あの頃の残滓(3)
それから、起き上がれるくらいには回復したスイを連れて、俺達はカムイさんの家を発った。
再三頭を下げたが「気にするな、また来い」と彼らは温かく言ってくれた。
そして現在地は、彼らの家から十数分歩いた、街に片足を突っ込んだくらいの場所だ。
「……で、大丈夫か?」
「……うん。ごめんなさい」
これでもゆっくり歩いていたつもりだったが、スイはまだ動き回れる程は回復していなかったらしい。
道中で「やっぱり無理」と立ち止まり、しゃがみこんでしまった彼女に声をかける。
俺がポーチから『水』を取り出して渡してやれば、スイは礼を言ってちょびちょびと飲む。それから申し訳なさそうに俯いた。
「まぁ、暫く休め」
「……ごめん」
そうして、数分くらいは立ち止まっていただろうか。
「……なに話してたの?」
元気の無い声で、スイはぼそりと尋ねた。
月明かり以外は無いような、暗い夜道だ。
表情を注意深く窺わなければ、彼女がどんな顔をしているのかも分からない。
「なにって?」
「カムイさんと、真剣な話、してなかった?」
「あー」
スイは疑問の体で尋ねているが、本当は分かっているのだろう。
彼女がカムイさんと話していた事柄が、俺に伝わっていること。
そして、それを踏まえた上で、俺とカムイさんが話をしていたことを。
俺はしゃがみ込み、俯いたままの彼女を見る。しかし彼女は、俺の視線から逃げるように、顔を背けた。
俺に表情を見られたくない、とでも言うように。
「……俺には、まだやることがある」
それは本心だ。
自分が今ここに居る、もっともシンプルな理由だ。
そして逃げだ。
彼女が抱いているであろう不安には、何も答えてはいない。
スイは俺の答えに不満かもしれない。だけど、彼女に何かを言う前に、俺はまず自分に正直にならなければなるまい。
「なぁスイ。立ち上がるくらいはできそうか?」
彼女の隣に俺もしゃがみ込んで、努めて優しく言った。
スイは俺が誤魔化したと思ったのか、やや機嫌悪そうに言い返す。
「……なんで?」
「おぶってやる。それなら大丈夫そうか?」
俺の提案に、スイは驚いたように目を丸くする。
しばしの逡巡のあと、ぼそりと、甘える声音で答えた。
「……うん」
「よし、じゃあ、乗りたまえ」
言って俺は、しゃがんだまま彼女に背を向ける。両手を後ろに伸ばしていつでも来い、と態勢を整えた。
また、ちょっとの間が空いた。
まず肩に手が触れる。
まだ少し、他人に触れられたことで体がビクリと反応するが、それを意識して表面に出すことはしない。
肩の手は、おっかなびっくりしながら俺の首へと回る。それから、腰回りにしずしずと足の感触が伝わってくる。細くて柔らかい足だ。
その足を腕で掴んで、顔の見えない少女に言った。
「立ち上がるから、もっと力込めてくれよ」
「……でも」
「大丈夫だって、俺は気にしない」
「私は気にするのに。総のバカ」
バカ呼ばわりされてしまったが、安全のためには仕方ないじゃないか。
言いつつスイは、腕に力を込める。体重が俺へとかかり、必然的に彼女の胸の感触も背中に伝わってくる。
俺はそれを意識から排除して、立ち上がった。
ずしりとしていて、そのくせに妙に軽い、そんな人間の重みを感じた。
「重くない?」
「ボトルよりは重いな」
「…………」
俺の返答に、突っ込んだら良いのか、笑ったら良いのかスイは迷ったみたいだ。
気合を入れ直して、一歩足を前に出しながら答える。
「冗談だよ。軽いもんだ」
「無理してない?」
「む、無理なんてしてないから」
実を言えば、人をおんぶした経験なんてほとんどないので、何とも言えない。
カッコいいこと言った癖に、家に着く前に休憩が必要だったらどうしよう。
まぁ、なにはともあれ、俺達は再び歩き出した。
月の綺麗な夜だ。会話が無くても、それだけで良かったかもしれない。
しかし、俺は先程つい誤魔化した話を、無かった事にしてはいけないだろう。
「前に言ったろ。俺は、カクテルが好きなんだって」
俺が唐突に語り出したこと。それがなんについての話かはスイにも伝わったらしい。
彼女は、静かに聞く態勢を整え、見えないがコクリと頷いたらしい。
「……うん」
「だけど、最初の最初は、俺はカクテルになんて何の興味もなかった」
この世界に来た当初は、俺にはカクテルしか見えてなかった。
それがどうしてなのかを、俺は思い出してしまっている。どうして、盲目的にカクテルにのめり込んでいたのかを。
「いっそ恨んだこともある。こんなものが無ければ、あの日の約束がなければ──鳥須伊吹は死ぬこともなかったんじゃないかって」
「でも、鳥須さん……は」
「ああ。分からない。トライスはアイツなのかもしれない。それは今は、良い」
俺がカクテルに興味を持ったのは、鳥須伊吹が死んだから。
彼女が最後に言っていた、俺に飲んで欲しい『カクテル』の正体が知りたかったから。
だから、俺はカクテルへと近づいた。
「最初は楽しくもなんともなかった。ただの混ぜ物としか思って無かった。でも、次第に分かってきた。カクテルは、俺そのものなんだって」
「……どういう意味?」
「カクテルを作るのは自分。カクテルを美味くするのも不味くするのも、全部自分。だから、カクテルをどうでも良いと思っている内は、俺はこいつを知ることなんて出来ないんだって」
それに気付いたのは、どうしてだったか。きっかけは覚えていない。
しかし、そこに気付いてから俺は、楽しくなった。
カクテルについての全てを、受け止めることで成長できる気がしたのだ。
「それから俺は、カクテルを作って、作って、作り続けた。辛い事や楽しい事を、全部カクテルに乗っけて、そうやって生きてきた」
生きてきたなんて大袈裟かもしれない。
俺はバーテンダーになってまだ何年も経っていないペーペーだ。チーフなんて任されちゃいるが、勉強不足のダメな奴だ。
だけど、一つだけ、確かに言えることがあった。
「俺、ここが好きだよ」
ここ。
すなわち、この世界の、この国の、この街の。
片隅にある、ちっちゃな俺の居場所だ。
「最初にスイが、俺のカクテルを認めてくれた。俺は、俺が認められたみたいで嬉しかった。ちょっとずつ、カクテルを認めてくれる人が増えた。ちょっとずつ、俺の居場所が広がるみたいで、もっと嬉しかった」
カクテルはこの世界の異分子だった。否定されたらそれで消えてしまう、ちっぽけな存在だった。
だけど、この場所は、そんな異分子を温かく迎えてくれた。
「だからスイ。あんまり心配するな。俺の場所はここなんだ。スイが居て、ライが居て、オヤジさんが居て。スタッフが居て、常連さんが居て、たまにお偉いさんも来る。そんな面白い場所をほっぽって、今更どこかになんて行けるかっての」
そうやって笑ってみせるが、背後に居るスイにその顔が見えることはない。
しかし、なんとなくだけど、スイもまた安心したように笑っている気がした。
だが、その後にスイがぼそりと言った言葉は、少々だけ温度が低い。
「でもそれって、もっと面白い場所があったら、ふらっと居なくなるってことだよね」
「おま、俺がそんな薄情者に──」
「──だって……」
だって、の後に言葉は続かない。
しかし、俺はスイの言う言葉が分かってしまった気がした。
『──だって、今でも総の一番は『鳥須伊吹』なんでしょ?』
そんな彼女の言葉を、それを言った彼女の表情を想像してしまった。
寂しそうな、泣きそうな、諦めたような、そんな感情を全て押し殺したような、笑顔だった。
ぼんやりと、誤魔化すように夜空を見上げる。
この世界に来た頃は見慣れなかった、今も良く分かってなんかいない星空だ。
俺は、スイへの返答の代わりに、ぱっと浮かんだ言葉を述べていた。
「『我々が人生の意味を問うてはいけません。我々は人生に問われている立場であり、我々が人生の答えを出さなければならないのです』」
「はい?」
俺が余りにも突拍子もないことを言うので、スイは間の抜けた声を返していた。
俺はその言葉を口の中で噛んだあとに、言った。
「人生の意味は、自分で決めることだ。俺は、俺の為に生きる。鳥須伊吹のために生きているわけじゃない」
「……つまり?」
「もしあいつが目の前に現れたからって、なんだ。ここに、俺の居場所に巻き込んでやるって、俺の意思表明」
楽しい事も辛い事も、人生にはある。それを、どう受け取るかは自分次第。
ならば、それらを全て楽しもうとするのは、人間に残された自由だ。
俺は、誰かの為に自分の何かを諦めてなんて、やらない。少し前に、スイを引き止めたときに決めたことでもある。
カクテルは全てを解決するのだ。
「……適当に良い事言って、誤魔化そうと、してるよね」
しかし、俺の意思表明はスイの心には届いてくれていないらしい。
……まぁ、誰が一番だとか、そういうのには答えてない。そもそも、そんな答えを出したこともない。
「それを、どう受け止めるかも、スイ次第だ」
「ずるい」
スイのじっとりとした声が、俺の胸を刺す。
うん。
相変わらず、自分でも呆れるほどに、優柔不断のクソ野郎だ。いっそ、こんな俺をスイが見限ってくれたら、どれだけ楽か。
……少し寂しいけど。
「……でも、私も分かった気がする」
おや、と思った。
さっきまでの、不安で弱気な、スイらしくない声ではない。
いつもの、やや無感情ながら内に秘めた熱量の高い、スイらしい声だ。
「良く考えたら、私だって、その自由はあるわけだし」
「……うん?」
「総がどこかに行っちゃおうが、私も一緒に付いて行けば、良いだけだった」
これだけどこにも行かないと言っても、俺はスイにとっては信用のない男であったようだ。
いや、後半部分だけ切り取れば、まさしくそれ以外の何者でもないのだが。
ただ、背後で元気を取り戻したように「ふふふ」と笑うスイは、俺を安心させてくれた。
さて、となるともう一つの問題にも、そろそろ踏み込むべきだろうか。
「……ところでさ、元気を取り戻したんだったら、おんぶ止めても良い?」
タイミングを見計らい、俺は提言してみた。
実は、結構その、腕にそろそろ負荷が。
「まだ無理。だからお願い」
「あの、言いにくいんだけどさ、俺の腕もそろそろ限界というか」
「軽いんでしょ?」
俺は、少しだけ意地を張った最初の自分を後悔する。
そして明日の営業を思う。
筋肉痛になって、シェイカーを振るのに支障が出たら、どうしよう。
明日は、俺とサリーか。
……良い機会だし、あいつも苦手とか言わせないで明日のシェイク全部任してやるかな、もう。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
更新が遅くなってすみません。
サブタイトルと、内容はもしかしたら少し修正するかもしれません。
とはいえ、大筋は変わらないと思いますのでご了承ください。




