二つのノート
「結論を言えば、却下ですね」
「へ?」
笑いが収まったノイネは、開口一番に言った。
「な、何が不満なんですか?」
「何がも何も……ひとまず、エルフはあなたが思う以上に、閉鎖主義なんですよ。私一人だけならその提案を受けるのも悪くないですが、大多数のエルフはそうではないでしょう」
はっきりと、それは出来ないと言われて、俺はぐっと唇を噛んだ。
「でもそれは、カクテルを知らないからで、もしも知ったら」
「知ったとしても同じですよ。結局エルフも自分勝手なものですから、あなたがエルフの里に住めば良いとか言い出すだけです」
この世界の種族は、本当に自分勝手な連中しかいないのか。
いや、一番自分勝手な提案をしたのが自分だという自覚はあるのだが、それにしても──
「しかし、私はあなたの回答が気に入りました。具体的には、無償でノウハウを提供しても良いと思うほどに」
と、心の中で思っていたところで、ノイネの方から思わぬ言葉がかかっていた。
俺は一瞬、何を言われたのかを理解できずに、尋ね返す。
「……今、なんて?」
「ですから、薬酒についての知識を、エルフの知恵を、あなたに授けても良いと個人的に思っています」
ノイネが柔らかな笑みを浮かべる。
その意味がストンと胸に落ちてきたところで、今度は心配になってしまった。
「だ、大丈夫なんですか? その、俺が想像するのもおこがましいくらい、薬酒とかって長年の知識とか、秘密で出来上がっていると思うんですけれど」
「それを教えてくれと言ったのは、あなたたちではないですか」
「……そうですけど」
「少し、待っていてください」
俺に待つように告げて、ノイネは持ってきていた荷物袋をゴソゴソと漁り始めた。
あまりにもトントン拍子で話が進むと、逆に不安になる。
俺以外の面々も、今いったい何が起こっているのか半信半疑の表情を浮かべている。
暫く惚けていると、ノイネは袋の中から二冊のノートのようなものを取り出した。
「……それは?」
ノイネは質問に答える前に、俺にその二冊を手渡した。
上のノートには、ノイネの文字で『ノワリー・プラットの秘伝』と書かれている。
「上の一冊は、あなたに要点を伝えるために作った、世界に一冊しかない私の薬酒指南書です。あなたが答えを出せなければ、この場で燃やしてしまうつもりでした」
さらりと過激なことを言ったノイネに、俺は苦笑いしか返せない。
恐縮しながらパラパラとノートをめくると、丁寧な字で実に様々な薬草の話が乗っている。処理の仕方に、浸漬方法やその期間、採取の際の注意点や味、相性についてなどなど。
とにかく、その一冊があればかなりの疑問は解消するであろう、知識の塊のような書物であった。
「……こんなに、ありがとうございます」
「好きでやったことです。そしてそんなものよりも、本題は下のノートです」
「下ですか?」
ノイネが取り出したもう一冊のノート。これは上のノートよりもやや古ぼけていて、少しだけボロっちかった。
しかし、そのノートの持ち主の名前を見た時、俺は思わず取り落としそうになる。
「これ、タリアさんの、ノート……じゃ」
俺が声に出した瞬間、俺とノイネのやり取りを黙って見ていた一同がざわめいた。
そのもう一冊には、タリア・プラットという名前が確かに記載されていた。
ノイネは、それを手放すことに寂しそうな表情を浮かべている。
「はい。それはタリアが書き綴っていた、薬酒のアイディアノートです。フレンと一緒に駆け落ちしたとき、家に置いていった彼女の忘れ形見です」
俺は震えそうになる手を必死に抑えて、静かにノートを開いた。
大半はアワクスの蒸留酒を使ったレシピ。それもノイネの添削付きで、色々とダメ出しと改良の跡が残っている。
ノイネはかなりの辛口のようで、大半がダメ出しであるようだ。タリアはまだまだ修行中の身だったようである。
それでも静かに読み進めて行くと、白紙ではない最後のページに、二つの興味深い記載が残っていた。
「……これって」
「はい。だから私は『スイ』と『ライ』。二人がタリアの娘だと知っていたんです。その名前を、知っていたから探せたんですよ」
俺が見つけた記載に頷くノイネ。
俺は今、その記載を読むのは自分ではないのだと思った。
そのページを開いたまま、俺はオヤジさんへと顔を向ける。
「オヤジさん。以前言ってましたっけ。スイとライの名前は、タリアさんが昔からずっと温めていた名前だったって」
「……ああ」
「……このページです」
開いたままのノートを、オヤジさんはそっと受け取った。
そして、その見開きのページにそれぞれ書かれている名前を見る。
ぶるっと、オヤジさんの背が震えたが、決して表情には出さない。
「お父さん?」
「私達も見ても良い?」
スイとライ、二人の娘の声にオヤジさんは無言で頷く。
そして、ノートを手渡された二人もまた、その記載を見て固まったのだった。
ノートに書かれていたのは、二つの薬酒の名前だ。
それらの説明に入る前に、タリアの乙女心──あるいは悪戯心が補足を加えていた。
『あの人ともし子供が出来たとしたら、どんな子供になるのでしょう。そんな妄想に浸りながら、まだ見ぬ子供達にこのレシピを捧げます』
そんな書き出しのもと、続いた二つの名前。
『スイート・ヴェルムット』
『ドライ・ヴェルムット』
そのままでは味気ないからと、タリアは二つの薬酒に愛称を付けていた。
すなわち『スイ』と『ライ』だ。
ベースは白ワイン。
フレンはアワクスの蒸留酒が口に合わないらしいから、彼女なりに考えた結果だと、補足で書いてあった。
「私は、その二つにだけは、どうしても手を加えることができませんでした。改善点を探そうと思えばできる筈なのに、それをしてはいけないと、思いました」
ノートを見て固まっている三人に、ノイネが昔語りのように話す。
確かに、それまでこれでもかと付いていた添削の跡が、その二つにだけは存在しない。
「だから今回、タリアにそのノートを返すつもりで、私はここに来ました。タリアが死んだと知った時、私はそのノートをタリアと一緒に埋めてしまおうとも思いました」
知らなかった予定。しかし、実行されなかった予定。
そうされる筈だったノートは、今こうして、ヴェルムット家のもとにある。
「しかし思いとどまりました。そのレシピをどうするにせよ、ノートはあの子が愛した家族の元に、あった方が良い、はず、です……」
ノイネの声が、次第に震え出していた。
見る見るうちに瞳に涙が溜まり、雫となって落ちはじめる。
表情を歪めながら、ノイネはそれでも最後の言葉を告げた。
「どうか、あの子の想いを、お願いします。フレン」
「……確かに預かった。届けてくれてありがとう。ノイネ」
その言葉の後、ノイネの声は小さな嗚咽へと変わった。
釣られるようにしてライの声が続く。それに強情に逆らっていたスイも、少ししてから続いてしまった。
三人が肩を寄せ合うようにして嗚咽を漏らしているのを、オヤジさんが静かに抱きとめていた。
今、俺の目には映らないが、あそこに確かに、タリア・ヴェルムットが居るのだろう。
一陣の風が吹き、俺は春の訪れを切に思った。
雪解け水のような、四人の涙を眺めながら。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
すみません、以前一周年にあやかって次は【ジン・ライム】の画像をTwitterに、なんて言っていたにも関わらずすっかりと忘れていました。
遅れてしまいましたが、作中でバー開店の前夜に作っていた、手抜き【ジン・ライム】の画像を上げますので、興味がございましたら、見ていただけると幸いです。
@score_cooktail
 




