(3)
翌朝、デルフィラとショノアは2人で早速ミレノアルの僻地である海の近くまで彼女の使い魔に乗って向かっていた。
行き先を告げる時、セレンは共に行かなくてもいいかと心配そうだったが、彼にこれ以上ネメアのことで頭を悩ませたくはない。事情を詳細に話し、一応これでも最高位とも言える魔力を持った魔術師2人で行くのだから何も心配はいらないと言って聞かせた。セレン自身も自分が2人に心配をかけている自覚があるのだろう。ショノアの説得にはすぐに応じてくれた。
「ショノアの使い魔って、そういえば見たことないけど…、何か使いたくない事情でもあるの?」
鷹の背に掴まりながら、デルフィラがふと尋ねてきた。人の数だけ使い魔が存在すると言われるだけあって、ガレス人なら余程魔力が低い幼児でもなければ自分の使い魔は持っている。ショノアの今の年齢でも当然使い魔は持っているはずだった。
「俺の使い魔…行方不明なんだよな」
「…それどういうこと?」
彼女は驚いてショノアの顔を見つめてくる。確かに本体になる魔術師の意思で出し入れ自由な使い魔が行方不明になどなるはずはない。そもそも使い魔は消滅しても、魔術師が生きている限り何度でも甦る。一度死んだら終わりということもない。つまり形を取った魔力の一つなのだから、“いなくなる”という表現自体がおかしい。
「俺…10歳までの記憶が無くて、魔法の使い方も全部忘れてしまっていたんだ。周りに教えてもらって必死で練習して…それである時自分に使い魔がいないことに気が付いた」
最初の使い魔は出そうと思って出すものではない。気が付いたらいるものなのだという。これが自分の使い魔だと自覚してからは意のままに操ることができるが、自覚するまで使い魔はずっと主人の側にいて気が付いてくれるのを待つのだそうだ。そのため姿の見えない使い魔や小さい或いは大き過ぎる使い魔などはたまに気付かれずにいることがあるという。
「探してみても近くにはいないみたいだし、呼んでみても何の反応もない。相談した知り合いの話だと、たまに主人に気付かれないままずっといる内にどこかに行ってしまったり、何かに引っかかって近くにいられなくなる使い魔がいるんだと」
たまにはあることだと聞いていたからあまり深刻には捉えなかった。使い魔がないことで周りからは嫌味を言われたりもしたが、魔法で反撃してやれば大抵は黙らせられた。
「じゃあ、見つけたら戻ってくるの?」
「多分…そういうことなんだろうな」
しかし彼の本来の年齢は25歳。遅くとも成人するまでには見つかるものだと言われた使い魔はまだ彼には見つかっていない。もう一生見つからないままなのではないかと、最近では考えてもいる。
だが一体自分の使い魔はどんな姿をしていたのだろうか。魔力が形になったものだと言うだけあって、血の繋がりがそのまま使い魔の姿にまで影響することも少なくない。ショノアの家族は何処かにいるのか、いたら何処の誰なのか。それを探るのに使い魔がいれば少しは役に立ったかもしれない。そんなことを思わなくもない。
「見つけたら私にも見せてね」
「…ああ」
ここは過去だが、使い魔が自分の近くに常にいると言うならここにもいてもおかしくはないのだろう。だが今まで何処で呼んでも現れなかったのだ。もうショノアの使い魔は普通にいる魔物に混じって生きることに決めてしまったのかもしれない。
「そろそろ何処か良い場所を探して下りよう。海が見えてきた」
話している内に気が付けば海沿いの切り立った崖の上を飛んでいる。王都からガレスとは反対側にかなり長い距離の断崖があると聞いてきたのだが、これは確かに空でも飛べなければ海側に下りることは困難だ。
彼女のように空を飛べる使い魔を持っているガレス人ならわからないが、少なくともミレノアルに住む人間には余程明確な目的でもなければ崖を降りようなどとは考えない。人家ももう随分と前から見かけていないような僻地だ。崖の下に“檻”を作ってネメアを放せば、もし檻を破って出てきたとしてもすぐに人を襲うような事態にはならないだろう。
「ここまでしてもアルゴスに気付かれたら檻を壊されて終わりなのかもな…」
「だとしたらあなたの異空間に閉じ込めておいても同じよ? むしろ突然王都の中であなたの近くからネメアが現れるの。その方が一大事じゃない?」
「⁈……。それは…早く出した方がいいな…」
デルフィラの言葉にゾッとする。それは自分や周りの人間を危険に晒すだけではなく、下手をすればショノアがネメアを召喚する『敵』に仕立て上げられてしまう可能性を指していた。
デルフィラはショノアの指示通り、崖下の海に向かって降りていく。海沿いは大きな岩が山ほど転がっていて、“檻”を作るのにも都合が良さそうだ。2人は土台にできそうな開けた場所を探すとそこに着地した。
「ここなら崖を壁の一部にして檻を作れそうだ」
石を積み上げること自体は難しいことではないが、アルカイスト人でもない限り、隙間のない精巧な石壁を造ることはできない。いくら魔法で強度を上げるとは言っても元になる檻の壁が丈夫であることに越したことはないのだ。
「崖に穴を空けたら駄目なの?」
「崖自体がかなり頑丈な壁になってくれそうだからな…。余計なことはしない方がいいだろう」
下手に削ってしまったために崖が崩れてしまったら元も子もない。手間はかかるが崖はそのまま生かす方向で進めることにした。しかし2人で岩を組み上げていけば思っているよりも作業は早く終わる。デルフィラはなかなか器用だ。
「でも出入口も無いのにどうやってネメアを入れるの?」
組み上がった岩の塊を見上げてデルフィラが聞いてくる。
「異空間の扉をこの入れ物の中で開けばいい。中は透視できるだろ?」
「そうか…。便利ね、異空間って」
彼女は岩に手を触れて試しに中を見ているようだ。異空間を使う魔法もその内彼女に教えた方がいいだろう。この魔法は確か口頭で教わった魔法だ。蔵書の中にこの魔法書はない。
「使えるようになると、もう離れられなくなるぞ?」
ショノアは笑って岩壁に手を付いた。そして中で異空間の扉を開き始める。中で空気が渦巻き、やがて空中に穴がぽっかりと開く。しかし何も飛び出してくる様子はない。
「……変だな」
異空間の中にしまってある大事な物をネメアに壊されないよう空間の広さはかなり広げてあったが、今はネメアがこの出口に気が付くように狭めてある。それ以降も中身を押し出すようにどんどん空間を縮めていったが、ネメアの大きさより狭くなっても何も現れる様子はない。
「逃げたのかしら?」
「そんなはずはない…。異空間は俺か、俺以上の術者がこじ開ける以外に出口はない。それにネメアが魔獣としての魔法以外、使えるって話も聞いたことはないな…」
ネメアの能力は武器がすり抜ける、攻撃魔法を吸収する、威圧の吠え声、そして個体によっては炎を吐く。それだけしか確認されていない。姿を変えたり、壁をすり抜ける、転移するなどの特殊能力があるとは思えないのだ。
「確認してくる」
「え? 待って、私も行くわ」
2人で一緒に中に転移するが、やはりネメアはその中にはいない。異空間の入口を覗いてみても、すぐ近くまで奥の壁が迫っているというのに何もいない。
「ちゃんとこの中に消えていくのを見たのよね?」
デルフィラも不思議そうにショノアの頭の後ろから中を見回している。思い切って異空間の中に入るとショノアは魔力の気配を辿った。
「やっぱりここにしばらくいたのは間違いない。ネメアと同じ魔力がこの空間にも残っているからな。ただ…この希薄さから考えて、そう長い時間じゃない」
信じられないことだが、ネメアはこの異空間に閉じ込められて数時間程度で姿を消している。しかし問題は何処に行ったかだ。出て行ったにしても、すぐ近くにいたショノアやセレンが気付かないはずはない。どうにも納得のいかない事態ではあるが、そもそもこの檻に閉じ込めておけるかどうかも心配だったのだ。知らない内にいなくなり、どこも被害を被っていないのならそれで良かったのかもしれない。
何だか気が抜けてしまい、ショノアは異空間の中の椅子に腰掛ける。息をついているとデルフィラの興奮した声が聞こえてきた。
「ねえ、ショノア! ここにある本、全部読んでもいい?」
見れば、いつの間にか彼女もショノアの異空間に入り込んでいたらしい。壁一面に並ぶ本棚を見て目を輝かせている。
「ん? あー…この本棚以外なら良いぞ」
所狭しと立ち並ぶ背の高い棚の中に小さな子供用の棚が置かれている。その本棚を指して言えば、彼女は興味津々でこちらを見てきた。
「え? 何? そこはショノアの秘密が詰まってるの?」
「まあ、そんなものだな。思い出の品が…いっぱい詰まってる…」
現実世界に自分の部屋など彼にはない。ブラドに与えられた部屋は何人もが一緒に暮らす寮のような場所だった。だから昔からこの場所が彼の私室だったのだ。この本棚以外にもマリウスとその仲間達の遺品をしまってある棚はある。本は何冊かあるが、どれも子供の頃にもらった絵本や間違いだらけの魔法書などだ。デルフィラの役に立つ物はない。
「思い出か…。私も何か2人からもらおうかしら? そしたら私にも『思い出』が残るものね。…兄は何も残していってくれなかったから…」
こっそりデルフィラに会いに来ていた彼女の兄は、父親に自分が来たことを知られないよう証拠を常に消していた。だから彼女は兄の痕跡を何一つ所持できなかったのだ。
「そうだな…。何か考えておくよ」
デルフィラは嬉しそうに頷くと、今度は読む方の本棚に向かった。手を広げて目を閉じれば光の粒子がいくつも彼女の体から生まれ出て本棚の方に飛んでいく。一つ一つの本に粒子が付くと、しばらくゆっくりとした明滅を繰り返し、まるで何かの生き物のようだ。やがて明滅しなくなった粒子から彼女の方に戻っていき、そして消える。
時間にして大した長さではない。粒子が全て彼女の体に回収されていくと、その魔力がどんどん変貌していく。ショノアが思わず恐怖を感じるくらい強大な魔力にまで高まると、ようやくデルフィラは目を開けた。
「……凄い…。あなたよく、ここまで魔法書を集めたわね。しかも他の人種の魔法まで…」
「実は集めるだけ集めてまだ読めてない物もあるがな。…まさかあんた…もう全部読んだのか?」
ショノアが15年かけて集めた本を、彼女はこの短時間で全て読み解いたらしい。驚くショノアに、デルフィラはなぜか不満げだ。
「父から与えられたたった一つの魔法よ。部屋の壁中にびっしりと書かれた呪文を全て読み取り、自分で実行すること。…これが私の日課だったの」
恐らくその呪文は彼女の魔力を上げるための術式が書かれていたのだろう。彼女自身のためではなく、アルゴスが彼女1人でできるだけ多く寿命を延ばすためにだ。本当に反吐が出る。
「ああ、でもとてもすっきりした気分よ! 何だか行き場のなかった力が納まるべき場所に納まったって感じ!」
「本来魔力を上げる術式は何か大きな魔法を使うための準備として使われるものだからな…。あんたの場合は目的さえない魔力の増強だ。体が捌け口を求めていたっておかしくない」
デルフィラの顔を見れば魔法を使ってみたくてウズウズしているのがよくわかる。今の彼女は自分の有り余る魔力の使い道がはっきりしたというだけだ。少し使わせておかないと、今から使うという段階になって力が入り過ぎてしまうかもしれない。実はショノアにも同じような経験がある。
「まあ、でも魔法は実戦で使えて初めて自分のものにしたと言える。あんたが得た知識、ちゃんと利用できるかどうか見定めてやるよ」
丁度今2人がいるのはネメア用に作った丈夫な岩壁の中だ。ここなら思う存分暴れた所で問題はないだろう。それにデルフィラの力量を測るのにも良い機会だ。
「じゃあ、相手してもらおうかしら。兄とは一度も手合わせできなかったの。さすがに部屋の中でそんなことしたら父に何をしてるか気付かれてしまうから」
デルフィラの周りに彼女の期待を表すかのように魔力が炎のように立ち昇っている。これは少し危ないかもしれない。
「ヘイム王子と一緒にはしてくれるなよ? そこまでされたら最悪、俺が死ぬ」
「ええっと…それなら手加減する?」
まさかショノアにそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。デルフィラが少し戸惑ったように訊いてくる。
「いや、…なんか腹立つから全力で来い。行ける所までやってやる」
「それなら遠慮なく行くわ」
嬉しそうに笑った彼女の背後で魔力の波が燃え立つように勢いを増す。一瞬、自分の負けず嫌いを恨めしく思ったショノアだった。
その頃、城に残ったセレンは訓練場にいた。今朝は朝一でベリルの訪問を受け、1日だけ聖剣を貸してほしいと言われた。何をするのか尋ねれば、ネメアの一部と共に色々と調べたいことがあるそうだ。セレンとしてもネメアを倒すための調査なら何でも協力したいところだ。快くベリルに聖剣を渡し、自分はショノアと共に文献でも読み漁ろうかと考えていた。
しかしショノアの元に行けば、彼はデルフィラと共に海の方まで行く予定だと言う。何故そんな場所に行くのか尋ねれば、以前異空間に閉じ込めたネメアを放しに行くと言うではないか。危険だと一度は止めたが、ショノアの言い分にも一理ある。何より今は1人でも多くの味方が欲しいところだ。ショノアに加えてデルフィラまで戦力となってくれるなら心強い。
「聖剣も手元にないなら丁度いい。1日くらいネメアのことを忘れて過ごしたって問題ないだろう?」
ショノアはそう言ってセレンを気分転換させようとしてくれる。昨晩デルフィラと話したことでいくらか平静を取り戻しはしたものの、状況は一切好転していない。思い詰めたところで何にもならないとわかってはいるが、聖剣やネメアが近くにあればどうしても頭はそちらの方に行ってしまうものだ。むしろ彼の言う通り、数年ぶりに普通の騎士らしいことをして過ごそうかと考えた。
しかしここはベリルの屋敷ではなく王城だ。部屋を出て歩いているだけでも多くの騎士達に呼び止められる。諦めて彼らと話をしていれば、気が付いたら訓練場に連れて来られていた。
中には既に多くの騎士や兵士達がいて、セレンに注目している。ここに彼を連れてきた騎士も相当腕に自信があるのだろう。周りの取り巻きも多そうだ。別に手合わせはセレンとしても嫌いではない。相手の技量の高さに関わらず、その攻撃には個性があり学ぶ所は多いものだ。しかも体を動かせば自然に気持ちも晴れるだろう。
手加減は無用だと言われたので素直に全力で行けば、つい相手を瞬殺してしまった。剣を打ち合わせる間もなく胴体を薙ぎ払えば、相手の騎士が訓練場の端まですっ飛んでいったのだ。しまった…と後悔してももう遅い。これでは嫌がられて剣の相手がいなくなってしまう。そう覚悟したのだが、意外にも大歓声に迎えられた。どうやらこの時代ではセレンと同じ一族の人間がベリルの他にもいて、圧倒的な力にも馴染みがあるらしい。そういえばベリルには年頃の娘が2人と弟が2人いたなと思い出す。
負かした相手ももう一度と懲りた様子もなく向かってくるので、セレンも徐々に楽しくなってきた。次はもう少し打ち合ってみて相手の力量や癖を見る。何度も勝負している内に、他にも続々と相手が名乗り出てくる。気が付いたら訓練場の中で試合をしているのはセレンとその相手だけになっていた。他は全員観戦者だ。
一通り相手をし終え、次は誰にするかと周りが揉めていると1人の男性がセレンに近付いてきた。彼はどうやら近衛騎士らしい。白を基調にした服をしっかり着こなし、穏やかながらも隙のない動きだ。それなりに強そうだが、セレンは彼と勝負した覚えがない。
男性はセレンに水の入った瓶を差し出してくる。休憩用の飲み水だがわざわざ持ってきてくれたのだろうか。
「あなたの強さは本物ですね。とても勉強になります」
「あなたとは…確かまだ勝負していなかったと思いますが?」
水を受け取りながら尋ねれば、彼は朗らかに笑った。
「見ているだけでもわかります。私の腕ではまだあなたの相手は務まりませんよ?」
「そうですか? あなたとは面白い勝負ができそうな気がしているのですが…」
素直に思ったことを口にすれば、彼は驚いたようだ。
「私がですか? それは嬉しいことですね。でも勝負はしませんよ? 見かけ倒しになりそうですから」
男性はずっと嬉しそうに笑っている。
「剣の腕は常に磨いてきましたが、近衛ともなると実戦の機会は少ない…。ただでさえ私は支援部隊を率いるのが主ですからね」
彼は家柄が良過ぎて近衛騎士の中でも危険な仕事から遠ざけられてきた。それでも全力を尽くしてきたが、時にセレンのように実力で人々を守る存在に憧れると言う。
「騎士になったからには一度くらいこの手で直に人の命を救ってみたいと望むものです。私を大事に扱ってくれる周りに不満を言うつもりはありませんが、憧れはしますね」
何故だかその言葉にセレンは既視感を覚えていた。そういえばマリウスも騎士になった時、配属先が近衛部隊だと聞いて不満げに同じようなことをセレンに訴えていたような記憶がある。
親近感を覚えて男性を見つめていれば、彼の指には見知った紋章の入った指輪が嵌められていた。メイルーダの紋章は誰にでも許されているものではない。王族とそれに準ずる限られた貴族のみが身に付けることを許される。つまりその指輪は王になる権利を有する証なのだ。
マリウスも同じ指輪を嵌めていた。彼はもしかしたらマリウスの先祖なのかもしれない。そういえば彼の先祖はリーンと共に最終決戦に臨んだと聞いている。そのためにマリウスは聖剣の使い手に並々ならぬ思い入れがあったのだ。
「また…もう少し私の腕が上がったらお相手願いますね。それまでは部下達の指導をお願いします」
男性が去っていくと、その後ろに数人の近衛騎士達が集まって恐る恐るこちらを覗き見ている。皆まだ若い騎士達だ。どうやら腕に自信がないせいでセレンに近付けもしなかった新任騎士達のようだ。
「どうぞこちらへ。良かったら皆さん一緒にお相手しましょうか? 団体戦も連携が難しいので訓練が必要ですよ?」
あの男性は部下達のためにセレンに近付いたのだろう。面倒見の良い所もマリウスとよく似ている。いや、この場合はマリウスが彼に似ていると言うべきか。
若い騎士達は1対1でセレンに挑む必要がないと知って嬉しそうにやってくる。元の時代では彼らのような若い騎士をろくに訓練させずに戦争に投入した騎士隊長も多かった。この時代ではじっくりと成長していってほしいものだ。
次にネメアが襲来するのはそれほど遠い先の話ではない。今度の彼らは群れを成してやってくる。かつての戦いを思い出せば恐怖も共に甦る。セレンは根っからの戦闘好きではないのだから、怖いものは怖いのだ。戦闘中は恐怖を忘れるといった騎士も多いが、セレンにはそういうこともない。常に必死で目の前の敵に集中してきただけだ。
ここにいる騎士達も思いはセレンと大差ない。誰もが死と隣り合わせの状況に恐怖しながら、ただひたすら守りたいもののために戦う。そんな彼らが1人でも多く生き残ってくれるよう、自分は力を注ぐだけだ。それもまた“聖剣の使い手”としての役目に違いない。
それから延々と勝負を続けて昼を過ぎた。入れ替わり立ち替わりセレンに挑んできた騎士達だったが、今では彼らも疲労が蓄積してきてほとんどが休憩中だ。セレンもさすがに空腹を感じてきたと考えていた矢先のことだった。
訓練場にベリルが現れ、それを見かけた多くの騎士達が慌てて居住まいを正す。それは立場を踏まえてというよりも個人的に彼女を恐れているようにも見受けられた。
「ここにリーンがいると聞いてきたのだが?」
ベリルはセレンを探しにきたらしい。しかし平然としているセレンに比べて周りの疲れぶりが全く釣り合わない。その様子を見た彼女は吹き出すようにして笑った。
「何だお前達、だらしがないな…。相手はこのリーン1人だけだと聞いていたぞ?」
「確かにそうですが、この人の力は普通じゃないですよ? …まるで若い頃のあなたのようだ」
「言ってくれる。だが私は今でもお前達には負けんがな?」
言外に今のベリルが若くないと言われたも同然で、彼女は鋭い視線を相手に向ける。視線を向けられた騎士は蛇に睨まれた蛙のように恐怖で硬直していた。
「まあいい。ひとまずリーン。お前にはこれを返しておく」
差し出されたのは刀身の備わった聖剣だ。柄がしっかりと咥え込んでいる刀身は不思議な七色の光沢を持ち、ビッシリと何かの文字が刻まれている。
「これは…普通の鋼ではありませんね?」
「ああ。魔法具士特製の魔力の込められた銀だ。この剣は本体から刀身に強力な魔力を流し込むことで、ネメアの体を普通の魔物と同じ状態に変えて傷を負わせる。普通の鋼よりこの銀ならまだ耐久性は上がるはずだ」
セレンは聖剣を手にすると具合を確かめるように一度振ってみる。
「良い感じです。相性も悪くないようです」
わずかに聖剣が喜んでいるように感じ取れて、セレンの顔にも笑みが浮かぶ。
「重さもかなり軽量化して、血も付着しにくいようにしてある。これで戦闘が長時間に及んでも少しはお前の助けになるだろう」
「お心遣い、感謝いたします」
礼を言えばベリルは気にするなと言って、近くにあった椅子をセレンに勧めてくる。彼が座るとベリルも隣に並んで座った。するとそれを見ていた他の騎士達が待ちかねたように2人の周りに集まってくる。彼らが聖剣を間近で見たがっていたのでセレンはすぐ近くにいた若い騎士に聖剣を手渡した。ベリルは構わずセレンに話しかけてくる。
「今回の調査でわかったことだが、ネメアは非常に小さな魔物の集合体だ。砂でできているような身体だからこそ、剣などの武器による攻撃が通用しない。しかもその魔物一つ一つの外殻は魔法を吸収するため魔法での攻撃も不可能だ」
普段のネメアは完全に魔物同士が結合しているために質感もあり、破壊行為もできる。しかし攻撃を受けた瞬間、その部位のみの結合を解いて一つ一つの魔物達は物体から逃げるのだ。聖剣はその結合の解除を阻害することでネメアへの攻撃を可能にする。
切り裂かれた部位の魔物は死滅するが、時間が経てば近くの魔物が分裂することで空いた隙間を埋めていく。それはまるで体の傷が回復していくのと同じようだ。
「結局の所、ネメアを倒すとなると一つ一つの魔物を一気に死滅させるか、結合を解いた際に二度と一つに戻れないようにするか。どちらにせよ物理的に可能なことではないな…」
ベリルは淡々と話すが言葉の端々に大きな落胆が見て取れる。
「刀身に魔法を付与してみても無理でした。この剣で傷を負わせた後ならと…やってみたことはありますが、そもそも魔力そのもののような魔物達です。ただネメアの体に魔法は混ざり合うだけで効果はありませんでした」
「やはりそうか…。まったく、お手上げだな…」
ベリルはため息を吐き、セレンも肩を落とした。
セレンの時代でも既にこの115年前の調査結果を元に色々と検証は行われてきた。ネメアが実際に姿を現すようになってからは、セレンが様々な方法を実践してきたがどれも良い結果は出なかったのだ。
そもそもここでネメアや聖剣の謎が解明していたのなら、セレンも苦労はしない。やはりこの聖剣はどこか思いもしないことで生まれたのだろう。
「リーン殿はこの剣を一体どうやって手に入れられたのですか? このように美しい造形のものは魔法剣にもそうは見られません。材質といい、この宝石といい…私は今まででこんな不思議な物を見たことがありません」
2人の話が一段落付いたのを見計らい、丁度聖剣を手に取り眺めていた騎士の1人が尋ねてくる。彼女は魔法騎士部隊の服を着ているのでアルカイスト人なのかもしれない。女性には腕の良い魔法具師が多いものだ。
しかし問われてみれば確かに聖剣はその力だけでなく、見た目も不思議な形状をしている。柄頭と握り、鍔で構成されているのは普通の剣と同じだが、全てが一体化していて分解はできない。光に透ける真珠のような光沢を持つ細い蔓を何本も撚り合わせたような装飾が全体に施され、鍔の中央両面には血のように紅い宝石が嵌っているのだ。セレンの部下だった魔法具師もその見た目を再現するのがまず困難だとよく話していたものだ。
「製作者はどなたですか? もしご存知なら是非会って話してみたいのです」
彼女は聖剣をセレンに返しながらも詰め寄ってくる。未知の存在である聖剣に好奇心が抑え切れない様子だ。どう答えたものかと考えていると、ベリルが横から助け舟を出してくれた。
「…これはリーンがガレスに潜入した時に見つけた物だ。製作者は誰かはわからん」
「今のガレスに潜入したと言うのですか? それは確かにリーン殿はお強い方ですから、あの地より無事に戻ってきても不思議はないですが…」
半信半疑の様子で彼女はセレンの顔を見つめてくる。確かに当時のガレスはアルゴスの実験場と化し、彼の許しのない者が一歩でも足を踏み入れると何らかの恐ろしい目に遭ったと言う。毒で死ぬならまだ良い方で、最悪本物のリーンのように魔物と化して人を襲ったという記録も残っている。
「リーン殿はその…魔物に…寄生されている恐れはないのでしょうか? 以前、ガレスの国境警備に当たっていた私の知り合いは魔物と化す前、髪の発色が増して人間離れした力を発揮していました。ベリル様と同じ一族だと言うならまだしも、違うと言うならその可能性も高いのでは…」
後ろで話を聞いていた騎士の1人が進み出てきて恐る恐る訊いてくる。その言葉に周囲の人間達の視線がセレンの髪に一斉に向けられた。まずい流れだ。
「…貴様、私の部下を疑うつもりか…?」
しかしセレンが頭の中で言い訳を完成させる前に、何故か凄まじく威圧的な声がすぐ隣から聞こえてきた。見るとベリルがただならぬ雰囲気で疑いをかけてきた騎士相手に詰め寄ろうとしている。それを見たセレンは思わず間に割って入っていた。
「魔物の寄生は…間違いなくされています。それをあのガレスの王女に救われたのですよ」
「おい…、リーン!」
急いで言い訳を口にすれば、ベリルがセレンの言葉を押し留めようとする。その様子が真に迫っていたおかげか、周りはすっかりセレンの言葉を信じたようだ。
「王女の力で今は侵食を留めてもらっています。退治してもらうこともできたのですが、この状態の方が今は何かと都合が良いでしょう?」
そう言って皆に笑いかければ返ってくるのは引き攣った笑顔だ。これで良い。恐れられて距離を空けられていれば、今後もセレンを無用に詮索しようなどとは考えなくなるだろう。
「しかしその剣は…」
話を聞いていた他の騎士が何かを言いかける。恐らくセレンが聖剣を持っているのは危険ではないかとその騎士は言おうとしたのだろう。それをベリルが鋭い目線で一瞥し、牽制する。
「この剣を使いこなせるのはリーンだけだ。お前達も昨日の戦いを見ただろう? 他に代わりを務められる者がいるなら話は別だがな?」
高圧的に言い放った彼女の声に、その場の誰もが怯えたように口を閉ざした。今のこの国でセレンの代わりを務められる者などベリル以外には存在しない。その彼女がセレンを認めているのだから、それ以上何も言えることはないのだ。
自分の作り上げた言い訳とはいえ、聖剣を取り上げられることにならなくて本当によかった。セレンがホッと胸を撫で下ろしているとベリルに腕を引っ張られた。
「もうここでの用は済んだな?」
彼女はまだ怒りが冷めやらないのか、語気も荒く言い放つとセレンを訓練場から連れ出してしまった。




