選択の自由(16)
ギヌラと会話をしているうちに、自然と俺達の歩幅は小さくなっていた。こつこつと響く足音も、少しずつペースを落として行く。
いつの間にか二人並んで歩いているのは、その方が話しやすいから。
目的地であるイージーズの寮に着けば、これ以上話すことはない。そういう話だと思っている。ギヌラの気まぐれは、今日が終わってからも続くとは思えない。
この話は今のうちに終わらせておきたかった。しかし、止まって話すつもりはない。
だから、目的地に着くまでに話をしなければいけない。
それをお互い口には出さないが、なんとなく分かっていた。
代わりにギヌラは、独白を続ける。
「バーでの一件以降、僕の敵は、君になったわけだ。そして僕の目的もまた、スイではなくて『カクテル』をどうにかすることになった」
それまでのギヌラがどうだったのかを、俺は良く知らない。
だが、俺の知っているギヌラは、出会う度にことごとくカクテルを目の敵にする、邪魔な男だった。
大した信念もなく、自分の力でないものに縋る、何も持っていない男に思えた。
……それは俺も──カクテルに頼り切りの俺も人のことは言えないが。
とにかく、品評会のときも、コーヒーを買いに行ったときも、良い印象などなかった。
「父が僕をホワイトオークにやったのは、それから暫くしてだったな」
しかし俺が、そんなギヌラと距離を縮めたのは、ホワイトオークに研修に行ったときのことだった。
恐らくヘリコニア氏が仕組んだのであろうが、俺とギヌラはどういうわけか同じ馬車に乗り、同じ部屋に泊まって研修をすることとなった。
直前に、取っていた部屋が一つ使えなくなったとかで、相部屋になったのだ。
「……本当に、お前と一緒の部屋ってのだけは、無かったな」
「ふん、こっちの台詞だ。そうだユウギリ、なんで元々取ってた部屋が使えなくなったか知ってるか?」
「いや、知らない」
どうやら俺と同じことを思い出したらしいギヌラだが、彼は俺の知らない情報を知っていたらしい。
その事実に、ギヌラが少し優越を感じた顔をして、言った。
「部屋の片づけを依頼されたカップルが、痴話喧嘩で内装を半分、焼いたらしい」
「……部屋を? 痴話喧嘩で?」
「そうだよ。これだから魔法なんて使える奴らは」
特に深い意味があるかと思えば、まったくない。いや、まったくないと思わせて、一周回って魔法の難しさを知った気分になった。
微妙な空気になったのを察したギヌラが、一つ咳払いを挟んで続ける。
「とにかくだ。そのホワイトオークで、君は随分とポーションの勉強をしていたみたいだな?」
「もともとそういう約束だったしな。スイからじゃ、ちょっと基礎を習えないし。基礎を教わる代わりに、俺の『カクテル』の知識を提供するっていう」
「はっ、僕と比べて、随分と余裕のある研修だったな」
ギヌラの嫌味だが、分からなくもないといえばそうだ。
俺とギヌラは、共に同じ研究室に配属された。ホリィ研究室という、尖った若手室長が特徴の研究室だ。
俺はそこで、随分とポーションに関する知識を学ばせて貰った。俺自身が魔法を使えないために、かなり知識ベースの学習ではあったのだが。
ギヌラは俺と違って、随分と様々な雑用をこれでもかと押し付けられていた。朝は俺と同じくらいの時間に出て、そして夜になって帰ってくるころには疲れ果てていた。
泥のように眠っているギヌラに配慮せず、俺は起床時間になったらカクテルの練習をしていたので、随分と恨めしそうに見られたものだ。
……まぁ、それに関しては、ぼそっと感謝のようなことも言っていた気がするが。
「君がお勉強をしている間、僕だって学んでいた」
「……何を?」
ここが話のキモになる気がした。
俺の知るギヌラががらりと変わったのは、ホワイトオークから帰ってからだ。
ということは、ギヌラはホワイトオークで、何か「きっかけ」を得たということなのだろう。
何を学んだと尋ねた俺に、ギヌラはどこか楽しげで、そして少し寂しげな笑みを見せた。
「……僕の……未来を、だ」
ギヌラは、少し言葉を詰まらせながら吐き出した。
一度吐き出してしまえば、それはするすると行き場を求めて外へと流れて行く。
「あの時、君とアルバオは、ホリィ研究室の存続しか見ていなかった。だけど僕は違う。僕が見ていたのは、ホリィやセシルの『外』のことだ。かの天才二人の争いから外れた、室長たちの動きを、見ていた」
言われてみれば、あの時は俺もアルバオも、ホリィ研究室のことで頭がいっぱいだった。どうにかするために、走り回って、ぶっ倒れそうになりながら必死にあがいた。
しかしギヌラは、俺達に協力しつつも確かに一人だけ、外に居たのだ。
外から、俺達の知らない情報を手に入れてくれたのを今でも覚えている。
「……それで、どうだったんだ?」
あの時、ギヌラは俺とは違う視点を持っていたのだろう。そんな彼から見た、ホワイトオークはどうだったのか。
「どこの研究室も必死だった。皆がホリィ研究室の話は聞いていた。かの二人が、共にしのぎを削っていて、万が一にも自分の研究は注目されないだろうと分かっていた。それでも必死だったんだ。追いつくことがないと分かっていて、それでも追いつくために二つの研究室と同じくらい必死だった」
俺は、あの時ホワイトオークで行われた中間発表を思い出した。
あの日の主役はセシルとホリィの二人だったと思う。しかし、二人以外の研究室が成果を出さなかったわけではない。
少しズレていたり、目を見張る成果ではなかったが、それでも確かに何かを成そうと必死だった。
その努力の成果を、どこの研究室もしっかりと出していた。
「だから、彼らは『ホワイトオーク』の室長なんだ。天才では決してない、人より多少才能がある程度かもしれない。だけど彼らはポーション界の大手で研究室を持っている」
「それが、お前の未来、だって?」
「…………違う」
ギヌラは、俺の問いかけに随分と悔しそうな顔をするのだった。
「僕は、子供の時に間違ったんだ」
俺の目の前で、ギヌラが拳をぐっと握りしめた。
今にも泣き出しそうに声を振るわせて、それでもしっかりと足に力を込めて、歩みを止めることはない。
一歩一歩、確かに前へと歩を進める。
「スイに出会ったとき、僕は間違った。僕だけが、あの中で唯一彼女の『理解者』になってあげられた筈だった。ほんの少しでも彼女の『才能』の側に居られた筈だった。それができなかった。必死になれなかった。自分の無能を認めるのが怖かった。そんな根性がなかったんだ」
最初にギヌラは昔話といった。昔話には、二種類ある。
思い出と、後悔だ。
前者は自分の心を温める。後者は自分の心を冷やす。
ならば後悔など、口に出さない方が良いのではと思ってしまう。
だけど後悔は、ある場所で吐き出さないと、もっとずっと重く冷たくなって心に溜まって行くのだ。
だから、たまには吐き出さないといけない。どうせ吐き出すなら、明日には忘れている都合の良い『バーテンダー』相手が最適だ。
俺はギヌラの言葉に、黙って目線を返す。
肯定とも否定とも取れない曖昧な俺の態度に、ギヌラは少しホッとした様子だった。
「僕はホワイトオークの研修で、怖くなった。今の自分がこのまま進んだ先にあるのは『替えの利くお飾り』の役割だけだ。周りの人間に支えられ、煽てられるだけの存在だ」
「……まぁ」
「正直に言えよ。君だって僕のことをそう思っていただろう? 分かっているさ。良い所のボンボン。馬鹿息子。その通りだとも。それが僕だ」
自嘲の言葉を吐くギヌラだが、それは自分を傷付けるだけではないようだった。
「アパラチアン氏は、そんな僕を理解していたようだ。中間発表の日、父から預かっていたという伝言を聞いた」
記憶を辿る。確かにあの日、ギヌラとホワイトオークのトップであるアパラチアン氏が一緒にいたような気がする。
その時に、何かを話していたのか、ギヌラは決意したような目をしていた。
「『今のお前には何も無い。それを認めて、初めてお前は何かを得られる。答えを待っている』」
「それを、ヘリコニア氏が?」
「ああ。アパラチアン氏に託したんだそうだ。僕がその言葉を受け取れるタイミングを見て言って欲しいとね」
ギヌラがこの街に帰ってくるのを決めたのは、つまりそういうことか。
彼は、この言葉を受け止めたのだ。
「認めるのはあまりにも惨めだった。惨めだったが、今が最後のチャンスだった」
ギヌラは、真っ直ぐに俺へと視線を向けた。
そこにはいつもの軽薄さではなく、ヘリコニア氏のような凄味が、ほんの少し宿っていた。
「そうだ。僕は間違った。大した才能もない癖に、そのちっぽけな才能を必死に育てることすらしなかった。普通だったら、このまま馬鹿なトップになって良いように使われて終わりだっただろう。だけど、運命の巡り合わせだけは良かった」
ふっと、それまでの俺を睨みつけるような目線が和らいだ。
彼の視線に、俺は思わず戸惑ってしまった。
今までずっと、俺のことを嫌っていたギヌラの見せた、初めての好意の目だった。
「君が『カクテル』を持ってきた。僕は『カクテル』の近くに居た。他のポーション屋に先んじて、僕が『カクテル』を知っていた」
それから、ふっといつもの憎たらしい笑みに戻るギヌラ。
そのあまりの変わり身の早さに、先程の笑みは俺の勘違いだったかとすら思う。
「自分に何もないと認めたとき、僕の中に残っているのは皮肉にも『カクテル』だけだった。憎くて悔しくて『カクテル』のことだけを考え続けていた。その憎しみの感情が、僕を『アウランティアカで最もカクテルに詳しい男』へと変えていたんだ」
可愛さ余って憎さ百倍、とは良く聞くことわざだが、ギヌラの場合は反対らしい。
憎さのあまりに理解が進む、というのもまたあることなのかもしれない。
ギヌラはずっとカクテルを否定するために、カクテルのことを考え続けた。言い換えれば、カクテルの『悪い所』──『特徴』を良く知っているのだろう。
そして『ホワイトオーク』の一ヶ月──ギヌラと相部屋だった日々は、望む望まざるに関わらずギヌラに『カクテルの知識』を与え続けたことだろう。
「才能などなくても構わない。上に立つ者は、タイミングを掴む『運』さえあれば良い。それだけが、僕を『優秀なトップ』にしてくれる。あとは下の才能ある人間がどうにかしてくれるだろう。僕に必要なのは、その下を理解する『最低限』の能力だけだ」
「それを身につけるために、今必死で頑張ってる、のか?」
今巷で耳にするギヌラの評判。
それは、ふんぞり返るのを止めて、彼の求める『トップ』の役割を果たさんとする、ギヌラの努力の姿なのだろう。
「僕はまだ『替えの利くお飾り』だろうさ。しかし、カクテルを利用してのし上がれれば『無視できない存在』になれる。憎いカクテルの一つや二つ、せいぜい利用させてもらうさ」
ギヌラは、そこで話は終わりだと言うように、ふっと鼻を鳴らした。
もともと、勝手に話し始めたのだ。終わるときもまた勝手。
ギヌラの足音が、再びテンポを上げて行くのが分かった。
それが分かっていて、そこで俺が続けるのはマナー違反だとは思った。
だけど、今の彼になら、一度くらい聞いてみるべきだ。
「なぁギヌラ。もし、お前が望むのなら、オヤジさんやスイに謝って──」
「断る」
俺が和解の提案を口にする前に、ギヌラはバッサリと断った。
夜風の寒さよりも、鋭いひと言だった。
「勘違いするなよユウギリ。僕はお前と仲良しこよしになるつもりはない。カクテルとはいつまでも敵同士だ。僕はカクテルに協力するんじゃない、利用するだけなんだよ」
ギロリと俺を睨みつけるギヌラ。だが、そこにあるのはただの憎しみだけではない。
対面に立ったまま、対極にいる。同等の敵として俺を見ているような雰囲気。
「……君の周りに、カクテルの賛同者はたくさん居るだろう? カクテルにこれ以上味方は要らない。カクテルに必要なのは『敵』だ。それを僕がやってやると言っているんだ」
「……ああ」
そういうことか、という言葉は呑み込んだ。
ギヌラが求めている立場が、なんとなく分かった気がした。
彼は、カクテルをもう認めてくれているのだ。認めた上で、決して認めない立場に立とうとしているのだ。
「賛同の言葉だけでは、成長は止まる。厳しい批判の目にさらされて、ようやく物事は成長する。だから僕はカクテルをずっと否定してやる。否定して批判して、徹底的にダメ出しを続けてやる」
「だったら俺達は、そんな批判にずっと応え続けてやる。欠点はある、でもそれを補う利点がある。改善のための努力を怠らない。カクテルを、人々に認めさせていく」
ギヌラはカクテルの敵になると決めた。いや、敵という言葉はおかしいか。
お互いを否定し、成長して行くための『好敵手』の立場に、立とうとしているのだ。
最初から最後まで、俺とギヌラは敵同士なのに、俺達の関係は変わるのだ。
それから、イージーズの寮の前に着くまで、お互いに言葉を発することはなかった。
本当に語るべきことを語ったら、やっぱり俺達の間には親しげな会話などない。
だが、寮の前に着き、俺を見送り終えたギヌラがさっさと帰ろうとした間際、ぼそりと零した。
「約束通り、今日のことは忘れたまえよ」
俺はそんなギヌラの問いに、ゆるりと返す。
「忘れろも何も、俺達は何か話したか? 酔ってて覚えてないな」
「ふん、それでいい」
俺の返答にギヌラは満足気な笑みを浮かべ、去って行った。
俺もギヌラも、これから慣れ合うことはない。
それでも、お互いこれ以上憎み合うこともないのだろう。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
更新大変遅くなってしまい申し訳ありません。
一章のころから頭にあった設定を、ようやく一つ書き切ることができました。
彼がこの先でもう出ないわけではないですが、これ以上深く彼を掘り下げることも無いと思います。
彼を嫌ってくれた方もたくさんいたと思います。今も嫌いという方もいると思います。
それでも、そんな彼を少しくらいは認めてあげてくださると、幸いです。
もはや「幕間とは」とか言われるほどの長さになっておりますが、間もなく幕間2完結です。
本当に遅くなって申し訳ありません。ですが、もう少々お付き合いいただけると幸いです。
※0725 誤字修正しました。




