2:何かがおかしい婚約者
お父様が、婚約の話を受けるとユーベル伯爵に手紙を送ると、返事はすぐにあった。
『我が領地の危機に手助けくださり、心より感謝いたします。
シンシアお嬢様は宝物より大切にいたしますゆえ、ご安心を。
生活に必要なものはこちらで用意するので、身軽にお越しください』
領地が経営危機なのに、わたしの生活に必要なものを、全部用意してくれるのだろうか?
疑念を抱きながらも、わたしは最低限の荷物をまとめ、子どもの頃からの世話係のレマリーだけを連れて、ユーベル伯爵領に向かった。
がたごとと、箱馬車に揺られて数日。
虫に強く使い道の多い、リョレス小麦の収穫が迫る、アスコット領の金色の畑を見送り、やってきたユーベル伯爵領は、確実に、『傾いている』という言葉が似合うさまを見せつけていた。
道路の舗装がはがれて、でこぼこになっている。川に渡す橋が崩れていて、迂回をしなくてはならない。リョレス小麦はあちこちの畑に植えられているが、アスコットの力強い穂とは比べものにならないくらい痩せ細っている。
なにより、ひとびとの顔が暗いのが、気にかかった。道をゆくわたしたちの馬車を、物珍しそうに見やるひとたちの服はつぎはぎだらけ。目は落ちくぼんで、希望の光が宿らず、わたしたちを歓迎している雰囲気ではなかった。
「どうして、代々続く伯爵領が、こんなにうらぶれているのかしら?」
「さあ。伯爵様にお会いしないことには、何とも申せませんね」
外をのぞくのをやめて窓から顔を離し、ひとりごちると、レマリーが取り合ってくれた。
彼女は中流階級の平民だが、読み書きと計算に強く、
『必ず将来、アスコット家の役に立つぞ!』
と、晩年の祖父が取り立てた。
茶色い肩までの髪に、そばかすの残る、あまり印象には残らない顔だが、生来の頭の回転の速さで物事をずばずば言うので、アスコット家内では、
『レマリーに逆らうと怖い目を見る』
という暗黙の了解が行き渡り、彼女にちょっかいをかけられる者はいないとまで言われていた。
「ようこそおいでくださいました!」
馬車が伯爵邸前にとまると、使用人たちが揃ってわたしたちを出迎え、深々と頭を下げた。
「シンシア嬢!」
その間を歩いて、整髪料で髪型を整えた、スーツ姿の男性が進み出てくる。美形、という言葉がよく似合う、人好きのする顔。
「ジェラルディン・ユーベルだ。突然の縁談を受けていただき、誠に感謝する。長い道のり、大変お疲れさまだったね」
ユーベル伯爵は慣れた様子でわたしの前にひざまずくと、うやうやしくわたしの右手を取り、軽くくちづけた。いきなりすぎて、思わず身をすくめてしまう。
「せ、盛大なお出迎え、誠に感謝いたします。ユーベル伯爵。シンシア・アスコットにございます」
なんとか礼を失する前に言い切って、スカートの裾をつまんでお辞儀する。ユーベル伯爵は、ぱちりとウィンクをし、背後のレマリーに視線を馳せた。
「シンシア嬢も世話係の彼女もお疲れだろう? 部屋は整えてあるから、今日はゆっくり休むといい」
「あの」
伯爵の申し出はありがたいが、わたしは領地再建の手助けを担うためにやってきた身。確認はしないといけない。
「まずは、伯爵様とともにお仕事に取り組むにあたって、現状を把握しておきたく思います。そのお話をできますか?」
途端。
伯爵の表情に一瞬、ほんの一瞬だけ、いやなことを聞いた、とばかりの歪みが浮かんだ。そこにこめられたどす黒さに、思わずわたしは息を呑んでしまう。
だけど、まばたきをすれば、伯爵は元通りの、ひとを惹き付ける美貌を取り戻して、わたしの肩になれなれしく手を回した。
「そういう堅苦しい話は、明日以降にしよう。ほら、君が来るのをまだかまだかと待っていた、うちの使用人たちが、君のお世話をしたくてうずうずしている」
言われて周囲を見回す。わたしたちを見守る使用人たちは、うすい笑みを顔に乗せている。だけどそれが、なんだか作り物みたいで、というか、伯爵のご機嫌に合わせているかのようで、なんだか違和感を覚えた。
(きっと、こんな子どもが来るとは思ってなかったから、みんな戸惑っているのね)
そうやって自分を納得させながら、伯爵のエスコートを受けて、邸内に足を踏み入れる。そこに広がる光景に、思わずまばたきをした。
玄関ホールのシャンデリアは豪奢なつくり。灯す蝋燭も毎日取り替えているようで手入れが行き届いている。入口から敷かれた絨毯はアイボリー。階段の手すりにもほこりひとつ無い。
「この手入れの人足を、畑を耕すほうに回せばいいのですが」
わたしたちの斜め後ろを、わたしのダッフルバッグを持って歩くレマリーが、鋭く目を細めて、小さく毒を吐いた。ユーベル伯爵に聞こえていたかはわからない。
これはどんな目がちかちかする部屋に案内されるかと思っていたが、ユーベル伯爵が扉を開いた部屋は、こぢんまりとしていて、それでいてわたしには過ぎず足りなくもない、それなりの部屋だった。ひとり用の天蓋付きベッドがあって、鏡台があって、ワードローブがあって、毛足の長い絨毯があって、窓にはレースつきのカーテン。隣には浴室もある。
ただ、そのほとんどが、ピンクで彩られている。
「シンシア嬢はまだお若いと聞いたからね。あまりに質素では可哀想だと思い、急ぎ用意したよ」
ぽかんと口を開けて見入っていると、ユーベル伯爵が、得意げに手をかざして室内を示してみせる。
「お気遣い、痛み入ります」
はっと我に返り、深々とお辞儀をする。伯爵は、自分の選択が間違っていなかったとばかりに満足げに笑った。
「では、僕はこれから仕事があるので、晩餐の席で。ワードローブにドレスを用意してあるから、そこから好きなものを選ぶと良いよ」




