(5)
それから彼女が目を覚ましたのは見覚えのあるスィベルの部屋だった。部屋の中は薄暗く、明かりが灯されているようだ。どうやらあれからかなり時間が過ぎているらしい。
「具合はどうだ?」
上の方からショノアがこちらを覗き込んでくる。何でもないと言って起き上がるつもりだったが、体は少しも動かせない。どうやら今回は本当に危険な所まで力を使っていたらしい。
「これ、飲めそうですか?」
スィベルまで寄ってきて薬らしきものが入った容器を差し出された。ショノアが魔法で体を支えてくれるので何とか起き上がり、その薬を飲んでみる。はっきり言って味は良くない。だが少しだけ体が温まってきたような感じだ。
「しかしあのネメアを捕まえるとは…。あなた方は本当に凄いことをなさいましたね?」
スィベルは笑顔で言ってきたが、ファランには心当たりがない。そういえば意識が無くなる直前にそんなようなことをショノアが言っていたような記憶がある。だが未だに信じられずにショノアの顔を見上げた。
「ネメアを捕まえたの?」
ファランとしては意味もわからずに棘花をひたすら育てていただけなので、何が起こっていたのかは全くわからなかった。しかしショノアが頷いたので、どうやら間違いないらしい。
「この世界で無から物体を生み出す力を持っているとしたら…プラニッツ人やディプス人なのかもな? あんたの場合は見ている間に指でつまめる程の小さな種から、街を覆い尽くすような棘花を生み出したんだ。それは俺にもできないことだ」
「……」
相変わらずショノアが何の話をしているのかはよくわからない。そのことと、ネメアを捕まえた今回の話とがどう繋がってくると言うのだろうか。しかし残念ながら聞き返すような元気はまだない。
「しかし捕まえたネメアはどうするんだ? ずっとあのままって訳にもいかないだろう? 他のネメアやデルフィラが解放しに来ないとも限らない…」
どうやら周りが薄暗いのは日が暮れかかっているわけではなく、まだファランの育てた棘花が街の周りを覆っているからのようだ。だとしたら時間はあれからまだあまり経っていないのかもしれない。
「…そうだな…。何処か遠くに連れて行って放すしかないだろう」
「鋼鉄製の棘花に閉じ込められたネメアをか? かなりの重量だし、放す瞬間はかなり危険だぞ?」
どうやらショノアはファランが育てた棘花を鋼鉄に変えてネメアを閉じ込めたらしい。普通の棘花ならネメアは引きちぎっただろうが、さすがに鋼鉄製だとそうもいかない。
ネメアのことは父ユーラッドもよく調べていた。記録によるとネメアは微細な魔物の集まりで、その結合を一瞬解くことによって攻撃を“素通りさせて”いるのだそうだ。魔法に至っては吸収してしまうために避けるまでもない。
では網のような物で捕える方法はどうなのか。そもそもネメアは不定形の魔法生物というわけではないのだ。網の目をくぐり抜けることはできない。だが力の強いネメアが網を食い破らないはずもなく、丈夫にすればその分重量は上がり柔軟性は損なわれる。今度はそんな物をネメアに気付かれずに周りに張り巡らせること自体が不可能になるというわけだ。
だがもし“網”がひとりでに大きく広がっていき、その強度を後で自在に変えることのできる人間がいれば、ネメアを囲んでしまうこともできるのかもしれない。実際に、ショノアはその方法でネメアを捕らえたのだ。
「……ネメアによく…気付かれなかったね?」
頭の良いネメアは周りの棘花が食い破れないとわかるとその場からすぐに逃れようとしただろう。そんなネメアを阻めるほど棘花の生長が速かったとは思えない。
「当然ネメアは気付いていたし、逃げようともしてる。だからこそ余計に深みにハマったんだ」
ショノアはファランに向き直ると、今度こそ今回の仕組みを説明してくれるようだ。
ネメアはとにかくチェリクスの結界を破り、中に入ることに必死だった。だからこそ最初は結界に沿って広がっていく棘花を邪魔だと判断してどうにか棘花を排除しようと躍起になった。その間も棘花は生長を続け、ネメアの背丈を越えるまでになっていく。そこでようやくネメアは自分が棘花に囲まれようとしていることに気が付いたのだ。
「ネメアは棘花の檻から逃げ出そうとして、とにかく引きちぎれる棘花を無茶苦茶に掘り進んだ。で、俺はネメアから離れた場所から徐々に棘花を鋼鉄に変えていって、最終的にはネメアの周り全ての棘花が鋼鉄製になったというわけだ」
もしネメアが逃げようとしなければ、ネメアの周りをかなりの量の棘花が覆うまで待つ必要があった。だが知恵が回る分、まず逃げ場所を確保しようとネメアはショノアの用意した“引きちぎれる棘花の領域”に上手く誘い込まれていったのだ。そこは既に棘花が厚く繁っている場所で、自らネメアは鋼鉄の棘花の中に飛び込んでいったことになる。
「私の力…すっごく役に立ってるじゃない…! ショノアがいてこそだけど…」
話を聞き終わったファランは思わず声を上げていた。本当は飛び上がって喜びたい気分なのだが、残念ながら元気がない。だが顔はすっかりニヤけてしまっているので、ショノアやスィベルにも彼女の喜びが十分に伝わったようだ。
「正直…私もあなたの力がこれほど戦いにおいてまで役に立つものだとは思っていませんでした。これはとても…あなたにとって意義のあることですよ?」
「うーん…そうだよね…。私でも街を守れるんだってわかって本当に嬉しいもの。これならセレンがいなくても…私達だけでチェリクスを守ることができる…」
ファランはすっかり興奮していたが、セレンの名を聞いた途端、スィベルの表情が少し神妙になる。
「セレンのことは…確認できたのですか? やはりただの噂でしたか?」
そう言えばチェリクスに帰ってきたのは何も逃げ場所に相応しかったからではなく、スィベルの依頼を果たすためだった。しかしセレンのことはあまりにも事情が混み合っていて、今のファランには説明できそうにない。
「それは…俺が説明するよ…」
ショノアもファランの困惑に気が付いたのだろう。話が長くなるからと、彼は魔法で作った椅子を二つ並べるとスィベルに勧めた。
「状況は…かなり悪いと言って良い。そもそも目撃情報自体が偽情報だった、とかユーラッドが幽閉してたとかだった方が良かったくらいだ」
「……それはつまり…これから先のミレノアルに影響してくる話ということか?」
「それさえもまだ不明確だ。そもそも誰が何の目的でしたことなのかがわからない。或いはただの事故だった可能性も捨てきれないんだ…」
ショノアはかなり慎重だった。彼が一体本当のことをどこまで話すつもりなのか、それも今のところファランにはわからない。ただ、セレンのことをどうしてショノアが偽物と断言するのかを話す必要は出てきてしまう。説得力を増すためにはいずれ全てのことを話すしかなくなるだろう。それを思うとショノアのことが心配でならない。
「結論から言えばセレンは見つかったが偽物だった。そしてそのセレンは今は恐らくエリアナ王女の元にいる」
「……」
その言葉だけでスィベルはショノアの言う『悪い状況』というのが何かを察したのだろう。彼の顔色が少し悪くなっているように思えた。
「俺はあんたに真実を広めてもらいたい。そうすればエリアナが偽のセレンを使って王になる…なんて事態は避けられるはずだ」
ショノアはスィベルが情報屋であるという立場を利用して、どうにかセレンが偽物だということを世間に伝えたいのだろう。
「あんたの言葉が真実であるという証拠は? 下手をすれば俺はミレノアルを敵に回すかもしれないんだ。その覚悟を決めるには、その情報が真実であるという保証がないとダメだ」
対するスィベルもそこまでする義理はないと言えば確かに無い。そもそも情報屋というものは必ずしもその情報が真実である必要もない。必要なのは売り物になる情報かどうかだけなのだから。
「じゃあ真実だとわかればあんたは情報を広めてくれるのか?」
「……俺は情報操作は専門外だ…。それに…国が相手となると、むしろ俺の情報が握り潰されて終わる可能性の方が高い…」
スィベルはそれでもはっきりとは断らなかった。専門ではないと言いながらも何かをずっと考え込んでいるからには、何か他にあてはあるのかもしれない。だがそれはかなり困難な方法なのだろう。あまりにも苦しんでいる様子なのでこちらが申し訳なくなってくるほどだ。
「…スィベル…、無理しないで良いよ? あなたにはルシェリだっているんだし、ヘルドル人なんだもの。命を狙われたら身を守る術もない。それは…協力してくれるならとても嬉しいけど、それであなたの身にもしものことがあったらそれはそれで嫌だと思うし…」
「私を気遣ってくださいますか? しかし私1人の命を取ったがためにミレノアルが悲惨な末路を辿ることになるかもしれませんよ?」
厳しい顔で見つめてくるスィベルは、自分が協力するかどうかの決断が如何に重いものかを理解しているのだろう。しかし無理はしてほしくない。
「…私の言葉一つ、あなたの決断一つでミレノアルの運命が決まるくらいならどの道ミレノアルはダメなんじゃない? 悪い結果には後悔がつきものだけど…、多分それ一つで運命が決定する…なんてことは滅多にないんだと思うの」
ファランはずっと自分の力を誰にも話さなかったせいで母親を死なせてしまったと後悔し続けた。しかし今は彼女が植物師としての力を公表したとしても、ただブラドの毎日の食事に豪華な一品が増えるだけのことで、母親を助けられたとは考えていない。ゲラントは死んだ仲間達と共に自分も死んでいるべきだったと後悔してきたが、彼がその時に死んでしまっていたら、ファランと出会うこともなかった。ショノアの後悔も結局彼一人の力ではどうしようもない。何よりセレンが過去に行かなければミレノアルは滅亡していたのだ。
「悪いように思えた決断でも…巡り巡って別の誰かの命を助けてたりもする…。だから考えた末のことなら後悔する必要なんてないと思う」
ファランやショノア、ゲラントの3人は皆後悔するような出来事を越えた先で出会った。その出来事がなければそもそも出会わなかった者達だ。だとしたら一体何が“正しい選択”だったと言えるのか。何百、何千年も先まで見通せなければ、誰もその選択が誤りだったと責める資格などないのだ。
「先を見据えて動くことは大切だけど、先ばかり見ていて足下を疎かにはしたくない。だからあなたが自分や家族を守るために沈黙する決断を下したとしても、それも一つの選択。私達にあなたにどうこう言う資格なんてないの」
「……」
ファランの言葉をじっと聞いていたスィベルとショノアは唖然とした様子で彼女を眺めていた。もしかしたら自分は何かおかしなことを言ったのかもしれない。そんな考えも過ったが、今まで彼女がショノアの話やゲラントの話を聞いてずっと考えていたことを口にしただけだ。その言葉には特に何の意図も込められてはいない。
「……あなたは本当に…弁が立ちますね?」
やがて口を開いたスィベルは感心したように呟いた。
「私が?」
驚いて聞き返すと、ショノアも同意するように頷いてみせる。
「そ、そうかな…? お父様と話してるとすぐに口で負けちゃうから…」
弁が立つと言えばユーラッドが有名だろう。彼の場合は屁理屈だと揶揄されることも多いが、1対1で話すならとにかくこちらも理論武装しておかなければすぐに言い負けてしまう。頭の良さにおいてはファランも認める父親なのだ。
「お父上とは普段から会話を? しかし口が利けなかったのでは?」
「10歳になるかならないかの時にね…。私の心で思ったことが声になって出る魔法具を作ってくれたの。でも私が生意気言うとお父様ったらすぐにその魔法具から手を離してしまうのよ? 家出する頃にはほとんど私の声なんか聞く気なかったんじゃないかな」
今思えばラッシェルとの結婚話を伝えられたあの日は随分とまともに会話していたものだ。ファランに話す気力がほとんど無くおとなしくしていたせいもあるだろうが、あの時のユーラッドはかなり機嫌が良かった。もしファランが真っ向から結婚は嫌だと言い出していたら、すぐにユーラッドは魔法具から手を離してファランの意見を黙殺したことだろう。昔からそういう人なのだ。
「それはつまり…最近ではあなたがお父上を言い負かしていた…ということですよね?」
「……そうなる?」
いまいち自分が父親に口で勝っていたという自覚はない。ただうるさいから声を遮断して聞こえなくしていたのだと思ってきたのだ。
「しかもファランは声に自分の熱意…というのかな…、そういう『思い』を乗せることができる。…ファランが国民を守りたいと願うなら、その思いが言葉に込められて皆に伝わる。より感動を呼ぶことができるんだ」
ショノアが彼女の持つ能力のことを打ち明けると、スィベルは納得したように頷いた。
「確かに…、あなたの言葉には時折激しく心動かされますね…。まあ、そんな力など無くともあなたの言葉には元々説得力があります。それは…指導者となられれば支持者を集める力となるでしょう」
「ファランが指導者か…。それは…良いかもしれないな」
ショノアはかなりすんなりとスィベルの言葉を認めた。少し意外でファランは思わず驚いてしまう。
「本当? ショノアもそう思う?」
別に指導者になりたいわけではないが、ショノアに認められるのは素直に嬉しかった。何しろファランにとってショノアは色々と完璧な存在なのだ。
「少なくとも他の王族達に比べたらファランの方がずっと話も通じるし、国民のことは大事にしてる。発想力もあるしな…。何より…立場の弱い人種をあんたは差別しない…」
「…ショノア…」
彼は今このミレノアルで最も危険な立場に置かれていると言って良い。ガレス人でネメアを操るなら何をどう言い訳しようとデルフィラの手下だと思われてしまうだろう。その彼を受け入れたファランの存在は、今や彼の中でかなり重要な位置にあるのだ。
「わかりました。もうここまで条件が揃えば十分でしょう」
ファランとショノアが深刻な顔で黙り込んでいると、突然スィベルが身支度を整え始めた。
「今からオルデナ様の元に行きましょう。あの方も交えて今後のことを話し合うべき時が来たようです。モンドレルで何があったのかも…そこで全てお聞きします」
「で、でもチェリクスを巻き込むのはまだ早いんじゃ…。それは…私達がここに入った時点で手遅れなのかもしれないけど…」
オルデナを巻き込むとなれば、それは完全にチェリクスという街自体がミレノアルと敵対することにもなりかねない。そこまでのことははっきり言って考えが至らなかった。
「モンドレルのことを報告してほしいと依頼したのは私です。ここにあなた方が入った責任を感じる必要はありませんよ? むしろあなた方はネメアを退ける力と民の心を一つにする可能性を示してくれました。これは…オルデナ様から私が依頼されていたことの一つです」
「スィベル…、あなた一体…」
彼の表情はすっかりキリッと引き締まっていて、まるで任務に向かう騎士のような趣だ。情報屋で薬師である彼がオルデナに一体何を頼まれていたと言うのか。彼女のことはただ恐ろしいほどの美女だという話以外耳にしたことがなかったので想像も付かない。
「別に大した人間ではありませんよ? 少なくともあなたが期待するような何かがあるってわけじゃないです。ですがとにかく…行きましょう」
スィベルは少しだけいつもの様子で笑ってみせると、ショノアにファランを運ぶように言った。ショノアが手を差し出してきたのでファランはすっかり慌ててしまい、つい体を彼から離してしまう。
「い、いいって! 自分で歩けるし…」
平気を装うために掛けられていた布を急いで払い除け、勢いよく床に足を付けたが、そのままヘナヘナと座り込んでしまった。
「…ごめん。やっぱり無理…」
「だと思った…」
ショノアの呆れたような声が頭の上から降ってきたかと思うと体が浮き上がってあっという間に異空間の中に運び込まれてしまった。暴れる暇もない。
「……でもこれはこれで嫌かも…」
居心地の良いクッションの山に乗せられて快適なのは確かだが、そうではない。
「…うう…私の馬鹿…!」
あの時差し出された手を素直に握っていたら、もしかしたらショノアに抱き上げてもらったりしたのだろうか。だとしたら惜しすぎる。せめて肩を貸されたり、その場で浮かされて運ばれてでもいたら周りの様子も確認できたというのに、これでは何もわからないではないか。
ファランは自分の不甲斐なさと何とも言えないもどかしさにクッションの一つを頭に被せて突っ伏した。
こんなことではショノアの心を射止めることなど夢のまた夢だ。指導者の器より今は好きな男性の前でも緊張しない自分が欲しいと強く思ったファランだった。
異空間の中にファランが消えていくのを見送ると、スィベルは思わずショノアに声を掛けてしまった。
「あんたさ…、ちょっとくらい女心って奴を理解した方が良いぞ?」
真っ赤な顔をしていたファランは恐らくショノアに抱き上げられると期待していたことだろう。実際スィベルもそれを狙ってショノアにファランを任せた所もあったのだ。だが彼のしたことはその予想を大きく裏切ってきた。
「女心? 俺だって今までに何人もの女性と付き合ってきてる。わかっていないつもりはないが?」
意味がわからないとばかりに返してきたショノアに、スィベルは思わずファランに同情する。人の心の機微には恐ろしく敏感なくせに、恋愛が絡むと途端に鈍感になる。頭の良い人間にはありがちな傾向だ。こういう人間に想いを伝えるにはかなりの労力ときっかけが必要になってくる。ファランは前途多難なようだ。
「あんたみたいな男に抱き上げられたら女性ってのはみんな喜ぶもんだ。それなのに1人で訳のわからない穴の中に放り込むなんて…」
「異空間にはファランは前にも入ってる。不安はないし、居心地は最高にしてある。少しの間でも休息できた方が良いだろう? 彼女にとっては…この先大変な話し合いをすることになるかもしれないんだからな…」
「……」
これはこれで彼なりの最高の気遣いなのだが、そう単純でないのが女心の難しい所だ。だが薬師として意見を言わせてもらえば確かにファランはもう少し休んでいた方がいい。
「それに顔が良いからって何しても許されるってのは女性に対して失礼じゃないのか? 彼女にだって選ぶ権利はある」
だからどうしてそこまでわかっていて選ばれている自覚が無いのか。それとも彼は常に女性の許容範囲内にいるために、それ以上かどうかの判断が付かないのかもしれない。
「何か腹立ってきたな…」
スィベル自身も狙った相手は全て口説き落としてきた人間だ。だがここまで鈍くなった覚えはない。いや、しかし本命のヴァレリアに関しては少しもその心を信用できていなかった。本気でない相手の心はよく見えても、そうでない相手になると途端に愚かになるものなのだろうか。だとしたらもしかしたらショノアはファランのことが…。
「それに俺はきっと…彼女にあまり近付かない方が良い。今後のためにもな…」
ショノアはここに来て意外なことを言い出した。その表情があまりに暗くてスィベルは思わずショノアの肩を掴んでしまう。
「な、何でだ⁈ あんたら2人が揃えば最強だぞ? この街じゃ、ガレス人であっても差別しない。むしろ戦力として頼りにされるだけだ」
突然肩を掴まれたというのに、ショノアは怒った様子もなく静かにスィベルを見返していた。だがやがて「いずれわかる…」とだけ言って先に部屋を出て行ってしまった。
一体何が問題だと言うのだろうか。優れた資質を持つ王女と強力な魔法を操り頭の切れるガレス人。チェリクスでは2人の関係は大いに歓迎されるに違いない。いつだって人々は最強の人間同士を組み合わせたがるものなのだから。
だがとにかく今は2人をオルデナの所に連れて行かなければならない。元々ファランが次にこの街に姿を現したら自分の元に連れてきてほしいと依頼を受けていた。それはオルデナがファランをこの街に匿い、次の王として名乗りを上げさせるためだと聞いている。彼女は密かに他の街や村の代表者と通じ、王政に反旗を翻す勢力を育てているのだ。その指導者にファランを推すつもりでいる。
だがスィベルは内心オルデナには賛同しかねていた。ファランの有能さは初めて会った時からよくわかっていたが、まだ彼女本人の覚悟は少しも固まっていないように思えた。年齢も若く、色々と経験も浅い王女。果たして彼女を指導者に押し立て反乱を起こしたところで、勝てるだろうか。何より彼女は植物を育てることしかできないプラニッツ人なのだ。勝てもしない戦いに彼女を巻き込むことは果たして正しいことなのか。スィベルはファランを気に入っていたからこそ、その決心が付かなかった。
もしセレンがモンドレルで見つかり、彼の協力を取り付けることができたなら、もうそうなれば文句はない。ファランを指導者に、セレンとショノアを戦力に加えて反乱を起こすのだ。そんな期待を胸に日々を過ごしていたスィベルだったが、まるでそれを妨害するかのようにネメアが街に襲いかかってきた。
ネメアの襲撃自体はそれほど珍しいことではない。彼らはやはりデルフィラの従える魔法生物だけはあって、チェリクスがミレノアルの守りの要であるという認識があるのかもしれない。だからこそ彼女がガレスの女王を名乗った当時から度々ネメアはこの街を襲ってきていた。しかし今回のネメアはかなり執念深い。
彼ら魔法生物は基本的には何も食べなくとも飢え死にすることはない。魔法の供給がなければ消滅してしまう場合もあるというが、ネメアに限ってはそういうことはないように思っている。ネメアの研究者によると個体差は多少あるようで、その特徴を踏まえて全国から情報を集めてみたところ、同一の個体が数日間に渡って近隣の街を襲い続けた例もあるようだ。だとしたら街を襲ってきたネメアが何日この街の結界に攻撃し続けるのかわかったものではない。
ネメアがいる限りは街の閉鎖は続けざるを得ず、丸一日が過ぎた頃には子供達はいつ結界を破ってネメアが飛び込んでくるのかと怯え切ってしまっていた。気を紛らわせるためと避難のために、オルデナは屋敷の客室を開放して街の子供達を全て受け入れてくれた。ルシェリもその内の1人だ。今頃は帰宅の準備でもしているかもしれないが、街中の子供達が集まっているからには楽しく過ごしていて帰りたくないと言い出すかもしれない。
何にしても3日に渡るネメアの攻撃は街中の人間を震え上がらせていた。そこへ突然空をトゲトゲの蔓が覆い始めたのだ。だがその棘の付いた蔓のおかげでネメアは攻撃を止め、それきり何の物音も聞こえなくなった。その頃スィベルはたまたま街の正門辺りを歩いていたのだが、あまりにも静かなので外に様子を見に行こうということになったのだろう。何人かの兵士達が門の扉を恐る恐る潜って外に出て行くのが見えた。しかし彼らが見に行った先にはネメアではなく、意識のないファランを抱えたショノアが立っていたらしい。そこで近くを歩いていたスィベルが急遽呼び出されたのだ。
その後、ショノアから大体の事情を聞いたが、ネメアを捕らえたと聞いた時は本当に驚いた。そんなことをしてのけた人間は今までどこにもいなかったのだから。しかしセレンの姿は見当たらない。そもそもセレンがいれば彼らが捕えるまでもなく、ネメアは追い払われていたはずだ。だとしたらセレンを連れ帰ることはできなかったということだろう。
わかっていたことだが、ショノアから事情を聞かされると更に状況が悪くなっていることも判明した。偽のセレンとエリアナの組み合わせなど、結果を見るまでもなく最悪だ。恐らく近々ミレノアルの勢力図は完全に塗り変えられることだろう。そうなると、オルデナの企てている反乱はブラドだけではなくエリアナまでが標的になってくる。しかも彼女には偽物とはいえセレンが付いているのだ。情勢は完全に不利だ。こんな状況で反乱を起こすなど、潰されるために立ち上がったようなものだろう。
だがファランとショノアの2人は協力してネメアを捕らえた。そのことはセレンがネメアを撃退できるのと同じくらい人々の心を掴むに違いない。ましてファランの言葉はスィベルのような人間の卑小な選択でさえ大事な選択なのだと自信を与えてくれた。彼女にもう一度賭けてみようかという希望が湧いてくるのだ。この彼女の声がミレノアル全土に広がったらどうなるだろうか。セレンが偽物であることを暴き、エリアナを失墜させることも可能になるかもしれないではないか。
後はオルデナの蜂起にどれだけの街や村が応えてくれるのか、それ次第だろう。スィベルの持つ情報によれば、ミレノアル中で恵みの神を支持する勢力は無数に生まれている。それらが全てオルデナの同志か、或いは彼女の説得に応じてくれる相手であれば話は早い。あと心配なのは資金面だけだ。今の所、ブラドの圧政によりどの街や村でも貧困に喘いでいる。資金と呼べるものを確保できるのはチェリクスくらいだろう。だがその問題さえ解決できれば、この反乱はミレノアルを一つにまとめるきっかけとなる。
オルデナ様、期待を裏切らないでくださいよ?
スィベルは心の中で祈りながら、やがて辿り着いたオルデナの立派な屋敷を見上げた。いつもながら慎ましやかだが威厳のある良い屋敷だ。門に備え付けられた呼び鈴を鳴らすともう後戻りはできない。
程なく使用人らしき男性が中から出てきて門を開けた。スィベルは一度深く息を吸い込むと、ショノアを伴い中に入っていった。
今回は色々な恋愛話?をば…
エリアナとセレンの関係はまあ…結果は見えてるわけですが、ファランもなかなか難しそうだって話です。
デルフィラとセレンは割と早く想いが通じ合いましたが、何か気にしてるらしいショノアにファランは苦戦必至です。
次回は美人なオルデナも出てくるので更にモヤモヤしそうな予感ですね。あ、でもドロドロにはなりませんよ?




