ローズマリー
先程彼女と目が合った段階から、彼女はじっと縋るように俺を睨みつけていた。
年の頃は、どうだろう。二十歳前後に思える。もしかしたらもっと若いかもしれない。丁度、大学生くらいの印象だ。
美人に群がる男達と、それにやや迷惑そうな笑みを浮かべる女性。その光景は、いつか見た景色と重なった。
その時はまだ、俺は日本に居て、バーテンダーですらなかったが。
はぁ、と心の中でため息を吐く。
言葉として聞いたわけではないが、こうまで助けを求められたら助けるのが礼儀だろうか。きっと、伊吹だったら、俺がここで彼女を見捨てるのを許さないだろう。
俺は頭のなかで適当にシミュレーションしてから、自分の今の立場を利用することにした。
了承の代わりに、俺は彼女に一度だけ頷きを返す。
その後、盛り上がっているその場へと静かに近づき、少し通る声で言った。
「失礼致します。お嬢様。お飲み物のご用意ができましたのでお呼びに参りました」
俺の声を聞いて、女性に詰め寄っていた男性達がはっと俺の方を向いた。
ローズマリーは瞬時に俺の言いたいことに気付いた様子で、あら、とわざとらしく声を上げ、群がっている男性達へと笑顔を向ける。
「申し訳ありません。そういうことですので、ダンスはご遠慮させていただきますわ」
「は、はい……でしたら、飲み終わったころに……」
「そう仰らず。まだまだこの場には魅力的な女性がたくさんおります。どうか私のことはお忘れください」
それだけを告げて、ローズマリーはスタスタとカウンターへと向かって歩き始める。
俺は残されている男性達へ一礼してから、そそくさとカウンターへと戻った。
「…………」
「?」
俺がカウンターの内側に入ると、俺を待っていた様子のローズマリーが、まだニコニコとした笑顔で、無言で佇んでいる。
「……余計なお世話でしたか?」
「……いえ」
不安になって聞いてみたが、そうではないらしい。
「それでしたら、何か至らない点がございましたか?」
「……違いますわ。ただ、そう。一つお願いを聞いて頂ける?」
「はぁ」
それが自分にできることでしたら、と付け足して俺は彼女の要求を待つ。
彼女は少し深呼吸したあとに、言った。
「少しの時間で良いのです。私を、カウンターの中に匿っていただけません?」
「……えっと、それは」
切羽詰まったような彼女の要求に、俺は少し戸惑った。
心情的には、全くの部外者をカウンターの中へ入れるのは『ナシ』だ。
単純に邪魔だという場合もある。しかしそれ以上に、バーという空間で仕事を忘れてくつろいでいるお客さんに『仕事』の部分を見せるのは気が引ける。
昔、イベントで本当に洗い物の手が足りずに、お客さんに手伝って貰ったことがあったが、申し訳なさでいっぱいであった。
あとは単純に、自分のテリトリーに知らない人間を入れることへの抵抗か。
だが、彼女の顔を今一度見ると、かなり笑顔が固い。
俺がもし嫌だと言ったら、その場で笑顔が崩壊して泣き崩れてしまいそうに思えた。
少しの逡巡の後、俺はもう一度心の中だけでため息を吐いてから、笑顔で頷いた。
「かしこまりました。特別ですよ?」
一応、誰にでもこういうことはしないと念を押してから、俺は彼女をカウンターの内側へと誘った。
彼女はその言葉にペコリと頭を下げ、あたりをキョロキョロと窺ってからカウンターへと滑り込む。
かと思ったら、突如、その隅のほうに座り込んだ。
カウンターが邪魔をして、遠くからでは彼女を見つけることはできない、そんな位置取りである。
そうなって、彼女は作っていた笑顔を崩壊させ、どっと疲れた表情を浮かべた。
そして、俺へと鋭い視線を向ける。
「…………何見てるんですか」
「……いえ」
先程までの笑顔が嘘のように、恐らくローズマリーだと思われる美人は、険のある口調で言う。
「……どうしてもっと早く助けてくれなかったんですか」
「これでも、結構すぐにお助けしたと思うのですが」
「私のような美人が困っていたら、一も二もなく助けに入るのが礼儀でしょう」
…………。
「さて。大声でローズマリー嬢がここに居るって宣伝しますか」
「なっ! ちょっ!」
少し、というかかなり苛立った俺がそうぼやくと、ローズマリーは必死で俺の足にしがみついた。
俺はそれに能面のような笑顔を向けてから、温度の無い声で伝える。
「離していただけますか」
「な、何を考えているの!?」
顔面蒼白になりつつ、俺を見上げるローズマリー。
俺は彼女に慇懃な態度で、にこりと笑みを浮かべた。
「いえ。まさか親切で起こした行動にケチを付けられるとは思っていなかったもので。別にお礼を言えとは言いませんが、相応しい態度の一つや二つあるのではないかと」
「わ、悪かったわ! 助けてくれてありがとう!」
どうやら、再びこの会場に放り出されるより、誰かも知れない俺に謝ったほうがマシだと思ったようだった。
結果的にどうなったかと言えば、ローズマリーと呼ばれていた女性は今、特設されたカウンターの内側にしゃがみ込んでいる。
ドレスが汚れるとか、それ以前に地べたに座るのは行儀が悪いとか言いたい所だが、言った所で聞いてはくれなさそうだった。
「そもそも、世の男性というものは本当に礼儀がなっていないわ。紳士たるもの、私が踊りたくないということくらい察して、声をかけないくらいの気遣いができないのかしら」
「そうですよね」
「そもそも、今まで一度も話したことがないくせに。何が『お会いしたいと思っていました』よ。私はあんた達なんかに会いたいと思った事なんてないわ」
「わかります」
「これだからパーティなんて嫌なのよ。本当に、なんでこんな目に」
「大変ですよね」
で、今の俺はカウンターの内側で謎の怨嗟を繰り出しているローズマリーに適当な相槌を打っていた。
客が来てくれるとローズマリーは縮こまって見つからないよう黙ってくれるのだが、そうでないとエンドレス愚痴だ。
俺の中で、シャルト魔道院という施設に対する不信感がふつふつと湧いてくる次第である。
「……ちょっとあなた。聞いてる?」
「聞いてますよ。美人は大変なんですね」
「そうなのよ。おまけに家が金持ちで、私みたいに魔術の才能もあるとなると、もう有象無象が寄ってきて……そう、ね」
「ん? どうかしましたか?」
「なんでもない」
途中まで誇らしげだった口調が、少し濁る。
だが、そのひっかかりを、特に突くことはしない。少しだけ、それを警戒する空気があったが、すぐに収まった。
彼女は、ふぅ、と言いたいことを言って気が済んだのか、しゃがんだまま俺へと尋ねてくる。
「そういえばあなた。名前を聞いていなかったわね」
「ああ。そうですね」
俺は俺で、彼女に口を挟むつもりもなかったので言いそびれていた。
カウンターの中でしゃがみ、彼女と目線を合わせてから名乗る。
「自分は夕霧総と言います」
「……ソウ……」
彼女は俺の名前をじっくりと咀嚼するように呟いた。
そこで、彼女は改めてカウンターの内側をキョロキョロと見回した。並んだグラスに、冷蔵庫、空になったボトルなどなど。
およそ一般的ではないが、ポーション屋として必要な装備がそこには揃っている。
ようやく彼女は、自分が逃げ込んだ場所がどこなのかを把握した様子。
そしてその直後には、カッと目を開いて俺に詰め寄る。
「あなた。この店の名前は?」
「……スイのポーション屋です」
「……なるほど、そうなのね」
彼女はそこで、三度、納得するように頷いた。
少しだけ、俺が情報を隠していた気がして、悪いことをしたと感じる。
だが、彼女はふふ、と少しだけ冷ややかな微笑を浮かべて、名乗った。
「ならば私も名乗りましょう。私はローズマリー・メリアステル。覚えておきなさい」
「はい。よろしくお願いします」
しゃがみ込んだままのくせに尊大な物言いで、ローズマリーは名乗った。
そして彼女は大きな態度のまま、ゾクリとするような、意志の強い瞳で俺を真っ直ぐに見る。
そう。俺が最初に、スイと似ていると思った、その視線だ。
「聞きなさいソウ。私は、あなたに会うためにここに来たのよ」
「……自分に、ですか」
「そうよ。スイが……あの子が今何をやっているのか。見極めさせてもらうわ」
注文と言うには些か乱暴な物言いだ。
だが、それを無礼とまでは思わせない不思議な魅力が彼女にはあった。
様になっている、とでも言えば良いのか。
「あなたが作った『オールド・ポーション』──そして『カクテル』。存分に味わわせてもらうわ」
俺を堂々と探るような視線。
俺の向こう側に、スイを見ているような物言い。
俺は彼女に対してふっと表情を緩めて、笑ってみせる。
「かしこまりました」
そのやり取りは、バーテンダーと客としてのそれというより。
互いに実力を測り合うライバル同士のそれのようであった。
まぁ、あえて不満点を上げるとするならば。
どっちもしゃがみ込みながら、これらの言葉を言っているというところか。
様にならない。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
お待ちいただいていた読者様に大変ご迷惑おかけしました。
本日より、平常運転で更新させていただきます。
※0601 誤字修正し、少々表現を変更しました。
※0713 表現を少し修正しました。




