盗み聞き
部屋の外に出た俺は、持ってきたコップを扉に押し当て、そこに耳をぴたりとくっつけた。
そして、聴覚に全神経を集中させる。
すると……。
「えっと……これは一体どういう状況でしょうか?」
「どういう状況でしょう?」
困惑しきった二人の声が、扉越しにかすかに聞こえてきた。
しかし、そこから話が進む気配は一向にない。
(……おいおい、いつになったら本題に入るんだ?)
しばらく待ってみたものの、二人の会話は一向に弾まなかった。
とうとう痺れを切らした俺は、扉を開けて中にいる二人に声をかけた。
「わたくしが部屋を出たら、わたくしの噂について、お互いに大きな声でお話しなさい!」
「はい!」
「承知いたしました!」
突然声をかけられた二人は、ビクッと肩を震わせながら返事をした。
(よし、これで大丈夫だろう)
俺は満足げに頷くと、再び扉を閉めた。
そして、改めてコップを扉に押し当てる。
すると、ようやくエマが口を開いた。
「えっと……それで、お屋敷でのセシリア様って、どんな方だったんですか?」
(ナイスだ、エマ!)
困惑しながらも話を進めてくれたエマに、俺は心の中で盛大な拍手を送った。
「以前のセシリア様はですね、とても厳しいお方でした。用意したお洋服がお気に召さなければ、『どうして、主の好みも把握できていませんの? それでは召使い失格ですわ! 今すぐ出ていきなさい!』と、すぐにお叱りになるのです」
「うわぁ……それはちょっと酷いですね」
アンナの話に、エマが引いたような声を漏らした。
(かなりわがままだったんだな……)
俺も扉の向こうの二人と同じ気持ちになっていた。
「他にもですね、食べ物の好き嫌いも多くて……。『わたくしがこの豆を嫌いだと知っていて、料理に使ったのですよね? 主に喧嘩を売るとは、いい度胸ですわ! あなたなど不要です! 今すぐ出ていきなさい!』と、虫の居所が悪いと、すぐに使用人を辞めさせようとするお方でした」
「ええ……そんな、めちゃくちゃな……」
エマの声には、先ほど以上に困惑が滲んでいた。
(わがままなうえに、癇癪持ちかよ……)
「はぁ……」
アンナのこれまでの言動と、屋敷の従者たちが異様なほどセシリアを恐れていた理由。
その二つにようやく納得がいったものの、あまりにも酷い話に、思わずため息が漏れてしまった。
そんな俺の心境など知る由もなく、アンナは話を続けていた。
「逆に、お屋敷の外では、セシリア様はどのようなお方だと噂されているのでしょうか?」
話しているうちに緊張がほぐれてきたのか、今度はアンナからエマに話題を振ったようだ。
「セシリア様は、階級主義者で、平民のことを虫以下の存在としてしか扱わない要注意人物だと噂されていましたよ」
「ああ……確かに、そうですよね」
エマの言葉に、アンナも納得したような声を返した。
(納得できるほどヤバいやつだったのか?!)
俺は扉の外で、思わず頭を抱えた。
「セシリア様の目の前を横切るのはもちろん、安易に話しかけてもいけない。それが、私たち平民の常識でした」
「それがよろしいかと思われます」
(肯定?! どれだけセシリアは酷かったんだよ)
二人の容赦ない評価が、扉越しに俺の心を抉ってくる。
これは、今の俺が言われているわけではない。
あくまで、以前のセシリアの話だ。
……そう自分に言い聞かせてみたものの、ダメージは着実に蓄積していた。
俺はとうとう扉の前に座り込み、うなだれてしまった。
(なんで、よりにもよってこんなヤバいやつの中に入ってるんだよ……。俺が何か悪いことでもしたか?)
神への恨み言を心の中で呟いていると、ふと、エマの明るい声が聞こえてきた。
「でも、実際のセシリア様は、噂と大きく違っていて驚きました!」
(……ん?)
それまでの話とは打って変わった前向きな言葉に、俺はピクリと反応した。
「と、言いますと?」
アンナが尋ねる。
「怒りっぽいところもありますけど、平民である私の健康を気遣ってくださって、ダイエットに付き合ってくれたり、夕食に招いてくれたり、部活動の見学にも付き合ってくれたり……。とても優しくて、愉快なお方です!」
(おおっ! エマは、少なくとも俺のことをいい人だと思ってくれているのか!)
エマの口から飛び出した予想外の褒め言葉に、俺は嬉しくなって顔を上げた。
……その瞬間。
目の前に立っていた女学生と、ばっちり目が合ってしまった。
「……」
「……」
女学生は、俺の手元にあるコップと扉を交互に見つめていた。
やがて、彼女は無言でヤバいやつを見るような視線を向けてくる。
「……このような場所で、何をなさっているのでしょうか?」
無言の圧力に耐えきれなかった俺は、とりあえず何か言わなければと、こちらから声をかけてしまった。
「えっ? セシリア様こそ、何をなさっているんですか?」
女学生は気まずそうに質問を返してきた。
(扉の前でコップを耳に当てているこの状況……どう言い訳すればいいんだ?)
「……」
俺は必死に頭を回転させた。
しかし、言い訳を思いつくよりも先に、女学生が口を開いた。
「……もしかして、盗聴してました?」
(そうだよな! そうとしか思えないし、実際そうなんだよ!)
俺は焦りに焦って立ち上がると、必死に弁明を始めた。
「ち、違いますわよ! 第一、ここはわたくしの部屋でしてよ! 自分の部屋を盗聴するなんて、おかしな人がこの世にいるとお思いで?」
焦るあまり、思わず声が大きくなってしまった。
「そ、そうですよね。ははは……。それでは、私はこれで失礼しますねー」
女学生は、明らかにヤバい人を刺激しないようにするための対応を取りながら、一目散に逃げ出した。
(絶対に信じてないやつじゃん!)
「お待ちなさい! せめて、弁明させてくださいまし!」
俺は遠ざかっていく背中に必死で呼びかけた。
しかし、女学生の背中はどんどん小さくなっていく。
そして、階段の方へと姿を消す直前、彼女は振り返りもせずに叫んだ。
「わ、私、誰にも言いませんから!」
(ヤバい……。ただのパワハラ貴族から、盗聴パワハラ貴族へと昇格してしまう……!)
俺は膝から崩れ落ち、深い絶望に沈んだ。
そんな俺の心情など知る由もなく。
カチャッ。
自室の扉が開き、エマがひょこりと顔を覗かせた。
「セシリア様、お待たせしました! ……って、セシリア様?!」
俺のうなだれた姿を目にしたエマは、驚きの声を上げて駆け寄ってきた。
その後、俺はエマに肩を貸してもらいながら、どうにか自室へと戻ったのだった。
「噂は噂なので、あまり気にされないほうがいいですよ!」
エマは、すっかり落ち込んでしまった俺が立ち直るまで、優しく慰めてくれた。




