【マティーニ】と【マンハッタン】
「今日集まって貰ったのは他でもありません」
現在地は、イージーズのバーカウンター。
ほとんど毎日働いているにも関わらず、なんだか久しぶりの気がしている。
いや、ある意味では久しぶりで正しいのだ。
あんなにも良く使っていたにも関わらず、その二本が目の前に存在しているこの状況は。
「『ベルモット』の試作品。『タリア・スイート』と『タリア・ドライ』の二本を使ったカクテルの試飲会を執り行うためです」
勿体付けて言ってみたが、拍手の音が聞こえてくることがない。集まってもらっている人々は静かに事の成り行きを見守っていた。
代わりに、今回の主役として前に座ってもらっているスイとライは、ガチガチに緊張した様子で俺を見ている。
「良いから、早く」
「そうだよ総。早くしてよぉ」
「風情がないなぁ」
右と左。スイとライからの攻勢に、飄々と返した。
急かす二人に、俺を含めた周りの面々が苦笑いしている。
『スイート・ベルモット』は、甘い雰囲気をもつフレーバードワイン。
薬草らしい複雑な風味を持ちながら、カラメルで色付けされた印象も相まって、ふわりと優しい舌触りの一品。
『ドライ・ベルモット』は、辛い雰囲気をもつフレーバードワイン。
こちらも薬草らしくはあるが、色づけはなされずキリッとした印象を宿す、刺激的な一品。
その二つの『ベルモット』を使って、今日初めてカクテルを作るのだ。
銃については、今はどうでも良い、重要なことじゃない。
この場にまだノイネの姿があることで察して欲しい。
今は営業前の時間であるが、結構な人数が集まっている。フィルやサリー、ベルガモと言った身内はもちろん。いつも協力してくれているイベリスに、農場でお世話になっているコルシカ、それとスイの親友ヴィオラも呼んでいる。
常連さんにも何度か告知をしてきたので、イベントとしてたくさんの人が集まってくれている。
それだけ、今日は特別な日のつもりだった。
「また、本日で自分、『夕霧総』は、この世界に来て一年になります」
俺の言葉に、そこに集まっている面々はそれぞれ感慨深そうな顔をした。
そう、去年の今頃。まだ少し肌寒い春に、俺はこの世界にやってきたのだ。
思えば色々とあった。この一年という期間は、随分と濃密だった気がする。
右も左も分からず飛ばされてきたこの世界。そこでスイと出会った。
バーを開き、炭酸飲料を作り、リキュールを探し、弟子を取り、
記憶を取り戻したり、販路を広げたり、ウィスキーを求めたり、
そして最後に残った『ベルモット』が、今この場にある。
いや、正確にはある『かもしれない』だ。
俺の知らない薬草で作った、俺の知らない薬酒。熟成期間の短縮に魔法を使った、ちょっとズルをしたお酒。
それでも、ようやく辿り着いた。
一年かかったというが、一年でこれは出来過ぎなくらいだ。
俺は感無量という言葉を深く心に刻みながら、バーテンダーのスイッチを入れた。
「本日最初のメニューは決めてありますので、ご了承ください」
スイとライに、今日は注文を聞かない。もとより、任せると事前に了承は貰っている。
ここで俺は、目の前の『彼女達』ではなく、この薬酒のレシピを残した『タリア』のために一杯作る約束になっている。
そして、二つのベルモットがあるのなら、おあつらえ向きのものがある。
今日この日のために揃ったのではと思えるような、おあつらえ向きのレシピが。
二杯のカクテルを同時に作るにあたっても、注意は同じだ。
素早く、作業を効率良く、そしてできるだけ足並みを揃えて。
そのためにも、まずさっさと準備を終えてしまおう。
取り出したのは二つのカクテルグラス。それぞれ清潔な布で軽く拭き、作業台へと並べて置いた。
それと同時に、カクテルピンと呼ばれる、カクテル用の金属で出来た楊枝のようなものを二つ用意した。
それらを準備してから、まずはレモンに手を伸ばす。
と言っても、レモンが材料として入るわけではない。
レモンの果皮。それも白い部分を含めないように丁寧に黄色い部分を切り取って、小皿に取っておく。
これで、常温で出来る準備は完了だ。
次に俺は、冷蔵庫に入れてある材料を取り出す。
ボトルはまだ先だ。取り出したのは瓶詰にされた二種類の丸い果実。
真っ赤な色をした『マラスキーノチェリー』と、今回のカクテル以外ではほとんど使われることのない、くすんだ緑色の『オリーブ』である。
バースプーンで瓶から取り出し、それらの水気を布巾で丁寧に拭き取る。そして一つずつカクテルピンに差す。
果実に刺さったピンがグラスからちょこんと頭を出すように、グラスへ移した。
赤とくすんだ緑、ふたつが底に鎮座するカクテルグラスが出来上がったところで、冷凍庫の扉を開ける。
今回使うのは『ジーニ』。それとこのときのために冷やしておいた『ライ・オールド』だ。こっちの『ライ』はライ麦の『ライ』である。
氷も一緒に取り出し、空いたスペースに、カクテルグラスを押し込む。
それが済んだら、今度はボトルと器具を取り出すために冷蔵庫を開けた。
目の前に置いてあるベルモットは、飾りだ。
本日使う用のベルモットはちゃんと冷やして冷蔵庫に入れてある。ちなみに、ベルモットは冷蔵保存が基本だ。
ベースがワインということもあって、常温保存では品質の劣化が激しく、冷凍では凍る。
そしてその瓶の隣には、今まであまり使う機会のなかった、バーに欠かせない器具の一つも冷やしておいてある。
その名はミキシンググラス。
使い方は、簡単に言えばシェイカーと同じ、と言っても良いだろう。
構成としては、液体を冷やす為のビーカーのような形をした厚手のグラスと、中の液体を注ぐ時に氷を留めるためのストレーナーの二つからなる。
グラスの中で氷を使って液体を冷やし、ストレーナーで押さえながら液体だけをグラスに注ぐ道具だ。
そのミキシンググラスも二つ用意して、ふっと短く息を吐いた。
意識しなくても、ドッドッと心臓のペースが早まっているのが実感できる。
ここからが正念場だ。
まず、ミキシンググラスの中に氷を詰めて行く。半分より少し下くらいまで氷を詰めたら、その中にチェイサー用の水を注いだ。
三分目程度の高さまで水を入れ、バースプーンでグラスを滑らかにステアする。
この行為の意味は二つと教わった。
一つはグラスを充分に冷やすこと。もう一つはグラスに入れた氷の角を取ること。カクテルの材料を入れる前に、その場を液体に馴染ませるのだ。
充分だと判断した段階でステアをやめ、ストレーナーを装着して中の水を捨てる。
しっかりと水を切ったところで、一つ分の準備は終わりだ。
氷を無闇に溶かさないように、もう一つのミキシンググラスも急いで同じ準備をする。
それを済ませたところで、いよいよ材料を注ぐことになる。
最初に入れるのは『アンゴスチュラ・ビターズ』と呼ばれる、木の果皮のような風味をもったスパイシーなリキュール。この世界では魔草ポーションだが。
これは普段、作業台の周りの調味料のあたりに置いてある。それを手に取って、それぞれのグラスに1dashずつ。
それからまずは、スイの一杯からに決めた。
スイが座っている右側に置いたミキシンググラスに、冷やしておいた『スイート・ベルモット』を15ml。
メジャーカップを返して、『ライ・オールド』を45ml。
材料はシンプルにそれだけだ。あとはこれをミキシンググラスで、一気にステアする。
このミキシンググラスを使ったカクテルは、ステアのカクテルと呼ばれる。
ビルドとステア、どちらも技法としてはバースプーンでステアすることで作られる。
ビルドとの大きな違いは、カクテルを直接飲むグラスで作るか、混ぜるだけのグラス──ミキシンググラスを挟むかだ。
その性格上、シェイクほど混ざりにくいわけではないが、ビルドで飲むには少し繊細なショートカクテルに使われることが多い技法である。
コツとしては、ガチャガチャと氷を騒がせないで、すっとスマートに冷やすこと。
シェイクと違って空気が混ざらないので、より繊細な味わいが生まれる。だから、ステアのカクテルは、はっきり言えば一番緊張する。
すーっと、グラスが薄く霜を張ってくるだろうタイミングを、見計らう。
霜が張ってからでは遅い。張ると思ったタイミングくらいが、丁度なのだ。
そして、それは……今だ。
流れに逆らわず、ステアを止めた。軽く味を見る。問題はない。
出来上がった一杯をすぐにグラスに注いでしまうため、冷凍庫を開けた。
取り出すのは赤いチェリーの入ったグラス。
作業台の上でトクトクと注げば『オールド』と『スイート・ベルモット』の色が混ざり合い、濃い褐色の海が出来上がった。
その中に沈む、赤いアクセントが、目に鮮やかである。
しかし感慨に浸っている暇もなく、俺は急いでもう一つのミキシンググラスに向き合う。
少しだけ溶けてしまった水を捨てる。『アンゴスチュラ・ビターズ』はそこまで追加の必要はない。
俺は次の一杯に、常以上の気持ちをこめて取りかかった。
思えば、こいつを作るのもまた、一年ぶりということになる。
腕を鈍らせてきたつもりはないのだが、やはり少し、怖い。
そんな臆病を、バーテンダーとしての自信と自負で押さえつけ、『ドライ・ベルモット』のボトルを手に取った。
メジャーカップを手に取り、静かに15mlを計り入れる。
くるりと返し、45ml側に注ぐのは『ジーニ』だ。
こちらの一杯も、材料はシンプルにそれだけ。
それだけの世界が、どれだけ奥深いことであるか。
ミキシンググラスにメジャーカップを傾けて、また滑り出すようにステアを始めた。
この一杯には、色々と思い出がある。
大半は、俺の作った一杯を貶す言葉だ。
甘過ぎる。辛過ぎる。重過ぎる。軽過ぎる。水っぽい。濃過ぎる。温い。冷やし過ぎ。
およそカクテルに向ける罵倒の全てを、この一杯から経験させて貰った気がする。
だからこそ、俺はこの一杯が怖いし、それと同時に感謝している。
そうやって散々罵倒してきたお客さんが、初めて『美味い』と言ってくれた瞬間の嬉しさを、教えてくれたのもまたこの一杯なのだから。
タイミングを見失わないように、注意深く、ステアを止めた。
こちらも軽く味を見てやれば、俺の想定した味がしっかりと舌に届いてくれた。
冷凍庫からグラスを取り出す。オリーブが入っているそれだ。
そちらを作業台に移して、静かにその一杯を注いだ。
最後の一滴まで注ぎ込めば、基本は無色であるはずなのに、ほんのりと淡い黄緑が掛かったような、透明の液体がグラスを満たした。
俺はそれぞれ、スイとライの前に差し出す。
スイにはチェリーが入った褐色のカクテル。ライにはオリーブの入った透明のカクテル。
だが、まだ名前を告げることはない。
ライの方に差し出した一杯には、最後の一手間が残っている。
最初に切り出しておいたレモンの果皮。
それを親指人差し指、中指で挟んで持ち、ライの前のグラスに持っていく。
トントントンと、三角形を描くようにグラスの周りで三回、果皮を絞る。
最後に締めとして、グラスというよりは人に香りを楽しんでもらうよう、高めの位置でくるくると回しつつ一回。
その作業によって、今回の二杯のカクテルはようやく完成した。
「お待たせしました。スイにはカクテルの女王【マンハッタン】、そしてライにはカクテルの王様【マティーニ】です」
一年間もバーで出ないなど、現実ではありえないだろう。
そんな二杯のカクテルが、イージーズのカウンターにようやく登場したのだった。
スイとライ、二人はお互いに緊張した様子で、その一杯に手を伸ばしている。
その様子を見ながら、俺はちょっと微妙な反応が返ってくるだろうことを想像した。
それは特に、ライの方からだ。
「いただきます」
「いただきます」
二人は口を揃えて、最初の一口を含む。
そして、案の定の結果になった。
「……ん」
「んー」
少し詰まった感じの『ん』がライ、少し伸びたかんじの『ん』がスイの感想である。
「……お、美味しいね」
「うん、美味しい」
明らかに引き攣った表情でありながら、ライはそうお世辞を言った。
俺はそんなライの気持ちに感謝しつつも、苦笑いで返す。
「無理しなくて良いですよ。飲みにくいって分かってますから」
「……へ?」
「そうなんです。カクテルの王様【マティーニ】は、甘いカクテルが好きな女性なんかにはすこぶる評判が悪いんです」
俺がおどけて言ってみせると、ライはほんのりと破顔した。
微妙な顔をさせてしまって、こっちの方が申し訳ない気持ちもある。
スイは大丈夫だったようだが、実はこの二杯、結構飲みにくかったりもするのだ。
【マンハッタン】はそれでも甘めなので、ウィスキーが大丈夫な人は結構行ける。
しかし【マティーニ】は、ジンの切れ味とドライ・ベルモットの辛い風味が相まって、一見様お断りってくらいの、難しい味わいを持っているのだ。
俺自身、あまり酒に詳しくないころ飲んだときは、このカクテルが王様と聞いて何かの冗談かと思った。あまり美味しく感じられなかったのだ。
しかし、何度も飲んでいると、次第にジンとベルモットの相性や、好みの銘柄まで考えるようになってくるのだから不思議なものである。
「せっかくだから、二人とも、その一杯を取り替えてみると良いよ」
バーテンダーのスイッチを切って、柔らかく提案すると、二人はきょとんとしつつ、その提案に従った。
スイには【マティーニ】を、ライには【マンハッタン】を。
口にすると、二人は先程とは打って変わって、安らいだ表情を見せた。
「うーん。私はこっちの方が好きかなぁ」
「私も、これくらい辛くても良いと思う」
そんな二人の正直な感想に、俺は少し面白くなって笑ってしまった。
「スイにはライ、ライにはスイって、そんな所まで仲良し姉妹しなくても良いんじゃない?」
俺が感想を漏らすと、二人は少し恥ずかしそうに俯いた。
そして、もう一度だけ『自分のベルモット』のカクテルを含み、揃って苦笑いをした。
良い頃合いだと思って、俺は集まってくれている面々に大きな声をかける。
「というわけで! 今日は『ベルモット』の試飲会です! 料理もジャンジャン届きますから、みなさん楽しんでいってくださいね!」
俺が大声で店内に告げると、さっきまで姉妹の様子を見て静かにウズウズしていた客たちが一斉に沸いた。
隣に立っている二人の弟子に、忙しくなるぞと目配せをする。二人は望むところだとばかりに、自信ありげに頷いた。
ふと厨房の入り口に目をやると、オヤジさんの背中が見える。
背中からだと分かり難いが、その頭は少しだけ俯いている気がした。
今、タリアのノートは彼が保管している。そして、これはあくまでも俺の妄想にすぎないのだが。
今夜彼は、そのノートを開いて一人、晩酌なんかをするのではないだろうか。
「よし、気合入れるか」
俺はさっそく注文が飛び交い始めた店の中で、もう一度だけ気持ちを込める。
ようやく、目標の酒は、ほとんど揃った。
しかしそれはスタートラインに立っただけだ。
「スイ、これからも頼むな」
「……? 当たり前」
俺に突然声をかけられて、カウンターに座ったままだったスイがきょとんとする。
だが、直後に続いた彼女らしい言葉に、俺は嬉しくなる。
そして、俺はこの地でまた、新たな一年を刻むことになるのだ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
これにて五章は完結になります。
ようやく、バーとしての体裁が整った一年という形になりました。
迷ったのですが、【マティーニ】と【マンハッタン】に関しては、あえて味の描写を入れないことにしました。
理由として、この二つのカクテルは、自分の描写で味に対する先入観を与えたくないというものがあります。
この二つは、本当にバーテンダーごとに求める味や、使う材料などが違います。
合う合わないという点でも、例えば【マティーニ】は、ライみたいに全く合わなかったりスイのようにこの感じが好きだったりなど、感じ方が個人で大きく異なります。
ですので、この二つのカクテルに関しては、『カクテル』の醍醐味を、実際に飲んでみて感じて欲しいなと思いました。
それなので、味覚の違う二人の簡単な反応だけに留めさせていただきました。
他のカクテルは良いのか、という声が聞こえてきそうですが、他のカクテルもあくまで参考程度に留めていただければと思っています。
その中でもこの二つは、その思いが特に強いのだと思って頂けると幸いです。
ただ、それでも描写が見たいという声が多ければ、主人公の視点からでその描写をすることも考えますので、そのようによろしくお願い致します。
さて、この先のお話ですが、少し期間を置いてから、六章の前に五章幕間を挟みたいと思っています。
そして長く続けてきている本作ですが、今後の予定をさらりと言いますと、本作は六章で完結する予定です。
詳しいことはまた後日活動報告にて記載させていただきます。八月中には再開する予定です、とだけ。
あらためて、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
終わりに向かって、五章幕間では日常回を、そして六章から大分毛色が変わる予定ですが、それでも完結までお付き合い頂けるとしたら幸いです。
あと、書籍版も発売中です!二巻も出ますのでどうぞよろしくお願いします!(露骨な宣伝)




