の“みことば”を都合よく解釈することは許されません」
ふぁー、と大きな欠伸をしながら腕を伸ばし、肩を回す。立襟の黒い祭服をきちんと着たガウシアに比べ、先生は実にいぎたない。まさに子供と母親だ。そんなどうでもいい想像を映像にして空中に浮かべていると、
「さっさと準備しろ。飯食ったら行くぞ」
と、ガウシアが言った。
マールは二つの点で驚く。
「わ、私の分もあるんですか!?」
「決まっているじゃないか」
先生が口一杯に食事を詰め込みながら言った。
なんだかんだいってレタスもそのまま食べている。
「それであのー、これからいったい何を」
「買い物。奴隷市だよ。あれ、言っていなかったっけ?
先生が口をもごもごさせながら言った。
◇◆◇
トモアは帝国の最北端において物流と軍事の拠点となるべく意図的に建設された街である。つまり、この地より北から来る人や物は概ねここを経由することになる。昨今奴隷に身を落とすのは北方で小競り合いを繰り返すフリクエント族とヘイズ族だけなので、この街に帝国最大の奴隷市場があるのは何の不思議ではない。
「奴隷たちの様子を書けるだけ書いてくれ。風俗画ってやつだね。後でまとめて司教様にお送りするから、ありのまま丁寧に」
「はい」
朝のひんやりした空気がゆっくりと暖まってきた。
三人は道の隅をとぼとぼ歩く。
鶏が鳴いた、といってもまだ夜が明けたばかり。
道行く人は少なく、家々の煙突からは炊事の煙が出ている。
中央の広場に浮浪者が見えないのは北方の寒冷な気象によるものか、あるいは軍の街であるからか。
他に人が歩いていたとしても、マールはガウシアから服を借りてきっちり男装をしていたので、傍目には聖職者の集団の一人にしか見えないだろう。高身長のガウシアの服なのでもちろんサイズは二回り大きく、裾と袖をまくりあげようやく着ることができた。だいぶ着古されているため、生地が薄くなっていてすーすーする。
「フリクエント族とヘイズ族、どちらの奴隷を買うべきだと思うかい?」
と、先生はマールに尋ねた。
きっちりした服装に対し、寝癖で後頭部がもっさりふっくらしているのがちょっとばかりおかしい。まあ、この先生が櫛を持っているところは想像できないだけれど。
「は、はい。えーとそうですね……」
「道案内と荷物運びが主な仕事だ。これが重要ーーー身体は丈夫な方がいい。芸術家としての君の直感でいいよ」
芸術家。へへ。
マールは笑いそうになるのを噛み殺す。
「フリクエント族でしょうか。一方のヘイズ族は、やはり征服された側の民族ですから」
「やはりそう思うか。業者もそう言って二倍の値をつけて売りこんでくる」
「間違っているのですか?」
先生はいたずらっぽく笑った。
「それを確かめに行くんだよ」
◇◆◇
足元には煙草の吸殻が散らばっていた。見張り塔に詰めている衛兵たちが上から捨てているのだ。トモアの街は都市部と郊外にはっきりと分かたれている。古い弾痕が残る高い塔と常設の公共セリ場がその境界にあり、前者が街、後者が郊外の限界となる。
市はセリ場を中心に一夜にして立つ。月に一度、決まった曜日に併せて、たくさんの奴隷たちをつれた商人たちが集まってくる。街中心部との往来を妨げながら、彼らは三日間その空間を占領し続けるのだという。
「やはり私は慣れないなあ、こういうとこ」
「何をおっしゃいますか。これから奴隷を買うというところなのに
「いやあ。こういうの、ほんとは君のほうが嫌いだろ、ガウシア」
一瞬だけ、ガウシアは言葉に詰まる。
「しかし道中危険を被る可能性は最小にしなければなりません。その点“所有物”のほうが法律上何かと都合が良いのです」
「クールだね」
「奇麗事ばかりではことはなりません。それに我々が買わなくとも別の人に買われるだけです。ならば我々が引き取ってしかるべき待遇で大切に扱うべきです」
「なるほど」
「……これは詭弁でしょうか」
「詭弁だろうねえ」
秋晴れのカラカラした空気。既に市は立っており、道の左右至る所にフリクエント族の商人が所有する大きな檻が建っている。大きい檻、といっても、マールの背丈ほどしかないので、籠といった方が良いのかもしれない。背の高い男たちは半裸で背を丸めて座っている。檻の中には視線を遮るものがない。
「マルチコ君。君にはとりあえず、適当にうろついてきて二つの民族を男女それぞれ描いてもらおう」
「二枚ですね。明後日までお時間を頂戴できれば……」
「ああーそんなきっちり書かなくていいよ。簡単にでいいから。デッサンってやつ? ここでどんなことが起きているかここにいない人がその絵を見て分かればいい」
「あの……フリクエント族とヘイズ族ですよね。正直、見分けつきません」
「そりゃあそうだろうよ。もともとは同じ民族だもの。連中は判別できるみたいだが」
先生は雑然と並べられている檻を指さして、
「被征服者の待遇は良くない。狩られ次第檻だ」
周りをきょろきょろと眺めた先生は続いて、セリ場の中に入っていく白服の行列を指さす。
「あっちがフリクエント族。ほとんどは身内から犯罪者を出して連座した者たちだ。雇い主もフリクエント族だから、多少待遇が良い」
確かに、姿かたちは自由人のそれと変わらない。それどころか、首にも足にも枷がないので、奴隷と言われなければ決してそうとは判断できないだろう。
「分かりました。それでは描いてみたいと思います」
「頼むよ。じゃ、わたしたちはわたしたちの用事を済ませてくるから」
二人は雑踏の中にわけ入っていく。先生は振り返り、にこにこ笑いながらマールに大きく手を振った。
いったい何が楽しいのやら。




