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異世界転移バーテンダーの『カクテルポーション』  作者: score
第五章 幕間

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あの頃の残滓(4)

※途中でお食事中の方が不快になる描写がございます。あらかじめご了承ください。



 ──────




 目の前に差し出した【ジン・トニック】を、男は一口含んだ。

 自信作だ。分量のミスはないし、作業も正確にできた。

 少なくとも、今の段階でどこかを間違ったはずがない。

 だというのに。


「お前のカクテルって、つまんねえんだよな」

「え?」


 薄暗い照明が落ち着いた内装を照らす、狭く陰湿な空間の中。

 常連の──さんは、明らかに顔をしかめてそう言った。

 その意味が分からなくて、俺は接客の笑顔も忘れて呆然とする。

 飲み物の評価なんて、美味い不味いしかないだろ。


「それは、お前がつまらない人間だからだ」

「……すみません」


 とりあえず、俺は怒られているのだと思って謝った。

 時間はおそらく三時過ぎ。狭いと言っても、カウンターはガラガラ、ソファー席も空いている。店には既に客は──さんしかいない。

 俺の隣には先輩の──さんが立っているが、俺に会話の練習をさせたいとばかりに、黙っている。


 意味が分からない。

 仮に俺がつまらない人間だったとして、だからなんだと言うのか。


「つまらない人間の作るものが、つまらないのは当たり前だろ?」

「……そうでしょうか」

「そうだね。少なくとも、お前のカクテルはだから、つまらない。お前の人間らしさがまるで感じられない」


 意味が分からない。


「お前、ここで働いてもう二ヶ月は経つだろ?」

「はい」

「だったら、もう少し打ち解けてみても良いんじゃないか?」

「えっと?」


 カクテルを貶してから一転。

 ──さんは俺を少しからかうような笑みを浮かべた。



「例えばさ。お前の好みの女性のタイプはどんなだとか」



 その笑みが、気持ち悪い。


「お前童貞だって言うじゃん? でも女には興味あるんだろ? バーテンダーやってるくらいだし」

「……興味ないわけじゃないですが」


 気持ち悪い。


「じゃあ、店の常連さんで良いなって思う人とか居ないのか?」

「……いえ、カウンター隔ててると男とか女とかあんまり」


 気持ち悪い。


「というのは建前だろ。誰がタイプとかなら思うだろ」

「……いや、お客さんって年上のお姉さんばかりですから。自分なんか」


 気持ち悪い。


「なに、年下趣味ってわけ? じゃあお前、働く場所間違えてるだろ。良い大学出たんだから塾講とかそういうのが良いんじゃない?」

「……良いんです。自分は今、お酒の勉強がしたいんです」


 気持ち悪い。


「……はぁ。また、なんでそうやってつまんねえこと言うかな。……勉強ねぇ」


 ──さんは、じっと俺を見据えた。

 それから、時計を確認する。

 ふむ、と頷いて彼は先輩に尋ねる。


「──くん。もうそろそろ閉店だし、それまで夕霧を借りて良い?」

「大丈夫ですよ」


 俺の了承など始めから取るつもりもなさそうに、彼らは決めた。

 俺は──さんの隣の席に座らされる。

 サロン(サロンエプロン)も取り外したし、本当に仕事はもう良いようだ。


「ま、とりあえず、飲め」

「はい、頂きます」


 そして俺は、──さんに奢ってもらって、先輩の作る大量のカクテルを飲んだ。

 勉強だから、好きなだけ飲めと──さんは言う。

 そして、飲んで飲んで、飲んだ。

 気持ち悪くて、それでも、奢りのお酒を残すわけにはいかない。

 だから、飲んで、飲んで────。





「ぅおぉえぇぇぇぇえええええぇ」


 便器に大口を開けて、ひたすら胃の中のものをぶちまけた。

 頭がぐわんぐわんして、視界がグルグルして、ただひたすらに気持ち悪い。

 胃から迫り上がってくる溶岩の固まりを、無理に吐き出す。その度に喉が焼けるようだ。

 しかしそうせずには居られない。それを押しとどめておける余裕がない。

 俺の体の中で増殖する気持ち悪さを放っておけば、それはやがて俺の体の容量を越えて破裂してしまうのだ。


「ぉうぇえっっゲホッゲホッ」


 ときどき、喉が俺の行動を阻止せんとむせる。

 しかしそれでも、体は強硬に中身をせり上げる。

 喉と腹筋と、あととにかく色んな所が痛い。苦しい。気持ち悪い。

 ただただ便器に抱きついて、体の中から溢れてくる液体を吐き出す。

 飲む前はあんなに綺麗だった液体は、俺の中で混じり合って黒く塗り潰されている。

 そんな感想もそこそこに、俺はまた体の中から現れる異分子を吐き出した。





 胃の中のものを吐き出し切ったのか、まだまだ気持ち悪さは残るが、大分体が軽くなっていた。

 とはいえ、小康状態になったに過ぎない。

 閉店時間が来て鍵のかかった店内。ソファー席に横たわって、ただただ時間が経つのを待っている。

 ソファー席のテーブルに、ことりと水の入ったグラスを置きながら、先輩が言った。


「大丈夫か、総」

「……大丈夫です」

「いや、あんまり大丈夫じゃないだろ。顔真っ青だぞ」


 言いながら、先輩は俺の額にひんやりとしたおしぼりを乗せる。

 その途中、先輩の指が触れた。

 今の俺からすれば、信じられないほどに暖かかった。


「悪いとは思ったんだが、良い機会だと思ってな」

「…………」

「自分の限界、嫌ってほど分かっただろ? ウチはあんまり上品な店じゃないから、飲ませてくるお客さんも居る。断らなければ売り上げに繋がるけど、それで仕事が出来なくなったら問題だ。だから、限界を知っておくのは大切なんだ」

「……はい」


 酔ってぶっ倒れている新人に、仕事の話なんて。

 と、思いはしても口には出さない。

 俺の悪態を知ってか知らずか、先輩は仕事の感じではない、優しい声で言った。


「……あんまり、気にすんなよ」

「……はい?」

「カクテルがつまらないとか、そういうの。お前はまだ、新人なんだから」

「…………」


 それから、先輩は伝票の整理をすると言って俺から離れた。カウンターに座って、伝票をまとめたものと、電卓を手に格闘を始める。

 俺は、気持ち悪いやら悔しいやらで、唇を噛みしめつつ額のおしぼりを取ろうとする。

 そして、額に触れた自分の指が、先輩とは違ってどうしようもなく冷たかった。


 いや、本当に指が冷たいのか?


 俺は指をすっと、自分の頬に当てる。

 指なんかよりも、ずっとずっと、自分の頬が冷たく感じられた。

 まるで、いつか触った、あいつの頬のようだった。

 作り物めいた、人ではない何かの冷たさだった。


 瞬間、俺はふっと理解してしまった。


 今、俺は死んでいるのだ。

 俺が作ったカクテルは、死人の作ったもの。

 死人から人間らしさなんて、感じられるわけがない。


「……………………」


 そう考えると、気が楽になる気がした。

 俺は頭にこびりついた、あいつの笑顔だけを頼りに動いている。

 どだい無理なのだ。ほとんどヒントのないカクテルを探し求めるなんてことは。

 そんなことは諦めて、死人は死人らしくさっさと──。



『ダメだよ』



 そう考えたとき、頭の中の伊吹が笑顔で首を振った気がした。

 それ以上は、ダメだと。

 死ぬのはまだ早いのだと。


「…………気持ち悪い」


 この気持ち悪さも、死んだらきっと味わえないものだ。

 ならばこれを、俺が勝手に手放して良いわけがない。

 そんな選択を、あいつは許してくれないだろう。


「……──さん」

「ん?」


 自分の口から、信じられないほどか細い声が出た。

 先輩はそんな俺の言葉も聞き逃さず、こちらへ振り向いた。

 俺は無理に頭だけ起こして、先輩にまっすぐ尋ねた。


「カクテル、美味しくなるにはどうすれば良いですか?」


 働いて二ヶ月経って、初めて聞いた質問だった。

 カクテルの作り方は教えて貰っていたし、コツなんかも聞いた。

 だが、そうやってはっきり聞いたことは無かった。

 自分のカクテルが、不味いのだと、心から認めたことはなかった。

 先輩は少し考え込んでから、ふっと笑みを浮かべる。


「まず、お前がカクテルを好きになること」


 先輩の答えを、一言一句逃すまいと俺は耳を皿にする。


「お前がカクテルを好きになる。すると、その好きに釣られてお前は練習を頑張れるようになる。そうなると、今度はお前のカクテルが好きな人間が増えてくる。で、最終的には、お前のことを好きになってくれる人も増えてくる」


 最後のは良く分からないけど、それ以外はなんとなく分かる気がした。

 今の俺は、ただ正確に分量を計って、作業をこなすことしか考えていない。

 それじゃきっと、ダメなんだ。


「バーテンダーのカクテルは、名刺と同じだ。カクテルはお前自身。お前が自分を嫌ってたら、誰がお前のことを好きになってくれるんだ?」


 先輩の言葉で、唐突に俺は自分の温度を思い出した。

 びっくりするほど冷たいと思った、ソレは。


 死人の温度じゃない。カクテルの温度なんだ。

 氷に冷やされた、あの液体の温度。俺は大量の酒を飲んだから、カクテルになってしまったのだ。


 自分が酔っていると自覚しつつ、その答えでなんだか納得してしまった。

 そう納得したとき、俺は先輩の言葉がすとんと胸に落ちてきたのを実感した。


「……──さんは、新人のころ、どれくらい練習してました?」

「暇なときはずっと、かな」

「……ありがとうございます」

「どういたしまして」


 そう言って、先輩はまた伝票の仕事に戻った。

 俺は、ぐったりと体を横たえながら、じんわりと体に熱が戻ってきたのを感じる。

 カクテルから、だんだんと人間に戻ってくる。


 先輩がそうなら、俺はその倍は練習しないといけない。

 暇な時はずっとじゃない。暇な時を作って、練習するんだ。

 そして、今よりもずっとカクテルを好きになって、カクテルが美味しくなって、カクテルが分かるようになって。

 そしていつか、あの日の伊吹の言葉に、戻ってくる。




「そういや、今聞くのもあれだけど」


 先輩は伝票の整理を終えたところで、ニヤリと俺に向かって尋ねてくる。


「俺の作ったカクテル。どれが一番好きだった?」


 今は、酒の味なんて思い出したくもないけれど、思い出したらまた吐きそうだけど。

 先輩の楽しそうな笑顔に、文句を言えるはずもなかった。




 ──────




「……思い出した」


 どうして忘れていたのだろうか。

 俺が、カクテルとちゃんと向き合うと決めた日のことを。

 ──伊吹に関する記憶は、どうやら完全に戻ったわけではない、ということか。


「……先輩の言葉。あの時は最後、意味分からないと思ったんだけどな」


 カクテルが美味くても、俺のことを好きになる人なんていない。

 そんな物好きは、伊吹だけで充分だ。

 その思いは、結局日本に居たころは覆されず、異世界に来て覆されたのだ。

 なんとも数奇な運命だと俺は格好つけて思ってみた。現実逃避と言うかもしれない。


「……さて、顔洗って、練習でもするか」


 夢を見たからではないが、今日の練習は一段と気合が入るだろう。

 そう思って、起き上がろうと手を付いたところで。


 ピキリ、と腕の筋肉が悲鳴を上げた。


 俺は咄嗟に付いた手を離し、しばし呆然とする。

 どう考えても、昨夜、格好つけた代償であろう。


「…………」


 俺はその痛みを、強がりで認めることはせず。

 意思の力で強引に起き上がった。



 夢の中で腹にたまっていた気持ち悪さは、いつのまにか消えていたのだった。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


昨日は更新できず申し訳ありませんでした。

明日も更新して、以降はまた隔日ペースに戻る予定です。


※0315 表現を少し修正しました。

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