(2)
それからしばらく、ゲラントは衛兵達を引き連れてかなり長い時間逃亡を続けた。やはり衛兵達は皆ゲラントと同じくディプス人の血を引いている者が主に起用されるだけあって、魔獣騎兵隊並みに魔法生物を乗りこなす。だが速さでグリフに敵うものはいないおかげで、身を隠すことなく駆け回るだけでも追い付かれることはなかった。頃合いを見て一気に衛兵達を引き離すと、服の中に滞在許可証の魔法石をしまい込む。
騎士の服は信号から出る魔力を多少弱めることができる。これで遠くにいる間は衛兵達はゲラントの居場所がわからなくなるのだ。しかし同時に魔法生物達から身を守るための信号も弱めてしまうので、本当に凶暴な魔法生物に出会ってしまったら服から取り出し目の前に突き付けてやらなければならない。今のゲラントはそうなるまでのわずかな時間に衛兵達の目から完全に逃れる必要があったのだ。
グリフは随分と息が上がっていて休息が必要なようだ。ここからはいつもグリフを診てくれている魔獣造成師の家まではすぐだ。歩いてでも行けるだろう。ゲラントはグリフから降りると荷物の中から皮袋を外して、グリフの顔の前に差し出した。中には綺麗な水がたっぷりと入っていて、グリフは喜んで飲み始める。
「よく頑張ってくれたな? 今からポーリーの所に行くぞ?」
グリフは一瞬だけ顔を上げて、嬉しそうに一声鳴く。ポーリーとはグリフの造り主の弟子にあたる女性だ。ゲラントがグリフと組んで魔獣騎兵隊騎士となった時からの長い付き合いになる。彼女は老齢だったグリフの造り主が亡くなった後、ずっとグリフの調子を診てくれている。ゲラントが追われる身となっても全く変わらず親身になってくれる貴重な存在だった。
滞在許可証の信号の件は気になるが、ポーリーはこの魔法石のことは熟知している。何しろ騎士の服に信号を弱める機能があることを教えてくれたのは彼女だ。きっと居場所を知られないよう何か手を打ってくれるに違いない。それに彼女は昔から顔が広く、色々と街のこともよく知っている。何か有益な情報を持っているかもしれない。
グリフが水を飲み終えると、ゲラントは槍を手に取り歩き始めた。信号が弱まっている分、魔法生物はいつ襲ってくるかもわからない。手に負えなければ滞在許可証を懐から出すしかなくなるが、槍で追い払える限りはそれで対応しておきたいのだ。状況を悟ったグリフはゲラントと並んで歩く。何かあれば彼も守ってくれるつもりでいるのだろう。
「世話かけてばかりで悪いな?」
首元をぽんぽんと叩くとグリフはゲラントの顔に自分の頭を擦り寄せてくる。どうやら「気にするな」ということらしい。本当に良い相棒だ。
森の中では色々な生き物の声が聞こえてきて、それなりに騒がしい。目に見える範囲に魔法生物の姿は全く無いが、地中や木の上など姿を隠せる場所ならいくらでもある。ゆっくり近付いてくる相手なら途中でゲラントの信号に気が付くだろうが、勢いを付けて遠くから飛びかかってこられたら襲われないまでもぶつかりはする。もし信号を発する人間を傷付けてしまったら、魔法生物の中には罪悪感に駆られて落ち込むものもいるらしいので、本当に気を付けなければならないのだ。
しかししばらくすると向かっている先に1人の女性の姿が見えてきた。どうやらポーリーて間違いないようだ。
「よう、久しぶり。迎えに来てくれたのか?」
「そうよ! 衛兵が俊足の魔法生物ばかり使ってるのが見えたから、もしかしてと思ってね!」
彼女はゲラントに走り寄ると、グリフの首元を掻いてやる。
「どうしていつもは変装してくるのに、今日はそのままなわけ? 街の入口にはエリアナ王女様が何だか馬鹿でかい空飛ぶ船に乗って停泊してるって言うし、それに何よりファラン様が現れたんですってよ⁈ そんな大変な時にあなたまで現れるなんて!」
「…ああ、事情は後でちゃんと話すよ。とにかくグリフの健康状態を診てやってくれないか? まだこの先も衛兵との追い掛け合いは続けないといけないんでな?」
ポーリーはグリフを掻いてやりながらもこちらを見つめてくる。ゲラントが真っ直ぐ視線を返すと彼女は少し諦めたように息を吐いた。
「事情は何でも良いわ。グリフがあなたを信頼するなら私もあなたを信じてる。ちゃんと匿ってあげるから安心なさい」
「悪いな…」
彼女は昔から多くを聞こうとしない。グリフがゲラントを見捨ててないなら、最後まで付いていけるように健康状態を保ってやるだけだと言う。いつでも彼女の優先順位はグリフが何を望むかだけなのだ。
「それよりこの箱の中に滞在許可証を入れて。この中なら完全に信号を消せる。ここはもう私の家の結界内だから、信号が無くても魔法生物は襲ってこないわ」
ポーリーが差し出してきたのは片手で抱えるくらいの黒い箱だ。側面に取っ手が付いているので、持ち運びは簡単そうだ。
ゲラントは滞在許可証を服から取り出し急いで箱に差し込む。そして用心深く紐を首から取り外した。ポーリーは紐ごと滞在許可証を箱にしまい込むとすぐに蓋を閉めて手に提げる。
「…ふう、これでもう安心。追手からあなたの居場所はわからなくなったわ。そしてあなたも…私の許し無しにはここを出て行けなくなったってわけ。…あなたいつもお金だけ置いて私に黙って出て行っちゃうんだから」
「…すまん…」
いつもは変装しているとはいえ、それほど別人に見えるものでもない。ふとしたことで正体が判明し、ゲラントが彼女の家で長い時間過ごしていたことがわかれば仲間だと疑われる。そうなった時のことを考えてゲラントはいつでも行き先も告げず、見送りもできないようこっそり出発してきたのだ。
「まぁ良いわ。どうせ今回もまた何か大事に巻き込まれてるんでしょ? ファラン様にエリアナ王女様まで揃ってるって時に現れたあなたが無関係なはずないもの」
ポーリーには大体のことがお見通しのようだ。その上で準備して迎えに来てくれたのだろう。信号を遮断する箱も以前は無かったものだ。恐らくどうにかして手に入れてくれたに違いない。
「グリフは5年ぶりって割には毛艶も良いし、元気そうね…。何か良いもの食べさせてた?」
「ん? ああ、まぁ…ここ半年ほどは…」
「ふーん…、何処も枯れかけた草ばっかりだって言うのにね…。あ、でもファラン様が来たんなら、この街も緑が復活するかも! だって噂の恵みの神様ってファラン様のことだって言うじゃない?」
ファランの噂はこの街でも広まっているらしい。彼女は大丈夫だろうか。ここはあまり治安は良くなく、彼女の力は当然悪人達も欲している。そんな場所で彼女を1人にするなどと、心配は無くもない。しかしこの街の衛兵達は治安が悪い分、本気になれば能力は高い。ユーラッドの娘であり恵みの神ともなれば、彼らも本気で守ってくれるだろう。ましてエリアナの元に身を寄せることができていれば、もう心配はない。ナビルにもファランのことは言い含めておいた。馬鹿でもなければ彼女を大切に扱うはずだ。
「この街も食糧不足は深刻なのか?」
ポーリーがグリフを連れて歩き始めたので、ゲラントもそれに付いていく。彼女は少し振り返ると息を吐いた。
「…それは…他の街よりは良いとは思うけど…。餓死者も出てないしね。だけど何となくみんな元気が無いの。そんな姿を見てると…可哀想になってくるでしょう? たまにはお腹いっぱいになるまで食べさせてあげたいじゃない」
「そりゃそうだ」
魔法生物はそもそも生まれる必要のなかった存在。それを生み出したのは魔獣造成師だ。ポーリーはそのためにできる限り魔法生物達が幸せに暮らせるよういつも手を尽くしていた。
「ユーラッド様は定期的にこの街に食糧を支給してくださるけど、魔法生物達は豊かな自然の中で過ごしたいのよ。人型のものはあまりそういうのは気にならないみたいだけどね」
魔法生物といえども好みの環境は様々だ。大体は体質的に過ごしやすい場所を選んでいるようだが、元となる魔獣と似通ってくることも多い。それは造り主がその印象を強く持って魔法生物を造るからだそうだ。
「相変わらず人型は造ってないのか?」
「人型ぁ〜? 嫌よ、だって楽しくない。人型だと顔の微調整がもう大変。獣型はその形になってたら満足だけど、人型造るなら格好良い男性型を造りたいじゃない? でもそんな技術、私には無いんだもの」
「そ、そうか…」
ポーリーはとにかく見目麗しい男性が大好きだ。若い頃はゲラントが直属部隊に異動になったと聞くや、マリウスに会わせろと何度もせがんできたものだ。もし彼女に望むだけの能力があったなら、まず間違いなくマリウスそっくりな人型魔法生物が誕生していたことは間違いない。
「……ん? 待てよ…」
その時一瞬何かの思い付きが彼の頭の端を掠めていった。ゲラントは思わずポーリーの顔を見つめてしまう。
「なあ、ポーリー。今この街にいる魔獣造成師で、思い通りの顔の人型魔法生物を造成できる人間って何人くらいいる?」
深刻な顔で尋ねたからか、彼女も少し緊張気味で「どうしたの?」と聞き返してくる。
「…いや、まあ…無理だとは思うんだが…。人間そっくりの魔法生物を造成して、その人のフリをさせることとかできないかと思ったんだ」
もしセレンの噂が『セレンそっくりの魔法生物』によるものだったとしたら…。そんな考えがゲラントの頭を過った。たとえ戯れに造ったのだとしても、その見た目の出来が良ければ噂にはなるだろう。もしかしたら密かに造成し、失敗したからこそ魔獣放逐場にいたのかもしれない。
「人間のフリはさすがに無理でしょ。そこまでの自我を持たせられたのはここ最近では直属部隊のキュリアンだけ。でも彼も…もう亡くなったわ」
惜しい人を亡くしたとポーリーは嘆く。キュリアンはこの街出身者ではないが、老若男女問わずディプス人であれば誰でも知っている。それほどの有名人であり、憧れの的だったのだ。
「それに人型は材料がとにかく稀少で高価な物ばかりだから今じゃ手に入らない。もし手に入ったとしても…、今の私達じゃ“人に見える”って程度の魔法生物しか造れないでしょうね…。あ、でも待って…」
そこまで話してポーリーは突然何かを思い出したように立ち止まった。
「少し前からこの街にガレス人が住み着いてるの。北の端の岩山の近くよ。一度会って話してみたことがあるけど、若くて格好良い男性だったわ…。魔法生物を造りたくてこの街に来たって言ってたけど、彼なら私達より良いものを造る可能性は大いにあるわね」
美形好きのポーリーは、ここでも積極的に行動を起こしたようだ。この街の奥地は人がほとんど住んでいないために近所付き合いも特にない。ガレス人であろうが特に差別するような風潮は見られないが、敢えて付き合いを深めようとする人間もいないだろう。
しかし若くて格好良いガレス人だなどと、まるでショノアのようだ。確かに彼なら高い魔力を使って優れた魔法生物を造るだろうが、もし本当にここに住んでいるのがショノアだとしたら、彼はそんなことまでゲラント達に隠していると言うのだろうか。
「ユーラッド様も彼のことは気に入ってるんじゃない? 私、彼がユーラッド様の邸宅に入って行くところ、何度か見たことあるもの」
「⁈…あのガレス人嫌いで有名なユーラッドが⁈」
ポーリーの言葉にゲラントは思わず声を上げた。王族は大抵ガレス人を嫌う。前王も相当嫌っていたという話だが、セレンがどうにか緩和していたという話を聞いたことがある。彼らがガレス人を毛嫌いするのはもう伝統に近く、ショノアを好きらしいファランがむしろ珍しい方なのだ。
「私も変だなーとは思ったんだけど、ファラン様も家出してた頃だったし人恋しかったんでしょ。邸宅が倒壊したのだって2人で何かしてたからじゃないの?って私は睨んでる」
「…おいおい、あの魔獣御殿まで倒壊しただと⁈」
それは信じ難い話だった。あの邸宅は今まで魔法生物が空から落ちてきても、突進されてもびくともしなかった建物だ。それが崩壊したとなればその力はどれほど強力なものなのか。
「そう! あの“巨人が踏んでも大丈夫!”な、魔獣御殿がね…! 壁が吹っ飛んだ…とか何とかって聞いたけど、今でも修繕中だから見に行けばわかるわよ。あ…、今のあなたは無理か…」
もしその建物の倒壊が魔法生物の仕業だったとすれば、そのガレス人はかなり有能だということになる。何しろユーラッドの魔獣造成師としての能力は決して高くはない。せいぜいが家畜か愛玩魔獣程度だと聞いているからだ。しかし材料に関してはデルフィラが現れる前からかなり質の良い物を大量に備蓄してあるという話なので、それを有能な魔獣造成師に与えたのだとしたら相当優秀な魔法生物を造ることもできるだろう。問題は、なぜ嫌いなはずのガレス人を使ってまで魔法生物を造成したのか。そしてその魔法生物は一体どんな姿をして今何処で何をしているのかという点だろう。
「そのガレス人…、名前は聞いたか?」
「…えっと…確かヘイデン…とかだったかな…?」
名前がショノアでなかったからと言って安心はできない。いくらでも偽名を名乗ることはできるのだ。
「ヘイデン…か。どこかで聞いたような名前だな…」
朧げながらそれと似たような響きの名前を耳にした覚えがある。さすがに何処でいつ耳にした名前かまでは思い出せなかったが、不思議とガレス人の名前としてしっくりくる名前だ。
「ポーリー。明日…そのガレス人が住んでる場所に連れてってくれないか? 俺もそいつに会って話してみたい」
「良いわよ? でも会えるかな…。結構留守が多いみたいなのよね」
「まあ、会えなけりゃ、また別の方法を探すさ…。俺が知りたいのはそいつが俺の知ってる奴かどうかってことと…、本当にユーラッドと接点があるのかどうかだけだ」
ヘイデンと名乗る人物がショノアかどうかは会ってみればすぐにはっきりする。ユーラッドと関わりがあるかどうかは、ゲラントとしてはまだ疑いが残っていた。それとも嫌っているからこそ何の罪悪感もなく利用することができると言うのだろうか。ユーラッドならあり得ることだ。
とにかくそのガレス人を早急に調べた方が良さそうだった。彼がもし人間と遜色ない魔法生物を造ることができるというなら、ゲラントの予想が現実味を増してくる。もしセレンの偽物を仕立て上げて良からぬ企てをしていると言うのなら、セレンの名誉のためにも真実を確かめなければならない。それが直属部隊最後の1人としての役目だ。
「それにしても人型魔法生物に興味示すなんて珍しいわね? 何かあるの?」
深刻な顔で黙り込んでいるとポーリーも不安そうに尋ねてくる。この様子では街でセレンが見つかったなどと噂が立っていることも知らないのだろう。そうでなければ察しの良い彼女はすぐに気が付くはずだ。
「この街の魔獣放逐場でセレン様を見たって人がいるらしい。エリアナはその噂が元でこの街に来たって話だ」
「へぇ、そうなんだ…って、セレン様がこの街にいるの⁈ そんな…、早く言ってよ!」
ゲラントはポーリーに思い切り背中を叩かれた。彼女はなかなか力が強いので、思わずつんのめる。だがこの様子ではやはり何も知らなかったのだろう。そして彼女が知らなかったからには、セレンの噂は街では全く出回っていないということになるのだ。
「…俺に言われなきゃ気付けないようならセレン様がこの街にいる可能性は低いだろう」
「何だ…、偽情報なの…? ちょっと期待したのに…」
彼女は昔からマリウスのみならず、セレンのことも勿論好きだ。2人が仲良くしている所を生で見たい…などという理由で、王都にまで旅をしたことさえある。だがセレンが行方不明となりマリウスまで死んでしまうと、日々の楽しみがなくなったとかなり気落ちしていたものだ。
「まだ偽だと決まったわけじゃないがな? だがそのガレス人と話せたら…、それも全てはっきりするような気がするよ」
「……なるほどね。何となく…あなたが何を考えてるのか予想が付いてきたわ」
ポーリーは少し憤慨したように息を吐いた。ゲラントの予想が当たっていれば、ユーラッドは魔法生物を悪用しようとしていることになる。しかもこの街でその魔法生物を造ったとなれば、街の評判はガタ落ちだ。
彼女の一族は先祖代々この街で暮らしてきた。そのため彼女はユーラッドがこの街を治めるようになる前と後とを知っている。概ねユーラッドの統治は住人達に受け入れられているが、その金儲け主義のやり方に不満を感じる者も多いのだ。彼女もその内の1人であるからには、ユーラッドの悪い噂に良い顔はしないことだろう。
「私も…あなたがここにいる間、できる限りのことを協力するわ。だから明日は一緒にヘイデンに会いに行くわね。私が間に入った方が、話もしてくれやすいと思うし」
「そうしてくれると助かるな…。そいつだって何も知らずに利用されてるだけの可能性が高いからな」
「……そうであることを祈るわ」
ポーリーは苦笑すると、それからは何も言わなかった。彼女としても気に入った男性がまたいなくなってしまうような事態は望んでいないのだ。ゲラントは申し訳ないような気持ちになりながらも、先を立って歩く彼女に付いて行った。




