あの頃の残滓(1)
※あらすじ
ひょんなことから、異世界に来てしまったバーテンダーの夕霧総。
総が訪れた異世界は、魔法の薬であるポーションが、お酒のように扱える世界だった。
持ち前の技術で『カクテル』を広めつつ、様々な障害が立ちはだかるカクテルの材料集めをちまちまと行ってきた総。
最後の関門と思われた『ベルモット』は、ポーション屋の主人であるスイの祖母、ノイネというエルフの協力を受けて『薬酒』としての完成を見た。
こうして総は、一年の時間をかけて、バーを開くのに最低限必要だと思われるリキュールの大部分を集めることに成功したのである。
それでも、世界では未だに『カクテル』はマイナーな飲み物であり、彼のやる事がなくなるわけではない。
そんなあれやこれやの間にさらに半年が経過したのだった。
──────
「それじゃ、無事単位が貰えたことに乾杯!」
「……乾杯」
やたらとニコニコした女に辟易しつつ、俺は静かにグラスを合わせた。
女のグラスの勢いも、言葉とは裏腹にだいぶ控えめだ。ここがいつもの俺の部屋ではなく、大人っぽいショットバーの中だからだろう。
季節は夏の終わり。九月も半ばに入ろうかというところ。
俺は大学の長い夏休みを利用して、たくさんのゲームを片付けていたのだが、その合間にちょくちょくと、この鳥須伊吹という女に付き合っていた。
何に、と言えば、酒飲みにだ。
大学一年の時はそれこそ何日も篭っていたのだが、鳥須は俺の事情などおかまい無しに俺を誘う。
面倒で断ろうかとも思うのだが、その度に俺の興味を引く話題を持ってくるのだ。
そして今日は、俺がある程度酒に慣れたと見て、初めてのバーに誘われた所だった。
手にあるのは、普段家で使っているものとはなんとなく違う、美しいグラス。
もし派手に打ち鳴らしでもして、グラスを割ってしまったら大事だ。
そんな俺だが、正直言えば、もの凄く緊張している。
薄暗い照明も、広く大きな木目のカウンターも、足の長い椅子も、カウンターの奥にそびえる何百ものボトルも、何もかもが俺を緊張させる。
店に入った瞬間、意味も無く店内をキョロキョロと見渡したが、俺の心を安らげてくれるものはどこにもなかった。
明らかな異邦人である俺に、常連らしい中年男性数人が鋭い視線を向けている気がしただけだった。
ここは大人の世界だ。たかだか二十歳を過ぎて少しくらいの小僧が踏み入って良い領域じゃない。
そんな声が至る所から聞こえてくる。
だが、そんな俺とは対照的に、鳥須はリラックスした表情で手に持ったグラスを傾けている。それも、あのオシャレな三角形っぽいグラスだ。
彼女はコクリと喉を動かし、猫のように満足気な笑みを浮かべたあと、ふと俺の視線に気付いた。
「なに? 飲まないの?」
「飲む。飲むよ」
彼女のキョトンとした表情がニヤリに変わる気配を感じ、俺は慌ててグラスを傾けた。
俺が注文したのは『ボウモア』の十二年。アイラモルトと呼ばれる、スコッチウィスキーの中でもスモーキーフレーバーが特徴的な区分の一本だ。
その煙っぽい味わいの答えは、泥炭と呼ばれる化石燃料を使って、麦芽を作る過程にあるらしい。
あるらしいのだが。
緊張しすぎて、味がまったく分からない。
「……美味い、と思う」
「なんか煮え切らないね」
「ほっといてくれ」
鳥須のちゃちゃを入れるような物言いを流し、グラスに注がれた琥珀色を睨む。
手に持っているグラスは、ロックグラス。背が低く口が広い、どっしりとした印象のグラスだ。その中に丸くて大きい氷が一つ。琥珀色の海に浸かっている。
「お口に合いませんでしたか?」
俺が難しい顔をしているのを察したのか、そう声をかけてくる人が居た。
白いワイシャツに、黒いベスト。それにオシャレな柄のネクタイを付けた店の主人。年齢は三十から四十に見える、大人の男性。
ピシッと伸びた背筋と精悍な顔つき、それに反する柔らかな目と表情で尋ねられて、俺は思わず言葉に詰まった。
そんな俺を代弁するように、隣で鳥須が口を挟む。
「あ、大丈夫です。この人、ただ緊張してて味が分からないだけなので」
なっ、という気持ちで鳥須を睨みつけるが、彼女は俺の視線など軽く受け流す。
中年の男性は、あぁ、と仄かな苦笑いを浮かべ、静かに言った。
「どうか緊張なさらずに。あなたのような若い人はむしろ歓迎ですよ」
「……そ、そうなんですか?」
「ええ。なんせ店に来るのは枯れた中年ばかりですから。誰も彼もが瑞々しい刺激に飢えていますので」
そう店の主人が言うと、遠くの常連客から「おいマスター!」と突っ込みの声が届いていた。
口調自体は荒々しいが、どう聞いても怒りが混ざっているようには聞こえなかった。
「と、こういう風に、ウチはそこまで上品な店でもないので、気楽にどうぞ」
それからマスターは、軽い自己紹介の後、先程の男性のもとへと向かった。先程の冗談に対する、フォローでもするのだろう。
俺は貰った名刺をぼんやりと眺める。それを貰っただけで、まるで店に受け入れてもらったような、変な心地がしていた。
「総君も、人並みに緊張するんですねぇ」
「……うるさいぞ鳥須」
「だから伊吹って……まぁいいや」
鳥須はわざとらしくため息を吐いた後、言葉の代わりにグラスを傾ける。
飲まないの? と暗に告げられているようだった。
彼女に倣って俺も続けば、今度こそ琥珀色がじんわりと脳に届いた。
まずは仄かに立ち上る冷気が、大きくて丸い氷の存在感を表す。真円というにはデコボコが多い丸い氷。バーの醍醐味の一つだと胸に抱いていたもの。
冷気だけではない。一緒に立ち上るのは、アイラモルトの煙っぽい香り。何度も嗅いで慣れたはずの、独特のピート香。
ジグザグに鼻をくすぐるそれを楽しみつつ、俺はゆっくりと液体を口に含む。
勝手な感想だが『ボウモア』はアイラモルトの中でも飲みやすい。ピート香はやや控えめ、加えてスコッチらしい甘さと華やかさはしっかりと舌に届く。
他のアイラモルトが持つ尖った印象が薄い分、全体的にバランスの取れたまとまった味わい。
緊張していた時には分からなかった繊細なバランスが、しっかりと感じられる。
そして、それを堪能したあと、ウィスキーの余韻がゆっくりと鼻から抜けて行った。
「……うん。美味しい」
「今度は本当だね」
「…………」
俺の抗議の視線を相変わらず受け流し、鳥須はその手の中の『カクテル』にんーと舌鼓を打った。
その顔が本当に美味しそうで、俺と年はそう変わらない筈なのに、この場所に馴染んで見えた。
初めて来たバーで、俺の心を落ち着けてくれる唯一の存在がそこにあると思った。
彼女だけが、俺の家とこの場所で、変わらない。美味しそうに、ノビノビと自分の存在を主張している。
認めたくないが、鳥須伊吹は俺の中でどうやら、そういう存在であるらしい。
「さっきから視線を感じますが。アレですか。この伊吹お姉さんに見蕩れてますか」
「いや、こいつ人生楽しそうだなって思ってただけ」
「それは、ギリギリ褒めてるのかな?」
鳥須は複雑そうな顔をしたが、ふぅと息を吐き、年上ぶって言った。
「そして総君。その感想は誤りですね」
「……どういう意味だ?」
「私の人生が楽しそうなのではなく、私は人生を楽しんでいるのです」
意味を呑み込めずにキョトンとしていると、彼女は続ける。
「『我々が人生の意味を問うてはいけません。我々は人生に問われている立場であり、我々が人生の答えを出さなければならないのです』」
「……誰の受け売り?」
「『ヴィクター・フランクル』っていう凄い人」
鳥須はときどき、どこかから言葉を拾ってくることがあった。大体は過去の偉人の言葉で、それは大層素晴らしい言葉である。
しかし、それを実際に実践できている人がどれだけいるのかは謎だ。
だが、俺の知る限り、伊吹が引用してくる言葉は、彼女の行動原理と重なっている様に思えた。
つまり、今回の言葉もまた、彼女がそうあろうとしている言葉なのだろう。
「……で、それはどういう意味だと?」
「簡単に言うと、楽しいことも苦しいことも人生にはあるけど、それをどう受け取るのかは自由ですよって意味」
「相変わらず、都合の良い解釈をするんだな」
彼女のざっくりとした解釈に呆れていると、彼女はずいっと俺に顔を寄せてくる。
思わず後ずさろうとしたが、慣れない椅子故に上手く行かず、彼女の接近を許した。
目の前に広がった、とても綺麗な女性の顔。その口が静かに開く。
「人生の意味なんて探しても見つかりません。それは自分で選ぶもんです。よって私は積極的に楽しむことに決めました。総も一緒に楽しみましょう。オーケー?」
押し付けるような質問。
ぐいっと近づいてくる顔に、俺はたじろぎつつ、どうにか答える。
「分かった、分かったから離れろ」
「よろしい」
俺の返答に満足そうに頷き、鳥須は定位置に戻った。
自分で選べと言っておきながら、酷く強制的だった気がするのは気のせいか。
いや、この女は、初めて会ったときからこんな感じだったか。
グイグイと俺の人生に絡んできて、それまで穏やかだった俺の人生に、無理やり選択肢を植え付けていきやがるのだ。
そして、それを無理やり選ばせて、その後に「自分で選んだでしょ?」と免罪符のように俺を連れ回す。
……なのに、あんまり嫌じゃないのが、面倒だよなぁ。
「なんか失礼なこと考えて無い?」
「気のせいだ」
鋭い彼女に感づかれる前に俺は思考を打ち切った。
俺も彼女に倣って、まずはこのバーの雰囲気を楽しむところから始めてみよう。
ひいては、氷が解けて少し味が変わった筈の『ボウモア』を楽しむところからだ。
俺がこの中で最も『楽しめる選択』は、しっかりとお酒を味わうことなのだから。
──────
「……何年前の夢を見てるんだよ。俺は」
穏やかな朝日の気配を感じて、俺はぼんやりと目を開け、呟いた。
差し込んでくる光は、俺に選択の余地を与えず覚醒を促す。それに抗ってみるのもまた選択か。
「……って、やめだやめだ。夢に引きずられて思考までおかしくなってる」
俺はわざと声に出して、脆くなりかけていた心を立て直す。それからゆっくりと、上体を起こした。
この世界に来てからずっと使ってきた机に、少ない私物を収納する棚。
だが、それ以外の部屋の間取りは、まだ数ヶ月の付き合いである。
俺がこの世界に来てから、一年半。
季節は奇しくも夢と同じ頃、夏の終わりから秋の初まりだ。
当初はなし崩し的に居候させて貰ったのだが、いつまでもヴェルムット家にお世話になっているわけにはいかない。
一年も暮らしていればこの世界にも慣れたし、区切りとして丁度良い機会だと思った俺は、ヴェルムット家を出た。
ヴェルムット家の家族代理を自負していた俺ではあるが、その役割に俺以上に当てはまる人物が現れたのも、きっかけの一つかもしれない。
と言っても、ある意味ではヴェルムット家の敷地からは出ていないのだが。
なんせ現在地は『イージーズ』生産工場のすぐ近く。
『イージーズ』が所有していた土地に新しく建てられた『イージーズ寮』の一室が、今の俺の住居であった。
「……人生を楽しむ、ね」
何年も前に聞いた言葉だったのに、それがジクジクと俺の胸を突いていた。
さて、今日はどんな予定があったかぼんやりと浮かべながら、俺は夢と決別するために洗い場へ向かうことにした。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
今日から五章幕間開始です。
初っ端からまた過去かよ、って感じですが、今回も幕間という名の短編連続になるかと思われます。
ただ、今回はそれなりにストーリーに絡む可能性があるので、読み飛ばし過ぎにご注意です。
予定では、隔日更新になります。なるべく頑張りますので、広い心でお付き合いいただけると幸いです。
※0906 前書きに『あらすじ』を追加しました。




