『ヴィクター・フランクル』
ギヌラと別れて寮に向かおうと思ったとき、俺を見つめている視線に気づいた。
静かに星の瞬く夜の下、幻想的な青い髪をした少女が、相変わらずぼんやりとした顔で俺を見ていた。
どうやら、昼間から行っていた『銃』の調整が一段落したらしい。言葉を交わさずとも、心地よい疲労が見て取れた。
遠目に見るイベリスの工房の明かりはまだ付いている。気分転換に少し外の空気でも吸いにきたのだろう。
「お疲れ、スイ」
「おかえり、総」
俺が労いの言葉をかけると、スイはそんな挨拶をしてきた。
彼女に言われて、俺はほんのりと笑う。
「なんか、スイにおかえりって言われるの、久しぶりな気がするな」
「うん。だって総はもう、ウチに帰ってこないから」
俺はなんとなく懐かしくて笑ったが、スイは少し面白くなさそうな顔だった。
これはつついても愉快なことにはならなそうだ。すぐに話題を変えた。
「調整は終わったのか?」
「半分くらい? 多分後でもう一回、総に触ってもらうと思う」
「了解」
俺は軽く答えた。もともと俺に手伝えることはない。触れと言われたら触るだけだ。
だが俺の声の調子から、昼間に悩んでいたことのいくらかがスッキリしたと伝わったのだろう。
スイは驚いたように目を丸くし、それから訝しげに俺を見た。
「ギヌラに、何か変なこと吹き込まれたの?」
「なんで?」
「だって、総がそんなにすぐ、その」
昼間、『魔法』としてのカクテルをどうするかと尋ねられた俺は、重く苦しい問いかけを突きつけられた気分だった。
それは周りにも伝わっていたし、スイは俺がもっと悩むと思っていたのだろう。
「まぁ、確かにギヌラと話してふっきれたところはある」
俺の悩みに道を示したのは、ずっといがみ合ってきたギヌラの意見であった。
そう答えると、スイは冗談なのか本気なのか分からない顔で言ってくる。
「ギヌラに嫌がらせをする方向に決めたの?」
「ほんとギヌラ嫌いだなスイ」
俺が苦笑いを浮かべると、スイは冗談を言ったのだと主張するように、ほんのりと口の端を緩めた。端から見れば、ほとんど無表情に変わるまい。
相変わらず、素面だと表情に乏しい少女である。だが、それでもそこそこの付き合いだ。彼女の緩い感情表現もある程度は分かるようになった。
そんなことを思いつつ、俺はふとギヌラから聞いた彼女の子供時代の話を振ってみる。
「なぁ、スイ。スイが最初にギヌラに会った時のこととか、覚えてるか?」
「……? んー? 覚えてない」
「……ギヌラは、魔法の授業で最初に会ったみたいなこと言ってたけど」
「そうなんだ。そもそも、魔法の授業なんて真面目に受けた覚えがないから」
ギヌラが後悔と共にしまっていた出来事を、スイは、ぼんやりと昔を思い出すように言った。
これこそがギヌラの間違いなのだろう。ギヌラは間違ったからこそ、スイの記憶はこの程度なのだ。
もしギヌラが、最初にスイに寄り添っていられたら、彼女もギヌラとの出会いを忘れることはなかったのだろう。
だが、間違った選択を、後になって正すことは、できない。
「それがどうかしたの?」
「いや。気にしないでくれ」
「ん」
興味本位で聞いてしまったが、ここから先は俺が首を突っ込む話でもあるまい。
関係修復をギヌラが望みでもしない限り、余計なお世話になる。
俺の話が終わったと見たスイが、今度はこちらに尋ねる。
「それで総。どうするって決めたの?」
スイの質問は単刀直入だった。夜に浮かぶ星の光のように真っ直ぐだった。
彼女は俺の顔色を窺うようなことをしなかった。
誤魔化して、やんわりと聞くこともできるだろうに。真正面から聞いてきた。
自分もまた『カクテル』に向き合っているという矜持があるからだろう。だから、俺の選択をしっかりと受け止める姿勢でいるのだ。
そんな彼女に、俺はしかし、すぐには答えなかった。
「あの『試作銃』さ。『試作銃』ってずっと呼ぶのは可哀想だと思わないかな?」
「え?」
唐突な話題変換に、さっきまでやや固い顔をしていたスイが、気の抜けた声を出した。
俺が指した『試作銃』は、俺が昼間触ったあの『黒い銃』のことだ。
試作段階とはいえ、この世界で初めて完成した、カクテル専用の『魔法装置』。
飲み物のカクテルではない、魔法としてのカクテルの、最初の一歩。
「せっかく生まれた最初の銃だから。これから生まれるかもしれない、これからの銃の原型になる。一番目の銃だから」
「……これから、ってことは」
遠回しな言い方だが、俺の意思は確かにスイに伝わった。
俺は銃の設計図を破棄しない。積極的に広めるつもりはないが、形として確かに残す。
飲み物としての、カクテルだけでは救えない人が居たら。魔法であれば救える人がいたら。
その人を救えるように、そのための方法として残す。それが、俺の選択だ。
「……分かった。それで、名前?」
「ああ。名前」
スイは深く突っ込んではこない。俺が最初に口にした話題に乗るようにする。
この世界に生まれた、最初の『魔銃』だ。何か、特別な名前をつけてあげたい。
そう思った俺は、頭の中に浮かんでいた一つの名前を、口走った。
「『ヴィクター・フランクル』」
スイは、俺が唐突に発した名前に小首を傾げる。
聞いた事のない響きだったからだろう。
「それは、総の世界の単語? どういう意味の言葉?」
もともとは、人名だ。俺が説明するのもおこがましい程の、凄い人の名前。
だけど、俺はその人を良く知らない。
それでも、その人の名前が今、自分の口から零れた。彼が何を成した人なのかも知らないまま、鳥須伊吹が昔言っていたひと言にあやかって。
だから人名とは少し違う。俺がこの名前に込めた意味は。
「『選択の自由』」
俺の答えに、スイは合点がいったと頷いた。
「状況に合わせて、カクテルは色んな材料が選べる。当然それは魔法利用にも言えること。だからカクテルという魔法には、選択の自由があるってこと?」
スイの言葉に、俺は曖昧に微笑み、頷いた。
そういう意味に取られるだろうなとは思っていたし、そういう意味を否定する気もない。
自然に言葉の響きを取れば、その通りになるだろう。それもまた、カクテルの一側面であることに違いはない。
だけど、俺が込めた意味とは少し違う。
『選択の自由』は、それを受け取った人間が、それをどう扱うかを選ぶ権利があるということ。
そして俺はそれを正しいことに使って欲しい、と思う。カクテルを知っている人だろうが、知らない人だろうが、間違った触れ方をしてほしくはない。
何が正しいのかを示し続けるのが、バーテンダーである俺の仕事だ。
願いと戒め。誓約と制約を込めた名前が『ヴィクター・フランクル』だった。
「俺は、これから先も『銃』を使う必要がない世界なら良いと思う」
「うん」
静かに、スイが相槌を打った。
「だけど、もしこの先『銃』が広まったとしても、構わない。俺はそれを正しいことに使って欲しい。スイが最初に語ってくれたように『カクテル』は誰かを救う手段であって欲しい」
「うん」
もう一度、スイは無表情で相槌を打った。
「そして『バーテンダー』は、いつだって誰かのために『カクテル』を作って欲しい。それが俺の出した、結論だった」
「うん」
三度、スイは相槌を打つ。俺はちょっとだけ不安になった。
「……ちゃんと、聞いてるか?」
「聞いてるよ」
俺が確認すると、スイは心外だとばかりに少し唇を尖らせた。
「私も、同じ事を思う。私が総の『カクテル』に救われてきたみたいに、どんな形でも良いから『カクテル』に救われる人が、居たら良いなって」
そう言って、スイは尖らせていた唇を元に戻す。
いや、元に戻してからさらに、ゆるく端を持ち上げる。
今日はギヌラの笑みに驚かされたばかりなのに、もう一度驚くことになった。
「だって、私も『カクテル』が好きだから…………うん。好き、だから」
スイが、いつもの無表情ではなく、あまりにも分りやすい笑みを浮かべていた。
青い髪が流れて、鼻先に甘い香りが届く。もともと整った顔立ちの少女の魅力が、表情の違いでより強調される。
トクンと、心臓が跳ねたような気がした。同時に、ズキンと胸が痛んだ。
俺はどうして良いのか分からなくて、なぜか顔をしかめてしまった。
「……なに、その顔」
俺が良く分からない顔になったからか、スイがまた訝しげに俺を見る。
しかし、何故か俺の頭からバーテンダーらしい応対が吹き飛んでしまった。上手く言葉がまとまらず、思ったことがそのまま口をついて出る。
「え、いや。なんだろう。ごめん。なんかすごくスイが綺麗だったから」
「な、なに急にそのお世辞?」
「いや、お世辞じゃなくて。本当に、その、綺麗だったから」
俺の言葉に、スイは照れたような怒ったような顔をする。だが、俺も似たような顔をしている。
いつもは出さないように意識しても勝手に出てくる褒め言葉が、無性に恥ずかしい。
で、俺が恥ずかしがっていると、それが伝播したみたいに、スイも更に恥ずかしくなるという循環である。
お互い、どうにもならなくなる前に、スイが勢い込んで言葉を出した。
「とにかく! 私は『カクテル』が大好きだから」
「……ああ、ありがとう」
「だから、総」
スイは真っ直ぐ俺を見る。
手元にグラスはないが、いつもの【ジン・ライム】を持つように手の形を作り、それを俺に掲げてきた。
「これからも、よろしくね」
言ってスイは、また、分りやすく微笑んだ。
だが、今回は慌てなかった。彼女がグラスを持つ素振りをしたおかげで、バーテンダーとしての俺が、しっかりと表に出てくれた。
「こちらこそ。よろしく」
そして、二人で幻のグラスを打ち鳴らした。俺達の中でなんとなく特別になっている、手抜きの【ジン・ライム】が入ったグラスだ。
二人して飲み干す所作までもやって、おかしくなって笑った。
スイはもう一度、イベリスの工房に戻ると言い、俺も様子を見に行こうかと提案したが、それは却下された。
俺を呼ぶときは、最後の仕上げと決まっているらしい。
俺とスイはそこで別れ、俺は自室に戻ることにした。
スイと離れてからも、彼女のらしくない笑顔がどうにも頭から離れなかった。
「…………乾杯」
自室の床に仰向けに倒れ込み、誰に向けたのかも分からない幻の盃で、そっと空を切る。
声は、グラスに垂らしたシロップのように、静かに空気に溶けていった。
今日は濃い一日だった。色々なことがあった。
だけど、明日からはもっと色々なことが起こるだろう。
それら起こる全てを楽しむほどの達観は、俺にはまだ無い。
だけど、目を背けずに向き合うくらいの覚悟はある。今日、出来た。
俺はこれから先、さらに『バーテンダー』らしく『カクテル』の道を開く。
それが『試作銃』に『選択の自由』という意味を与えた俺の仕事だ。
「……それも、明日から、か」
誰に返事を求めるでもなく、俺はもう一度、呟いて目を閉じた。
いつの間にか俺の意識は、まどろみへと溶けていく。
そんな中、ふいに誰かのイメージが浮かぶ、俺はその人に手に持ったグラスを掲げた。
だけど、その人が誰なのかは、どうしてだか分からないままだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
またしても一話が長くなってしまって申し訳ありません。
今回で幕間その2はおしまいになります。
もしかしたら、ここで終わり? という感想を抱くかもしれませんが、
もともと、幕間2はこれまでの設定をある程度回収するのと、最終章に向けた準備が目的でした。
あくまで、幕間の中では小さな区切りが複数あって、六章に繋がる話で終わる予定でしたので、
ひとまず今回のところを幕間の区切りとしたいと思います。
そして、次の本編から最終章になる六章に入る予定です。
ただ、今現在、少し私生活の方が忙しく定期的な更新ができないでおります。
そのため、六章の開始はある程度プライベートが落ち着いて、書き溜めもできて、定期的な更新が
行える目処が立った段階で、と考えております。
具体的な六章開始予定はお知らせできませんが、目標では七月中、遅くとも八月には開始できればと思っています。
六章は今までの変化にも増して、大分毛色の違う展開になります。
分かる人には分かる言い方になりますが、作者のもう一つの作品寄りの雰囲気になる予定です。
あくまでジャンルはファンタジーということで、そういう終わり方にもなるかと思います。
それでも良いと、主人公達の行く末にお付き合いしていただけるのならば、幸いです。
改めて、ここまで読んで下さってありがとうございます。




