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異世界転移バーテンダーの『カクテルポーション』  作者: score
第五章 幕間

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あの頃の残滓(2)

「おはようフィル」

「あ、おはようございます」


 洗い場に着いたところ、すでに起きて顔を洗っていたフィルの姿があった。

 寮と言ったが、この建物は一般的にイメージする寮とは、少し趣が異なる部分がある。

 変わらない所で言えば、風呂とトイレが共同だったりはするし、基本は食堂でご飯を食べる。そういう意味では、一人暮らしをしていた頃の俺の家よりは不便かもしれない。

 しかし、この建物の大きな特徴として、カクテルの練習ができるカウンターが、地下に設置されているのだ。


 自室で練習するのも勿論良いが、店にまで行かずに専用の機材があって、弟子達の面倒を見れる場所があれば良いとは前々から思っていた。

 寮として部屋数自体は少なく、部屋もそれぞれが簡素な作りだが、問題はない。日の当たらない地下が寝床として欲しいと言っていた、吸血鬼兄妹の要望にも応えている。

 色々とお金は掛かってしまったが、その分は『ある所』から申し出があったのもあり、大きな問題にはならなかった。


 というわけで、設立された寮では、現在ヴェルムット家を除いた従業員の大半が生活している。


 そんな寮施設の一画。魔法的な処理で水が出てくる蛇口が並んだ洗い場。

 そこから零れる水で顔を洗い、柔らかな印象の銀髪を僅かに濡らす少年はフィルオット・キリシュヴァッサー。

 朝日が似合いそうな穏やかな印象の美少年だが、彼の本質はむしろ夜に似合う。

 なぜなら彼は人間ではなく吸血鬼であり、俺が初めて取った二人の弟子の片割れだからだ。


「今日もいい天気ですね」

「ああ。俺もすっかり、太陽に起こされる体になっちまったもんだ」


 朝ゆえの適当な会話もそこそこに、俺も冷たい水で顔を洗った。

 横合いからそっとタオルが差し出される。礼を言って受け取ると、「おかまいなく」という返事がスマートに返ってきた。


「随分と手慣れたもんだ」

「いえいえ。このくらい、サリーの世話に比べれば」


 俺は素直に感心したのだが、フィルは照れくさそうに謙遜した。

 そんな彼の言葉で、俺はもう一人の弟子がこの場に居ないことにも気付いた。


「そういえば、サリーはどうした?」

「あ、えっと、ええ」


 俺が少女の名前を口に出すと、フィルは言いにくそうに顔を逸らす。

 フィルの双子の妹、俺のもう一人の弟子であるサルティナ・キリシュヴァッサー。

 そりゃ、いつも二人一緒に行動しているわけではないが、顔を洗いに来るのに別行動というのもないだろう。


「えっと、彼女は昨日も遅くまで練習をしていたと言いますか」

「つまり寝坊か」

「……まぁ、はい」

「ったく、あいつは……」


 いくら言葉を重ねた所で、結論は一つしかないのだ。

 この寮では、朝食の時間が決まっている。食事を担当してくれるのは、イージーズの農場の管理者、兼寮の管理者になったコルシカだ。

 基本的には、イージーズが持つ畑の世話を任せている彼女だが、その手間も合わせて寮の仕事も笑顔で引き受けてくれている。

 せめて、そんな彼女の手間を減らすため時間はきっちり守ろう。というのが、ここに住む者の暗黙の了解になっている筈なのだが。

 ご覧の通り、ここに銀髪の少女の姿はない。


「朝食には間に合いそうか?」

「あー、えっと」

「……あいつ、いっつもライに起こして貰ってたもんな」


 ヴェルムット家の次女、ライ・ヴェルムット。姉のスイ・ヴェルムットと違ってそういうところできっかりしていた彼女。

 俺は基本的には自分で起きていたが、それでもたまに、前日の営業で眠りが深いときは彼女に起こされたものだ。

 ヴェルムット家を離れた弊害の、一番大きいところは案外それかもしれない。


「まぁ良いや。朝食までに起きないようだったら起こしてやってくれ」


 サリーの世話はフィルに任せて、洗い場から玄関へと足を向ける。

 俺の指示を受け取ったフィルが、頷きつつ尋ねた。


「分かりました。──お散歩ですか?」


 俺は、そんな質問になんでも無さそうに答えた。


「ああ。ちょっと変な夢見ちゃったから、忘れてくる」


 はは、と軽い笑顔を浮かべる。

 だが、もしかしたら、ちゃんと笑えていないかもしれない。

 フィルは俺の言葉に一瞬だけ目を伏せ、それからにこりと笑顔を浮かべた。


「では、お気をつけて。それとも付いて行きますか?」

「要らないって。心配すんな」


 俺は今度こそ、本心から苦笑いを浮かべてフィルにひらひらと手を振った。




 季節は夏と秋の間で曖昧だが、青く澄んだ空はハッキリとした秋の空だった。

 抜けるような遠い青に、薄い雲がいくらか浮かんでいる。

 雲の様子は、日本で見慣れたものとそう違いは無い。いや、普段から若干違いはあるのだが、やや乾燥した気候が、秋の空には似合っていた。


 空からゆっくりと視線を下ろして行き、この敷地に思いを馳せる。

 寮はこぢんまりとしたアパートのような大きさだ。領主様のお屋敷よりは小さいが、一般的な家庭よりはずっと大きい。

 そして、それが収まってなお、この敷地にはまだまだ空きがあった。

 これまで、思いつきの度に土地を使って行っても、充分な空きが残っている。

 正直に言えば、このスペースをこの先どう活用したら良いのかが見えなかった。


 畑を広げるにしたって、イージーズの規模で持つには十分以上の広さがある。そも、食材の大部分は仕入れている訳で、そもそも魔草の栽培実験以上の広さは必要ないのだ。

 さりとて、バー部門で必要な材料(主にジュースなど)の生産工場にしても、これ以上の広さは必要ない。今の段階で充分まかない切れている。

 更なる大量生産と販路拡大を目指すにしても、それはもう、俺の手から離れた仕事だ。


 俺がこの世界に来て、一年半。

 次々と目の前に現れる緊急の課題を、あれよあれよとこなしてきた。

 そうこうしているうちに、『カクテル』の基礎的な土台部分は、整ってきた。俺がやらなければいけないことが、目に見えて減ってきていた。

 必要な分を使ってなお余りあるこの敷地は、そんな俺の心境と重なっても見えた。


 目の前の分りやすい道標がなくなってきて、さぁ、これからどうする?


 夢のことを忘れようと、一人で散歩に出たつもりだった。

 だが、ここを歩いていると、逆にどんどんと夢の内容を鮮明に思い出してしまう。


 人生は常に、俺に向かってその意味を問うている。そう彼女は言っていた。


 背後に見えるのは、すでに随分と小さくなった寮だ。郊外にほど近く、大多数の人々からは遠ざかったこの場所にある。

 人々との繋がりは、広大な敷地に沿うように続く道。牧歌的な雰囲気の、石造りの道。

 少し左に視線をやれば、イベリスが管理している幾多の工場群。牧歌的雰囲気の対極にあるような、酷く近代的な建物の群れ。

 右に目を向ければ、夏とは随分と様変わりを始めている、畑の列。道に沿うようにしつつ、それは自由に続いている。


 そして前に目を向ければ、どこまでも続くような広大な土地。もちろん、どこかの境でそれはイージーズのものではなくなるわけだが、考える意味もない。

 なんの手がかりもなく、すでに必要なものを揃えてなお、目の前にはまだそれだけの『空白』が広がっている。


 俺は唐突に目の前が真っ白になった気がして、薄く目を閉じた。

 静かに深呼吸をしてから、何度か手を握っては閉じる。

 大丈夫だ。俺はちゃんとここに居て、こうして立っている。

 そう、頭と心に、繰り返し、送り込んだ。



「よっ総。朝なのに、なに黄昏れてんだよ」



 不意に後ろから声がかかった。

 慌てて振り返れば、そこには俺と年の近い、もっとも気楽に話せる友人の姿があった。


「ベルガモ。おはよう」

「おう。おはようさん」


 俺がにっかりと笑顔で挨拶すれば、ベルガモもにこやかに返す。

 僅かに、彼に付いている獣の耳がひくっと動いた。少しだけ、このやり取りを照れくさく感じたのかもしれない。


「で、何してたんだ?」

「何も。ただ、ぼーっと前を見てただけ」

「ふーん」


 嘘を吐くことなく、素直に答えていた。ベルガモは俺の返答に生返事しつつ、俺の隣に立つ。

 それから、じーっと前を見て、はぁ、と息を吐く。


「俺には、なんにも見えないけど」

「そうだな。俺にも何も見えない」


 素直な応対が続く。

 ベルガモはすっと俺の顔を見て、ぼそりと言った。


「……何見てたんだよ」

「……何見てたんだろうな」


 そんな何も考えていないやり取り。気まずい沈黙が、俺達を包んだ。

 それからベルガモは、あからさまな呆れ顔を浮かべた。


「やっぱり、ちょっと変だぞ総。いつもより暗いぞお前」

「……悪い。なんか、ちょっと調子が出なくてな」


 暗いと指摘されて、言葉に詰まった。


 いくら外側を取り繕ったところで、俺の本性など変わりはしない。

 どれだけ対人スキルを磨いても、どれだけ人の気持ちを考えても、どれだけの時間笑顔と触れても。心の底で変わらない部分がある。

 今の俺を形成する根っこは、『誰か』に引っ張られないと何もできない、俺のまま……



 って。違う!



 何を考えているんだ俺は。

 気弱になっているからって、今の自分を否定するようなことを考えてどうする。

 俺は、立ち止まるために前を見ていたわけじゃないだろうが。


「大丈夫、すぐいつもの俺に戻るからさ」


 俺は意識的にニカっと笑みを浮かべた。

 ベルガモはそれに少しだけ苦笑いをしてから、元気に返す。


「そいつは良かった。じゃ、そろそろ朝食の時間だから遅れず来いよ。コルシカの朝食だ。冷ましたりしたらぶっ飛ばすぞ」

「それは俺じゃなくサリーに言ってやれ。むしろぶっ飛ばして起こすくらいで良い」

「だな」


 軽口を叩き合えば、心のエンジンも動き出す。冗談の口も回ってきた。

 もう少しすれば、意識しなくてもいつもの俺に戻れるだろう。


「……じゃ、俺も少しコルシカを手伝ってくらぁ」

「おう」


 ベルガモは言って、そそくさと寮へと戻って行った。

 さて彼は、どうしてここに来たのだろうか。

 ……もしかしたら、フィルあたりに俺の話を聞いて、心配で様子を見に来たのかもしれないな。


「……たく。いつまでも女々しい男だな俺は、くそ」


 ブンブンと頭を振る。

 そして、ふと足元を見た。


 前が見えなくても、足を前に出せば人間は歩ける。

 足元を見れば、進むべき道はしっかりと続いている。

 それで今は、何かが見えるまで進めば良い。



 その先にきっと、漠然とした『カクテル』の先がある筈だ。



 そうやって何かを先延ばしにしたまま、俺もまた、朝食を取るために寮へと戻ることにした。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


期間が空いてしまったのに、前話の前書きであらすじを入れるのを忘れていました。

追記しましたので、念の為ご報告させていただきます。

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