白き影の誘い
「なんで、今、ここに……」
驚きの感情で、俺は上手く言葉が出てこなかった。
どうして彼女が、いきなり目の前に現れたのか、分からなかった。
いつものように、そこにいるのが当たり前のように、暗い夜道に浮かぶ月のように髪を白い髪をなびかせる。そんな彼女が、そこに居る意味が理解できなかった。
そんな俺と違って、オヤジさんは突如現れた彼女に、不躾な質問を飛ばす。
「誰だアンタは? 何を言ってやがる?」
オヤジさんの問いに、トライスは少し困った笑みを浮かべていた。
「私のことは……トライスと呼んでください。何を言っているといわれても、そのままの意味です。私は、総を助けるために、来たんですよ」
「……トライス……!」
オヤジさんも、彼女の名前にはっと気付いたようだった。
この白髪の女性が、俺が以前記憶を取り戻したときに話した女だということに。
硬直が解けた俺は、上手く回らない舌をどうにか動かしトライスへと尋ねようとする。
「……トライス。君は──」
「駄目だよ総」
しかし、トライスはまだ静かな笑みを浮かべたまま、嗜めるような口調で言った。
「今は君の質問に答えている場合じゃない。もともと私がここに来たのもイレギュラーなことなの。だから、気になることがあっても、全部後にして?」
「……分かった」
「うんうん。物わかりが良いじゃないか」
その、俺を下に見て可愛がるような物言いに、俺は無性にイラっとした。
イラっとしてしまっている自分を思い出して、頭から溢れ出てくる思い出を振り払った。
俺の難しい顔にうんと一つ頷き、トライスは周りを少し見回した。
「他の人は、居ないみたいだね。うん、都合が良いかな」
「誰かが居ると都合が悪いのか?」
「……うーん。まぁ、気にしないでおくれよ」
トライスは簡単にはぐらかし、そして次の瞬間には真面目な表情で言った。
「誰が動いてるとか、何故動いてるとか、どうして助けるのかとか、そういうことには答えられない。でも、それで良いと言ってくれるなら、ノイネ・プラットが今どこに囚われているのか、教えてあげる。救出を手助けしてあげる。どうかな?」
ごくりと、俺とオヤジさんの唾を呑む音が重なった。
トライスは試すような表情で俺達を見ている。オヤジさんはトライスに疑いの眼差しを向けている。
理由を知らせず、ただ助けるという申し出など、怪しくて仕方が無いだろう。
そんな雰囲気の中で、俺はすぐに頭を下げた。
「頼むトライス。助けてくれ」
「なっ、小僧?」
俺が迷わず言ったことで、オヤジさの声が揺れる。
彼の戸惑いに、俺は静かに返した。
「オヤジさん。俺は少なくとも、彼女が嘘を吐くタイプだとは思わない。少なくともこれまでは、そうだったんだ。だから、今言っていることも、全部本当だと思う」
「…………確かか?」
「トライスが信じられないなら、俺を信じてくれないかな」
オヤジさんは険しい表情を浮かべつつ、ジロジロと俺とトライスを見比べる。
必死な俺と、事の成り行きに任せるという風なトライス。
しばらくして、オヤジさんはため息を吐いて頷いた。
「分かった。トライス……さんか。あんたを信じる」
「ありがとうございます」
ニコリとしたトライスの笑みに、夜のような妖艶さを感じてドキリとした。
相変わらず、彼女を前にすると心臓の動きが加速する。その自覚があるのが悔しいのだが、どうしようもない。
俺が意味も無く唇を噛んでいるところで、トライスは暫く精神を集中するように静かに目を閉じる。数秒の後、ピンと指を地面に向け、静かに唱えた。
「【ハンター】」
次の瞬間、彼女が手を向けた地面から、仄かに線が走ったように感じた。
俺は彼女が使った魔法に、少しだけ心当たりがある。
ウィスキーベースのやや甘めのカクテル【ハンター】。実験で使った時には、効果が良く解らなかったが、魔力が何かを探すように弾けたのは覚えている。
しかし当然のように、彼女はその魔法のことも詳しくは教えてくれないようだった。
「さて、場所は分かったよ。今なら案内できるけど、二人の準備は良いかな?」
俺は腰に手を当てる。そこには確かに、銃とポーチを装備してある。いつでも動ける。
そうやって、確認を終えた俺と違って、オヤジさんはトライスに尋ねる。
「ちょっと待ってくれ。それで場所が分かったのなら、他の者や騎士団に頼ってはいけないのか?」
確かに、居場所さえ分かるのであれば、そうしても良い筈だ。
俺もそう思いはしたが、トライスは首を横に振った。
「いけないんです。さっきも言った通り、私はなぜなにを尋ねられるわけにはいきません。騎士団や、勘の鋭い女の子を待つことはしません。第一、そんな大人数で踏み込んで気付かれるのは避けたいでしょう? 逃げられるならまだしも、人質が殺されたらどうします?」
「……それは、そうだが」
今、俺達が行おうとしているのは、相手の要求を蹴るような行いだ。これがバレれば何かあるかは分からない。
気付かれずにノイネを救い出すためには、少数で動いた方が都合は良い。
しかして現状、トライスの助力を得るには、彼女の要求を飲むほかはないだろう。
と、頭で理解はできていても、オヤジさんは唸る。
そこで駄目押しのように、トライスは最後の言葉を放った。
「そもそも。私が一人居れば、他の戦力は必要ありません。必要なのは、人質を助け出してくれる手足だけです」
今度の言葉は、冷たく響いた。
初めてトライスと会ったときから感じる、まるで人ではないような異質な気配。
彼女は決して嘘を言っているわけではないのだろう。そう感じられる圧倒的な存在感。
トライスは、それによってオヤジさんをも軽く圧し返した。
「……分かった」
「理解していただいて助かります。あまり時間をかけるのもいけないので、すぐに向かいましょう」
トライスはさっと踵を返し、そのままゆっくりと歩きはじめる。
俺とオヤジさんは、そんな彼女に付いて歩き出した。
目的地は、指定された郊外とは違う方角らしい。
逸る気持ちが足を急がせよと叫ぶのだが、トライスは落ち着いたペースを崩しはしなかった。
「……そろそろだね」
とある区画まで来たところで、トライスは静かに口を開いた。
彼女は立ち止まり、俺とオヤジさんへと視線を寄越す。
俺もオヤジさんも、彼女が一定のペースで歩いてくれたおかげでほとんど疲れはない。
疲れはないが、彼女が立ち止まった区画には、少し驚きを隠せなかった。
「この辺り、繁華街の近くじゃないか」
「そうだね。木を隠すなら森の中じゃないけど、上手く潜むのなら、ある程度は人の中に居た方が良いのかもね」
この区画には覚えがあった。
以前、ヴィオラと二人で違法バーを探したときに踏み入った区画だ。確か、この街でも比較的外からの住人が多く、色々と人の出入りが激しいとのことだったか。
言い換えれば、あまり住人同士の繋がりはなく、街への帰属意識も低い。仮に何かを目撃しても、見て見ぬ振りをすることだって多いのかもしれない。
つまりは、息を潜めて何かを狙うのにも悪くない立地なのだろう。
そう複雑に考えていたところで、トライスはすっと指差した。
「あれかな」
「……本当にか?」
「うん。間違いない」
トライスが示した方を見ると、なんの変哲も無い家があった。そこまで広いわけでも無さそうな、いたって普通の家。木造の小屋よりは少し豪華な程度のものだ。
俺達は、そっとその家から隠れるように物陰に潜む。
「……それで、どうやって突入するんだ?」
「その前に、中の調査もやっとこうか」
尋ねたところ、トライスは軽く返してから、もう一度集中するように目を閉じる。
そして、掌から何かを開くような仕草と共に口にした。
「【シー・ブリーズ】」
直後、彼女を中心に薄ぼんやりとした白い霧が広がって行く。
霧はひんやりとしていて、どこか不思議な感じがする。肌寒い空気の中にあっては、どこか心細くなる気がした。
そしてまた、その名前に引っかかった。先程の【ハンター】と同じように【シー・ブリーズ】も、カクテルの名前である。
『ウォッタ』をベースにしたその『カクテル』は、実験でも霧を発生させていたが……。
「ノイネ・プラットの他に、三人かな。うち二人は素人も同然だけど、一人は強い。魔法のかかった武器は無いみたい」
あっさりと、建物の中の情報らしきものをトライスは口にした。
その情報に俺とオヤジさんは半信半疑の目を向ける。
彼女は、その視線に気付いたようで、小さな声で言った。
「信じてくれないと、困るかな。確かに何も無しに信じろってのは……酷かもしれないけれど……」
次第に言葉の勢いを落とし、たははと誤魔化すような笑みを見せたトライス。その彼女の困ったような表情も、俺には見覚えがあるものだ。
無茶な要求をして、無理に通そうとしても駄目だったとき、最後は泣き落としならぬ苦笑い落としで俺に要求を呑ませる。
鳥須伊吹が、よくやった手法の一つであった。
俺は舌打ちしたくなる記憶に蓋をして答えた。
「分かった信じるよ」
「ほんと?」
「信じないと、何も始まらないからな」
結局俺達は、彼女の言葉に従うしかないのだ。
はぁ、とため息を吐きかけたところで、トライスは俺の自分の手で塞いだ。
「駄目だよ総。そういうことすると幸せが逃げるって知らないのかな?」
「……逃がしてんだよ。今は結構幸せだから、パンクしないようにな」
「……うわ、総がまさかの前向きな返し方してきた」
俺が言い返すと、トライスは目をパチクリと瞬かせる。
彼女の中の俺がどんななのかは知らないが、少し失礼ではないだろうか。
少なくとも、今の俺とトライスには、そのような関係性は無いはずなのだから。
「小僧。あんまりノンキなこと言ってんじゃねえぞ」
「すみません」
それを見ていたオヤジさんが、苛立たしげに言った。
確かに今はそんなときではない。俺はトライスのペースに乗せられて緊張感を失っていたことを切に反省する。
気合を入れ直すために短く息を吐いたところで、トライスが要求した。
「それじゃ、緊張ついでに、一つカクテル作ってもらって良いかな?」
「……ここでか?」
「できるでしょ?」
俺は不思議に思いつつ、彼女の要求に従うことにした。
「それで注文は?」
問いただすと、彼女はすぐに答える。
「気配遮断の無属性カクテル【チャーリー・チャップリン】」
彼女のえらく魔法的な注文の仕方に再度驚いた。
驚きついでに、以前言っていた『弾薬化』についての話も、思い出した。
これはもともと『彼女の力』だと、俺は確かにそう聞いたのだった。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
私事で申し訳ありませんが。書籍の二巻の情報が本日解禁になりました。
詳しいことは後で活動報告にも書きますが、二巻の発売は9月25日の予定になります。
一巻では構成の変更と、細かな修正が主だったのですが、
二巻は二章の前半部分を一巻に収めることになったので、大幅にストーリーや展開を加筆することができました。
既にこちらで読んで下さっている方も、それなりに新鮮な気持ちで楽しんでいただけると思います。
どうぞ、お酒のお供にでもしていただければ幸いです。
※0901
二巻の予定日が延期になりました。詳しくは活動報告をご覧ください。




