小休止
壇上に並んでいる楽隊が、静かに息を合わせている。一歩前に出た指揮者が手を上げた。その直後、緩やかにダンスのための音楽が会場に流れ始めた。
俺は音楽そのものに疎いので、スローペースのゆったりした曲だということしか分からないが、それは今問題ではない。
その段に至って、俺達はようやく、場が落ち着いたのだと認識して息を吐いた。
「生きてるか?」
「……なんとか」
「……ほんと、疲れましたわ」
冗談めかして声をかけてみたところで、フィルとサリーはひらひらと手を振りながら、気のない声で応えた。
それまでひっきりなしに訪れていた来場者達だが、ダンスの時間とあってはグラスを持つ手をほんの少し止めて、踊りを興じ始める様子。
パーティはこれからが本番かもしれないが、ドリンクを作り続けていた俺達にとってはようやくやってきた『小休止』である。
「何杯くらい作ったと思う?」
「数百は確実に」
「千は……越えてないと思いますわ」
もちろん、三人とも正確な数字など分かりはしない。ただ、会場で用意していたグラスが一度全て捌けて、追加で持ってきたグラスも残り少ない。
最初に用意していたものが正確な数は覚えていないが数百だったはずなので、その倍くらいだろう。
はっきり言えば、想定よりも大分『カクテル』を試す人間が多かった。『カクテル』の存在そのものは、俺が思っているよりも広くこの国に広まっているのかもしれない。
「このあとは、どうだったっけ?」
「ダンスが終わったら会もおしまいの筈です。なのでダンスが始まったくらいから、片付け始めてもよかったと思いますよ」
「そういや、ラストオーダーって奴があるしな。ウチじゃあんまり関係ないけど」
パーティの片付けは、パーティが終わる前からひっそりと始まっている。もちろん、露骨に料理を下げたりすることはない。空いたグラスや皿を下げたり、新しい料理を持ってくるのを止めたりだ。
となるとこちらも、今までの三人でフルに回す態勢から、一人を片付けに回す感じにするべきか。
ついでに『イージーズ』のラストオーダーはお客様がもう飲まないと言ったその時なので、人が居る時間に片付け始めるというのは、なんとなく収まりが悪い。
「つっても、洗い物は奥のスタッフがやってくれてるし、やる事ないよな」
そう。普段は洗い物も含めてバーテンダーの仕事なのだが、今回は勝手が違う。
こちらはひたすら、後ろに用意してあるグラスに飲み物を詰めるだけ。洗い物は別の係の人間が見えないところでやっている。
となると当然、片付けるべきものが見当たらないのである。
俺達が手持ち無沙汰になって、中央に設けられたスペースで繰り広げられるダンスをぼんやりと見ていた時だった。
「フィル様!」
「ひっ」
少女らしい高い声が、ふっと俺達へと向けられた。その声に、フィルだけがビクリと反応する。
そちらに視線を移せば、艶やかな黒髪の、小柄な少女の姿があった。
少女は普段見ているよりも大分華やかなドレスを身に纏い、そのドレスにも負けないくらいの笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「……クレーベルさん、いらっしゃっていたんですね」
「ええ。もちろんですわ。それでも私、フィル様のお邪魔になってはいけないと思いまして、ずっと話しかけるのを我慢していましたの。とても辛かったですわ」
「そ、そうですか」
うっとりと目を細める少女に対して、フィルの表情はやや引き攣った笑みであった。
彼女はクレーベル・サフィーナ。サフィーナ商会という新進気鋭の商会のトップの娘であり、最近はウチの常連と化している少女である。
彼女の目的は、ウチの店で提供している『炭酸飲料』──その独占的な販売契約を結ぶこと。というのが表向き。
で、裏の目的は紛れも無くフィルに会いに来ることであった。
どうにも、彼女はフィルのことを気に入っていて、誰がどう見ても分かるくらいのラブオーラを発散しているのであった。
時に大胆で時に冷静沈着な踏み込みは、奥手っぽいフィルの心情を大いに煽っているのである。
そして、そんな彼女は俺が居ない時にも店の売り上げを支え続けてくれた良いお客さんの一人である。
「ご注文ですか?」
クレーベルの登場で少したじたじしているフィルに変わって、俺もまた苦笑いを浮かべつつ尋ねた。
クレーベルは少し思案し、ほんのりと悪戯っぽい表情で答える。
「フィル様をお一人、頂きたいのですが」
「かしこまりました」
「総さん!?」
彼女の冗談に俺も冗談で答えると、フィル一人だけが冗談じゃなさそうに声を張った。
そんな彼の過剰な反応に、フィル以外の三人は少しだけ笑って、話を進める。
「冗談でしてよ。それでは【カシスオレンジ】を頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「良いですよ。材料ならありますんで」
俺は普段の接客よりやや砕けた態度で彼女の注文に応じた。
口頭のメニューには必要ない材料も、俺の裁量でここにはかなり持ち込んでいる。
特別にカクテルに興味を持ってくれた方が居た時に、その方の感心を逃さないためだ。
冷蔵庫から『カシスリキュール』を取り出すと、俺はそっとフィルへと差し出した。
「はいフィル。任せたぞ」
「……注文受けたの総さんじゃないですか」
少し恨めしそうに俺を見つつ、フィルは黙ってカクテルを作り始める。
この【カシスオレンジ】は『カシオレ』とか略される、かなり知名度の高い品だ。
作り方は簡単。【スクリュードライバー】のウォッカをカシスリキュールに変えるだけ。
氷を入れた大きめのタンブラーに、カシスを30から45ml入れ、オレンジジュースでアップしたあとに良くステアすれば完成である。
好みに応じてカシスの量を調整することで、オレンジのさっぱり感を残したり、カシスの甘さを強調したりと、それなりに幅が広い。
個人的には、カシスリキュールを15ml程度に抑えるのもアリだと思っている。
とはいえ、基本的にはかなり甘めの、飲みやすい『カクテル』だ。
甘い飲み物に抵抗がないのであれば、カクテルの入り口とするのにうってつけの一杯だろうか。
「おまたせしました」
「はい。私、フィル様の一杯をずっとお待ちしておりましたわ」
「……重いんですけど」
相変わらずのクレーベルの反応に、フィルがややはっきりと苦言を呈していた。
とはいえ、そんな言葉はクレーベルにあっさりと受け流されて、彼女はフィルが作ったカクテルを美味しそうに口に含む。
「とおっしゃっても、私が以前美味しいと言った比率で作ってくださるんですのね」
「それは……まぁ」
「そんなフィル様が、私は大好きですわ」
「だから!」
フィルはやや赤くなりつつ、くっと呻く。
自分が何を言っても、結局クレーベルは喜ぶだけだと気付いているのだろう。
そのフィルの察した態度ですら、クレーベルを少し喜ばせている。
俺の見立てでは、フィルも別にクレーベルが嫌いな訳では無いと思う。ただ、彼女のストレートな愛情表現に、どう対応して良いのか分からないだけだろう。
バーでは基本的に、店員と客の恋愛沙汰は御法度だが、意識しすぎて仲違いされるのは困る。
少しくらいは、常連さんにもご褒美があってしかるべきだろうか。
…………。
「せっかくだフィル。もう手は足りてるから、クレーベル嬢と踊ってきたらどうだ?」
「……はい?」
「まぁ、よろしいのですか!?」
俺が思いつきで提案すると、フィルとクレーベルはそれぞれ対照的な反応を返した。
フィルは、呆気にとられた、ぽかんとした表情でひと言だけ。
クレーベルは、獲物が手の届く範囲に来たと喜ぶ狩人のような獰猛な笑みでそう。
それから数瞬遅れて、フィルがようやく俺の発言を呑み込んだらしい。
「い、いやいやよろしくないですって。片付けは弟子の仕事って総さんがいつも」
「今日くらいは良いぞ」
「なんでですか!?」
顔を真っ赤にしつつ、涙目で俺に詰め寄るフィル。
俺は心を鬼にしつつ、フィルを突き放す。
「だって、こういう時いっつも俺に頼るじゃん。たまには自分一人でなんとかして欲しいなという親心だよ」
「い、嫌だったんなら謝りますから」
「嫌じゃないよ。ぜんぜん」
ただ、俺も良く分からないのに、頼られても困るってだけで。
俺の心の声が届くわけもなく、フィルはどうしたら良いものかと、口をあわあわと動かしていた。
「はい、フィル。くいっとどうぞ」
その声はサリーのものだった。
憮然と立っている俺、に縋り付いているフィル、にそっと寄り添うクレーベルという不思議な様相を呈しているこの場で、ただ一人自由だったサリーが、ことりと一杯のグラスをカウンターに置いていた。
「ライムないけど、好きでしょテイラ」
「…………」
そういえば、今日はまだフィルは一滴も入れてないんだったな。
フィルは、目の前に置かれた『テイラ』の入ったグラスと、俺とサリー、そしてワクワクした顔のクレーベルを見比べて、はぁ、とため息を吐いた。
「……いただきます」
そして、自らくいっと、テイラのショットを流し込む。
くー、と低く呻いたあと、ぱぱんと頬を叩いてクレーベルに向き直った。
「クレーベルさん。言っておくけど、僕はこれでもダンスは得意だったんです」
「はい。エスコートして頂けると、嬉しいですわ」
その言葉を残して、意を決した表情のフィルとは、中央のダンス広場へと向かっていった。傍らに、猫のように喉を鳴らしているクレーベルを連れて。
「良い仕事したな」
「……そうかしら」
そんな二人をそっと見送りつつ、俺とサリーの感想は静かに音楽に溶けた。
若干だけど、サリーからの視線が痛い気がする。
「……サリーも、この感じだと人来ないっぽいし、踊ってきても良いぞ」
「……そういうこと、言います?」
俺を睨むサリーの目は『自分のことを棚に上げて』と追及しているようだった。
さらに突き詰めれば『私の気持ちを知っているくせに』といったところだろうか。
結局、俺はまだサリーにも、そしてスイにも、はっきりした事は言えていない。
彼女達からもまた、はっきりとしたことは言われていない。
なあなあと、俺の心のモヤモヤをそのままにして、日々を過ごしてしまっている。
はっきりと自覚したことはある。
俺はかつて、鳥須伊吹が好きだった。
そして、スイやサリーに対する感情は、その鳥須伊吹へと向けていたものとは、やっぱり異なっているのも分かっている。
だが、それがすなわち、俺が彼女達を好きでもなんでもない、という意味ではないのも感じている。
結局俺は、まだ答えなど、出せてはいないのだ。
いっそのこと、こんな俺なんて嫌ってくれても構わない。そう思っているのに、それを言葉にする度胸すらない。
それで、昔言った『俺は答えを出せない』という、かっこ悪い答えのままに今日まで来ている。
そんな曖昧模糊とした関係で、俺達は今日まで来てしまっているのだ。
「……まぁ、私もフィルのことは気になりますけれど」
サリーも結局、はっきりとした言葉を俺にぶつけはしなかった。
俺とサリーの、少しだけ微妙な沈黙。
それに耐え切れなかったように、サリーがこそりと言った。
「私、ちょっとだけフィルの様子を見てから、グラスの数の確認とかに……」
「……おう。分かった。頼む」
言って、サリーもまたそそくさとカウンターを離れた。
この感じだとグラスはギリギリ足りるかどうかだ、少し補充しておくのは賢明だ。
だから、特に俺から何か言うことはしないでおいた。
気まずいというほどではないけれど、サリーは俺とは違って、精神はまだ十代の少女なのだ。二人きりで、恥ずかしくてたまらないと思うことも、あるだろうし。
「……ん?」
手持ち無沙汰になった俺が少し会場内に視線を巡らすと、一人の女性が、男性達に誘われている姿が目に入った。
深紅の薔薇のような、濃い赤色の髪の毛をした、すらりとした美貌の少女だ。
「是非、私めと踊っては頂けませんか? ローズマリー様」
「いえいえ、どうかこの私と」
「ローズマリー様に相応しいのは、私かと思います」
男性達の声によって、その少女の名前が『ローズマリー』だということは分かった。
その名前に、どこかで聞き覚えがあって、俺は記憶を辿る。
聞いたのは、それほど前ではなかったような……。
そんなとき、ぼーっとその様子を見ていた俺と、少女の視線が合った。
その意志の強そうな、真っ直ぐな視線が、何故かスイと重なった。
「あっ」
その瞬間に俺は思い出した。その名前をいったい何処で聞いたのか。
それは、『ホワイト・オーク』に研修に行っていたとき、アルバオの口からちらりとだけ聞いた名前だった。
『僕が知っている限りで、それができそうなのは、主席だったスイ。次席だったローズマリー。それに三席の僕。このくらいだろうね』
俺と目線を合わせている、深紅の瞳を持った少女。
彼女はもしかしたら、スイと同じ年に『魔道院』を卒業した『次席のローズマリー』なのだろうか。
※0531 誤字修正しました。




