選択の自由(9)
結局、俺は店に長居することはなかった。
もともとは、サリーの調子を心配して向かったところが大きい。それが確認できたのだから、長居する必要もない。
なにより、いくら心休まる場所だと言っても、考え事をするには顔見知りが多過ぎる。
というわけで、今日は早々に邪魔者は退散して、あとは若いバーテンダーに任せることにしたのだ。
「…………さむ」
外に出ると、秋から冬へと移り行く空気が身を包む。カクテルを飲んで多少は身体が火照っているが、あまりじっとしていると風邪をひきそうだ。
あてもなく、ぼうっとした足取りで歩を進める。考え事なら自分の家でやるのも良いが、それだとどんどん思考が詰まりそうだった。
夜はまだこれからという時間、街を行く人々の数もそれなりに多い。
大勢の人と、それに混じって少数の亜人。寒くなってきた気温から逃げるように、みなが身を縮めている。
「…………」
人々から目を反らし、夜空に目をやる。
トライスと会った日が満月だったから、今日は6/8ムーンくらいか。そういう表現をすると、伊吹はよくゲーム脳だのなんだのと言ってきたものだ。
過去を思い出して、自然と口元が緩む。と同時に、ずくずくと悩みが首をもたげる。
今はこの世界のこれからのことを考えているというのに、昔を思い出している余裕があるのかと。
「……ん?」
そうやってフラフラ歩いていたところで、一つの看板を見つけた。小さな路地に入ったところにある、目立たない看板。だが、そこに書いてあるのは、飲み屋を現すコップだ。
この区画の飲み屋にはだいたい挨拶をしたつもりだったが、俺が知らない店があった。
こぢんまりとした佇まいで、入口は素朴な木製。どことなく温かさを感じる雰囲気と、失礼だがあまり人が居なさそうな気配を感じて、気づいたら店のドアを開けていた。
「いらっしゃい」
扉を開けたところで俺に声をかけてきたのは、優しそうな顔をした中年女性だ。
彼女の態度から、彼女は俺のことを知らないのだと分かった。咄嗟に取り出そうとしていた営業スマイルを、なんとなくやめた。
「こんにちは。大丈夫ですか?」
「ええ。見ての通り今日は空いてるから。むしろ帰られたら困っちゃうわ」
「でしたら、遠慮なく」
俺の返事に、女性は気を良くしたように頷き、カウンター席へ案内する。
イージーズよりも大分狭い店だ。カウンターが六席に、小さなテーブル席が二つ。これが東京だったら、隠れ家的な店とか、秘密基地みたいな雰囲気とか言われることだろう。
カウンターに座ると、中に居る主人とも目があった。お互いが軽い会釈をする。これまた優しそうな目をしていた。
「メニューとかはありますか?」
「ごめんなさいね、ウチはそういうの無いのよ。その代わり、今日のオススメはこちら」
女性の指した先はカウンター上。そこに小さなクリップボードのようなもの。
手書きのメモが張り付けられ『本日のメニュー:ポテトサラダ、ポテトとベーコンの炒め物、ポテトとオニオンのスープ』と書かれていた。
あまりのポテト押しに、思わず笑ってしまった。
「ごめんなさいね。あの人が安かったからってまとめて買ってきてしまって」
「いえ、なんかすっごく素朴な感じで。とりあえずメニュー一皿ずつと、あとエールを」
「はい。かしこまりました」
女性のふんわりとした態度に、抑えようとしても微笑んでしまう。
それからすぐに、注文の一杯が運ばれてきて口をつけた。
この店のエールは外気で冷やしたくらいのほんのりとした冷たさだった。基本的にはガンガンに冷えているのが好きなのだが、今はこれくらいで丁度良かった。
じんわりとした苦さが、舌の上に広がって行くのが、より感じられる。
そうしていると、すぐに二皿ほどが目の前に現れた。
「こちら、サラダとスープ。出すだけ、と、温めるだけですけど」
「いえいえ。いただきます」
フォークも一緒に受け取って、料理に手をつける。ポテトサラダはマッシュしたものではなかった。カットしたゴロゴロのポテトと根菜、それにブロッコリーのような野菜を塩胡椒ビネガーで和えたものだ。
さっぱりとした味わいが、エールの苦みを程よくスッキリさせてくれる。
スープの方も、これまたポテトと根菜、それにタマネギがメインで、ビシソワーズではなくコンソメ風だった。
どちらの料理も、どことなく家庭的な味付けで、温かい。
「美味しいです」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ」
素直に感想を述べると、女性は本当に裏表なさそうに笑う。視界の奥のほうでは、料理を作っているご主人も、やや肩を動かして嬉しさを表現している。
そんな仲睦まじい二人の様子が、これまた肴になってグラスが進むというものだ。
「今日はどうしてウチにいらしたの?」
暫く経つと、女性は世間話を振るように尋ねてきた。
「ちょっと考え事しながらブラブラしてたら、たまたま目について」
「そうなの。それじゃあんまり話しかけたら邪魔かしらね」
「いえ、全然そんなことないですよ」
女性が分りやすく困った顔をしたので、俺は咄嗟に否定していた。
「一人で考えると詰まりそうだったので、誰かに、もしかしたら聞いて貰いたかったのかもしれなくて」
「うんうん。分かるわよ。その歳だとそういう時があるわよね」
どうして俺は初対面の人間に、こんな話をしているのだろう。
そう思ったが、女性は嫌な顔ひとつせず、むしろ前のめりになるくらいである。
だが、そのあとに続いた言葉に、ちょっと肩の力を抜かれた。
「それで、いつ結婚するの?」
「……はい?」
「あなたくらいの歳の人の悩みといったら、そうでしょう?」
違います! と咄嗟に大声で否定しそうになって慌てて抑えた。お店で大声を出すのはマナー違反だ。女性のニコニコ顔に、あっさりと否定を返すのも気が引けてしまう。
ここはやんわりと、話を逸らそう。
「えっと、そっちじゃなくて仕事のほうで、少し」
「あらそうなの。お仕事はなにを?」
恋愛関係の話ではなくて、少しだけトーンダウンする女性。
俺はやや苦笑いをしつつ、頭の中で言うべき言葉を考えた。
「あー、接客──いや、製造業ですかね」
本当はバリバリの同業なのだが、ちょっと言いにくい。それに、接客に関しての悩みというわけでもないので、まぁ、これで良いだろう。
悩んでいること自体は、製造、と言っても嘘ではないし。
だが、恋愛関係ではなくてやや沈んだ女性の顔が、俺の返事を聞いて再び、ぱぁっと輝いた。
「それだったら、力になれるかもしれないわよ」
「……本当ですか?」
女性があまりにも自信満々に言うので、俺は少し訝しんでしまう。
言っては悪いが、女性はあまり製造業とかに詳しそうには見えない。
だが、営業中でない俺は感情を隠すことなどが苦手なので、そんな俺の気持ちはあっさりと相手に伝わってしまう。
「今、私の事『製造とか知らなそうなのに』って思ったわね」
「いえ、そんなことは」
「良いのよ。だって本当のことだもの。私はそういうのに詳しくないわ」
しかし女性は気分を害した様子もなかった。あっけらかんと笑い、詳しくないと言ってのける。
「ただ、そういうお仕事の人、ウチの常連さんに居るのよ。歳も若いし、あなたと話が合うかもと思って」
「あ、そうなんですか。その方はよく来るんですか?」
「ええ。丁度、今日あたりに来ると思うわよ」
女性は相変わらず、人の良さそうな笑顔で言う。
だが、俺はほんのちょっと不味いかなと思わなくもない。実際にそういう仕事の人と話をすることになったら、俺が本当は製造業でもなんでもないことがバレてしまう。
だから何、というとそれまでだが、ちょっと、恥ずかしい。
どうしようかな、と考えてグラスを傾けると、もうほとんど残っていなかった。
「あら、お兄さんお酒強いのね。もう一杯いかが?」
「ああ、と」
「頼むわよね。まだベーコンが来てないし」
やや強引な注文の取り方だが、事実その通りで、メインの料理が来てないのにもう帰りますというわけにもいくまい。
俺は苦笑いで、もう一杯のエールを注文した。
「それじゃ、お願いします」
「かしこまりました。ごめんなさいね、出来るのが遅くって」
俺がおかわりを注文すると、女性は少し困り顔で言った。それからくるりと後ろを向いて、フライパンに向かっているご主人に声をかける。
「ほらあなた。お客さんが待ってるから早くしないと」
「もうできるよ」
「じゃあ、私が一杯作る前にできなかったら割引よ」
「それは困るよぉ」
主人のあまりの威厳の無さに、俺はもう一回笑ってしまった。
この二人のやり取りは、やっぱりこの店で一番の肴かもしれない。
そう思っていると、女性がすぐにおかわりの一杯をもってくる。だが、それに何かを言う前に、あっとという顔をして彼女はドアへと顔を向けた。
「噂をすれば、ね」
続いて人の気配がある。どうやら、先程言っていた製造業の常連が来たらしい。
ドアの開く音がして、若い男性の声が続く。
「開いているかな?」
「いらっしゃい。ええ、ちょうどあなたの話をしていたのよ」
結局逃げるタイミングを逃がしてしまった。そう思いつつそちらに目を向けて。
その常連さんとバッチリ目が合ってしまった。
柔らかな金髪をしていて、年の頃は確かに若い、俺より多分、少し下。顔も整っていて、パッと見は女性にとてもモテそうな顔つきだ。
そう、つまりは。
「ユウギリ! なんでお前がここにいる!」
「店で大声出すなよ、ギヌラ」
ふらっと入った店で出会うには嬉しくない男。ギヌラであった。
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