魔法演習
「セシリア様が盗聴を?!」
「その角部屋って、セシリア様のお部屋ではありませんでしたっけ?」
「鍵をお失くしになられたのでしょうか?」
翌日、教室に入った俺を待ち受けていたのは、ひそひそと交わされる噂話と、好奇の視線だった。
どうやら、昨日の一件はすでに学園中に広まっているらしい。
(誰にも言わないって言ってたじゃないか!)
心の中で悪態をつきながら、自分の席に腰を下ろす。
「はぁ……」
俺はため息をつき、黒板をぼんやりと眺めた。
(まあ、人の噂も七十五日って言うしな。時間が解決してくれるさ)
周囲から向けられる好奇の視線を気にしないようにしながら、俺は自分にそう言い聞かせた。
……とはいえ、やっぱり気になるものは気になる。
(頼むから、これ以上変な噂が増えませんように……)
そんなことを考えていると、不意に教室の扉からひょこっと顔が覗いた。
「はーい! じゃあ、今から魔法演習の授業をやるから、体操服に着替えて中庭に集まるように!」
カレン先生は、それだけ言い残すと、さっさと去っていった。
(あの先生、今日の授業について伝え忘れていたな)
あまりにも簡潔な指示に、俺は内心苦笑しながら席を立った。
すると、いつの間にかエマがすぐそばまで来ていた。
「セシリア様! おはようございます。一緒に行きましょう!」
「おはようございます、エマさん。参りましょうか」
俺はエマの誘いに応じ、カレン先生の指示どおり中庭へ向かうことにした。
クラスメイトたちと中庭に集まると、カレン先生はさっそく魔法の使い方について説明を始めた。
「みんな知っていると思うが、魔法には火、水、木、光、闇の五つの属性がある。火なら燃やしたり強化したり、水なら流したり浄化したり、木なら植物を生やしたり癒やしたり……。そんなイメージを魔法で具現化するんだ」
(なるほど?火や水、木はなんとなく分かる。あと、光属性は光りそうだけど、闇属性って何なんだ? 闇って、光がない状態のことか? それとも黒色?)
カレン先生の説明を聞いても、いまひとつピンとこない。
俺は首を傾げながら、どうにか理解しようと頭を捻っていた。
「はい! 先生! 光属性と闇属性は、どのようなものをイメージすればよいのでしょうか?」
すると、隣にいたエマが、迷うことなく手を挙げて質問してくれた。
(おお……! 若いっていいなぁ。年を取ると、どうしても人に聞くのをためらっちゃうんだよなぁ)
俺は、そんなエマの物怖じしない姿勢に、ひそかに尊敬の念を抱いていた。
「光属性は、強化したり、癒やしたり、浄化したり……まあ、ポジティブイメージが強いな。反対に、闇属性は弱体化させたり、腐食させたり、穢れさせたり……。どちらかといえば、ネガティブイメージが強い。とりあえず、そのあたりをイメージしてみたらどうだ?」
カレン先生は少し首を傾げながら、ざっくりとした説明をしてくれた。
(ポジティブイメージに、ネガティブイメージ……?)
俺は説明を聞いて、ますます頭を悩ませた。
「うーん……?」
隣を見ると、エマも同じように首を傾げていた。
カレン先生は俺たちの困惑など気にする様子もなく、さっさと授業を先へ進めてしまった。
「まあ、習うより慣れろってやつだ。実際に使ってみれば、何か分かるかもしれないぞ」
カレン先生の勢いに押されるまま、魔法演習が始まってしまった。
(弱体化、腐食、穢れ……)
先生の説明を思い返してみるものの、具体的にどんな魔法を使えばいいのか、いまひとつイメージが湧かないままにとうとう俺の番が回ってきてしまった。
魔法を撃ち込む的は、古びた金属製の西洋鎧だ。
(腐食か……。金属を溶かすイメージでいいのか?)
いくら考えても、ほかに良い案は浮かばない。
こうなったら、流れに身を任せるしかない。
俺は意を決して右手を鎧に向け、金属が溶けていく様子をイメージした。
すると……。
勝手に口が動き出した。
「我が前に存在せしことを後悔させよ――アシッド・ヴェノム」
詠唱が終わると同時に、
ポンッ!
小気味よい音を立てて、紫色の球体が放たれた。
(おおっ! これが魔法か!)
初めて魔法を発動できたことに、俺は思わず感動していた。
しかし、感動に浸っている間にも、紫色の球体は放物線を描きながら鎧へと飛んでいく。
ベチャッ!
球体は鎧に命中すると、弾けて飛び散った。
(……あれ? なんか、威力が低くないか? まあ、ちゃんと当たっただけよしとするか)
そんな気楽なことを考えながら、俺は演習の列に戻ろうと振り返った。
そのときだった。
カラン、カラン……。
背後から、金属が地面に転がるような音が聞こえてきた。
「嘘でしょ……?」
「あれが闇属性魔法……?」
「危なすぎないか……?」
周囲の生徒たちが、ざわざわと騒ぎ始めた。
「何か起こりまして?」
不思議に思った俺は、生徒たちの視線の先を振り返った。
そこには、先ほど俺が魔法を命中させた鎧があった。
いや、正確には……鎧だったものだ。
ブシュッ……。
ブシュッ……。
鎧は地面に倒れており不気味な音を立てながら、泡立ち、みるみるうちに溶けていく。
(……えぇ?)
想像をはるかに超える魔法の威力に、俺は思わずドン引きした。
その直後。
ザザッ!
周囲から、一斉に人の気配が遠ざかった。
(……なんだ?)
不思議に思って周囲を見回すと、先ほどまで近くにいた生徒たちが、いつの間にか俺から距離を取っていた。
そして、俺と目が合った途端……。
「さ、さすがセシリア様ですわ! これほど高威力な魔法を使われるなんて!」
「お、俺たちには到底できないことをなさるとは、さすがです!」
「は、初めての魔法演習で、熟練の魔道士のような魔法を使われるなんて……! さすがとしか言いようがありません!」
パチパチパチ!
生徒たちは、引きつった笑顔で拍手をしながら、俺を褒め称えてくれた。
その姿は、機嫌を損ねると面倒な上司を、必死に持ち上げる部下そのものだった。
「はぁ……」
(完全に腫れ物扱いじゃん……)
俺は気まずさに耐えきれず、演習場所から少し離れたところへ移動した。
そして、ほかの生徒たちが魔法を練習する様子を、遠巻きに眺めることにした。
「どうしてこうも、うまくいかないのでございましょう……?」
俺は、空を仰ぎながら深いため息をついた。
クラスメイト全員が一度ずつ鎧に魔法を撃ち込むと、カレン先生は再び説明を始めた。
先生の隣には、黒い布を被せられた直方体の箱が置かれている。
「全員、魔法の使い方はだいたい分かったな?」
「はーい!」
クラスメイトたちが元気よく返事をする。
「よし! それじゃあ、ここからが実戦だ!」
カレン先生は満足そうに頷くと、勢いよく黒い布を取り払った。
その下から現れたのは、鉄製の檻だった。
そして、その中には……
一本の角が生えた、中型犬ほどの大きさをした兎のような生き物がいた。
「きゃー! 可愛いー!」
「なになに? クラスで飼う感じかな?」
「えー! 名前は何にする?」
魔物の姿を目にした途端、クラスメイトたちは思い思いに騒ぎ始めた。
「はい! 静かに!」
カレン先生が大声を張り上げる。
「こんな見た目だけど、これでも危険な魔物なんだぞ!」
しかし、女子生徒たちは可愛らしい魔物の姿にすっかり夢中で、先生の注意もあまり耳に入っていないようだった。
「可愛いですね。本当に魔物なのでしょうか?」
そんな中、エマが小声で話しかけてきた。
「見たところ、危険な感じはしませんわね」
俺も小声で返事をする。
正直なところ、俺にもただの可愛らしい動物にしか見えなかった。
「――というわけで、今からこの魔物を退治してもらう!」
どうやら、俺たちがエマと話している間にも、カレン先生の説明は進んでいたらしい。
「果物や肉といった食べ物を見つけなければ、攻撃性は低いから安心しな。それに、危なくなったら私が止めに入るからな」
先生が説明を終えると、檻の扉が開かれた。
魔物は、ぴょんぴょんと兎のように跳ねながら外へ出てきた。
(……本当に危険なのか?)
念のため警戒しながら様子を窺ってみる。
しかし、魔物は辺りを見回したり、後ろ足で耳の後ろを掻いたりと、至って普通の兎のような行動しかしていなかった。
「ただのうさぎちゃんみたいで可愛いですね!」
エマをはじめとする女子生徒たちは、すっかり警戒心を失っていた。
ニコニコと笑いながら、魔物へと近づいていく。
「おーい! 可愛さを十分に堪能したら、ちゃんと攻撃するんだぞ!」
「えー!」
カレン先生と女子生徒たちが、そんなやり取りを繰り広げていると……。
「おい! 馬鹿! やめろって!」
「あんなのが危険なわけないだろ」
端の方から、男子生徒二人のひそひそ話が聞こえてきた。
(……ん?)
なんだか、嫌な予感がする。
俺が二人に視線を向けると、片方の男子生徒がポケットから何かを取り出していた。
(なんだ? お菓子か?)
取り出されたのは、果物を模したお菓子だった。
「お前はビビりすぎなんだって! いいから見てろって!」
「おい! 馬鹿!」
止めようとするもう一人の制止を振り切り、男子生徒はお菓子を女子生徒たちの輪の中へと放り投げた。
ちょうど、魔物がいる辺りだった。
「キシャーッ!」
次の瞬間、獣の威嚇音のような叫び声が中庭に響き渡った。
「きゃああああっ!」
女子生徒たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「今、お菓子を投げ込んだ奴は誰だ!」
カレン先生の怒号が飛ぶ。
騒ぎの中心に残された魔物は、先ほどまでとはまるで別の姿になっていた。
赤く染まった目。
前足から覗く、長く鋭い爪。
そして、兎には似つかわしくないほど大きく開かれた口。
魔物は、投げ込まれたお菓子をバリバリと噛み砕いていた。
(……なるほど。食べ物を見ると危険になるって、こういうことか)
俺が納得していると、魔物は食べ終えたお菓子から顔を上げ、辺りを見回した。
そして……。
エマを見つけると、一目散に駆け出した。
「ひぃぃっ! なんでこっちに来るんですかー!」
(……一番食べ応えがありそうだし、仕方ないよなぁ)
失礼極まりないことを考えながら、俺はその様子を眺めていた。
しかし、魔物とエマの距離は、少しずつではあるが縮まっていく。
「エマさん! もっと魔物から距離を取りなさい!」
カレン先生が焦った様子で叫ぶ。
「無理ですー!」
エマは必死に走っているものの、魔物を引き離すどころか、追いつかれそうになっていた。
(……あの魔物に犬用の口輪みたいなものを着けて、エマを追いかけさせたら痩せるんじゃないか?)
そんな呑気なことを考えていた、その時、
「セシリア様ー! 助けてくださーい!」
エマが、まっすぐ俺の方へ向かって走ってきた。
「どうして、わたくしを巻き込みますの?!」
俺は、エマから逃げるように走り出した。
「どうして逃げるんですかー!」
「あなたが魔物を連れているからでしょう!」
「そんなこと言わないで助けてくださいー!」
「無茶をおっしゃらないで!」
俺たちはそんな言い合いをしながら、中庭を走り回った。
「きゃっ!」
唐突に後方から、エマの悲鳴が聞こえた。
「エマさん、どうなさいましたの?!」
嫌な予感がして振り返る。
そこには、無様に転倒したエマと、そのエマに向かって飛び掛かる魔物の姿があった。
(……まずい!)
このままでは、エマが魔物に襲われてしまう。
(腐食はダメだ! あんなこと、生き物にやってはいけない! だったら、弱体化はどうだ? 魔物の力を弱めれば、エマも助かるんじゃないか?)
必死に頭を働かせる。
しかし、いざ弱体化させようと思っても、何をどうすればいいのか分からない。
(そもそも、力を弱めるって何なんだよ!)
魔物は、すぐそこまで迫っている。
考えている時間はなかった。
(分からないけど……結合力だろうと分子間力だろうと、何でもいい! とにかく、力よ、弱まれ!)
思いつく限りの「力」に関係しそうなものを頭に浮かべながら、俺は右手を魔物へとかざした。
すると、またしても勝手に口が動き出した。
「万物を生みし小さき力たちよ。我が命に応じよ――ブレイク・バンド!」
詠唱を終えた瞬間、俺の右手から黒い球体が放たれた。
球体の表面には、鎖を編み込んだような模様が浮かんでいる。
しかも、先ほどの紫色の球体とは違い、かなりの速度で魔物へと飛んでいった。
そして……。
ドンッ!
黒い球体が魔物に衝突した。
「ギィッ!」
魔物が悲鳴を上げる。
直後、黒い球体から鎖が飛び出し、魔物の身体に絡みついた。
鎖は魔物の動きを封じたまま、その身体ごとゆっくりと宙へ浮かび上がっていく。
(何だか分からないけど、拘束系の魔法か?)
どうやら、魔物を無力化することには成功したらしい。
俺はひとまず安堵し、エマのもとへ駆け寄った。
「エマさん、大丈夫ですか?」
「は、はい……何とか……」
俺はエマに手を差し伸べ、立ち上がらせた。
それから、空中に浮かんでいる魔物を指差す。
「あの子、可哀想なので檻に戻してあげませんか?」
「そうですわね」
エマの提案に頷きながら、俺は空を見上げた。
(……ところで、あの魔法ってどうやって解除するんだ?)
魔物は、地上から三メートルほどの高さに浮かんでいた。
しかし、よく見ると、身体に絡みついていた鎖が、少しずつ体内へ食い込んでいるように見える。
(……ん?)
俺は目を凝らした。
鎖は、まるで水に沈むように、スーッと魔物の身体の中へ入り込んでいく。
そして、とうとう鎖が完全に姿を消した。
その瞬間。
パァンッ!
魔物の身体が、弾け飛んだ。
肉片や臓物が、頭上から辺り一面へと降り注ぐ。
もちろん、真下にいた俺とエマも無事では済まなかった。
頭から浴びた液体が、顔を伝って滴り落ちる。
白かった体操服は、あっという間に真っ赤に染まってしまった。
(…………)
服は身体に張り付くし、何とも言えない臭いはするし……。
俺のテンションは、完全に地の底まで落ちていた。
隣を見ると、エマも同じように呆然としている。
「……寮に戻って、シャワーでも浴びてくるか?」
「そうさせていただけると幸いですわ……」
俺たちは、すっかり気力を失っていた。
カレン先生が、少し引き気味の表情でこちらを見ている。
「うわぁ……」
「お、お大事になさってくださいませ……」
クラスメイトたちも、誰一人として近寄ってこようとはしなかった。
こうして俺とエマは、ドン引きしているクラスメイトたちに見送られながら、一度学生寮へ戻ることになったのだった。




