(1)
ある朝、ダルチェスは使用人の1人に起こされた。寝ている彼が“起こされる”ことなど王代理になって以来初めてのことだ。いつも彼は好きな時間に起きて、のんびりと豪華な朝食を食べ、庭で大好きな狩りを行う。昼食は庭でそのまま食べることが多いが、それを終えると次には訓練場で剣の稽古を行うのだ。と言っても彼の腕前ではもう指導できる者もおらず、むしろ大勢の近衛騎士達に逆に指南するような立場だ。腑抜けた騎士達や剣士気取りの貴族どもを蹴散らしている内に日は暮れていく。それが彼の日常だった。
それなのに今朝は起こされるなり適当な食事を取らされ執務室に連れて行かれた。不愉快極まりなくて一切口も利かずに椅子に腰掛けていると、更に不快な報告を聞かされる。
「エリアナ殿下が王都に攻め込んで来られます!」
「…は?」
目の前にいるのは侍従長と数人の近衛騎士達だ。切羽詰まった様子で今の報告を口にしたのは騎士の内の1人。ナビルは一体何処に行ったのか、ブラドもいないような場所に自分を連れ込んでどうしようと言うのだろうか。ついこの前には姪のファランが危険だと騒ぎ立て、今日は妹。最近の側近達の精神状態は一体どうなってしまっているのか。
「そういう報告はブラドかナビルにしろ。私は忙しい」
「ナビルは降格処分を受け、今はまだ王都に帰ってきてはおりません。ブラド様は先程からお姿が見えず…」
騎士の言い分を聞きながらダルチェスは苛々と机を叩いた。どいつもこいつもどうして簡単に自分に話を持ちかけてくるのか。エリアナが攻めてくるなどあり得ない。何の力もない無能な妹だ。百歩譲ってその話が本当だとしても、攻めてきたところで彼女が王都に攻撃を加えることなどできはしない。この王都は強固な結界で守られているのだ。非力な妹が多少攻撃を加えたところでどうしようもない。騒ぐだけ無駄なことだ。
「ブラドは家にでも帰っているのだろう。すぐに戻ってくる」
彼は何かあるとすぐにデルフィラの指示を仰ぎに家に帰ってしまう。あまりにも些細なことで聞きに行くので、最近のデルフィラは彼を適当にあしらっているようにも見えた。
「話はそれだけか? ならばもう狩りに行っても良いな?」
「なりません! 陛下!」
側近達はまだ彼を部屋から出さないつもりのようなので、ダルチェスは引き留められる前にさっさと立ち上がり歩き出した。出遅れた側近達は慌てて彼の後を追ってきて腕を掴んでくるが、振り払えばそれまでだ。過去には今と同じような状況で引かなかった家臣の1人がダルチェスによって貴族の身分を剥奪され、今では貧しい暮らしを強いられている。そのことを彼らは忘れていないのだ。
これでもう彼らが自分の自由な時間を邪魔してくることはないだろう。そう満足して扉を開ける。しかし廊下に出ようと一歩を踏み出した途端彼の足が止まった。
「…何だ…あれは…?」
廊下の壁沿いは外に面していて、大窓からは城の中の美しい庭園が見渡せる。だが彼の目はその上空をこちらに向かって飛んでくる異様に大きな船の群れに向けられていた。
「陛下!」
あまりの光景に立ち尽くしていると数人の側近達が彼を再び執務室に連れ戻す。しかし未だに衝撃から立ち直れないダルチェスは唖然としたままだった。
「あれが…エリアナ様率いる船団にございます…。昨日の昼頃には既に確認されておりました…」
「昨日の昼頃…だと…? 何故私の耳に入っていないのだ⁈」
ダルチェスは今までの自分の素行などすっかり棚に上げて怒り出した。周りは慌てて弁解する。
「ブラド様に報告致しますと…放っておけと…。すぐにもデルフィラに伝えればネメアを差し向けるだろうと仰られて…」
「ネメアだと⁈ そんなことをすればこの王都が壊滅するではないか⁈」
確かにあの船団に対抗できる力があるとすればネメアくらいだろう。だがこの歴史ある王都の上空であの船団にネメアの群れをぶつけると言うのか。それはあり得ない判断だ。
「それにしてもあの船は何なのだ…? あんな兵器が存在するとは聞いたこともないぞ…?」
あの船団がエリアナのものだとして、空に浮く船など生まれて初めて見た。ただ浮いているだけでも驚きだが数も相当な量だ。あの一つ一つに何らかの武器が備わっているのだとしたら、むしろデルフィラ以上の脅威かもしれない。
「あの船はエリアナ様が自らお作りになったのでしょう…。素材と技術、資金力まで揃えば或いは可能ではないかと思われますが…」
「あれを…無能な妹が拵えたと言うのか? そんな馬鹿な!」
魔法具など少し便利な道具を作る程度のものだ。確かに動く乗り物の動力や家を外敵から守る結界石などは魔法具の技術が使われていると知っている。だがあんな恐ろしげな物をアルカイスト人が作ると言うのか。
「エリアナ様がお過ごしのアネイダスの地には千年ほど前の古戦場も多く残されております。あの方は以前より掘り出した物から技術を解読しているという噂でしたし、部品を転用されているかもしれません。そうなるともうあの船…いえ、飛空船は太古のものと変わりない兵器ということに…」
「……っ」
エリアナとはダルチェスが王代理となって以来、一切顔を合わせていない。本来長子であった彼女がダルチェスに屈することになる結果を受け入れたくなかったのだろうことは明らかだ。ダルチェスも自分の出生に絡む一連の事情を知った時には自らの将来に不安を抱いたものだった。
まだ若かった当時の彼は、焦りからセレンに忠誠を迫ってしまったくらいだ。あの一件以来、すっかりセレンには避けられるようになってしまったものの、人の縁によってダルチェスは最も王座に近い立場を手に入れた。そこから10年以上もそのままなのだ。てっきりエリアナは王位を諦めたものだと思い込んでいた。それが今になってこんなことになろうとは…。
「とにかくブラドを探せ。ネメアであの船を蹴散らせると言うならば好きにさせろ。全てはエリアナを追い返すことが先決だ…!」
ここまでのことをしでかすのなら、もう甘いことは言っていられない。この際ネメアとの戦いで崩壊した王都への責任は全てエリアナに負わせ、彼女のことは早々に処刑してしまおう。それは彼女自身も十分覚悟の上であるはずだ。
「しかしそれでは城下の住民達は…」
「何処へなりと好きな場所に避難させれば良いだろう⁈ そんなことまで私に指示されねば動けぬのか⁈」
こんな大変な時に城下の住民のことまで気を回している余裕などあるものか。生きていても文句しか言わない平民などこの際どうなっても構うものか。
喚き散らしているとひとまず周りからは人がいなくなった。側にいるのは彼の身の回りの世話をする使用人と護衛の2人だけだ。気が済んだダルチェスは執務室の大きな椅子に深く腰掛ける。しかし背後の窓からでもエリアナの率いる船が数隻見えるようになってくると、使用人に命じて窓用の幕を下ろさせた。
「…まったく…忌々しい…」
ただでさえ毎日薄暗い日々だというのに、朝からそのわずかな光さえ遮断する羽目になるなど腹立たしい限りだ。それもずっと馬鹿にしてきた妹の仕業となれば怒りも倍増する。今日はただでさえ狩りも稽古場に行くこともできないのだ。この苛立ちを解消する手段さえない。
暗くなってしまった部屋に使用人が明かりを灯した。手元の小さな明かりが灯されたのを見ると、ダルチェスは発作的にその明かりを壁に投げ付ける。魔法具など今は一つも見たくない。と言っても彼の周りは常に魔法具でいっぱいなのだ。
「この一件…終息した暁にはアルカイスト人の扱いを検討し直さねばならんな…」
役立ち、戦力になるからと言って、彼らは魔力の最も低い人種でありながら王家における地位はヘルドル人やプラニッツ人よりは高い優先順位とされてきた。だがエリアナは反目し、プラニッツ人である姪のファランは食糧で民衆を釣って世間を騒がせているという話だ。一体ここ最近はどうなっているのだろうか。最早彼女達と同じ人種は今後王家と関わりを持てないようにしてしまおう。800年前の王が決めた取り決めだとかどうとか、そんなことは知ったことではない。今生きてミレノアルを統治しているのは自分なのだから。
ダルチェスはそうしてブラドが目の前に現れるまでの間、ひたすら執務室で待たされ続けた。しかし騎士の1人が戻ってくると恐ろしい事態になっていることが判明する。
「……ブラドが…逃げた?」
「…はい。邸宅内をくまなく探しましたがブラド様は昨夜から姿が見えないのだそうです。金目の物は全て持ち去られ、奥方様と御令嬢君は大層困惑しておいででした」
つまり彼は妻子にさえ黙って逃げ出したということだ。
「ラッシェルはどうした?」
「あの方は先日よりセノフォンにてご滞在です」
「またか…」
セノフォンとはミレノアル中の娯楽という娯楽を集めたと言われる街だ。子供が楽しめるような施設から賭場や娼館などの大人向けの娯楽までを全て網羅していて、誰もが必ず楽しむことができると有名だ。ラッシェルはそこの娼館にいる女性に入れ上げ、将軍となってからも直属部隊の面々を引き連れては足しげく通っている。
彼がセノフォンに入り浸る問題は、任命したダルチェスとしてもさすがに容認できかねているのだが、そもそも彼を将軍にしたこと自体がブラドへの機嫌取りだ。ダルチェスからラッシェルに何も注意することはできず、今に至っている。
その後もラッシェルは勝手に貴族でも騎士でもないならず者達を集めて直属部隊を名乗らせ、城内を自由に歩かせている。確かにセレンが率いた直属部隊も似たような者達の集まりだったと記憶しているが、彼らは不思議と城には馴染んでいて特に不快に感じさせられた覚えはない。だがラッシェルの直属部隊は廊下でダルチェスと鉢合わせしても道を譲ることさえしないのだ。しかもダルチェスが何か彼らに命じようとすれば、数人で取り囲んで凄んでくる。とんでもない無礼者達だった。
「連れ戻し…ても無駄か。むしろ厄介事が増えるだけだな…」
ブラドの妻は8年前に彼が娼館から身請けした女性であり、最愛の女性だとよく話していた。後妻だった彼女とブラドとの間に生まれた娘を彼は目に入れても痛くない程の可愛がりようだったが、その彼女達を今回彼は置いていった。出世のためだけに結婚した前妻との息子であるラッシェルであれば、当然何も聞かされていないに違いない。ブラドがいなくなったのであればむしろ彼にはこのまま王都に帰ってこないでいてもらおう。その方が都合が良い。
「しかし…ブラドがいなくなったとなればデルフィラの助力は望めんということか…。わかった。それならばこちらから打って出る。皆、戦いの準備を始めよ!」
「しょ、正気でございますか⁈ あのような兵器を前に我々の力など通用するとはとても…」
「お前達はいつからそのように臆病になったのだ⁈ 最早何の手立てもないのだぞ⁈ ならば最後の一兵に至るまで戦い抜いて果てるのみだ!」
「⁈」
その瞬間、周りの空気が一変した。誰もがダルチェスの顔を見つめるだけで、動こうとはしない。驚きにというよりもむしろ信じ難いとでも言うような顔で彼らはこちらを見ていた。
「どうした? 私の声が聞こえなかったのか? 時間がないのだ! すぐにも準備を始めよ!」
ダルチェスは再度強い口調で命令したが、やはり誰一人動こうとはしない。お互いに目を見交わし、何かを確認し合うような素振りを見せるだけだ。
「お前達…」
「死ぬ気であればお一人でどうぞ。我々はあなた様と共に死ぬのは嫌でございます」
ダルチェスに向き直り、はっきりとそう断言したのは侍従長だった。
あまりのことにダルチェスは言葉も出ない。その間にも次々と侍従長に同意していく側近達。彼らはずっと、ダルチェスが子供の頃から側にいた人間ばかりだ。彼らのことは味方だと、何があっても付いてきてくれるものだと信じてきた。その彼らの顔が今は知らない人間のように冷たく見える。
「あなた様には幼い頃よりお仕えして参りましたが、どれだけ我々があなた様の自分勝手な要望に苦しめられてきたかご存知ですか? あなた様が代理の王となられて以来、貴族でありながら貧しい暮らしを強いられている者、或いは処刑された者も数知れません。しかしそれも全て…あなたを通じてブラドに護ってもらうため…。デルフィラから命を守るためならば仕方のないことだと諦めてきました…!」
「……」
生まれて初めて耳にする怒りの訴えにダルチェスは何も言えずにただ彼らを見つめ返すことしかできなかった。しかし今更そんなことを言われてもどうしろと言うのだろうか。そんなことより今はこの場をどう収めるかだ。
そんな不満が顔に現れていたのだろうか、侍従長はダルチェスの背後に立つ誰かに視線を投げると頷いた。慌てて振り返ったが既に手遅れだ。彼はあっという間に近衛騎士達に体を押さえ付けられてしまった。
「貴様ら何を⁈」
抗議の声を上げても誰も聞く耳は持っていない。訓練場でいつも打ち負かしてきた弱い騎士達によってダルチェスは手を捻り上げられ、簡単に自由を奪われる。その力はこれまで体験したことのない強さだ。そんな馬鹿なことがあるだろうか。ダルチェスは他の騎士達に比べて圧倒的に力は強いはずだ。それなのに何故彼らは自分をいとも簡単に捕らえることができたのか。
「ずっと…敵わないフリをしてきましたが、それも今日で終わりです。…まさか…あなたをこの手で打ち負かす日が来ようとはね…!」
近衛騎士達の勝ち誇ったような声が頭の上から降ってくる。誰もがずっとダルチェスの前では偽りを演じてきたと言うのだろうか。あり得ない。そんなことなど受け入れられない。しかしダルチェスがいくら現実を否定したところで結果は何も変わらない。彼は気が付くと城の地下にある牢に入れられてしまっていた。
呆然と牢の中で座り込んでいると、牢番がやってきて馬鹿にしたように話しかけてくる。
「とうとうあんたも年貢の納め時かい? まあ、まだ王の宮殿内にあるこの牢は比較的身分の高い者が入れられる場所だからモンドレルを越えた先の海上に浮かぶ監獄よりはずっと良い。あそこときたら太陽の光も届かず魔力が全く存在しないんだからな」
別に話し相手など必要としていないというのに、彼は知りたくもない情報を長々と説明してくれる。その『最果ての監獄』は魔法具は普通に作動するようだが、魔法は一切使えないらしい。おかげで体調は万年不調となり、中で働く兵士達は1年で全員交代するほどの過酷さだと言う。当然中に収容された囚人達の獄死は圧倒的に多く、緩やかな処刑だと言う人もいるそうだ。
「あんたも果てはそこに行くことになる」
このまま行けばエリアナが王となり、いずれ彼女はダルチェスのこれまでの行状を裁くだろう。間接的にとはいえデルフィラに協力したようなダルチェスならば、最終的にはあの監獄に送られる運命となるに違いない。そんな恐ろしい彼の未来を牢番は嬉しそうに話すのだ。
「……っ」
牢番の無礼な態度にも、聞きたくない監獄の説明も、何もかも今の自分には止める権利はないのだ。それを思うとただ情けなくなる。更には命さえ捨て置かれた人間のように脅かされることになると言うのだ。
彼はこの先自らに降りかかるであろう災いに恐怖し、頭を抱えて蹲ることしかできなかった。




