ウォーキング
生徒会室を後にした俺は、エマと並んで寮への帰路についていた。
(まずいな。この世界について、何も知らなすぎる……)
しかし、頭の中は別のことでいっぱいだった。
この世界について、俺が持っている情報はあまりにも少ない。今は何とかなっていても、いずれどこかでボロが出るんじゃないか……。
そう考えると、気が気ではなかった。
(まあ、幸いにもこの世界で生まれ育ったエマがいるし、ダイエットを口実にすれば、自然に話を聞き出せるんじゃないか?)
俺は、直近の目標である情報収集のために作戦を練って、見切り発車の状態で敢行した。
「今日は、お話でもしながらウォーキングをして帰りませんこと?」
俺は、さりげなく提案してみた。
「ジョギングとかじゃなくていいのですか?」
すると、エマは嬉しそうな、それでいてどこか疑っているような目を向けてきた。
(変なところで鋭いんだから!)
思わぬ指摘に内心で悪態をつきながら、俺はあれこれと言い訳を考え始めた。
そして、どうにか説明がまとまりかけたところで立ち止まる。
「よろしいでしょうか、エマさん?」
「はい?」
エマも足を止め、不思議そうに俺を見つめ返した。
「ダイエットというものは、最初から全力で取り組んでいては長続きしませんのよ。だからこそ、まずはお話をしながら歩くことを楽しむのが大切なのです」
「なるほど! さすがセシリア様! 長期的な計画をお持ちなのですね!」
エマは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたかと思うと、パチパチパチと拍手をして褒めてくれた。
(エマが流されやすい性格で助かった……)
純粋な尊敬の眼差しを向けられると、若干の罪悪感が湧いてくる。
だが、ひとまず納得してくれたようなので、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「それでは、ウォーキングに行きますわよ」
「はい! セシリア様!」
俺は再び歩き始める。
スタスタスタ。
少し早足で歩く俺の後ろから、
ドスドスドス。
重厚な足音が追いかけてきた。
学園の周辺は、かなり栄えていた。
学園を取り囲むように建ち並ぶ住宅や商業施設は、どれも石造りで、いかにも西洋風といった趣がある。
壁のあちこちにはひびが入っていたり、角が欠けていたり、黒ずんでいたりと、長い年月を感じさせる跡が残っていた。
そして、学園へと続く石畳の大通り。その両脇には、ベーカリーや雑貨屋、酒場に屋台と、数え切れないほどの店が軒を連ねている。
「学生さん、学生さん! 今、大人気のニャルちゃん人形が入荷したばかりだよ! ちょっと見ていってよ!」
通りのあちこちから、威勢のいい客引きの声が飛んでくる。
「キモカワー!」
「えっ、良くない?」
店先に並ぶ奇妙な人形を見て、若い学生たちが楽しそうに盛り上がっていた。
その一方で、酒場からは夕方だというのに、すっかり酔っぱらった人々の声が響いてくる。
「うーん、若さゆえの過ち〜」
「ほら、邪魔になるので帰りますよ!」
何やら愉快な会話を繰り広げながら、酒場を出ていく酔っぱらいたち。
そんな、平和で穏やかな光景が広がっていた。
(あれは、ビールかな? 異世界のビールって、どんな味がするんだろう?)
酒場の前を通りかかった俺は、酔客たちが手にするグラスに目を奪われた。
(炭火で焼いた串か……。あれを頬張って、酒で流し込めたらどれだけ最高だろうか……)
今度は屋台の前で、香ばしい匂いを漂わせる串焼きに目を奪われる。
俺はすっかり目的を忘れ、学園から続く大通りを満喫していた。
(って、違う違う! 俺はエマから話を聞くために歩いていたんだ!)
ふと我に返った俺は、隣を歩いているはずのエマに話しかけようと振り返った。
「ところで、エマさん?」
しかし、そこにエマの姿はなかった。
(……あれ?)
右を見ても、左を見ても、見当たらない。
(あの巨体が一瞬で消えるだと?!)
「エマさん?!」
俺は慌てて来た道を引き返し、エマの姿を探し始めた。
すると、近くの酒場から、とんでもなく賑やかな歓声が聞こえてきた。
「お嬢ちゃん、いい食べっぷりだね!」
「若い子がいっぱい食べる姿はいいねぇ!」
「ほら、次の串もお食べ!」
「えぇ~、いいんですか? こんなに食べたら太っちゃいますよ~」
「わはははは!」
……聞き覚えのある声が混ざっている気がする。
(……うん? まさかな?)
俺は嫌な予感を覚えながら、恐る恐る酒場の中を覗き込んだ。
そこには、山盛りの串焼きが載った大皿を囲み、愉快そうに酒をあおる男たちの姿があった。
そして、その大皿から次々と串焼きを消し去っていく少女の姿も。
「エマさん!」
俺は思わず大声を上げ、酒場へと駆け込んだ。
「あっ! セシリア様!」
エマは油でテカテカになった口元をにんまりと緩め、呑気に手を振ってきた。
その瞬間、酒場の空気が一変した。
「セシリア様って、あのモンフォール家の……?」
「いや、まさかな……」
「たしか、エマちゃんって平民だろ?」
ざわざわと、酒場のあちこちで囁き声が広がっていく。
(……この様子だと、セシリアって悪い意味で有名っぽいな)
俺は周囲の視線を気にしつつ、エマのもとへと歩いていった。
(元のセシリアってどんな人間だったんだ?)
居心地の悪い視線を浴びながら、そんなことを考えていると――。
「はい、セシリア様! ここの串、美味しいですよ!」
エマの声とともに、謎のタレがたっぷりとかかった豚串のようなものが目の前に差し出された。
「あら? 気が利きますわね」
考え事に夢中だった俺は、反射的に串を受け取ると、そのまま口へと運んだ。
串焼きはほんのりと温かく、噛みしめるたびに甘みのある脂がじゅわっと口の中に広がる。
タレは甘辛く、炭火の香ばしさも相まって、食欲をこれでもかと刺激してきた。
(うまっ! これ、うまいな! あとはハイボールでもあれば……!)
串焼きのあまりの美味しさに、頭の中から大切な考えが吹き飛んだ。
俺はしばらく、夢中で串焼きを味わっていた。
(……って、違う! 俺はエマを探しに来たんだろうが!)
ようやく我に返った俺は、そもそもの目的を思い出した。
「違いますわ! エマさん、あなた、ダイエット中ではなくて?!」
「そうでした!」
串焼きを頬張っていたエマは、ハッとした顔で立ち上がった。
「ほら、お支払いをしていきますわよ!」
俺はエマの手を掴み、会計を済ませようとした。
すると、酒場の男の一人が笑いながら声をかけてきた。
「お代なら大丈夫ですよ。エマちゃんには、俺たちが奢ってあげたんですから!」
(出会って早々、奢ってもらったのか?! 天性の人たらしめ……!)
俺は羨望の眼差しをエマに向けた。
「もう一本食べます?」
そんな俺の心中など知る由もなく、エマはニコニコしながら串焼きを差し出してきた。
「違いますわよ!」
俺は即座に拒否すると、エマの手を引いて酒場を後にした。
酒場を出た俺たちは、石畳の道を早足で進んでいた。
「だいたい、エマさんはダイエット中だという自覚はありまして?」
「正直……ありません」
エマはしばらく考え込んだあと、きっぱりと言い切った。
「ですわよね!」
俺は間髪入れずにツッコミを入れた。
(婚約破棄までの道のりは遠そうだ……)
「食べるのが嫌になるくらい、一度思いきり食べさせればいいのでしょうか……? でも、それでは健康を害してしまいますし……」
俺はため息をつきながら、どうすればエマがダイエットに協力的になってくれるのか、小声で考えを巡らせていた。
すると、隣からくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「ふふふふふ」
「……いかがなさいましたの?」
顔を上げると、エマが楽しそうに笑っていた。
「いえ、セシリア様って、噂とはだいぶ違うお方だなと思いまして」
(……噂?)
思いもよらないところから、セシリアの話題が飛び出してきた。
(これはチャンスだ! ……いや、急いては事を仕損じる。慎重にいかないとな)
「噂でございますか……?」
俺は早る気持ちを飲み込んでできるだけ自然な口調で尋ねた。
「あっ……」
エマはハッとした様子で口元を押さえた。
(やっぱり何か知っているな?)
「どういった類の噂なのでしょう? ぜひ、お聞かせくださいませ」
俺はエマが話しやすいよう、優しく微笑みながら尋ねた。
しかし、エマは――。
ふるふるふる。
首を横に振るばかりで、一向に口を開こうとしない。
(今さら抵抗しても遅いんだから、さっさと白状しろよ!)
内心では苛立ちが募っていたが、表面上はあくまでも優しい笑顔を保つ。
「どのような噂であっても、わたくしは怒りませんわよ。ね、エマさん?」
俺はエマに一歩近づいた。
すると、エマは首を横に振りながら、二歩後ずさった。
(……なんで逃げるし、話さないんだ?)
ふつふつと怒りが込み上げてくる。
俺はさらに一歩、エマに近づいた。
エマが後ずさる。
俺が近づく。
エマが逃げる。
……そんなやり取りを何度も繰り返した末、ついにエマは壁際まで追い詰められた。
「さあ、もう逃げられませんわよ! 大人しく吐いてもらいましょうか!」
俺は逃げ道を塞ぐように両腕を壁につき、エマの顔を覗き込んだ。
「ほ、本当に怒りませんか……?」
観念したのか、エマがおそるおそる口を開いた。
「もちろん、怒りませんわよ?」
(早く話せよ! むしろ、この焦らしに対して怒りたいんだが!)
俺は笑顔を崩さないまま、心の中で叫んだ。
「怒っているじゃないですか!」
エマはブルブルと震えながら、頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
(妙なところで鋭いんだから!)
「それは、エマさんがなかなか話してくださらないからでしてよ!」
俺がさらに怒りを募らせていると、不意に周囲からざわめきが聞こえてきた。
「何? イジメ?」
「あれって、ルミエール学園の生徒じゃない?」
「イジメているのは、セシリア様じゃないか?」
(……ん?)
違和感に気がついた俺が周囲を見渡すと、口元に手を当てた主婦らしき女性や、学生らしき人々がこちらを取り囲み、ひそひそと話していた。
(まずい! 完全に誤解されている!)
俺は慌ててエマの腕を掴んだ。
「エマさん! 寮へ戻りますわよ!」
「えっ? あっ、はい!」
俺は半ば強引にエマを連れ、その場から逃げ出した。
こうして俺たちは、周囲の冷ややかな視線を背中に浴びながら、寮の自室へと逃げ帰ることになった。




