(3)
それから更に数日後にミレノアル軍はようやく王都に辿り着いた。帰り道も何も問題はなく順調な旅路ではあったが、ミレノアル軍の中には暗い空気が漂っている。
結局、セレンの死は公にはされていない。ベリルは“彼の中に眠る魔物が活性化し、軍を離れた”との噂を流してセレンとショノアの2人がいなくなった理由を作った。だがそれでも『英雄リーン』を失ったことに対する悲しみは軍の間に広がったのだ。もし本当の理由を伝えでもしていたら、その悲しみはガレス人に対する怒りに変わっていたかもしれない。
実際にイアニスはかなりガレス人に対して懐疑的になってしまった。王も特に何も言ってはいないが、言葉の端々にガレス人に対する嫌悪が見られて心配ではある。しかし2人は元々デルフィラのことを詳しく知らない。それに対してセレンのことはよく知っているのだ。それまでのガレス人に対する印象からしても、彼らがガレス人全てに対して信用できなくなる気持ちはわからないでもなかった。
デルフィラの行方は杳として知れず、城内でも彼女を“逃してしまった”責任を誰が取るかでピリピリしている。少しもガレスに勝利した喜びを分かち合う空気ではない。それだけセレンの存在が2国間の関係を取り持っていたということだろう。ショノアはずっとグレシルの私室で『入院中』とのことだから、今のミレノアルの現状はきっと知らずにいるだろう。良かったのはそれだけだ。
ベリルは王都での諸々の仕事を片付けるとすぐさまグレシルのいる治療院に向かった。今頃グレシルも戦死者の処置に追われて多忙を極めているだろうが、だからこそ彼女が彼に会いに行くのは違和感がないに違いない。ショノアのことは勿論心配ではあったし、何よりセレンに会わなければ気が済まなかった。彼の遺体はグレシルが誰の目にも触れない場所にしっかりと保管しているらしい。彼女はいずれセレンを引き取るつもりでいたのだ。
治療院は昔王都の外れにあった大きな屋敷を移築し、グレシルの住んでいた場所に建てられた。彼が今まで収集してきた膨大な材料と資料の数々はここで将来有望な薬師達に提供閲覧され、いつでもグレシルが診察できるよう入院設備も完備している。グレシルにとっては正に若い頃から夢見ていた施設なのだと言う。今では彼を慕った何人かの薬師が弟子として共に働いており、完成してからまだ間もないというのに既にこの治療院は王都の誇るべき施設となっていた。
この治療院もそもそもセレンが自らへの褒美の代わりに王に所望したものだ。それはグレシルに恩赦が下ってすぐだったこともあり一般的には知られていないが、彼の遺した功績はここでも大きかったようだ。
中に入れば何人もの薬師が忙しく動き回っていて、とてもグレシルの居場所を尋ねられる様子ではない。ここには怪我人も多く運び込まれていて、普段は一緒に働いていない薬師達も多く応援に駆け付けているのだ。一度出直そうかと踵を返すと、ふと窓の外に見知った顔を見たような気がした。
「…ショノア?」
グレシルの私室にいるはずのショノアが何故そんな場所にいるのかと、ベリルは慌てて彼の後を追う。彼は建物の裏手を進み、どんどん人気のない場所に進んでいく。このまま行けばこの治療院ができる前にグレシルが使っていた地下室のあった場所に着くのだが、一体何の用だろうか。
ベリルはショノアがその地下室の扉に手を掛けたところで声を掛けた。かなり近くで特に気配を殺しているわけでもなく後を尾けていったのだが、彼は少しも気が付いていなかったらしい。驚いた様子でベリルを見上げてきた。
「何だ…、ベリルか。あんたもセレンに会いに来たのか?」
平然と尋ねてきたその言葉にベリルは戸惑った。これはどういうことだろうか。彼女の予想ではショノアは失意のままグレシルの部屋に閉じ籠もっているはずだった。それがこんなにも元気にしていて「セレンに会いにいく」と言う。
「ショノア…、セレンは…」
「この地下で怪我を治療中なんだ。ずっと眠っているから今日くらい目を覚ましてるかもしれない」
それは既視感を覚える言葉だった。確かに以前もセレンは地下室で何日も眠り続けて目覚めた。ショノアはその時の記憶と今の記憶が混ざり合ってしまっているのかもしれない。
「ここに居ると…グレシルが話したのか?」
グレシルはセレンの遺体をショノアの目からも隠したと言っていた。だとしたら確かにここに安置されているのかもしれない。ただ、彼が死んでからもう数日が過ぎている。遺体の魔力への変換も徐々に進み始めていることだろう。そんなセレンの遺体を今のショノアが目にして正気でいられるだろうか。
「…多分セレンはここにはいないと思うぞ? グレシルにちゃんと確認しに行くといい」
ベリルはショノアを引き留めようとするが、彼はその場を動こうとしない。
「グレシルは何も話してはくれない…。けど俺にはわかる。セレンはここにいる。あいつの魔力がここから感じ取れるんだ」
「……」
人は死ぬとその魔力は空に消えていく。遺体に残るのは肉体から変換される魔力だけであり、その魔力に個性はない。作物や道具が劣化し、魔力へと変換されていく魔力と何ら違いはないのだ。なのにショノアはそれを『セレンの魔力』だとわかったと言うのだろうか。
「しかしここはグレシルの所有する地下室だ。いくらセレンがいると言っても本人の許し無しに入っていいとは思わないが?」
「……それは…」
ショノアはベリルの指摘に渋々扉から手を話した。彼は話す内容こそおかしいが、他のことは冷静で普通だ。少し安心していると、建物から慌てた様子でグレシルが走ってきた。余程急いで来たのか、ベリルの元へ辿り着いてもなかなか息が整わない。
「グレシル。セレンはここなんだろう? 会っても構わないよな?」
ショノアは苛立ったようにグレシルに確認する。そんな姿をグレシルは憐れむように眺めていた。彼はベリルを見つめると、覚悟を決めたように頷いた。
「もう良かろう…。お前さんも現実を受け入れる時が来たようじゃ…」
そう言うとグレシルは扉の鍵をベリルに渡した。彼女は戸惑いながらも扉を開けた。中からは冷たく湿った空気が漂ってくる。セレンがこの中にいるのだと思うと、彼女の足取りもつい重くなる。しかしショノアは待ちかねたとばかりに地下室に駆け降りて行ってしまった。
「グレシル…」
大丈夫なのかとベリルは彼を振り返るが、グレシルは深いため息を吐くだけだ。そしてゆっくりとショノアの後を追って階段を降り始めた。ベリルも仕方なく後を追う。
地下室はもう使われていないために明かりは灯っていない。ショノアは自分で前方を魔法で照らし出しているのだろう。通路の少し先が明るく照らされている。グレシルは元々備え付けてある明かりを灯しながら前に進んだ。突き当たりには少し大きな部屋があり、その入口でショノアが立ち尽くしている。恐らくそこがセレンの安置されている部屋なのだろう。
「ショノア」
グレシルが声を掛けてもショノアに反応はない。ベリルが彼らの隙間から部屋の奥を覗けば、そこにセレンが横たわっていた。驚くべきことにその姿は生前から何一つ変わっていない。グレシルが魔力の変換を抑える処置でも加えたのだろうか。
「セレンは死んでしまったのじゃ…。もう目覚めることはない」
「そんなことない…。まだセレンの魔力はここにある。眠ってるだけだ…!」
「……」
グレシルはベリルを振り返ると疲れたように首を横に振る。
「ずっとこんな調子なんじゃ…。確かに遺体は何故か朽ちることがない。魔力も大量にこの体に残っている。だが間違いなくこの体は死んでおるのじゃよ。こんな現象はわしも初めて見るがな…」
グレシルは運び込まれたセレンにあらゆる治療を施してみたらしい。体は死んだようになっていても、実は生きているという事例も無くはない。体を活性化させれば或いは蘇るかもしれない。時間を置けば目覚めるかもしれない。だがそのどれもが無駄に終わった。
「セレンの体はまるで魔力の込められた人形のようだ。最早…魔法具師の管轄なのかもしれん。だがそれで復活したセレンは以前と同じ人間だと言えるのか…」
グレシルは本当にこの数日間必死でセレンを生き返らせる方法を探ってくれたのだろう。その方法は既に薬師の治療からは逸脱していた。
「セレンは最後の戦いで聖剣の力を手に入れたと言っていた…。それは彼の体が聖剣そのものになってしまったということだったのかもしれんな…」
「セレンと同じ魂を持つ剣か…。その剣はどうした?」
グレシルは一瞬何かを期待したらしく、明るい表情を見せた。しかしベリルが「破壊された」と答えれば、がっかりしたように肩を落としてしまう。
「そうか…、まあ、そうじゃろうな…。その剣が無事であったならセレンも死なずに済んでおったはずじゃ。以前のように剣がセレンを助けたはずじゃからな…」
「……」
ベリルはその話に聖剣がどれだけセレンにとって重要な存在だったのかを思い知った。彼は聖剣に選ばれたのではなく、彼自身が聖剣の一部であり、互いに助け合う存在だったのだ。彼無くして聖剣は誕生することはなく、聖剣によって彼の命は支えられてきた。どちらもが死を迎えた今、どちらの復活も望むことはできない。
「…セレンは死んでなんかない。生き返る…。俺達は未来のミレノアルを救わなきゃならないんだ…! セレンがこんな所で死ぬはずなんかない!」
グレシルの言葉をショノアも聞いていたのだろう。彼は突然グレシルの前に立ちはだかり、セレンに近付けまいとする。ベリルは思わず彼の体を抱きしめていた。ショノアは彼女の手を振り払おうと必死でもがく。
「話したいこともまだまだいっぱいある…! まだ俺は何も話せてないんだ。セレン…!」
最後の方はもう叫び声のようだった。ショノアはベリルに抱きしめられながら、セレンに向かって手を伸ばす。だが彼が目を開けることはもう二度とない。やがてショノアは静かに泣き咽び始めた。
「もう良い…。もうここを出よう…」
疲れたようなグレシルの声にベリルはショノアを連れて地下室を出る。もうショノアは彼女に抵抗しようとはしなかった。
そのままショノアを連れてベリル達はグレシルの私室に入った。彼の私室は自宅も兼ねているため寝室も調理場もある。泣き疲れたショノアを寝室で寝かし付けるとグレシルはベリルと自分に茶を用意する。
「少し荒療治じゃったが、お前さんがいてくれて助かった…」
グレシルは疲労回復の効果のある茶だと言って彼女に勧めてきた。薬ほども劇的な効果は期待できないが、それでも今の2人には必要なものだ。一口飲むと、ベリルもホッと一息吐いた。
「ショノアはずっとあの調子だったのか?」
「……セレンはすぐに目を覚ます。そしたら未来に帰るのだと言ってな…。毎日遺体の側から離れんかった…」
傷むことのないセレンの遺体はそのショノアの言葉を裏付けてしまい、彼は毎日グレシルに早く目を覚さないものかと訴えていたらしい。居た堪れずに遺体を隠せば数日はおとなしくしていたのだが、今日のことを思うと単に探し回っていただけだったのだとわかった。
「これで…ショノアが納得すると思うか?」
「納得できずとも、結果は変わらん…。いつかは受け入れねばならんことだ」
「そうだな…」
彼らは未来から聖剣を求めてやってきた。砕けた聖剣の刀身部分だけを持ち帰り、柄だけしかなかった聖剣を完全な形にする。それが目的だった。しかし聖剣の刀身を手に入れても肝心の使い手が死んでしまったら、誰があの聖剣を振るうと言うのか。
「聖剣は…セレンと一つのものだったのだな…。だとしたら修復も…」
「恐らく無理じゃろう…。セレンが生き返らん限り、聖剣も直らん」
「……」
だとしたら未来のミレノアルはどうなってしまうのだろうか。最早頼みの綱は完全に断ち切られてしまった。
「……グレシル…。私は今日…セレンの遺体を引き取るつもりだと言いに来たのだ」
「お前さんが? しかし…そうじゃな…。ショノアに託しても…あの様子では未来で弔えるとも思えんし…」
セレンは未来の人間であり、本来は未来に帰すのが自然だ。帰す方法がないなら仕方がないが、ショノアがいるのだから。しかし朽ちることのない遺体をショノアが未来に連れ帰り、果たして彼の遺体を土に埋めることができるのか。土には物体を魔力に変換する魔法の力が込められている。その力によって強制的に彼の遺体を魔力に還すような選択を彼ができるとは思えない。
「我が一族の敷地にはその死を公にできない者が多く葬られている。セレンを密かに弔っていても誰も詮索する者はいない。それに…セレンは元々我が一族の人間だ。私達がその墓を守っていくことに何の不都合もない」
英雄リーンとしても、未来で活躍した将軍としても弔えない悲しい墓となるだろうが、一族の総力を上げて彼の墓には花を絶やさないと誓うつもりだ。最早彼で最後だという未来の一族の墓よりも、これでしばらくは墓を守っていけるというものだ。
「しかし…憐れなものだな…。誰よりも感謝されて然るべき人間が、名さえ刻まれない墓に眠るとは…」
グレシルの呟きにベリルも思わず目を伏せる。
「セレンの墓は未来にまでも残るだろう。だとしたら全てが終わってからショノアが正しい名前を刻んでくれる」
「未来で…か。セレンと聖剣を失って…未来のミレノアルが平和になれば良いがな?」
「……」
「あの剣と同じ物は最早誕生せん…。それではネメアを倒せる者も誰もおらんということじゃ」
グレシルの言う通りだ。過去は彼のおかげで平和を取り戻した。だが未来の平和は誰が取り戻すというのか。
「…いや、ショノアがいる。あいつはネメアを操れる。それも巨大な…アルゴスが騎乗していた奴と同じくらい大きなネメアだ」
「じゃがネメアを倒せてもセレンを殺したような相手が次に控えておるんじゃぞ? せめて…協力者が他にもいなければ難しいじゃろう…」
「協力者…か。私が未来に行ければな…」
行けたところで助けになれるかどうかは自信がない。結局彼女はアルゴス相手でも何もできることはなかった。ショノアが亜空間から連れ出してくれて、セレンが王を守らなければミレノアルは敗北していたのだ。
2人は同時にため息を吐くとショノアが眠っている寝室を見つめた。
「わしは…あの子をこれ以上危険な目に遭わせたくはない。未来のことはもう諦めて、この時代で生きるよう説得した方が良いように思う…」
「しかし未来にはショノアを待っている者もいるだろう…。それに…この先このミレノアルもショノアには過ごしにくい場所になるかもしれん…」
ベリルは王とイアニスの心境の変化を危険視していた。2人はデルフィラやショノアに対し、他の人間より余程理解があった。だからこそ今回の一件で極端に裏切られた思いを強めているのだ。今後ガレス人全体に対して厳しい処置を下す可能性は大いに考えられた。
「いずれにしても…少し様子を見た方がいいかもしれんな…」
「そうだな…。ショノアが落ち着いたら、ゆっくり話し合った方がいいだろう」
彼が立ち直る日が来るのかどうかはわからない。失意のまま生きていくようならベリルが面倒を見るだけだ。どちらにしても彼女にできることは状況を見守る以外なかった。




