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第23話 理緒ちゃん

なぎさは鈍痛がする頭を抑えて目を開けた。

そこは、どこか南国の浜辺のような光景だった。

白い砂浜が広がっていて、少し離れたところにはゆっくりと波が行ったり来たりしている。


見る限り、砂浜と波以外何もなかった。

空には燦々と輝く太陽。

暑い。


汗を手で拭って、なぎさは荒く息をついた。

さっきの化け物は?

助けてくれた女の子は?

慌てて周りを見回すが、どこにもいない。


「ニャー」


そこで足元から声がして、少女は弾かれたように立ち上がった。

白い小さな猫だった。

どこから現れたのか、それが足元に擦り寄ってきて、ゴロゴロと喉を鳴らしながら頭を擦り付けたのを見て、小さく息を吐く。


「猫は夢の世界に生きる動物、と言うが。ここまで適正のある個体は初めてだ。君は、随分とその子に好かれているらしい」


そこで背後から声をかけられ、なぎさはビクッとして振り返った。

今まで誰もいなかった場所。

そこに、車椅子に乗った白髪の男性が座っていた。


彼は頭に包帯を巻いていた。

血まみれのその包帯は右目を覆い隠し、両手の指はギプスに覆われている。

足も折れているのか、右足に太くギプスが巻かれていた。

その異様な風体に警戒し何歩か後ずさりしたなぎさに、彼は軽く笑ってから続けた。


「ようこそ、俺の夢の世界に。もっと近くにおいでよ。この通りの姿だ。君に危害を加えることはできない」


硬直しているなぎさに、彼は


「ほら」


と言ってギプスの手で手招きをした。

ビクビクしながら近づいたなぎさに、目の前に座るように促し、彼は少女が腰を下ろして、震える足を抱え込んだのを見て微笑んだ。


「……怖いかい?」


問いかけられ、少女は頷いた。

そして必死の形相で青年に言う。


「ここはどこなんですか? パパは? あの化け物は一体何? 私はどうしてしまったの?」


そこまで一気に問いかけて、なぎさは先程まで聞こえていたヘッドセットからの音が全く聞こえないことに気がついた。

スイッチらしきところを何度も押すが、反応がない。


「どうして……」


愕然としてつぶやくと、青年は何でもないことのように言った。


「『外』の時間軸と、この夢の中の時間軸がズレてるんだ。通信は、この空間を出ないと使えないようにしてもらった。しばらくはスカイフィッシュも入ってはこれないだろう」

「あなたは……」

「僕は坂月。坂月健吾という、赤十字病院の『医者』だ……いや……」


自嘲気味に笑い、彼は目を細めてなぎさを見た。


「医者だった、と言った方が良いかな」

「…………」

「今は、この情報の海で動けず朽ちていくだけの、ただの『産廃物』さ。そんなに恐怖しないでもいい」

「怪我を……しているんですか?」


問いかけられ、坂月と名乗った青年は首を振った。


「これは怪我じゃない」


そう言って手を上げ、頭にかかっている包帯を引っ掛けてぐるぐると外す。

そしてその中から出てきた「モノ」を見て、なぎさは息を呑んだ。


彼の、右側頭部が綺麗になくなっていた。

向こう側が見える。

断面はデータのバグのように、時折ノイズ紛れに歪んでいた。


「指と足も同じでね。まぁ……痛覚はないからいいんだが。もう俺のデータもだいぶ古くなり、欠損しているだけの話だ。気にしなくていい」

「あなたは、何……?」


震える声で問いかけられ、坂月は微笑んだ。


「俺は俺さ。君が君であるように」

「私が……私……?」

「そうだ。君は、一体誰だい?」


問いを聞いてそれに答えようとし、なぎさは口をつぐんだ。

私……。

私は、パパの娘で……。

娘……?


それは、「いつから」のことだったんだろう。


その疑問が頭に浮かんだ瞬間、えも言えぬ悪寒が体全体を走ったのだった。

思い出せない。


いや、それ以前に私は、いつから私だった?

小さい頃の思い出は?

ママの顔は?

今までどこに住んでいたの?


何も思い出せない。

何も。


「私は……」


震える手で顔を隠し、なぎさは呟いた。


「私は誰……?」

「教えてあげよう」


坂月はそう言って、車椅子をなぎさに近づけて言った。


「君の名前は、網原汀あみはらなぎさだ。十三歳。日本人。身長は百三十二センチ。体重は三十一キロ」


少女の個人情報をスラスラと言い、坂月は微笑んだ顔のまま、ギプスの手を伸ばして、ポン、と彼女の頭に乗せた。

そして優しく撫でる。


「君は、マインドスイーパーだ」

「マインド……スイーパー……?」

「いいものをあげよう」


坂月はそう言って、彼女の前にギプスの手を、手の平を上にして差し出した。

そこに赤い、小さなビー玉が乗っているのを見て、彼女は不安げに彼を見上げた。


「これは、君のものだ」

「何……それ……?」

「その猫ちゃんがね、探してきてくれたんだ。これは精神中核と言い、人間の『魂』のようなものさ」

「…………」

「受け取って」


促され、なぎさは手を伸ばしてビー玉を受け取った。


「不思議な時代だね。人間の魂も、データのように扱うことができる。人の魂の価値さえ、もうたいしたものはないんだな」


寂しそうに呟き、坂月はキィ……ときしんだ音を立てて車椅子を動かした。

そしてなぎさから視線を離し、海を見つめる。


「少し難しい話をしてあげよう」


彼はそう言って、囁くように、掠れた声で話し始めた。


「人間の心は、元来病んでいるんだ」

「…………」


何を言われているのか分からない顔をしているなぎさを見ずに、彼は続けた。


「人は元々死に向かって歩いている。生きている、一分一秒が死への階段だ。しかし生きている間にそれを事実として認識する人は、どれだけいるだろうか……」


坂月はそう言って息をついた。


「いない。誰も彼も、自分がいつ死ぬかわからない恐怖、その絶望を考えない。認識をしない。だが、意識が認識しなくても、心にはその恐怖……絶望の差異が生じさせるエラーは残る」


太陽がゆっくりと下降を始めた。

あたりが燃えるような赤い、夕焼けの色に包まれる。


「それが自殺病のウイルスの正体さ。人間は元々、心に死へと向かっていく絶望から生じる疾患を持った、患者なんだ。スカイフィッシュは、その病気が生み出した二次災害的なものにすぎない」

「…………」

「今は、俺が何を言っているのか分からなくてもいい。だがいつか分かる時が来る。望むと望まざるとに関わらず、必ず」


掠れた声でそう言って、坂月は続けた。


「中萱という男がいた。俺は、そいつと一緒に『自殺病』を利用して循環ビジネスを演出している機関を潰そうと決めた。そしてそれは、赤十字病院を裏で操っていたアルバート・ゴダックをアメリカ国防総省が処分する決定通知を出し、アンリエッタ・パーカーが死亡し、精神体が放流された瞬間に達成された。中萱は死んだよ。その結果を作り出すために、自ら退場した」


夕陽を見つめて、彼は小さく呟いた。


「最期まで馬鹿な男だった」


寂しそうな呟きの後、青年は少女を見下ろして言った。


「元老院という組織がある。それは、自殺病を利用して人々の心にウイルスを拡散させ、患者を増やしている機関だ。治療すると同時に、繋いだネットワーク越しに別の人間にウイルスが感染し、ねずみ算式に自殺病患者は増えていく。そういうシナリオさ。でもね、その元老院っていう組織は、君達がいる現実には存在しないんだよ」


目を見開いたなぎさに微笑んで、坂月は言った。


「いくら探しても見つからないわけだ。だって、元老院の人間達は、既に自分達の意識を夢の中に落とし込んで、『こちら側』の住人になっているんだから。自分達だけは安全な場所で、世界を玩具のように動かしている存在だったんだ。まさに、悪魔だと思わないかい?」


問いかけ、しかし答えが帰ってこないのを確認してから彼は沈みゆく太陽に視線を戻した。


「君がいたさっきの場所は、アルバート・ゴダックの夢世界に通じる道だ。いずれアンリエッタ・パーカーの分裂精神体は、彼のところまで到達し、殺すだろう。トラウマの塊だからな……そういう調整をされている」

「…………」

「そしてさらに分裂したアンリエッタは、ネットワークから世界中の人間の心に入り込み、新たなスカイフィッシュとなるだろう。その過程で、元老院の精神体達もいずれ殺される。そういう筋書きだ」


彼は車椅子をなぎさに向き直らせ、続けた。


「中萱はこう考えた。元老院を全員殺した後……不要になったスカイフィッシュを、どうやって破壊しようかと。そこで選ばれた存在は、君だった」

「私……?」

「そうだ。君が新たなスカイフィッシュ、『アンチスカイフィッシュ』となり、目的を達した後、邪魔な敵をすべて駆逐する。僕は、その橋渡しをする役目だった」


フー……ッと、息を吐き、坂月は真っ直ぐなぎさを見た。


「でも、僕はこうも考えるんだ」

「…………」

「必要な手はすべて打った上で、中萱は死んだ。ただ、中萱の誤算は、僕があいつの思う通りに動くと勝手に踏んでいたことだな、と」

「あなたは……」

「僕の目的は、中萱とは違う。アルバート・ゴダックの殺害と、『スカイフィッシュ』の根絶、その二点だ。だから今回、君をスカイフィッシュへと誘導するのではなく、その精神中核を返すことにした」


淡々とそう言い、彼は手を伸ばして、ギプス越しになぎさの頬に触れた。


「目を覚ませ、マインドスイーパー。君は、君の意思で人を治し、人を救う。治療するんだろう、沢山の人を。誰に操られる訳でもない。誰に謀られる訳でもない。君は君自身の決定で、君自身の信念で戦うんだ。その精神中核が、決意の印だ」

「え……?」

「君は、精神外科医に精神を切り取られて一度殺されている。『君のオリジナル』は、死んだ。だが、君は持っていた精神中核に、君自身の『魂』の情報を上書きして、殺される前に残していた。おそらく、捕まえたテロリストの少年の精神中核を元にしたんだろう。それが、その中核さ」


微笑んだ坂月が、続けて何かを言いかけ……そして彼は弾かれたように顔を上げた。


「予想よりかなり早いな……やはり、あの子の改造は失敗だったのか……」

「え……?」

「猫ちゃん、この子が目覚めるまで頼むよ。僕はどうやら、ここまでみたいだ」


小さな猫にそう呼びかけ、青年は車椅子を動かし、海となぎさを背にするように移動した。


「その中核を飲むんだ。そうすれば君は、君自身を取り戻すことができる。それから先どうするかは、『網原汀』君。君自身の選ぶ未来だ」


その瞬間、空がまるでガラスのように割れた。

夕焼け空が無数の尖ったガラス片にかわり、雨あられと降ってくる。


坂月は足元の砂をギプスの手ですくうと、自分となぎさを守るように空中に投げた。

砂が傘のように宙に固定され、ガラス片が凄まじい音を立ててそこにぶつかる。


なぎさは頭を抑えて悲鳴を上げた。

割れた空の向こうは、銀色のどろどろしたものが流動している空間だった。

そこをかき分けるようにして、小さな病院服の女の子が落ちてくる。


彼女は持っていたチェーンソーを砂浜に叩きつけた。

轟音と砂煙が上がり、彼女がゴロゴロとすり鉢状にえぐれた地面を転がる。


「時間差空間……? くっ……ナビが聞こえない……」


毒づいて、彼女は左腕を振った。

ショットガンがどこからともなく現れ、それを掴む。


「時間は少し早いが……フランソワーズ・アンヌ・ソフィー君だね」


坂月にそう呼びかけられ、ソフィーは彼の方を見て硬直した。

そして大声を上げる。


「坂月……坂月健吾……!」

「僕の顔を知っているのか。さすが天才少女だ。そして、移植自体は成功していたようだな」


暗い笑みを発した坂月を、歯ぎしりして睨みつけ……しかしソフィーは、続けて砂浜に落下してきたもう一つの影を見て、慌ててショットガンを何発も発射した。

もうもうと砂煙が上がり、銃声と飛び散る薬莢に、汀が固まって体を丸める。


「私の体に、スカイフィッシュの腕を移植して……こんなことに……!」


悲痛な声を絞り出したソフィーを、淡々とした顔で見ながら坂月は言った。


「良かったじゃないか。それでS級能力者の仲間入りだ」

「クッ……」


歯を噛み、彼女は震えているなぎさを横目で見た。


「まだ覚醒してないの……!」


悲鳴のような声を上げ、彼女は砂煙の向こうで、落ちてきたアンリエッタが無傷で立ち上がるのを見て、唾を飲んだ。


「手伝いなさい、坂月健吾。アレをどうにかしないと、ここで私達は全員殺されるわ」

「勿論、できるだけ足掻かせてはもらうつもりだよ」


車椅子をソフィーの脇に移動させた坂月は、自嘲気味に小さく笑った。


「どれだけもつかは分からないけどね」


彼は振り返ると、足元に散らばったガラス片を見回してから、軽く手を振った。

ガラスの山が、パァンと炸裂して光の飛沫になる。

それらが空中で礫のように幾百もの形を形成した。


おびただしい数の日本刀が宙に浮かんでいた。

まさに、背後をすべて埋め尽くす程の数だった。

坂月は車椅子に悠々と腰掛けた姿勢のまま、軽く指を振り、アンリエッタを指した。


日本刀の群れが、途端、意志を持つ鳥の群体のように空中で渦を巻き、そして突っ立っているアンリエッタに殺到した。

鋭利な刃がパーカー姿の化け物、その腕を切り飛ばし、足を八つ裂きにし、胴体に次々に突き刺さり、脳天を串刺しにし、情緒も何もなく斬り刻んでいく。


唖然として動けないでいるなぎさの目に、細切れの肉の塊になったアンリエッタと、砂浜に幾百も突き刺さる日本刀という悪夢のような光景が飛び込んでくる。

吐き気を抑えきれず、その場に胃液をぶちまける。


しかしその光景を見ていたソフィーと坂月は表情を険しくてなぎさを守るように少し後退した。

細切れの肉塊になったアンリエッタの、「それぞれ」が蟲のように蠢いた。


「それぞれ」から百足のように節足動物の足が生え、カサカサと動き回り始める。

そして、数百の肉片蟲達はものすごい速度で砂浜を埋め尽くし始めた。


「どうすればいい、坂月健吾! 同じスカイフィッシュのあなたしか対処法は分からないわ!」


ソフィーが悲鳴のような声を上げる。

坂月は溜息をつくと肩をすくめた。


「一つ勘違いをしているな。僕は、坂月健吾の精神体とは言っても、スカイフィッシュになりそこねた出来損ないなんだ。いわば失敗作だな。だからこんな姿をしている。」

「冷静に解説している暇があって?」


ソフィーに睨まれ、坂月は黒い百足が砂浜に軍隊のように整列し、ムクムクと膨れ上がり始めたのを見て、ギプスの指先で鼻の頭を掻いた。


「確かに、その暇はなさそうだ」


膨れ上がった百足達が、粘土細工のように人間の形に変化する。

数秒後には、数百に分裂したアンリエッタ・パーカーが目の前に綺麗に整列していた。


それぞれが全く同じ動きでポケットに手を入れ、ズルリと手斧を取り出す。

かなり大きな手斧がズルズルと引きずり出され、全員が同時にそれを肩に構え、足を踏み出した。


ザッ、ザッ、と化け物達が軍隊のようにこちらに足音を立てて迫ってくる。

坂月はソフィーの前に車椅子を移動させると、軽く手を横に振った。

彼らの脇の海から、波をかき分け、ゆっくりと小さなヨットが浮かび上がってきた。


「網原君を連れて逃げるんだ。残念ながら、今の僕にパーカースカイフィッシュを全滅させる力はない」


ソフィーが目を見開いて、歯を噛む。


「あなたの分裂スカイフィッシュを呼ぶことは出来ないの?」

「この夢は僕の隔離された夢の中だ。『僕の悪夢の元』は入ることが出来ない。それに……」


坂月は軽く笑った。


「僕は、スカイフィッシュ達の中核をなしていてね。僕が消えれば、中核を失った『坂月スカイフィッシュ』はすべて自壊する」

「何ですって……?」

「だから早く行くんだ。どの道僕は、同じスカイフィッシュの力によって、ここで消えなければいけない」


ソフィーをギプスの手で押し、坂月は天を仰いで小さく言った。


「それが、僕のカルマなんだ。そうだろ、真矢」


ソフィーは舌打ちをして、震えているなぎさを抱えるようにしてヨットに引きずりあげた。

白い子猫がジャンプしてヨットに乗り込む。

金髪の少女は、ヨットのエンジンを慣れた手つきで作動させると、急発進させた。


「待って、あの人が……!」


なぎさが声を上げる。

落ちそうになった彼女を、舵を取るもう片方の手で押しとどめ、ソフィーはヨットを、暗い海へと驀進させた。


「あ……」


手を伸ばしたなぎさの目に、車椅子に乗った坂月が、無数の手斧に叩き潰され、そして黒い影に飲み込まれるのが映った。


しかし、次の瞬間、彼女は息を呑んで硬直した。

海岸をびっしり埋め尽くすように、アンリエッタ・パーカー達が立っている。

その妙に白く光る目玉が、一斉にこちらを向いたのだ。


「あれらの目を見ては駄目! 今のあなたには荷が重すぎる!」


ソフィーが絶叫のような声を上げる。

波を蹴立てて沖に進むヨットの方に、アンリエッタ達は足を踏み出した。

その数百の影がゆらゆらと陽炎のように揺らめき、黒い、ドブ沼のような色になる。


そして全員が海に溶けた。

何を、と思った時には遅かった。

ガクン、とヨットが止まり、エンジンが空ぶかしされる音が響く。


ソフィーがまた舌打ちをし、舵から手を離して左腕を振った。

ヨットの上におびただしい数の手榴弾が、どこからか現れ、ゴロゴロと転がる。

白い子猫が、口を開いて


「シャーッ!」


と何かを威嚇した。


『どこに逃げるの? 馬鹿な子達』


クスクスと笑ったアンリエッタの声が、周囲に反響した。

ゾッとしたなぎさの目に、海が流動するのが見えた。

煽られてグラグラとヨットが揺れる。


マストにしがみついた二人の少女の前で、ゆっくりと少し離れた海が盛り上がった。

そして海中から、真っ黒な物体が姿を現す。

何だ、と認識する前に、その「目」が赤く光っているのが見え、なぎさは悲鳴を上げた。


髑髏だった。

カタカタと顎骨を鳴らした、おぞましい頭蓋骨が、眼窟の奥を鈍く光らせながらこちらにゆっくり進んで来る。

天を衝くほどの、巨大な頭蓋骨だった。


あまりの光景に腰を抜かして唖然とする。

どうすればいいのか、という次元を越えていた。

ソフィーも、手榴弾を手に持った姿勢のまま歯ぎしりをする。


「大きすぎる……何なのこの悪夢の総量……」


彼女は硬直している汀を見て怒鳴った。


「早く精神中核を飲みなさい!」


ハッとして、手の中の赤いビー玉を見る。

しかし口に運ぼうとして、ひときわ大きい波がきてヨットが大きく煽られた。

二人の少女と子猫が吹き飛ばされ、黒い海に頭から叩きつけられる。


水をしこたま飲み、なぎさはもったりと粘土のように絡みつく水に抵抗できず、どんどん沈んでいった。

その手から赤いビー玉が離れ、ゆっくりと光を発しながら浮かび上がっていく。


そこに手を伸ばし、彼女はハッとした。

足を誰かに掴まれている。

慌てて下を見ると、白い骨に腐りかけの肉をまとった、腐乱死体のようなものが……海の底におびただしい数漂っているのが見えた。


その中の一体が手を伸ばし、ガッチリとなぎさの足を掴んでいたのだ。

少し離れたところでソフィーも足を掴まれてもがいている。

息ができず、肺の中の空気を吐き出す。


(パパ……)


大河内の顔が脳裏に浮かぶ。

私は、ここで死ぬのだろうか。

この悪夢の中で、溺れて殺されてしまうのだろうか。


怖い、苦しい。

誰か。

誰か……。


居もしない神に向かって手を伸ばす。

水面に向かって、彼女は手を伸ばした。

私は……。

私は……。


(私は生きる……!)


そうだ、私は死なない。

私は、幸せになるんだ。


沢山の人を助けて。

沢山の人を救って。

子供もたくさん産んで。

普通の人のように、普通に愛されて。

私は幸せに生きるんだ。


だから……!

水の中で絶叫する。

逆流した水が喉を焼き、肺を焼き……。

その時だった。


『やっぱり、みぎわちゃんだあ』


耳元で声がした。

光る赤いビー玉を大事そうに手で掴んだ少女が、隣に浮いていた。


彼女は持っていた出刃包丁で骸骨を叩き割ると、半ば意識を失っているなぎさを抱え、その口に赤い玉を押し込んだ。

そして包丁を投げ、ソフィーを拘束している骸骨を破壊する。

少女に抱えられ、なぎさはゆっくりと水面に向かって浮上した。



目を開けた。

転覆したヨットの側部に引き上げられた少女は、自分より少し大きい少女に、口から口に息を吹き込まれ、咳き込んだ。

そしてゴボリと飲み込んだ海水を吐き出す。


みぎわちゃん、大丈夫?」


口を重ねていた女の子は、髪からポタポタと海水を垂らしながら微笑んだ。

その、どこか焦点が合っていない目を見て、みぎわは目を見開いた。


「理緒……ちゃん……?」


掠れた声を発する。

理緒、と呼ばれた少女はニッコリと笑った。


「久しぶりだね、汀ちゃん」

「なんだか……」


汀は体を起こして、理緒のことを強く抱きしめた。

ぐしょぐしょの病院服の姿で、二人の少女が揺れるヨットの上で抱き合う。


「悪い夢を、見ていたみたいだよ……私」

「そうだね。夢、覚めないね」


どこか寂しそうに理緒は呟いた。

そして横目で、風船のように膨らんだ白い猫……小白こはくに助けられる形で浮上し、ヨットに這い上がったソフィーを見る。

海水を吐き出して、ギラつく目で臨戦態勢をとったソフィーが、濁った声を発した。


「網原汀! 覚醒したのなら返事をしなさい!」

「怒鳴らなくても聞こえているわ」


汀は立ち上がると、理緒の手を掴んで引き起こした。


「あ……」


しかし理緒はふらつくと、そのまま汀によりかかるように崩れ落ちてしまった。

汀は彼女を見下ろし、そしてその上気した顔を見てハッとした。


強く、砕けんばかりに歯を噛んで、手を握りしめる。

しかし彼女は、その感情を押し殺して、もう一度理緒を助け起こすと、揺れるヨットの上で周りを見回した。


巨大な頭蓋骨が、少し離れた海に浮かんでカタカタといっている。

断続的に大きな波がヨットを揺らす。


「どうすればいいの、網原汀! スカイフィッシュのようだけど、私はアレの対処法を知らない!」


ソフィーが左手を振り、ショットガンを出現させる。

理緒も海中に手を突っ込んで出刃包丁を引きずり出した。

汀は猫のように跳躍しようとした理緒を手で押しとどめ、前に進み出た。


「相手にしないことね。ここから出るわよ」


彼女の端的な断言を聞いて、ソフィーが息を呑む。

そして彼女は歯噛みして、短く聞いた。


「どうしようもないってこと?」

「どっちみちこの世界はもうすぐ自壊するわ。夢の持ち主がさっき死んだから。もう存在していない夢の中に居続けることの方が危険だと思う」


汀はそう言って、理緒とソフィーの肩を掴んだ。


「小白、行くよ」


呟くように言って、彼女はためらいもなく海に身を躍らせた。

再度苦手な水に突っ込まれ、ソフィーが口から空気を思い切り吐き出す。


小白は、汀の意思を汲んだのか、彼女の腰にグルリと救命胴衣のように巻き付いた。

しかし今度は膨らむのではなく、ずっしりと重いオモリになり、少女達を海底に引きずり込もうとする。


何を、と叫ぼうとしたソフィーがしこたま水を飲み、咳き込もうとして失敗した。

海底にたゆたっていたおびただしい数の亡者が三人の体にまとわりついてくる。

汀はそれを蹴散らすように暴れると、二人を掴んだままさらに海底へと水を蹴った。


『逃げるつもり? 馬鹿な子供達……私を置いて逃げるつもり? ねぇ。答えなさいよ』


水を振動させ、頭にとどまらず体全体をグワングワンと揺らす程の強烈な「声」が周囲に響いた。

そして髑髏の顔面が、海上からこちらを覗き込み……ゆっくりと追うように沈んでくる。


『気に入らないわ。その達観した動き。達観した行動力。肝が据わった動き。気に入らない。気に入らない。気に入らない。まるで、私が大嫌いな人のよう』


理緒が汀を守るように、ガチガチと歯を鳴らしながら近づいてくる髑髏の前に手を伸ばす。

ガチン、と巨大な歯が噛み合い、間一髪で理緒の肩を歯がかすった。

赤い血が海中に散る。


『噛み砕いてミンチにしてあげる。無様なヘドロにしてあげる。気に入らない馬鹿達は皆殺しにしてあげる』


ガチンガチンと、三人の少女達を追うように髑髏の歯が噛み合っていく。

声を発することも出来ず、ソフィーは汀の腕を掴みながら左手を振った。


そして水中銃を作り出し、とっさに、近づいてきた髑髏の目玉に当たる場所に向けて発射する。

鋭利なモリがすっ飛んでいき、髑髏の眼窟に吸い込まれた。

二発、三発と発射していく。


髑髏は一瞬動きを止めると、悲鳴のような叫び声を上げた。

水中がグワングワンと揺れ、たまらずソフィーと理緒が耳を塞ぐ。


脳までをシェイクされるような強烈な衝撃に、周囲の空間それ自体が大きくたわんで揺れた。

モリを撃ち込まれた右目の部分から真っ赤な血液を噴出させながら、髑髏は急速な勢いで近づいてきた。


そこで汀が、海底の岩に到達し、思い切りそこに素足を叩きつけた。

ボコリと岩が動き、パズルのピースのようにヒビが広がっていく。


自壊。

腐った精神壁が崩れ始めているのだった。

穴が空いたその場所に、水が物凄い勢いで吸い込まれていく。


汀は一瞬だけ、哀れな蟲を見るような目で髑髏……化け物に変わったアンリエッタ・パーカーを見ると、背を向けてそこに身を躍らせた。

ソフィーと理緒も渦巻いて吸い込まれていく水の奔流に巻き込まれる。

彼女達の意識は、そこでブラックアウトした。



したたかに頭を床に打ち付け、汀の目に星が散った。

受け身をとれずにゴロゴロとその場を転がる。


しばらくうずくまって呻いていると、続けて理緒とソフィーが同様に、壁に空いた穴から水とともに吹き出してきた。

彼女達も床に叩きつけられ、呻く。

小白が腰から離れて子猫に戻り、汀の頬を舐めた。


『……通信が戻った! 大丈夫か、返事をしてくれ!』


ヘッドセットから大河内の声が響き、汀は息を止めた。

そしてそっとヘッドセットに手を当て、息を整えてから口を開く。


「……せんせ?」


その声を聞いて、大河内は一瞬言葉を止めた。

そして震える声で答える。


みぎわちゃん……なのか?』

「そうだよ、私だよ。せんせのことが大好きな、私……戻ってこれた。少し体に違和感はあるけど……」

『どういうことだ……いや、良かった。本当に……』


大河内の声が少し途切れ、彼は無理矢理に意識を引き戻した調子で続けた。


『再会を喜びたいところなんだが、危機的状況だ。分かるね?』

「うん。でも理緒ちゃんとソフィーが来てくれてる」

『なんだって?』


素っ頓狂な声を上げた大河内の耳に、ソフィーがヘッドセットを操作して答えた。


「私よ、ドクター大河内。フランソワーズです。関東赤十字病院からの要請で、急遽ダイブに参加させられてるわ」

『高畑が細工をしたのか……? 君達が、どうしてこの患者の夢座標を……』


絶句して言葉を失った大河内に、汀が立ち上がって理緒を助け起こしながら、悲鳴のような声をあげた。


「せんせ、理緒ちゃんを戻してあげられないの? このままじゃ死んじゃう!」

『理緒ちゃんが危ないのか? 私の方からは二人のことは関知できないんだ。ソフィー、なんとかならないのか?』


大河内に問いかけられ、ソフィーは歯噛みして答えた。


「あの子がいる場所は関東赤十字ではないようなの。私からも関知できないわ!」

「私は……やれるよ……」


震えながら理緒が汀に掴まって立ち上がる。

そして、自分達が排出された壁の穴を見る。

そこにヒビが入っていくのを捉えて、汀はソフィーに向かって怒鳴った。


「走るよ!」


短く言って、理緒を抱えるようにして走り出す。

ソフィーも慌ててそれに続く。

次の瞬間、髑髏の歯が今まで少女達がいた場所を、通路ごと噛み砕くのが見えた。

狭い通路に髑髏はすべて収まりきらず、薄汚れた歯だけが覗いている。


「どうするの、網原汀! どの道あのスカイフィッシュを駆除しないと、私達は戻れないわ!」


走りながらソフィーが言うと、汀は息を切らして言った。


「この通路にいるのは危険よ。通路の先……アルバート・ゴダックの夢世界に逃げ込むわ」

「あなた、事情がわかるの?」

「今までの事は、この子が教えてくれたから……」


胸を手で抑え、汀は歯を噛んだ。


「そこでアンリエッタ・パーカーを治療する」

「治療? スカイフィッシュを?」


素っ頓狂な声をあげたソフィーだったが、そこで汀の服を引っ張っていきなり止まった。

声を上げてもんどり打って倒れた汀と理緒だったが、受け身を取ってすぐに立ち上がる。


「何を……!」


汀が怒声をあげかけて、言葉を飲み込んだ。

通路の先に、髑髏のマスクをつけた少年と、少女が立っているのが見えたからだった。


「いっくん……みさきちゃん……」

「なぎさちゃん……良かった。精神中核をどこかに避難させてたのか……」


一貴が震える声を発する。

彼は数歩近づくと、汀に向けて手を伸ばした。


「いっくん」


そこで岬が彼を制止し、二人の間に割って入る。


「邪魔されたくない。いますぐダイブアウトして、なぎさちゃん」


淡々とした岬の声を聞いて、汀は軽く口の端を歪めた。


「それが出来てれば苦労しないわ」


小さな呟きを無視し、岬は手を振って、肩に担ぐほど大きな連装機銃を出現させた。


「無駄話をしている暇はないわ。帰れないなら、ここで消えて」


抑揚のない声でそう言った岬の目を見て、汀は息を呑んだ。


「あなた、もうスカイフィッシュに……」

「やめろ岬ちゃん! なぎさちゃんは……」


一貴が静止しようとし、その場に盛大に吐血した。

うずくまって震え出した一貴を一瞥もせずに、岬は連装機銃の引き金を引いた。


連続した破裂するような銃声と、硝煙の煙と薬莢が雨あられのようにその場に飛び散る。

とっさにソフィーが左腕を振ると彼女達の間にコンクリートの壁が出現した。

銃弾が分厚いそこに次々にめり込んでいく。

振り返ると、後方からはアンリエッタの髑髏……その口が迫ってきていた。


「手伝って! 私一人じゃ壁を維持できない!」


ソフィーが叫ぶ。

銃弾ですでにひび割れてグラグラになっている壁は、崩れかけていた。


汀は舌打ちをして、隣の理緒の手を引っ張った。

そこで理緒は咳をした。

口元を覆った手の平を見て、そこに真っ赤な血が広がっているのを見て、彼女は一瞬呆然とした。


「理緒ちゃん、早くこっちに!」


汀の叫びを聞いて、理緒はしかし、汀の手を離した。


「え……」

「汀ちゃんと、もっと遊びたかったなあ」


理緒は小さく笑った。


「さよならだね。バイバイ、汀ちゃん」

「理緒ちゃん……何を……」


震える声で汀は言って、理緒に向かって悲鳴を上げた。


「やめて! 理緒ちゃん、それだけは駄目! 駄目だよ!」

「私達、ずっとずっと友達だよ。約束だよ? 汀ちゃん……」


ザワザワと理緒の髪の毛が逆立つように動き、彼女の顔面を覆い隠す。

次いで病院服がゆっくりと変化を始め、白衣のようなコートを形作った。


「スカイフィッシュ変種に……自分から変質してるの……?」


わななく声でソフィーが呟く。

数秒後、お面のような髑髏のマスクをつけた白衣姿の理緒が、軽く、迫りくるアンリエッタに向けて手を伸ばした。


その手に、大口径の拳銃が出現する。

安全装置をスライドさせ、理緒は特に狙いをつけるでもなく、アンリエッタに向けて引き金を引いた。


小さな銃弾だった。

しかしそれはアンリエッタの頭蓋骨、その口腔に突き刺さると、骨を砕き散らしながら向こう側に抜けた。

穴が空いた場所からものすごい量の血液が、滝のように噴出する。


ビシャビシャとそれに体を汚されながら、呆然と硬直した汀とソフィーを庇うように体で覆い、理緒は崩れてきたコンクリート片を手で払った。

発泡スチロールのようにコンクリートが砕けて散る。


「理緒ちゃん駄目だよ! 駄目! お願いだから元に戻って! 私達友達でしょ!」


汀にしがみつかれ、しかし理緒は答えることはせず、砕けたコンクリート壁から連装機銃の銃弾が飛び込んできたのを見て、腕を振った。

空中で銃弾が爆裂し、もうもうと煙を上げる。


「私を置いていくの? 理緒ちゃん!」


汀の絶叫が響く。


『どうしたんだ汀ちゃ……ノイズ……ひど……通信……が……』

「せんせ! 助けて! 理緒ちゃんが!」


頭を抑え、電波ジャックの影響か通信が切れかけている向こうに、汀は喚いた。

次の瞬間、背後に迫っていた髑髏が小さくしぼんだ。


そして粘土のように形を変え、パーカーフードの女性を形作る。

アンリエッタは口から大量の血を吐き出すと、その場に膝をつき、真っ赤に充血した目で汀達を睨んだ。


「理緒ちゃん!」


手を伸ばした汀のそれを、理緒は強く振り払った。

呆然とした汀の目の前で、理緒の姿が消えた。


突進してきた岬が、手に持っていた日本刀で理緒の肩を突き刺しながら、壁に衝突したのだ。

縫いとめられた形になった理緒だったが、彼女は痛みを感じていないのか、持っていた大口径の銃を岬の眉間に当てた。


「駄目!」


汀が絶叫したのと、理緒が引き金を引いたのは同時だった。

ドパン、とものすごい音がして周囲に岬の頭部だった物体がビシャビシャと飛び散った。


銃弾に頭を破壊されたスカイフィッシュが、グラグラと揺れ……そして膝をついた。

力なく倒れた岬だったものを、血で顔面を濡らした汀は呆然と見つめた。


「嘘……」


ヘッドセットの通信が完全に切れた。

大河内が何かを言っていた気がするが、頭に入らなかった。


「みっちゃん……?」


理緒が肩に突き刺さった日本刀を無造作に抜き、それを脇に投げ捨てる。


「岬ちゃん!」


少し離れた場所で一貴が叫ぶ。

理緒はそちらに構うことなく、手斧を構えて向かってきたアンリエッタに拳銃を発砲した。

その銃弾を手斧で叩き落とし、パーカーフードの悪魔は床を蹴った。


そして天井に背中からぶつかり、三角飛びの要領で理緒に肉薄した。

繰り出された手斧に、先程岬に突き刺された右肩……少し反応が遅れたそこが、一気に両断される。


ゴトリと理緒の腕が転がった。

しかし怯むことなく、理緒は手に持った拳銃を振った。

それが出刃包丁に変化した……と思った瞬間。

彼女はアンリエッタの首を一閃した。


数秒、沈黙があたりを包んだ。

一歩、二歩と首を凪がれたアンリエッタが後ずさる。

その首がズルリと滑り、はねられた形で地面に落ちて転がった。


怨嗟の表情で停止したアンリエッタの頭部を、理緒は出刃包丁を振って変質させた拳銃の引き金を引いて、粉々に破壊した。

次いで胴体にも発砲し、胸を撃ち抜く。

倒れ込んで動かなくなったアンリエッタを見て、そこでやっと理緒はその場に崩れ落ちた。


「理緒ちゃん! 嘘……嘘だよ……!」


汀は金切り声を上げながら理緒に駆け寄った。

そして髑髏のマスクを引き剥がして、脇に投げ捨てる。

右肩を両断され、そこから血がどんどん流れ出していく理緒の体を抱き、汀はソフィーを、そして一貴を見た。


「助けて! 血が止まらない! 止まらないよ!」


必死に理緒の傷口を手で押さえるが、ぬるぬるとしたそれは噴水のように溢れていく。

段々血色がなくなっていく顔で、理緒は残った左手を伸ばし、汀の頬を触った。

そしてにっこりと笑う。


「置いていかないよ? 汀ちゃんは寂しがり屋で……わがままだから……私は、一人じゃ逝かないよ……」

「理緒ちゃん……」


汀は理緒の力がなくなってくる体を抱いて、声を絞り出した。


「こんなの夢だ……夢だよ……」

「そう、夢だよ」


理緒は左手で汀の頭を優しく撫で、耳元で言った。


「だから……夢はもう終わりにしよう?」

「終わり……?」

「そうだよ、汀ちゃん。目を覚まそう」


理緒は微笑みながら続けた。


「全部夢なんだよ? だから、汀ちゃんは何も悲しむことも、苦しむこともないの。目が覚めたら、汀ちゃんは誰かに普通に愛されて、誰かを普通に愛して、そして沢山の人を救って、しあわせで……普通の生活を送るんだよ」

「…………」


泣きながら言葉にならない嗚咽を漏らした汀に、理緒は囁いた。


「大河内先生と、しあわせにね」


ドン、と突き飛ばされ、汀は目を見開いた。

理緒が左手で拳銃を握り、頭に当てているのを見たからだった。


どこかスローモーションにその光景が映り……。

ゆっくりと自分の体が後ろに倒れ込んでいくのが分かる。


嘘だ。

こんなの夢だよ。

嘘だよ。


悲鳴を上げた。

次の瞬間、理緒が拳銃で自分の頭を吹き飛ばしたのが、汀の目に映った。

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