二つに一つの二つ目
オヤジさんに付いて食堂へと向かうと、ご飯時ではないが家の全員が集まっていた。
スイとライの思いつめた表情。フィルとサリーの心配そうな顔。
そして、微妙にピリピリとした雰囲気から、オヤジさんがその場に人を集めている理由が分かった。
「……私は、少し席を外しましょう」
その気配を悟ったのはノイネも同じだ。彼女は気を遣うように言って、出て行こうとする。
「待て、もう夜だぞ。あまり外出は」
「大丈夫です。このあたりにはもう慣れていますから」
オヤジさんが呼び止めるが、ノイネは心配要らないと丁寧に断る。
少し顔をしかめるオヤジさんに、ノイネは淡々と尋ねる。
「いつくらいに、決着は付きそうですか」
「……さあな。戻りたくなったら、いつでも適当に戻ってこい」
「わかりました。夕食でも済ませてから戻ることにしましょう」
ペコリと頭を下げ、心配そうに孫娘を順に見るノイネ。
そして彼女は最後に俺を見た。その目はやはり、何かを期待するようであった。
「……そろそろ、考えもまとまったか?」
俺が席につき、全員で顔を合わせたタイミングでオヤジさんが口火を切った。
「今日決めろとは言わない。だが、そろそろ考えをまとめとかないといけない時期だ」
考える時間はあった。これからは、その考えをまとめる時間だ。そうオヤジさんは暗に告げていた。
今までオヤジさんがぼんやりと言っていた、ノイネの滞在期間。それは、タリアの命日までの期間だったのだろう。
そして、彼はそれが明後日だと、言った。
つまり、明後日までに俺達は意見をまとめておかないといけない。そろそろ、話し合いが必要なのだ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
それが頭で分かっていても、最初の言葉が出てこない。
数分か、あるいは数十分か、それともたった数秒の出来事か。
時間の感覚する曖昧になるような沈黙を挟み、凛と声がした。
「……私の意見は、変わらない」
重苦しい雰囲気の中、最初に言ったのはスイだった。
スイの意見は、自分がノイネの里に向かって、そこで彼女達を守ること。それと引き換えに、ノイネの持つ薬酒のノウハウを教えて貰うこと。
スイがこの街を、一、二年去るだけで『ベルモット』という、カクテルになくてはならないお酒にグンと近づく方法。
「私は自分にできることなら、なんだってしたい。それで救われる人が居るなら。変わる物があるのなら、それをしたい」
変わる物。その単語に、俺はコルシカが言っていた事を思い出した。
スイは現状を変えたい。
もちろん今言っている理屈も本音に違いないが、その奥の方の気持ちは、それ。
俺と彼女の微妙な距離に、少しでも波風を立てたい。そんな、俺には理解し難い不器用な選択。
「……お姉ちゃんはそう言うけど、やっぱり私は、お姉ちゃんの言うことには反対」
入れ替わりに言ったのは、スイの隣に座っていたライだ。
彼女の意見は、スイが街を出て行くことに反対だ。
それを選んだとしても、ノイネはスイ以外の者を探して彼女の里を守る。俺達には、何の変化も起きない。
当然『ベルモット』についても変わらないが、もともと、ゆっくりやるしかない所はあるのだ。現状を維持するのも、決して悪いことではない。
「ノイネさんも、別に自分のことは気にするなって言ってるし。せっかく上手くやってるのに、無理して変えようなんて欲張りだよ。変わらなくても、良いよ」
ライの主張は、変わらなくても良い、なのだ。
今、彼女はとっても幸せだろう。父と姉と、俺を含めた店の身内たち。騒がしくも楽しい毎日。永遠に続いて欲しいような日々。
焦らなくても、ゆっくりと進歩はしている。だから、無理をする必要なんてない。
それに加えて今は、ノイネの存在もあった。足りなかった母性を求めるように、ライはノイネに懐いている。
もしかしたら、ライの本音はノイネにも行って欲しくないのかもしれない。
「俺ぁきっぱり反対だ。だがそれは、スイがそこまでする必要は無い、と思ってのことだ。だから、お前らがそれでもしたいってんなら、俺は止めない」
オヤジさんはオヤジさんで、一貫して反対の姿勢は崩さない。しかし理由はライとは違う。
オヤジさんもまた、スイにかつてのタリアの面影を重ねているのだろう。
里から強引に連れ去って、そしてこの街で亡くなったタリア。彼女と同じ事になるのではと、スイを心配しているのだ。
しかし、それ故にオヤジさんは選択を俺達に任せる。かつて間違った自分は意見を言うに留めて、俺達自身で悔いが残らないように、選択させてくれる。
「……それで、総は、どうなの?」
最後に、スイから静かな問いかけがあった。
このヴェルムット家に直接は関わらない、最後の当事者が俺だ。
イージーズにおいて、バー部門を取り仕切っている俺だ。
俺は選択しないといけない。
どうするのかを、選ばないといけない。
「……俺は」
スイを取るのか、ベルモットを取るのか。
変化を望むのか、維持を願うのか。
過去を求めるのか、今を慈しむのか。
そうやって凝り固まった思考の中、一雫の水が落ちた。
……本当に、二つに一つ、なのか?
さっき【サイドカー】を作ったバーテンダーの俺は、どんな夕霧総を求めていた?
ベルガモや、コルシカ。イベリスにヴィオラ、そしてギヌラ。
相談に乗ってくれた彼らは、俺に何か一つを選んで欲しかったのか?
違う。
彼らが俺に伝えたのは、俺が自分勝手に納得できる方法を、最後まで諦めるなということだ。
選択肢が二つしかないのなら、その二つを同時に満たす、もう一つを考えろということだ。
そもそもが選ぶもクソもない。俺の手元にあるのは『カクテル』だけだ。
だから、その『カクテル』で、解決する方法がきっと、ある。
「俺は、『カクテル』を信じたい」
俺の言葉に、一同はみなきょとんとした。
当たり前だろう。誰もそんな話をしていたわけじゃないのだから。
「……それは『ベルモット』を選ぶっていう意味?」
「違う」
スイの問いかけに、俺は静かに首を振った。
ここでそれを選ぶのは『カクテル』の力を、信じ切れなかったという意味になる。
「じゃあ、現状維持ってこと?」
「それも違う」
ライの問いかけにも、俺はまた首を振った。
ここでそれを選ぶのは『カクテル』の可能性を、閉ざすような行為だから。
「それなら、どういう意味なんだ?」
最後にオヤジさんの問いかけがあって、俺は彼の目を覗き込んだ。
俺が果たしてどんな結論に行き着いたのかを、問いただすような鋭い目。
その場の視線が自分に集まっているのを実感しながら、俺は静かに、答えようとした。
そんな時だった。
「スイ! スイは居るか!?」
ドンドンと玄関を乱暴に叩く音と、女性の叫び声。
俺達は会話を一時中断して玄関に向かう。呼ばれているスイが玄関から顔を出すと、呼んでいた女性──ヴィオラがほっと安堵の息を吐いた。
「良かった。スイは無事だったか」
彼女の物言いをやや不思議に思う。
スイは構わず、ちょっと面倒そうに顔をしかめる。
「なにヴィオラ? 私は今忙しいんだけど」
「……いや。実はついさっき、騎士団に君が誘拐されるところを見たと報告が……」
「なにそれ?」
見ての通り、スイは誘拐されるどころか、いつものように表情とぼしめの呆れ顔。
そのあまりにも変わらない姿に、ヴィオラはふっと息を吐く。
「いや私も、まさかスイがそのようなへまをするとは思わなかったのだが。そういう連絡があって一応確認を……」
そこまで言ってから、ヴィオラはふと口を止める。
スイの後ろにゾロゾロと控えている、俺達の姿を注意深く見ている。
そして、ある人物の不在に、気がついた。
「……ノイネ・プラット氏は、どこに?」
さっきまでの砕けた雰囲気から一転、その場に緊張が走った。
スイはそれまでの呆れた表情ではなく、真剣な瞳でヴィオラに問い正す。
「ヴィオラ。その目撃情報、教えてくれない?」
「……ついさっきだ。この近辺に住む男性が騎士団に通報した。恐らくスイ・ヴェルムットだと思われる青髪の女性が、何者かに連れ去られるところを見た、と。ただ、暗がりだったから顔までは判別ができなかったらしい」
「……それって……!」
ごくり、と誰かの唾を呑み込む音が響いた気がした。
誰もが同じことを思った。
スイはこの通り、ピンピンしている。しかし、とある目撃情報で青髪の女性が何者かに連れ去られたらしい。
目撃者は、青髪という点から、この近辺に住んでいるスイだと思ったのだろう。
だが、今この近辺に、青髪の女性は二人居るのだ。
「おーい」
そんな緊迫した雰囲気の中、ヴェルムット家にもう一人の来客があった。
玄関に集まっている俺達全員に鋭い目を向けられて、その来客者──ベルガモがぎょっと肩をすくませる。
「な、なんだこの雰囲気?」
「すまないベルガモ。今ちょっとした事件が発生している。用事なら後にしてくれ」
ヴィオラはまずそう断ったあとに、ベルガモに軽く事情を話した。
今とある通報があって、情報を統合するとノイネが誘拐された可能性が高い、と。
「──それ故に、緊急の用件以外は──」
「待ってくれ。もしかしたら、俺の用事もそれ関係かもしれない」
「なに?」
前半はただ話を聞いていたベルガモだったが、終わり間際に真剣な顔になって言った。
そして彼は、懐から一通の便箋を取り出した。
「さっき、知らねえ男からこれを受け取った。ヴェルムット家に届けて欲しい、ってさ」
ベルガモの手からヴィオラはひったくるように手紙を受け取る。
そして、彼女は俺達にも聞こえるように、その内容を言葉にした。
「『スイ・ヴェルムットは預かった。返してほしければ要求を飲め。夕霧総』」
大きく書かれた言葉。
それが悪戯でないだろうことは、便箋の中に手紙と一緒に入っていたものが証明していた。
それはスイのものと良く似た、一本の青い髪の毛であった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
私事ですが、明日の更新までに感想お返しします。ずっと返せずにすみません。ちゃんと読ませて頂いております。




