琥珀色の記憶
マジックオークを『伐採』して、俺達は無事にクエルクスの森を後にした。
倒した直後、倒れてきたマジックオークの下敷きになりかけて慌てて『弾薬化』をしたり、アホみたいに重いマジックオークを運ぶために、イベリス新装備が登場したり、帰り道は、剣がなくなったギヌラがついに囮専任になって泣き叫んでいたりと色々あったが、どうにか皆無事に森を抜けることができた。
そして重量オーバー気味のマジックオークをなんとか持ち帰って、俺達はホリィに、盛大に怒られることになった。
「なんだこの馬鹿でかいマジックオークは! 君達はいったいどうしてそんなボロボロになって帰ってくるんだ!」
ホリィと、ガレアタ親方と、あと今まで知り合った面々に、俺達四人はがっつりと怒られる。全員が頭を下げて、ひたすら飛んでくる怒号を受け流している。
「そもそも私は、様子を見て無理そうなら帰って来いと言っただろうが! 忘れたのかい!?」
さっきから、いつもの口調も忘れて怒鳴っているのはホリィである。
彼女から聞いたところによると、このマジックオークは大物にもほどがあるとか。
通常のマジックオークとは、俺達が道中で倒した枯れ木のモンスターの、ちょっと強い版くらいのものであるらしい。
つまり俺達が戦っていたマジックオークは、マジックオークの中でも突然変異レベルの強力モンスターだったということだ。
「命が大事だろう! そりゃ男の子だからちょっと無理したい年頃なのかもしれないが、死ぬような危険を冒すのは馬鹿のやることだ! 君はそんなに馬鹿だったのかいアルバオ君!?」
「……はい。馬鹿でした」
この剣幕は、ちょっとどうにもできそうにない。
というか、これが一般的な対応なんだろうな。
人に真剣に怒られるというのは、なかなかに懐かしい体験だ。
新人時代に先輩に怒られたときのことを思い出して、ちょっとだけ嬉しくもある。
「……まったく。ガレアタさんも何か、どうぞ」
「いや、俺はもう許した。怒りは拳に込めんのがウチの流儀でな」
そういうガレアタは、俺達みんなに一発の拳骨をお見舞いしてくれた。
いや、嘘を吐いた。イベリスは三発貰っていた。
彼はそれをけじめとしてお見舞いしたあとに、よく手に入れてきたと笑って、さっそく加工へと移っていた。
樽の加工には、切り出した木材を乾燥させる工程が入る。
その乾燥に関しても、それを促進させる便利な技術があるそうな。
早ければ明日にでも、試作の樽は完成するという。
「……とにかく。今日は仕事をしなくてもいい。報告は明日にでも聞く。今日は、ゆっくりしてくるといい」
俺達が帰ってきたのは、まだ夕方くらいの時間だ。
とにかく解散という流れにあいなって、俺達四人はとぼとぼと、俺とギヌラの部屋に集まった。
ギヌラですら文句を言うこともなく。
身内だらけの『カクテルパーティ』であった。
「さってと。あらためて準備は良いか?」
そして翌日。ホリィ研究室の面々とともに、俺達は再びあの装置の前に集まっていた。
『時間早送り君試作型改』
ホリィ研究室の協力もあって、設計にいくらかの改良を加えた試作改。
その装置の内部には、既にあるものがセッティングされている。
スイが生み出し、イベリスの技術が伝えた無属性のポーション。
それに、この世界で、真っ直ぐに歩み続けたメサ老人の麦芽を合成。
今までポーションと関わらなかった機人と、伝統あるホワイトオークの面々が揃って改良を加えた機械。
そしてそれに耐える為に、俺達四人が取ってきたマジックオークで出来た樽。
人間とか、機人とか、魔物とか、ポーション屋とかバーテンダーとか。
色々と混じりまくって、もう誰が作ったんだがまるで分からない。
俺達の結晶が、そこにはある。
俺が持っていたのは本当にアイディアだけで。それを皆が形にしてくれた。
俺はそれに、最後の一手間を加えるだけだ。
「それじゃ、今度こそ、いきます」
前回と同じように──いや前回よりも緊張しながら、俺は動力ユニットに触れた。
手の平から、魔力が、俺の思いと一緒に流れ込んでいく。
その思いを受け取って、機械が勝手に動き出していく。
ブオォンと鈍い音がして、装置が作動。
俺から、これでもかと魔力を吸い上げて、それらを全身に漲らせ。
機械は、動いた。
「……樽は?」
「まだ、まだだ」
心配するような誰かの声。それを抑え付ける、また別の誰かの声。
機械は順調に動いている。
中で何かのトラブルが起きた気配は感じない。
ゆっくり、じっくりと、機械の中の時は、進んでいる。
最初の目安は五分間。
それで『ニューポット』の中に『第五属性』が誕生しているか分かる。
静かに、その時が経ち、俺は機械を止めた。
俺達を代表して、アルバオが中へと進む。
樽は、健在。
そして、その中身も、健在。
アルバオは、静かに、告げた。
「実験は成功です。僕達の研究は5,000倍のスピードで進みます」
そして、それから一日が経った。
「総。もう良いから。寝てないだろ?」
「……ああ。ついに、そんな時間か」
代わる代わる、俺への話し相手として来ていた中で、最後に現れたアルバオが言った。
ぼーっとしていて気付かなかったが、良く見れば大勢の人間が集まっているようだった。
俺はついに稼働し続けていた機械を止める。
「何時間経った?」
「正確には二十三時間。でも、十分なんでしょう?」
俺はニッと笑みを浮かべて、ややふらつく足に活を入れ、機械の入り口を開ける。
中には、様々な実験の為に色々と条件を変えたいくつかの樽。
その中でも、俺は一つの樽に近づいた。
これだけは、本当に何も手を加えていない。
メサ老人の麦芽を、ただ無属性ポーションへと溶かした一品だ。
俺のわがままで、作ってもらった一品だ。
なんの実験でもなく、ただ、麦芽に込められた思いだけが、入っている。
俺はその樽を転がして外へと運び出す。
外に出ると、俺を心配して代わる代わる現れていた面々がこちらを見ている。
アルバオ、イベリス、ホリィ、研究室の面々、ガレアタに従業員の皆。
そして、会話はしなかったが、チラチラと俺の様子を窺っていた、ギヌラ。
「……最初は君に譲ろう。それは私達、皆の願いだよ」
ホリィが、優しげな笑みで俺に告げた。
そして彼女が手渡したグラスを受け取り、俺はその樽の栓を開けた。
ポンと軽い音が響き、続いて、
トクトクと流れ出してきたのは、夢にまで見た『琥珀色』。
それをなるべく零さないよう、グラスに詰め、栓をしなおす。
俺はグラスを目線の高さに合わせる。
揺れている。樽から滲み出た、時間がそこにある。
とんでもないズルをした。きっと、正しい寝かせ方をした場合とは違っている。
そんなのは分かり切っている。
それでも、俺は、その液体を、待っていた。
待ち焦がれていた。
グラスの縁から、香りが漏れていた。
チョコのように甘ったるくて、香辛料のように辛くて、森のように落ち着いて、炎のように興奮して、麦のように香ばしくて、土のようにしっとりしていて。
そして恋のように心に刺さる。
そうだ、恋愛感情とは、こんな気持ちだった。
胸を締め付ける、甘さと辛さ。落ち着いて焦って、興奮して、悩んで。
それでも、その顔を見れば、全部投げ出して嬉しくなってしまう。
認めたくなくても、それだけで心が弾んでしまう。
俺は吸い込んだ香りをそっと鼻から吐き出した。
液体をゆっくりと口に含んだ。
途端に、俺の頭の中に、味と言わず風景が流れ込んでくる。
穏やかな木漏れ日。
新緑の木々の瑞々しさ。
枯れ草の色合いと香り。
風にそよぐ小麦畑。
排気ガスに汚れた標識。
その情景に見覚えがあった。
その微かな手触りが、不意にまた別の景色を甦らせた。
パソコンを覗き込んでくる、不快な女。
コピー機の前で絡んでくる、騒がしい女。
服装を無視されて苛立つ、面倒な女。
俺に初めて酒の美味さを教えた、偉そうな女。
クリスマスの夜に俺を抱き締めた、寂しそうな女。
春休みに俺をからかった、小心者の女。
旅先で俺に色々と打ち明けた、弱い女。
別れ際に俺から告白を奪った、憎らしい女。
そして、最後の最後には、冷たくなって何も言わなかった、俺の好きだった女。
唐突にフラッシュバックする記憶に、俺は涙で視界が滲んだ。
違う。こんなつもりじゃない。
今まで苦労をかけた人に感謝して、それでかっこ良く感想を言って、それで終わりの筈だった。
俺がウィスキーを求めていたのは自分のためで、それで、そのために色々な人に協力してもらった。
俺がここで思い出すべきなのは、そんな彼らのことの筈だ。
だから俺は、このウィスキーの批評をしないといけないのに。
バーテンダーらしく、美味いとか不味いとか言わないといけないのに。
全然違うのに。まだまだ拙くて、何もかもはじまったばかりの味なのに。
俺が飲んできた、どんなウィスキーとも似ていない味なのに。
どうして俺は、伊吹のことしか思い出さないんだよ。
「う、うぅ」
涙が零れた。
昔聞いたことがある。
五感に刻まれた記憶は、きっかけがあれば、唐突に一連のことを思い出す。
俺は、思い出した。
この『琥珀色』の液体に刺激されて、思い出した。
彼女との、モヤがかかった思い出に色が付いた。
ずっと忘れていた彼女のことを。忘れちゃいけなかった彼女のことを。
流れ込んでくる味が思い出させる。
笑顔のように鮮やかな麦の香り。
泣き顔のように鮮烈な樽の味わい。
今までこんなことなかったのに。
これまで、どんなウィスキーを飲んでも、そんなことはなかったのに。
失って、少しだけ取り戻して、そして焦がれて、手に入って。
胸が埋まって、同時に胸から抜けていく。
「……伊吹」
鳥須伊吹という女の存在。
俺はそれを、地球とは違う異世界で、はっきりと取り戻した。
零れていく涙と引き換えに、ようやく俺の中に彼女の色を取り戻した。
ずっと、俺と彼女と共にあった『琥珀色』だ。




