学園
その後も、アンナから王立ルミエール学園について説明を聞きながら、俺は別のことばかり考えていた。
(相手は王子様なんだよな……。こっちから婚約破棄を願い出たら、さすがに角が立つよなぁ……)
どうすれば自然に婚約を破棄できるのか。
そんなことばかり考えていると――。
ガチャッ。
馬車の扉が開いた。
「セシリアお嬢様、お待たせいたしました」
外から執事の声が聞こえてくる。
どうやら、王立ルミエール学園へ到着したらしい。
(婚約破棄なんて、考えても全然分からん!)
俺は半ばやけになりながら、馬車を降りた。
そこで、目の前に広がった光景に思わず足を止める。
石畳の道。
その両脇には、道を囲むように桜の街路樹が並んでいる。
さらに、その先には大きな噴水。
そして、その奥には赤レンガで造られた立派な校舎がそびえ立っていた。
「ここが……学園ですの……?」
あまりのスケールに圧倒され、俺は思わず言葉を失う。
すると、背後からアンナの声が聞こえてきた。
「セシリアお嬢様。こちらをどうぞ」
振り返ると、アンナが周囲の学生たちが持っているものと同じ、茶色の革製バッグを差し出していた。
「感謝いたしますわ」
俺は、おそらく学校指定の鞄なのだろうと思いながら受け取る。
(……え?)
そこで、違和感に気づいた。
(軽すぎないか?)
見た目からは想像できないほど軽い。
俺は思わず鞄を凝視した。
すると、側面についている楕円形のブローチのようなものが、淡い白色の光を放っていることに気づく。
(これが……魔法ってやつか?)
俺は眉間に皺を寄せながら、謎の装置をじっくりと観察する。
「あと、こちらもどうぞ」
今度はアンナが、指輪のようなものを差し出してきた。
「これは、何でございますの?」
俺は何も考えずに受け取り、そのまま右手の人差し指にはめてみる。
すると、
「携帯式魔導通信機、通称『携帯』でございますよ?」
アンナは不思議そうに首を傾げた。
(……この世界では、これって常識なのか!?)
アンナの反応を見て、俺は焦った。
「も、もちろん存じておりますわ! なぜ今、渡してくださったのかと尋ねただけですの!」
何とか誤魔化そうと苦し紛れの言い訳を放った。
「も、申し訳ございません!」
するとアンナは、すぐに深々と頭を下げた。
「主のお言葉の意図すら正しく理解できず……大変申し訳ございません!」
(ごめん! 本当にごめん!)
俺も心の中で必死に謝った。
「お気になさらないでくださいまし。従者のミスは、主のミスでもあるのですから」
罪悪感に耐えられなくなった俺は、精一杯それらしいことを言ってフォローする。
「セシリアお嬢様……」
アンナが、少し感動したように目を潤ませながら俺の名前を呼んだ。
その時だった。
「おや? セシリアとアンナじゃないか。久しぶりだね」
爽やかな男子生徒の声が、横から聞こえてきた。
(……誰だ?)
俺は声のした方へ振り向く。
そこには、レモン色の髪をした美青年がいた。
柔らかな笑顔を浮かべながら、こちらへ手を振って歩いてくる。
「シオン王子殿下、お久しぶりでございます」
アンナが深々とお辞儀をして挨拶する。
(……こいつが、例の婚約者か)
俺は目の前の青年をじっと見る。
第一王子。
そして、俺の婚約者。
――今後、どうにかして婚約を破棄しなければならない相手だ。
(顔を目に焼き付けておかないとな……)
そう考えながら、俺も貴族らしくスカートを軽く持ち上げ、優雅にお辞儀をする。
「これはこれは、殿下。お久しゅうございますわ。お身体にお変わりはございませんか?」
「そんなに畏まらずに、もっと気軽に接してくれないかな?」
シオンは少し照れたように、右手の人差し指で頬をかきながら言った。
「いくら婚約関係とはいえ、人の目がございますもの。そのようなことは、できかねますわ」
俺の意思とは関係なく、口が勝手にシオンの提案をやんわりと拒否してくれた。
「それも、そうだね」
シオンは少し困ったように笑う。
そして、辺りを見回した。
つられて俺も周囲を見渡す。
すると――。
「ねえ、あれが噂のシオン様とセシリア様……?」
「シオン様、本日も素敵ですわ!」
「シオン様とセシリア様、お二人揃ってこの学園に入学されるなんて……!」
いつの間にか、俺たちの周囲には大勢の生徒が集まっていた。
(……いつの間に、こんなに集まったんだ?)
俺は人だかりを見て、少し引きつった笑みを浮かべる。
すると、そんな俺を見たシオンが、
「そうだ。せっかくだし、君の教室までエスコートさせてもらえないかな?」
そう言って、俺へ手を差し出した。
(教室まで連れて行ってくれるのか?)
見知らぬ学園で迷子になる心配がなくなる。
まさに渡りに船だ。
(これはありがたい!)
内心でガッツポーズをしながら、俺は差し出された手にそっと自分の手を重ねた。
「ぜひ、お願いいたしますわ」
優しく微笑んで答える。
「うん。任せてよ」
シオンは頷くと、俺の手を引いて学園へ向かって歩き始めた。
その背後から、アンナの声が聞こえてくる。
「セシリアお嬢様! 携帯には、もしもの時の連絡先と学園の地図を入れておきましたので、何かございましたらお使いくださいませ!」
(……使い方なんてわからないんだよ!)
と、心のなかでツッコミを入れながら、婚約者である第一王子シオンにエスコートされて、王立ルミエール学園へ足を踏み入れることになった。
「ここがセシリアの教室だよ。席は自由に座っていいからね」
「ありがとうございます」
シオンに案内され、俺はようやく自分の教室までやって来た。
軽くお礼を言って教室へ入ろうとした、その時。
ふと、冷静になった。
(……待てよ)
俺の頭に、ある疑問が浮かぶ。
(婚約者と二人で仲睦まじく歩いている姿を、学園中に見せつけただけなのでは……?)
「違いますわ。違いますわ」
俺は慌てて頭を横に振り、その考えを振り払った。
「ふぅ……」
小さく息を吐き、気持ちを落ち着かせる。
そして改めて教室の中を見渡した。
正面には、上下左右に並んだ黒板。
その前には長机が整然と並べられている。
室内はほんのりと暖かく、どうやら空調まで完備されているらしい。
「まるで大学の講義室のようですわね……」
日本の高校とは随分と違う教室に驚きながら、俺は入り口に一番近い席へ腰を下ろした。
すると――
「あの……セシリア様ですよね?」
突然、見知らぬ女子生徒が目の前にやって来た。
「そうですわよ。わたくしがセシリア・モンフォールですわ」
表面上は何事もないように答える。
だが、内心は――
(また知り合いか?!)
焦りと緊張でいっぱいだった。
「お初にお目にかかります。私は、ミレイ・ベルと申します」
ミレイは丁寧にお辞儀をして名乗った。
(知り合いじゃなくて良かった……)
ひとまずホッとする。
しかし、すぐに別の疑問が浮かんできた。
(……で、何の用だ?)
そんな俺の警戒をよそに、ミレイは少し言いにくそうに口を開いた。
「あの……殿下と婚約をなさっているというお話は、本当なのでしょうか?」
一拍置いてから、意を決したように尋ねてくる。
(なんだ、ただの噂好きの子か)
俺は内心でホッとしながら、質問に答えることにした。
「ええ、事実でございますわよ」
すると――
「では、休日は殿下とお出かけを?」
「いつごろ婚約をなさったのですか?」
「殿下とは、どこで出会われたのですか?」
次から次へと質問が飛んでくる。
気がつけば、俺の周囲には人だかりまでできていた。
(俺も知りたいよ!)
心の中でツッコミを入れながら、俺は何とか対応する。
「わたくし自身のことであればお答えできますけれど、殿下の私情に関することとなりますと、お答えいたしかねますわ。勝手に殿下のことをペラペラと話しては、不敬に当たりますもの」
一度言葉を区切り、俺は少しだけ微笑んだ。
「それに……気になる二人の関係というものは、あれこれと妄想するのが楽しいのではなくて?」
適当に誤魔化しながら、質問をかわしていく。
すると――
「セシリア様、さすがです!」
「同じ年齢とは思えないくらい落ち着いていらっしゃいますね」
「申し訳ございません……!」
周囲から様々な反応が返ってきた。
(よし。なんとか誤魔化せたのか……?)
俺が内心で安堵していると――
ゴーン。
ゴーン。
ゴーン。
始業の鐘が、学園中に響き渡った。
「じゃあ、出欠を取るぞー。名前を呼ばれたら返事をして、立ち上がって軽く自己紹介をしてくれー」
赤縁メガネに黒髪のポニーテール。
スーツ姿の女性が、教壇から気軽な口調で声をかける。
(自己紹介か……。どうしようか……)
俺が頭を悩ませていると、担当教師はそのまま続けた。
「まずはアタシからだ。アタシはカレン・フォード。このクラスの担任だ。好きなことは体を動かすこと。嫌いなことは細かい作業だ」
カレン先生は胸を張り、簡潔に自己紹介を終えた。
(自己紹介、自己紹介……。オート機能が何とかしてくれないかな……?)
俺がそんなことを考えていると――
コト……
コト……
机の上に置かれた墨の入った瓶が、小さく揺れた。
(……地震か?)
俺は小さな音に反応して辺りを見回す。
だが、俺以外に気づいている様子はない。
気のせいかと思った、その時。
ガタガタッ!
今度は瓶が大きく揺れ始めた。
そして、教室の外から――
ドスッ……。
ドスッ……。
まるで象が大地を踏みしめているような音が、徐々に近づいてくる。
「何かしら……?」
「地震か……?」
「怖いですわ……」
教室内に、少しずつ不安と恐怖が広がっていく。
ドスッ……。
ドスッ……。
その音が近づくたびに、床まで揺れているような気がする。
そして――
唐突に、足音と揺れが止まった。
「……?」
教室が静まり返る。
次の瞬間。
ガラッ!
バンッ!
勢いよく教室の扉が開かれた。
そこに立っていたのは――
栗毛色のショートカット。
学園の制服とスカート。
小柄な体。
樽のようなボディ。
クリームパンのように丸々とした手。
そして、肉に埋もれているせいで、開いているのかすら分からない瞳。
(……この世界、魔物までいるのか?!)
その姿を見た瞬間、俺は思わず身構えた。
しかし――
「すみません! 遅れてしまいました!」
教室中に響き渡ったのは、その見た目からは到底想像できないほど、純粋で美しい声だった。




