選択の自由(2)
「なんか、総さんのくせにこの教室では甘いですわね」
「くせにってなんだ」
講師補佐をしてもらっている弟子二人のところに戻ったタイミング。サリーがちょっと面白くなさそうな顔で言ってきた。
「だって私達のときは、もっと厳しかったですもの」
「それは勘違いだ。俺はフィルには厳しくなかった。お前はクソ生意気だったから厳しくしてただけだ」
俺に言われると、確かに思い当たるところがあっただろうサリーは、少し小さくなった。
そんな俺達の様子を苦笑いで見ているフィルが、サリーをフォローする。
「えっと、でもやっぱり、今よりは厳しかったと思いますよ」
「そうか……うーん、フィルに言われるとそうだったのかもなぁ」
「なんですのその扱いの違いは!」
なんだと言われても、それがそのまま、フィルとサリーの信頼の違いなのだが。
サリーが信頼できないと言っているのではなく、フィルが信頼できるだけである。
それに何か納得できない様子のサリーであったが、彼女が本格的に怒り出す前に声がかかった。
「サリーちゃん! ちょっと見て欲しいんだけど!」
「はいはい……って! 先生って呼んで下さいます!」
機嫌良く笑ったあとに、ここがバーカウンターではなく教室だと思い出したらしい。
サリーを呼んだのは、ウチの店にもちょくちょく顔を出す、飲み屋の主人だ。
「いやー、サリーちゃんはサリーちゃんだから」
「ここでは、先生ですの」
「でもみんなサリーちゃんだと思ってるよ」
みんな、という言葉に飲み屋関係の人間だけでなく、騎士見習い達も賛同の頷きを返した。
サリーは憤慨したように、もう一度声を上げる。
「それはみなさんが、いっつも『ちゃん付け』するからですわよ! ここでは先生なんですの! ご理解いただけません!?」
「ははは、ごめんよサリー先生。で、ちょっと見てもらえるかな」
「……最初から、そう言えば、もう」
一通りの主張を笑顔で流されたサリーである。仕方ないなぁと優しげな苦笑いを浮かべて、彼女は先生としてテーブルへと向かった。
あまり威厳がないのは困るのだが、そこまでガチガチに指導するつもりもない。
というわけなので、サリーはここでは特に親しみやすい相手ということで、大人達に気軽に呼ばれている。という状況で落ち着いている。
俺とフィルは、サリーに比べればもっとかしこまった態度で呼ばれる感じだ。
「……サリーは、すごいなぁ」
フィルがぼんやりと呟いた。向かったテーブルで人々と談笑しながら、テキパキと指導をこなしているサリーを見ているようだ。
「フィルも、あんな風に気安く呼ばれたいか?」
「あ、いえ。そういうわけじゃ……いや、そうなのかもしれませんね」
フィルは否定しようとしたが、思い直したみたいに言葉を濁す。
サリーから目を逸らし『本日の課題──簡単なシェイクを作ろう』と書かれたボードを見つめる。
レシピの書かれたいくつかのシェイクカクテルが、今日の課題だ。それぞれのカクテルには、簡単な注釈や、ワンポイントアドバイスがついている。
それを書いたのは、俺ではなくフィルだ。俺も確認はしたが、何か指示を出すことはなかった。
既にフィルは俺が教える段階から、自分で考え学ぶ段階に入っている。技術はまだ俺の方が上だが、フィルの頑張り如何ではいつまで言っていられるか。
それが、師としてはどうにも嬉しくて、どことなく寂しい。俺が彼に教え始めてから、まだたったの一年ちょっとだというのに。
フィルの視線を追って【ダイキリ】のレシピを眺める。
サリーの向かったテーブルの方から、シェイクの規則的な音が響いてきた。
「僕は、黒板に書くのが主な仕事みたいです」
「書くのは、嫌だったのか?」
「いえ。ただ、サリーみたいにはなれないな、と思っただけです」
サリーみたいになれない、転じてフィルは、サリーと自分を比較して思う所があるのだ。
それがなんであるのかは、二人の違いから容易に想像ができる。
サリーが以前俺に打ち明けたのは、カクテルの技術的な悩みであった。だが、フィルはその部分に大きな悩みはないだろう。
だから、後に残るのは、人の悩みだ。
「サリーと僕は、同じ環境で育ってきました。これでもお互いに、お互いのことは分かるつもりでいます」
「そうだろうな」
「だから思うんです。サリーはいつの間に、あんなに人と笑顔で話せるようになったんだろうって」
笑顔であるのは、サリーだけじゃない。フィルだってしっかり笑顔じゃないか。
そう思いはしたが、口にはしなかった。フィルの言っていることは、そういう意味じゃないと思ったからだ。
「僕は──」
フィルが雑談に似合わぬ顔で、何かを打ち明けようとしたときだった。
使っている広間の入口が音を立てて開き、凛とした女性の声が響いた。
「講義中にすまない。総に少し話があるのだが」
そこに居たのは、この街の騎士の中でも特に親しい女騎士、ヴィオラだった。彼女はその鋭い目で俺を見つけると、手招きをした。
どうやら、ここではできない話があるようだ。
そこで俺はフィルに視線を向ける。
話の腰を折られた形のフィルだったが、相変わらず物わかりの良い苦笑いで言った。
「大丈夫です。僕の話は良いので、ヴィオラさんの方へ。総さんの代わりに、ちゃんと教室は見てますから」
それは確かに、この教室の責任者としてはこの上なくありがたい申し出だった。
だが、フィルのバーテンダーの師としては、この上なく心苦しくもあった。
「……すまん。今度、ゆっくり時間を取るからな」
「良いんです。本当に大したことじゃないですから」
フィルはそう言うが、そんなわけはないだろう。悩みの無い人間が、あんな表情をするものか。
だが、ヴィオラの表情も十分真剣だ。この広間を領主様の厚意で使わせてもらっている以上、領主様の騎士の申し出を断るわけにもいくまい。
チラチラと俺とヴィオラの様子を伺っている生徒達に、声をかけた。
「すみません。少し席を外しますので、計量テストや技術的な質問はフィルにお願いします」
俺に名指しされたフィルは、驚くことはなく鷹揚に頷いた。
指名されなかったサリーのちょっと不満げな視線を振り切って、俺はヴィオラの元へと早足で向かった。
「改めて、いきなりすまない」
「いや大丈夫だ。それで話は?」
「ああ。以前、君から聞かされた『街の危機』についてだ。領主様は現在多忙ゆえに、私が伝令を請け負った」
教室から少し距離を取り、秋らしく落ち着いた色合いになった中庭で話を切り出された。
ヴィオラが言っているのは、俺が数日前にトライスから聞いた話だ。
この街はじきに戦火に包まれる。だから気を付けろ、と。
それを俺は、まずヴィオラに伝えた。ヴィオラも最初は、どこかの酔客から聞いた与太話だと思ったようだった。だが、それがトライスからの言葉だと告げると真剣になった。
トライスと俺達との微妙な関係。そして、彼女の底の知れなさはヴィオラにも伝わっていたからだ。
彼女は領主様にも話を通すと言ってくれて、その結果が今出たのだろう。
「結論から言えば、我々で何か特別な対策を取ることはできない」
ヴィオラは心底すまなそうな声で言った。だが、その表情は声と違って固く、それが簡単には覆らないことを教えていた。
もともとダメもとではあったが、はっきり言われると落胆を感じずにはいられない。
「……そうか」
「勘違いしないで欲しい。君の言葉を領主様はしっかり受け止めた。しかしそれでもなお、対策を取るのは難しいんだ」
「それは」
「単純に、今この場所に割ける人員がいないんだ」
その結論は、簡単であるが故に絶望的でもあった。あまりにも単純に、諦めざるを得ない理由だからだ。
「君から聞いた話は、最近の魔物の活性化と何か関係がある、と私は思っている」
「……そうだな。俺も、そんな気がしている」
「だが、その問題はここだけの話ではない。国中がその対応に追われている。失礼な言い方になるが、根拠もない話のために、他の領主や王へと応援を願うことはできない状況だ」
世の中は、俺の知らないところで少しずつ緊張感を増していた。
まだ人々の暮らしに影響が出るほどではない。だが、不用意な行動を取ることが、今の領主様の状況では難しいのだ。
万が一、そのせいで手薄になった場所に何かが起こったとき、責任を取るのは領主様なのだから。
その責任に対して、こちらの持っている情報は、証拠のない『いつか』の話。その『いつか』が、明日なのか、一ヶ月後なのか、五年後なのかは分からないのだ。
それに対応してくれというのが、流石に難しいのは分かる。
「いや、大丈夫だ。理解はできる」
「……すまない。だが、それでも私や領主様は君のことを信頼している。何か少しでも、今できる対策があれば進めて行くつもりだと」
「ありがとう。それだけで十分だ」
俺にできることは、やったのだ。一介のしがないバーテンダーだと思えば、上出来だ。
話はしっかりと領主様まで届いて、そしてそれでも、何もできない。
俺に警告をしたトライスも、それくらいは分かっていたのだろう。だから、彼女はスイ個人に、俺を頼むなんて言ったのだ。
この先に何が起こるのかは分からない。だが、今の俺達にできるのは、せいぜい覚悟をしておくことくらいだ。
話が終わっても、ヴィオラはずっと固い表情をしたままだ。俺から何か、文句を言われるのを覚悟してきているのかもしれない。
……………………。
「とりあえず、ヴィオラはこの後どうする? よかったらウチの生徒達が作ったカクテルの試飲でもどうだ?」
真摯に対応してくれた彼女に暗い顔をさせているのは忍びない。そう思って俺は分りやすく冗談を言った。
ヴィオラも当然それに気づいたようで、さっきまでの緊張を緩め、呆れ顔で笑う。
「せっかくの申し出だが、あいにくとまだ職務中でな。申し訳ないが辞退しよう」
「それは残念だ」
彼女がそういう性格なのは重々承知の上である。
そこから、少し考えて、更に冗談を重ねてみた。
「じゃあ、セラロイ様はどうだ?」
「な?」
今度は、ヴィオラは心底驚いたように目を丸くした。そんな様子が面白くて、更に続けてみる。
「結局品評会以来会ってないんだよ。領主様は忙しいのなら、お嬢様にでもと」
「……お嬢様は、その、しばらく体調を崩していてな。申し訳ないが、私の方から断らせて貰おう」
「そうか」
ヴィオラの本当に申し訳なさそうな顔に、少し冗談を選ぶべきだったなと反省した。
俺が屋敷に来た時には、お嬢様は体調不良であるか、さもなくば屋敷にはおらず外出中ということが多い。
もともと身体がそんなに強くないのだとすれば、あの日にヴィオラの提案とはいえ無理をさせてしまったのではないだろうか。今更ながらに申し訳なく思う。
今度は俺がちょっと表情を固くしたからか、ヴィオラはすかさずに提案をしてきた。
「だが、そうだな。時間が経っても飲めるものがあれば、お嬢様へと私の方から届けておこうか」
「あー、じゃ、せっかくだしオールドでも。新作のブレンドで、ちょっと女性向けをイメージして作ったのがあるんだ」
せっかくの申し出なので、俺は腰につけていたポーチから、試飲用ボトルの弾薬を取り出した。それを解除してヴィオラに渡すと、彼女は恭しく受け取り、懐にしまった。
話はそれで終わりだったが、彼女も少し教室を見学したいということだったので、二人並んで教室へと戻ったのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
更新が夜遅くになってすみません。予定では今日からこの幕間完結までは毎日投稿する予定です。




