選択の自由(10)
「あら、じゃああなたが『カクテル』の。言ってくれればよかったのに」
「あはは、すみません」
ギヌラと出会ってそれからどうなったかと言えば、まぁ、どうにもならなかった。
店に入った瞬間にギョッとしたギヌラだったが、いらっしゃいと笑顔で言われて、帰るに帰れなくなったようだった。
そのまま流されるように嫌々俺の隣に坐り、俺とギヌラの面識があるような態度についてを尋ねられ、で俺の正体がバレた。
正体と言っても『街で噂のカクテル関連の人間』程度にしか認識されず、あれこれ詮索されなかったのはありがたかった。
「それでギヌラくんはどうするの?」
「……今日のおすすめを」
「はい。かしこまりました」
空気を読まない──あるいは、抜群に空気を読んでいる女性に促されて、ギヌラは極力そっぽを向いたまま注文をしていた。
そして、料理の前に一杯のエールが運ばれてきて、ギヌラはそれに手を伸ばす。
「あら、せっかく会えたのに乾杯しないの?」
ギヌラが一人口をつけようとしたところで、女性は不思議そうに尋ねていた。
分かっているが、認めたくないと言う顔で、ギヌラは返す。
「誰と?」
「隣のユウギリさんと」
「冗談じゃないよ」
ギヌラはそこで、やっと俺の存在を認めるように、俺を睨む。
「ユウギリとは面識があるだけで、友達でもなんでもない。そんな奴と乾杯をする意味はない」
「あら、友達としか乾杯しないなんて寂しいじゃない」
「と、友達としかしないわけじゃないけど、このユウギリとはしないんだ」
ギヌラは確固とした感情で俺と乾杯はしたくないらしい。
だが、俺は以前こいつと乾杯をしたことがあった。彼がこうまで頑なに拒否している理由は、なにかあるのだろうか。
そう思っていると、料理ができたのだろう。奥でフライパンを振るっていたご主人が、盛った皿を手にギヌラに尋ねる。
「あ、もしかして、ギヌラくんがいつも言ってる『負けたくない人』が、彼なのかな?」
その発言の瞬間、空気が凍り付き、ご主人が皿を置いた音がやけに響いた。
だが、その沈黙も束の間、ギヌラが顔を引き攣らせて言った。
「は、はぁ!? ぜ、ぜんぜん違うし。というか僕はそんな話してない、し」
「え? でも、最近有名な『カクテル』の人で『ポーション側の自分としては──」
「こらあんた。せっかくギヌラくんが意地張ってるのに、天然で掻き回すんじゃないの」
女性は掌で軽くご主人をどついた。ご主人はごめんごめんと、ちょっと苦笑いで奥に戻る。ギヌラの注文に取りかかるのだろう。
というか女性のほうは、ご主人とは違って初めからギヌラをからかうつもりがあったらしい。優しい顔をして、なかなか食えない人だ。
蚊帳の外になりながらも、そんな三人のやり取りを眺めていると、ギヌラは思い出したようにまた俺を睨む。
「だから違うからな! ユウギリお前、そんな目で僕を見るな!」
「そんな目ってどんな目だ?」
「だから、その、子供を見るような目をやめろ!」
ギヌラは悔しそうに口元を歪ませながら言った。
自覚はないが、俺はそんな目をしていたのか。少し目頭を揉んで、ギヌラに向き直った。
「とりあえず飲んだら? 俺は別に乾杯しても良いけど」
「……ちっ」
俺の態度があまりにも普通なのが気に入らないのか、ギヌラは露骨に舌打ちをして乾杯をせずにエールを口にしようとした。
だが、途中で動きが止まる。この店の店員二人、女性は楽しそうに、ご主人は心配そうにギヌラを見ているのに気づいたからだろう。
ギヌラはまた嫌そうな顔になるが、ふん、と鼻を鳴らして俺に向き直る。
「……心底嫌だけど、ま、僕は心が広いからな。初めての客くらいには乾杯してやる」
「え、奢ってくれるのか?」
「そんなことは言って無い!」
俺がおちょくるように言うと、ギヌラはキッと俺を睨みつつ、グラスを向けてくる。
それに頷いて、俺もまたグラスの高さを揃えた。
何か良い事は、と俺が癖のように聞く前に、ギヌラはそっとグラスを前に出す。
「この店に」
ギヌラの付けた言葉が、俺は何故だか嬉しかった。
この店は決して俺の店ではない。ここはギヌラの行きつけの店で、そして店にとってもギヌラがここの常連だ。
だからここは、ギヌラの居場所なのだ。そしてギヌラは、この店に乾杯する程度に、自分の居場所を気に入っている。
彼にそんな場所があるという事実が、そこはかとなく俺を嬉しくさせたのだ。まぁ、ウチは出禁のままだけど。
「この良いお店に、乾杯」
「乾杯」
俺がギヌラに合わせても、やっぱり彼は不機嫌そうだった。
だが、心配そうにこちらの様子を見ていた二人は、そろって少し安心した様子だったので良いのだろう。
ただの新規客である俺も、ひとまずはこの店に居ることを認められた気分だった。
「じゃあ、ギヌラが来るようになったのは、去年の冬くらいからなんですか」
「そうなのよ。いつも一人でふらっと来るの。今日みたいに」
「余計なことは言わなくて良いから」
ギヌラが弱々しく抵抗するが、女性はおほほ、と上品そうに笑って誤魔化す。
反対に、ギヌラは唇を尖らせることで不機嫌を強調するのだが、あまり強くは言ってこない。
それが分かっているからか、女性は語る口を止めずに、昔のギヌラの話をする。
「最初に来た時はね、もっと不機嫌そうだったのよ。今もだけど、今よりももっと不機嫌そう。でもそれが緊張のせいだってことはすぐ分かったの。だから笑顔で話してあげたんだけど、それでもずっと不機嫌そうなの」
最初にギヌラが来たときは、色々と話しかけても、あまり良い返事はなかったそうだ。
そういうお客さんには、俺もとても心当たりがある。どんな話題を振っても不機嫌そうで、しかし話しかけるなとは言わないお客さんだ。
そして、そんなギヌラに女性は、ダメだと思いつつも話しかけた。
「結局あんまり会話は弾まなくて、これはダメかなって思ったんだけど、去り際に『また来る』なんて言うから。ああ、この子はこういう子なんだなってねぇ」
「分かります。ギヌラって、分かり難いくせに良く分かりますよね」
「本当にね」
「人を天の邪鬼みたいに言うな」
俺と女性がギヌラトークで盛り上がると、脇のギヌラはエールをチビチビしながら一々と嫌味を投げてくる。
だが、声の響きからすると、本当に嫌だ、というよりは、単に気恥ずかしい感じだろうか。
「後から聞いたらね。実はちょっと前に、色々な店を荒らして回ったから、怖かったんですってね。追い出されやしないかって」
「あー、なるほど。確かにウチの店では出禁ですからね」
「あらそうなの、ウチもそうしようかしら」
「……………………」
「もう。冗談よギヌラくん。ギヌラくんが来なくなったら困っちゃうわよ」
この、中年女性特有の厚かましさと優しさが同居した感じはなんなのだろうか。
ギヌラはその実、俺達の会話に一喜一憂しているのが良く解る。同じような不機嫌顔でも、女性が出禁と口にしたとき、それも仕方ないみたいな諦めた表情になった。
その気配を敏感に察知して、安心するように言う女性の技術。やはり店に小さい大きいは関係ない。店が続いている、ということは、そこに魅力的な店主がいるのだ。
顔見知りになってしまったお店ではあまり味わえない、勉強している感覚が甦る。
「というか僕の話はどうでも良いんだよ。言われなくたって来たきゃ来るし、気分じゃなきゃ来ないだけなんだから」
照れ隠しのように、ギヌラが強引に話を切った。
そうなると、俺も女性もそれ以上語る事はせずにギヌラの言葉を待つ。果たして彼は、自分に視線が集まる状況で、俺に向かって尋ねた。
「ユウギリ、お前はどうしてここに来たんだ?」
「……それは、まぁ」
先程までとは反対の立場になって、今度は俺が言葉に詰まる番だった。
だが、俺が何を言うでも無く、この場所に俺が来た理由をギヌラ以外は知っている。
そして、これまたギヌラの分の注文を作り終えたご主人が、皿を置きつつさらりと言ってしまう。
「何かお仕事のことで悩んでるんでしたよね。歳は近いんですし、いっそギヌラくんに相談してみるのはアリなんじゃないです?」
「こらあんた。ユウギリさんとギヌラくんの微妙な関係を見たら、言いたくないことくらい分かるでしょう」
「え」
ご主人がまた女性にどつかれているが、今は主人の身体の心配はいい。
俺が否定をしなかったので、ギヌラにもなんとなく俺の来店理由が伝わっただろうか。
俺には悩んでいることがあり、なんとなくこの店に吸い寄せられたということが。
「……悩み、ね」
ご主人の言葉を軽くギヌラは復唱していた。
もしかしたら、俺の弱みの一つでも握るために、積極的に突っついてくるかもと身構えた。だが、そんなことはなかった。
ギヌラは俺が悩むというのを馬鹿にせず、ふん、と吐き捨てる。
「言っておくが、僕はお前なんかの相談に乗ってやらないぞ。僕は僕で考えることがあるんだ。一々、君なんかの悩みに付き合っている暇は無い」
「ま、期待はしてないけど」
それはそうだ。俺とギヌラは互いに悩みを話し、相談するような間柄ではない。
むしろ、お互いがお互いの悩みになるような間柄だ。二人で悩みを相談し合っていたら、片方を亡き者にしたくなるかもしれない。
そう思って、俺は手に持ったエールをさっさと飲み干してしまおうと思った。これ以上俺がここに居ても、ギヌラの居心地が悪いだろう。
「ただし」
そう思っていた俺の行動を、ギヌラは言葉で止めた。
相変わらずそっぽを向いたまま、つとめて感情を排したような声で続ける。
「お前が勝手に悩みを話すことを止める気もない。お前は気が済むまで話せば良い。お前の悩みの一つでも聞けば、酒のつまみにでもなるだろう。その後に、独り言の一つでも言うかもしれないし」
あまりにも回りくどいギヌラの言い分に、俺は呆れを通り越して笑ってしまった。
そう思ったのは、俺だけではなかったらしい。
「ギヌラくん。素直に相談に乗るって言えば良いじゃない」
「相談に乗るなんて話はしてない。ただ勝手に喋るのを聞くだけだ」
ギヌラの訂正に、女性は苦笑いを浮かべていた。
そんな二人のやり取りを見て、俺は思っていることがあった。
イージーズでは、俺はマスターで、バーテンダーだ。だけどここでは、多少素性がバレたがバーテンダーではなく、ただの客だ。
今の俺がただの客ならば、悩みの一つや二つ口にして、場を暗くするのも許されるかもしれない。
俺がまだ少し心の中で迷っていると、再び俺に向き直ったギヌラが、急かすように俺を見て言った。
「どうしたんだ? 黙っているのなら僕は勝手に飲んでいるぞ」
「分かったよ。ちょっとだけ、聞いてくれ」
「聞かない。だから勝手に話せ」
「……ふふ、そうだったな」
結局俺は、ギヌラの前で独り言でも呟いてみようかと思った。俺達に遠慮はない。詳細を語る必要もない。喩え話として通じれば良い。
今までもこれからもいがみ合っているギヌラに、俺はほんの少しだけ、自分の心情を吐露することに決めた。
※0518 表現を少し修正しました。
※0724 誤字修正しました。




