表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒衣の守護者  作者: 樽吐
無慈悲な英雄
107/156

(2)

 翌日、エリアナの元に使いの者が丸一日ぶりに帰ってきた。彼女の後ろにはダルチェスの侍従長、それと数人の近衛騎士が連なっている。彼らは随分と怯えた様子で、先頭を歩く使者の堂々とした振る舞いとは落差が激しい。使者はエリアナの侍女であり、騎士でさえないというのに彼らはまるで彼女に連行される罪人のような有様だ。

「ご苦労であったな…。随分と時間を要したようだが、返答はあったと考えて良いのか?」

 エリアナは使者を労いつつ、彼女の後ろで様子を伺うように付き従っているダルチェスの家臣達を指した。それに対して使者は黙って拝礼し、脇に移動する。どうやら返答は彼らから直接聞き出さねばならないようだ。

 ダルチェスの家臣達も直接話すのかと少し慌てているようだが、用件があるならさっさと話してもらいたいものだ。

「…エ、エリアナ殿下…、ご機嫌麗しゅう…」

 仕方なく侍従長がおどおどと話しかけてくる。返答に丸一日もかけておいて機嫌が良いわけもない。そんな社交辞令はやめてさっさと本題に入れと促せば、侍従長は再び恐れ慄いて口を噤んでしまう。この様子では用件を聞き出すまでに日が暮れてしまいそうだ。

「兄に直接会って確認したいことがある。その返答はどうした? もう一日も経っているのだから急だとは言わせぬぞ」

 仕方なくエリアナの方から話を振れば、侍従長はあからさまに狼狽えた。

「そ、そのことなのですが…陛下にお確かめになりたいこととは一体どのような…」

 内容を先に知りたがるというのはやはり何か後ろめたいことがある証拠だ。苛立ってきた彼女は部屋の奥からフードで顔を隠していたセレンを呼ぶ。彼はこちらに向かいながらも途中でフードを取り去り顔を露わにした。

「⁈……まさか…セレン…様…?」

 その顔を見たダルチェスの家臣達は驚きにざわめく。セレンは彼らを威圧するようにエリアナよりも前に進み出た。

「私を監禁し殺そうとまでなされたダルチェス殿下に、弁解の機会をお与えしようと思っておりましたが…、あの方はそれを拒むおつもりでしょうか?」

「…セレン様を監禁…? しかも殺害まで…!」

 侍従長達はそんな恐ろしいことなど全く身に覚えがないと慌てて弁解する。

「知らぬふりをしても無駄なことだぞ? 既に弟ユーラッドからは証言を得ている。異世界から密かに連れ戻したこのセレンをユーラッドに命じてモンドレルに幽閉し、言うことを聞かぬからという理由で殺そうとしたのだ。私が見つけていなければ今頃セレンはこの世から消されていたのだぞ!」

「ほ、本当に我々は何も知らされておりません…! それが事実であれば陛下がお一人で進められたのではありませんか⁈」

 侍従長達は必死だった。その場にいる全員がセレンを殺そうなどとそんな恐ろしいことを考えるはずはないと、きっとダルチェスの独断だと主張する。その姿にエリアナは彼らの心が既にダルチェスから離れていることを見て取った。

「…なるほど、今回の件は全て兄一人でやったことだと申すのだな?」

 彼女が念を押すと、彼らは目に見えて安堵したような表情を見せる。

「そうなのです! この頃の陛下は本当に我らの言い分など一つも聞き入れて下さらず、無体な要望ばかりを口になさるのです! 此度のことも…陛下はエリアナ殿下と一戦交えるおつもりだったのですよ⁈」

「何? 私は面会を申し込んだだけではないか」

 ダルチェスは確かに昔から血の気の多い短気な人間だ。だがここまで考えの浅い人間だとは思わなかった。だがそれはそれで都合がいい。

「この船の威容に押され、あなた様が攻めてきたと勘違いなされたのでしょう。同じくブラド様も既に姿を眩まされました」

「…そうか、ブラドは逃げたか…」

 ダルチェスはさておき、ブラドはセレンの手で捕えさせるつもりでいた。セレンが不在でいることを良いことに好き放題振る舞ってきたブラドを、セレンが自らの手で引導を渡すのだ。それはミレノアルの支配者が交代する象徴的な出来事となったであろうに惜しいことだ。

「ではお前達はここに何をしに来た? 兄に従い私に宣戦布告しに参ったか? それとも命乞いでもしに来たのか?」

「わ、我々は…」

 侍従長は一瞬口ごもり、そして意を決したように口を開いた。

「エリアナ殿下に全面降伏を致します。陛下…いえ、ダルチェス様は既に城の牢獄へお連れしました。後はあなた様の自由にございます」

「……主君を牢に繋いだと申すか?」

 エリアナの目が厳しく侍従長達を睨み据える。彼は一瞬怯んだように見えたが、すぐに気を取り直し言い返してくる。

「過ちを犯そうとする主君をお止めするのも我らが家臣の務め…! 決して忠義を忘れたわけではございません…!」

 “忠義”だなどと、王族の側近に収まっているような貴族達は誰一人持ってはいないだろう。それこそ自分の家臣にも忠義心があるとは彼女は一度も考えたことはない。皆、見ているのは権力だけだ。だが見せかけだけの忠義さえ貫けないような人間など生きている価値もない。

「そうか。ならばその忠義とやら…裁かれる主君に最期まで付き従うことで示すが良かろう」

「⁈……」

 エリアナの言葉の意味を理解した侍従長達は青ざめ後退った。そこへ剣を抜いたセレンが近付いていく。

「誰か…殿下をこの部屋の外へお連れしてください。今から起こることは…、王となるお方が目にして良い光景ではございません」

 その後ろ姿はかつて一度だけ見た、貴族達を王の名の下に粛清しに向かうセレンの姿だ。あの時はただ恐ろしいだけだったが、今の彼はなんと頼もしく見えることか。

 ダルチェスの側近達は抵抗すべく剣を抜いたが、皆一様に手が震えている。何人が相手になろうとセレンに敵うわけはないのだ。

「エリアナ様…」

 侍女達は怯えながらもエリアナを部屋から連れ出そうとする。この場で心を浮き立たせているのはエリアナくらいのものだろう。だがそれでも構わない。セレンが自分の意を汲み、ダルチェスの側近を今から処刑しようとしているのだ。これほど気分の良い話はなかった。


 しばらくするとすぐ隣の部屋にいたエリアナの元にセレンが現れた。彼はダルチェスの家臣達は全て死んだことを報告し、部屋を血で汚してしまったことを詫びてくる。

「もう済んだのか? 静かなものだな?」

 彼女はすぐ隣の部屋にいたというのに、少し人が暴れているような物音は聞こえたものの、悲鳴の一つも聞こえてこなかった。あまりにも静かで思わず本当に殺したのかと確認してしまったほどだ。

「悲鳴など耳にされては…あなた様が御心を痛められるのではないかと危惧致しましたので…」

「そうか…。確かに悲鳴などあまり耳にしたいものではないな」

 少し笑うと、顔を上げたセレンも柔らかい笑みを浮かべる。その頬に血が付いていた。

「セレン」

 じっとしていろと身振りで示し、エリアナは侍女に言って上質な小さな布を出させると、自ら手に取ってセレンの頬から血を拭ってやる。

「返り血など放っておいてくだされば…」

「…返り血であったか…。私はまた…お前が傷を負ってしまったのかと心配したぞ?」

「申し訳ございません…」

 セレンは自分が返り血を浴びるような失態を犯したことを詫びてきたが、そういうことではない。エリアナはもしセレンにかすり傷であろうとも負わせた相手がいるのなら絶対に許すつもりはなかった。既にその相手が死んでいたとしても、恐らく遺体を魔物に食わせるくらいの仕打ちはしたことだろう。

 とにかくエリアナはセレンが愛おしくてならなかった。彼は自分だけの特別な守護者だ。セレンはいつでもエリアナを最優先に扱ってくれる。大切にしてくれる。夫は一度たりとも彼女のことを気遣ってくれたことなど無かったと言うのにだ。

「しかし…兄が家臣達の裏切りに遭っていたとはな…」

 自業自得だとはいえ、エリアナも明日は我が身だと自分を戒める。子供の頃から共に育ってきた使用人、母方の親戚や先祖代々彼らに仕えてきた使用人。誰一人信用できない。彼らはエリアナの持つ権力次第で誰にでも(なび)く。今はあの飛空船の一団を作り上げたことで周りにいる貴族達は恐怖で彼女に従っている。だがデルフィラはもっと恐ろしいのだ。エリアナの与える恐怖など大した力はない。だからこそ今現在手放しで信用できるのはセレン唯一人だと言って良かった。

「彼らの言葉通りにダルチェス様が投獄されているのであれば、城の牢獄でしょう。面会に行かれますか?」

 セレンに訊かれ、エリアナは一瞬迷った。これまでさんざん威張り散らしてきた兄が周りに裏切られて打ちひしがれている様を見てやるのも良いが、彼を王座から引き摺り下ろすという目的は既に達成している。興味本位で顔を見に行って、そこで不快な言葉を投げ付けられるというのも気が進まない。

「ダルチェス様を…恐れておられるのですか?」

「な…⁈ …わ、私が兄を恐れているだと…⁈ 馬鹿な!」

 図星を指されて思わず大きな声が出る。しかし彼の言う通りだ。子供の頃からエリアナは何度もダルチェスから酷い目に遭わされてきた。顔を合わせば意味もなく殴られ、彼女の大切なものは全て奪われ壊された。母からもらった大事な腕輪は湖に捨てられ、生まれて初めて自分で作った羽根ペンは無惨に折られた。抗議したところで誰も『ダルチェスのしたことだ』として助けてはくれない。ずっとそんな関係だったのだ。

 そんな中、見かねたセレンがエリアナにもっと優しくしてはどうかとダルチェスに言ってくれたことがある。今思えばなんと勇気のあることをしてくれたのだろうか。セレンはその時激昂したダルチェスによって近くにあった花瓶を頭に投げ付けられている。花の挿してある水の入った大きな花瓶だ。彼はそれによって頭に大きな傷を負った。ここまで来るとさすがに父王も黙ってはおれず、ダルチェスは一時期謹慎処分となったがむしろその一件以降、彼のいじめ行為は軽減されるどころか陰険さを増したとエリアナは感じてきたのだ。

「今は私がお側におります。それに…今回の面会はダルチェス様にそもそも誰が王となるに相応しいか…それを知らしめるには良いでしょう。あなたはこれからダルチェス様から全てを奪い、乗り越えるのです」

「……」

 彼の言葉はエリアナに果てしないほどの優越感と満足感を与えた。彼女の何十年にも渡る苦しみが報われるだけでなく、ダルチェスへの復讐を果たし更には自らがこれから新しい未来に向けて生まれ変われるのだという希望まで得られる。

「お前も…共に来てくれるのか?」

「勿論です。むしろ…私の方でもダルチェス様にはお伝えせねばならないことがあります」

「……」

 思えばセレンもダルチェスには暴走する魔法生物の巣窟に監禁され、運が悪ければ死んでいたかもしれないのだ。彼の方にも怒りはあるだろう。

「ならば共に参ろうか…。それならば何も案ずることはないな…」

 セレンが側にいればダルチェスの横暴な罵りや嘲りも恐ろしくはない。守ってもらうことを期待しているわけではないが、お互いダルチェスには並々ならぬ怒りと恨みを抱く者同士だ。心を同じくする者が側にいれば心強くもある。

「それでは準備をして参ります」

 セレンは少しだけ笑みを浮かべると、満足したように立ち去っていった。

 彼がいなくなると周りは突然慌ただしくなる。侍女達は急いで登城するに相応しい服をと動き始めたが、エリアナはそれを拒んだ。

「城には私が作った服と弓で向かうこととする。まだ危険がないと決まったわけではないからな」

 彼女は戦いにも使える自分用の服と、様々な魔法の矢を発射することのできる弓も作っている。服は基本的にはセレンに与えた騎士の服と同型同機能のものだが、ローブは透けるように薄く光沢のある高級布に変え、上衣の側面から背面の裾を長くすることで後ろから見るとドレスを着ているように見える。結果的に実際に戦うとなるとなかなか動きづらい服に仕上がってしまったが、遠くから狙いを定めて敵を射る弓であれば大した問題ではなかった。

「それではまるで戦いに向かうようなお姿ですが、よろしいのですか?」

 エリアナの侍従長が控え目に尋ねてくる。彼女はダルチェスの侍従長が辿った悲惨な運命に今もまだ恐怖が拭えない様子だ。

「既にダルチェスは牢の中だ。このような格好で城に入っても最早誰も何も言うことはなかろう」

「それはそうでしょうが…」

 それでもかなり挑発的とも取れる格好で城に向かうことにはなる。侍従長はまだ何か言いたいことがありそうではあったが、結局は何も言わずに立ち去っていった。

 確かに圧倒的な戦力を見せ付け、その後武器を携えたエリアナが現れれば、人々は彼女が反乱を起こしたと思い込むだろう。しかし本来『反乱』とは王に背く者が起こすものであり、王でもないダルチェス相手に妹が反抗したところでそれは果たして反乱と呼べるのか。ましてこちらには将軍であるセレンが付いているのだ。しかもダルチェスは長子でさえない。何をどう取っても王に相応しいのはエリアナだ。誰にも文句は言わせない。何より彼女は自分の作品を華々しくお披露目したかったのだ。

 その後エリアナは身支度を整えると数人の侍女達を従えて飛空船から王都の地に降り立った。既にセレンは近衛騎士達を率いて先に降りている。そこへ馬に跨ったエリアナが現れると彼はすぐさま跪き(こうべ)を垂れた。それに倣って他の騎士達も一斉に彼女に向かって跪く。その一糸乱れぬ動きはブラドやナビルが隊長であった時には一切見られなかったものだ。

「やはり指揮官が変わると騎士達も心が引き締まるようだな? 城下の者達もお前を待ち侘びていたようだぞ?」

 既に周りは人で溢れかえっている。そもそも今まで見たこともない珍しい空飛ぶ船が王都に現れた時点で興味は大いに引いている。そこへ現れた白い服の騎士の集団の中に一人だけポツンと黒い服を着た騎士がいる。そしてその人物の髪がオレンジ色に輝いているとなれば、たとえ15年ぶりであろうと人々は彼の正体に思い当たったのだろう。今やセレンの姿を一目見ようと人々はエリアナの一団に押し寄せているような状況だ。

「勿体なきお言葉…。しかし全ては殿下が私をあの地獄のような場所から救い出してくださったからこそです」

 立ち上がったセレンは笑みを返すと、エリアナの馬の手綱を握るよう近くにいた騎士に命じた。彼女の乗る馬は白い魔法石で作った特製だ。別に手綱など引かれなくとも命令に背くようなこともなければ、突如暴れ出したりすることもない。だが形式として高貴な者の乗る馬は従者に引かれている必要があるだけだ。

 セレンは近衛騎士の一人が手綱を握ったのを見届けると、すぐ目の前に立っている人々に厳しい表情を向けた。

「道を開けなさい。エリアナ殿下がお通りになられます」

 セレンの声はエリアナに向けるのとは全く違う冷たいものだ。その声に人々は一瞬驚いたように彼の顔を見つめてきた。エリアナとしても驚いた。セレンが好意を持って近付いてくる民衆に向けて高圧的な態度を取るのを見たのは初めてのことだったからだ。人々は渋々というよりも信じられないという顔を見せながら両脇に分かれて道を譲った。見ていた他の者達の声が彼女の耳にも入ってくる。

「セレン様はどうなされたのだ?」

「さっきから私達の方を少しも見てくれないわ」

 人々はセレンが自分達の歓迎ぶりに喜んでくれるものとばかり考えていたのだろう。だが彼らの思惑とは違い、セレンはどうやら自分達を煩わしいと思っているらしい。そう気付いた。

 エリアナの一団が進み始めても人々は遠巻きに静かに付いてくる。先程のセレンの態度は何かの見間違えではないのか、そう勘繰るような表情だ。しかし本来、王やそれに追随する将軍などは親しみやすい存在ではない。これくらいの距離感が正しい姿なのだ。エリアナはむしろ満足していた。

 城に近付いていくとさすがにダルチェス付きの近衛騎士達が数人戸惑いながらも前に進ませまいと立ちはだかってくる。彼らはまだ若く、セレンのこともあまりよく知らないのだろう。最早ブラドは逃げ出し、ダルチェスは囚われの身。そして侍従長以下主だった彼の家臣達は既に死んでいる。一体彼らは何のためにエリアナの前に立ち塞がると言うのか。

退()きなさい。将軍の命令です」

「え…⁈」

 セレンがよく通る声で命じれば、彼らは明らかに狼狽え始めた。彼らにとって『将軍』とは役立たずのラッシェルが好き放題に振る舞うためだけの役職だと思っているかもしれないが、さすがにセレンが最後の将軍であったことは耳にしているのだろう。間近でセリノアの一族を見ることさえ初めてである彼らは唖然としながらもとにかくセレンを凝視している。

「し、城には何をしに…? …陛下からは…まだエリアナ様をお通しするよう指示は来ておりませんが…」

 一人の騎士が勇気を振り絞りセレンに問い返す。将軍の命令よりも王の命令。それを踏まえて言い返したのであればなかなか見込みのある騎士だと言えた。だがダルチェスはまだ王ではない。

「ダルチェス殿下は侍従長達の謀反によって城内の牢獄に囚われているとのこと…。それをエリアナ殿下はお救いしようとしているのです。あなた方はそれを阻止するつもりですか?」

「そんな、まさか…⁈」

 セレンの返答に、彼らの狼狽は更にひどくなる。事情を何も知らされずにただ役目を果たそうと思っていただけの騎士達には気の毒なことだ。

「わかったのなら道を開けなさい。それとも…あくまで我々の前に立ち塞がると言うのであれば…」

 セレンが剣を抜き放つと、白いその刀身から魔力が煙のように立ち上る。騎士達は慌てて道の両脇に移動した。

「め、滅相もございません! 我らはダルチェス様にお仕えする身…! ダルチェス様の身に危険が及んでいると言われるのであれば、むしろ我らもあなた様の列に加えてもらいたく!」

 結局はそうなるのだ。やはり権力の臭いを周りは敏感に嗅ぎ取ってエリアナに寝返り始める。しかし彼らは一旦役目を果たそうと踏ん張ったのだから、あの侍従長よりは随分と良い方だ。エリアナは振り返ってきたセレンに頷いてみせた。この先彼らが共に行動すれば面倒事が多少軽減されるだろう。後のことはまた考えるが、現時点で彼らを列に加えることに異論はない。

「ではエリアナ殿下よりお許しも頂いたことですし、先へ進むと致しましょう。あなた方は先頭を歩きなさい。同じように立ち塞がる者が現れたらあなた方が説明し、道を開けさせるのですよ?」

「は、はい…!」

 騎士達は喜んでセレン達を先導し始める。エリアナは漏れそうになるため息を思わず噛み殺していた。

 セレンがいなければ今頃はどうなっていたことだろう。何隻もの飛空船によって戦力的には優っていることは明白だろうが、それはそれで叛逆の意思の表れだと言いがかりを付けられていたかもしれない。むしろ牢に繋がれていたのはエリアナの方だった可能性は高い。それほどエリアナの家臣達は信用に足る人間達ではないし、ここまでダルチェスの家臣達が寝返ることもなかったことだろう。それだけダルチェスが長子として扱われていることの影響は大きかったのだ。だがセレンの存在はそれを簡単に覆した。

 それ以降は居合わせる者が目の前に立ち塞がることもなく、むしろ先導者は増えていく一方だ。城内にいる者達は皆ブラドの不在は知っていてもダルチェスの投獄は誰も知らなかった。そのため行き先は自然に絞られていく。

「やはり…ダルチェス様は王の宮殿から出てはおられないようですね…。であれば考えられる場所は一つしかありません」

「宮殿の地下…か。昔はあの男が多くの人間を送り込んだものだがな…?」

 ダルチェスはそれこそ若い頃から少しでも気に入らない相手が現れたらすぐさま牢に入れた。ほとんどの人間は後になって王によって解放されたが、彼はいじめの一環でエリアナをその牢に閉じ込めたこともある。ダルチェスに大事な魔法工具を牢に置き去りにされ、自分で取りに行けと言われたのだ。仕方なくエリアナが出向くと、その背後で鍵を掛けられた。その時はセレンがすぐにも鍵を開けて出してくれたが、むしろずっと閉じ込められておいて大事(おおごと)にしてしまった方が良かったのかもしれない。そうすれば恐らくダルチェスは王に叱責を受けたことだろう。牢獄は子供同士のいざこざで利用していいような施設ではないのだから。だがそれでも当時のエリアナはセレンが現れてくれたことを素直に喜んだ。後々のことまで考えて、放置されることを望む余裕などなかったのだ。

「因果応報…。あの方にはしっかりと我が身を見直し、悔い改めてもらわねばなりません」

 厳しく言い放つセレンにエリアナは思わず笑みを浮かべた。

「お前のことについてもな? 兄は本当に反省すべきことが山積みだ。しばらく牢に入ったままでも退屈はしないであろう」

 いずれは『最果ての監獄』に送り込んでやるつもりだが、兄であり一時期でも王の代理を務めていた人間を裁くことは今のエリアナにはできない。王の身分となれば彼の処遇も思いのまま、それももう近い未来の話だ。少なくとも暗く冷たい牢獄の中に放っておかれるだけでも、あの横暴な兄にとっては耐え難い苦痛になることだろう。

 エリアナ達は最早誰に阻まれることなく、むしろ導かれる形で王の宮殿に入った。中に入ればさすがに現状を把握している者が多くいたのだろう。彼らは近付いてくることもなく、逃げるように姿を隠していく。侍従長達の姿が見えないことで彼らも自分の身に危険が及ぶかもしれないと恐れているのだ。

「呆れた者達だな…。この宮殿から一人たりとも外へは出すな。兄の状況を見て見ぬふりするような不敬の輩は断罪する」

 彼女の命令に、むしろ城に入ってから付き従ってきた騎士や兵士達が率先して動いた。先程姿の見えた人間達を捕らえるべく走っていく。彼らはこれを機会にエリアナの信頼を勝ち取ろうとしているのかもしれない。

「外を固めなさい。後で列に加わった者達が中の人間を逃す手引きをしないとも限りません」

 しかしそれを見たセレンはエリアナの側近である騎士達を呼び止め、個別に命令を下していく。彼らの配置をあっという間に決めて解散させると残っているのはセレンとエリアナの2人と侍女が数人だけだ。さすがに心許なく感じて周りを見回していると、セレンが近付いてきた。

「ご心配には及びません。何かあれば私がお守り致します」

「…怯えてなどはおらん…。私にも…自衛する術は準備してあるのだからな。しかし…ここはまだ敵地のようなものだ。そんな場所で周りが侍女だけだというのも落ち着かん」

 一応鉄製の豹は側に侍らせていて、着ている服もある程度の攻撃は防ぐことができる。弓は侍女に持たせたままだが、この服は着ている者の動きも素早く力強くしてくれる効果を持つ。素手でもある程度は応戦できることだろう。

「それならば今の内にダルチェス様と話を付けに参りましょう」

「この状況でか? しかし…証人は多い方が良いのではないのか?」

 ダルチェスが王に相応しくないと知らしめなくてはならないというのに、内輪の人間だけで話を付けてしまっては後々問題になりはしないだろうか。エリアナが反論すると、セレンは少し困ったような笑みを浮かべた。

「ダルチェス様が素直に罪を認めてくださるならばそれが良いでしょう。ですが…あの方が正しいことを口にする保証はありませんよ?」

「知らぬ存ぜぬを貫き通す可能性もある…ということだな?」

「その通りです」

 セレンの言葉には説得力があった。罪を告発し何も言い返せなくなったダルチェスの姿を見せられるならば良いが、何を言っても身に覚えがないと言い張られたら厄介だ。エリアナの言い分を疑う者も出てきてしまうかもしれない。

「証人であれば彼女達がいます」

 彼が指したのは周りに控えるエリアナの侍女達だ。その言葉はむしろ『証人』というよりも『共謀者』として指名されたも同然だ。下手なことを見聞きしても外には漏らすなとセレンは圧力を掛けている。漏らした者の末路など確かめるまでもない。侍女達は恐怖に顔を強張らせた。

「…ふむ、確かにそうだな…。わかった。ではダルチェスの元に向かおう」

 エリアナは納得すると地下牢に降りる階段に向かった。宮殿の奥深く、右端にある小部屋が下に降りる階段のある部屋だ。本来ならば兵士が何人も詰めていて、怪しい者が階段を降りようとすれば引き留められる。だが今は誰もいない。ダルチェスを密かに牢に入れるため、侍従長が彼らを追い払ってしまったのかもしれない。

 セレンは躊躇(ためら)いなく階段に足を掛ける。しかしエリアナの足取りは重かった。何も恐れるものはない。側にはセレンがいる。わかっていても、そもそもダルチェスの顔を見ること自体が嫌なのだ。

「エリアナ様、お手を」

 彼女が躊躇っているのを察したのか、セレンが手を差し出してきた。おとなしく彼の手に自分の手を重ねれば、覚悟も決まったのか足が前に出る。そうして2人並んで地下に降りて行けば、不思議なほどに心は軽くなっていた。

 地下は当然暗く、長い廊下には小さな明かりがぽつりぽつりと灯されてはいるが数が足りているとは思わない。真っ直ぐに伸びる廊下の突き当たりには人一人が通れるだけの小さい扉。その扉を開けて中に入れば、奥の方で物音が響いた。

 途中、いくつもある鉄格子の中には誰もいない。あまり使われることがなかったのか、子供の頃に嗅いだ鼻を刺すような悪臭はそれほど漂ってもいなかった。恐らくこの牢に入れられても囚人達はすぐにデルフィラの元に送り込まれたのだろう。そうして久々にここが使われることになった理由が、デルフィラに送り込む側の筆頭を収監するためだったというのは笑えない話だ。

 ダルチェスがいたのは牢の中でも一番奥の独房で、ひどく狭い場所だった。横になるのが精一杯という程度の部屋で、そこに草で編んだ薄い敷物が申し訳程度に敷いてある。その人の大きさ分しかない敷物の上でダルチェスは虚ろな目をして座っていた。エリアナとセレンが鉄格子の向こう側に現れたので、彼はぼんやりと見上げてくる。その様を見た彼女の喉の奥から思わず笑いが込み上げた。

「良いザマだな、ダルチェスよ! お前には今までさんざん苦しめられてきたが、こうして味方に裏切られ、何もかも失った様を見られる日が来ようとはな!」

 エリアナの罵り声に反応したのかダルチェスの目に光が戻ってくる。彼は怒りの形相を浮かべると勢いよく鉄格子に張り付いた。

「黙れこの…無能な王家のお荷物が! 貴様などに打ち負かされるような私では…」

 その時セレンが鉄格子の前に自分の存在を見せつけるように進み出てきた。それを見たダルチェスは恐れるように後退る。

「久方ぶりですね、ダルチェス様。異世界から帰ってきて以来でしょうか…」

「お、お前、セレンか…? いつ戻ってきた…?」

 ダルチェスは驚き、あり得ないものを目にしたとばかりに目を見開いている。

「あなたは私を殺すつもりだったようですが、残念ながらその計画は失敗に終わったようです」

「!……あのガレス人はしくじったか…。そもそもブラドが発案した計画などで、お前をどうにかできるはずもなかったか…」

 エリアナは2人の話にじっと耳を傾けていた。やはりダルチェスはガレス人を使ってセレンを殺させようとしていたのだ。なんということだろうか。しかしこれで彼がモンドレルにセレンを監禁殺害しようとしていたという証言は得られた。

「愚かなことをしたものだな? セレンがいなくばデルフィラに抵抗し得る力は完全に無くなるのだぞ? いくら思う通りになるぬからと言って…、セレンに関しては考えが至らなさ過ぎる」

「黙れ。お前の方こそセレンをどうやって懐柔した? 私のこと同様お前のこともセレンは大層嫌っていたように思えたが…?」

 ダルチェスはエリアナを嘲るような顔で眺めた。そうやって彼女の疑惑や不安を煽ろうとしているのだろうが、セレンからは「嫌っているフリをするしかなかったのだ」と先日告白されている。

「読みの浅い人間には到底想像も付かぬことであろうな? だがセレンは最早私のものだ。いずれは王座も手に入れる。…そもそも貴様は私の『兄』ではなく『弟』。今までのことは良い夢を見ていたのだと全て諦めるがいい」

「!……」

 ダルチェスは自分が弟であると告げられても何も反論してこなかった。彼も以前からそのことは知っていたようだ。だからこそ殊更にエリアナの精神を叩きのめして反抗する気を削いできたのかもしれない。

「さて…話も済んだことですしもう上に上がりましょう。このような場所に長居していては、何か悪い運でも付いてきてしまいそうですからね」

「……そうだな」

 エリアナとダルチェスが睨み合いを続けているとセレンが割って入ってくる。確かにエリアナの伝えたいことは全て伝え終えた。こんなジメジメした薄暗い場所で嫌いな相手と顔を突き合わせていたいわけなど決してない。同席していた侍女達も同じ気持ちだったのだろう。エリアナが頷くと彼女達は率先して元来た道を戻り始めた。

「セレン…、お前一体何を企んでいる? エリアナを手玉に取って国を操るつもりか? 我らがお前の意に沿わぬからと言って、女である妹をたらし込んだのか⁈」

 侍女達の姿が見えなくなると、歩き出そうとしたセレンの腕をダルチェスが必死になって掴んだ。しかしセレンは彼の手を苛立ったようにすぐにも掴み返して自分の腕から引き剥がす。

「企んでいるとは心外です。私には血の制約があり、王家に仇なすことなど不可能なのですよ? それはあなたもよくご存知のはず」

「⁈」

 セレンは言い終えるとダルチェスの手ごと自分の手を握り込む。途端に苦痛と驚きにダルチェスの顔が歪み、彼は呻き声を漏らして崩れ落ちてしまった。セレンは興味を無くしたとばかりに彼の手を放り出すと、エリアナの背中を押してここから出るよう促してくる。ダルチェスの放り出された手の指はおかしな角度にひん曲がり、彼は悲鳴のような呻き声を漏らすばかりだ。肩越しに振り返ってそれを見たエリアナは驚きと恐怖にその折れた指から目が離せなくなる。

 血の制約とは確か王族に危害を加えることのできない魔法ではなかっただろうか。しかしセレンは今ダルチェスの指の骨を何本も容赦なく折ったのだ。命に別状はなくとも“指の骨を折る”のはかなりの敵意だ。それをしてセレンは平気だというのか。だとしたらもしかしたらエリアナを手玉に取って国を操るというダルチェスの言い分も、全くのデタラメとは言い切れないのかもしれない。

 エリアナは牢獄から出るまでの間、一切セレンの顔を見ることができなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ