Dear Finalist 2
「いつまで待つんスか」
綾瀬は部室の壁にかけてある時計を見て訊いた。
「柊一人残して帰れってか。もう遅いんだぞ」
「柊部長は伊鶴センパイよりも背も高いし力だってあるんスから、そこまで心配する必要もないっしょ」
帰っていく後輩達を指導しながら、倉木は綾瀬の言葉を聞く。
「事実だからそこは俺は何も言わないけどよ…」
1年は集団で帰る輩が多いから、倉木は少しほっとする。
「それでも、あれですか。気になるんすか」
「興味じゃない。綾瀬、君はもっと勉強すべきだ。言葉の勉強を」
お前を相手している暇はないと言いたそうな雰囲気なのを綾瀬は気付いていたがあえて気付かないふりをしてみる。
「はいはい」
聞こえるように溜め息を吐く。別に仲が悪いわけではない。寧ろ仲は良い。
「気にしすぎなんじゃないスか」
「そんなわけあるか」
綾瀬は苦笑するが、倉木は眉間に皺を寄せている。
「そんなに心配だとは、オレも思わなかったっスよ。柊部長は大丈夫だと思うス」
綾瀬は柊にだけ素直だ。倉木も風間も美浦もそれは知っている。
「お前が柊をどこまで崇拝してるかは知らないけどよ、柊はカミサマじゃなきゃ仏サマでもないんだぜ」
「でも、柊部長は俺の中で最も神様に近いんス」
綾瀬の特殊な生い立ちを知ったのは昨年だった。
「それなら柊のことは小さなナイトに任せようかな」
「何言ってんスか。伊鶴センパイの方が小さいじゃないスか」
「…年齢だっつの」
ぼそっと倉木は呟いた。
「なんすか?」
倉木は一年半くらい前にあったことを思い出して綾瀬をじとーっと凝視していた。
「いや…」
「はい?」
「成長したよな…と思ってよ」
背もいつの間にか抜かされていた。骨格もいつの間にか自分よりも丈夫になっていた。
「アンタは親父っスか、オレの」
安心したような表情だった。彼の生い立ちは凄まじく壮絶だ。昼間のドラマのような複雑な家庭環境であることを倉木は思い出した。
「…大丈夫か?」
「アンタに心配されること、オレには無いスよ」
キモイっス、と言う綾瀬。
部室からぞろぞろと出ていく一年生を見送る。
「柊部長、帰ってきた」
「よかったな~」
開けっ放しのドアの向こう側に柊の姿を確認した綾瀬。
「さっさと帰れってさ、先生が」
柊は綾瀬ににこりと笑うと次に倉木を見た。
「倉木、授業を抜け出したそうだね。俺に怒らせないでくれよ」
柊は綾瀬に見せた表情とは違う笑顔で倉木に言った。
「学校っていうのは学校メインだろう。君の軽率な行動で部活動停止命令が出ても部長としてだって俺は何も出来ない。部員全員で築き上げなきゃだろう」
時計を一瞥した柊は倉木にまた目を戻す。口調に怒気は無いが威圧感に倉木は眉間に皺を寄せた。
「綾瀬、君は帰ってくれるかい?長くなりそうなんだ」
「え…あ、はい」
「ちょっと、柊くぅん?」
柊が綾瀬と帰ろうが帰らなかろうが倉木自身に関心はない。しかしこのまま綾瀬を帰して部室で2人きりで説教というのは恐怖だ。
「誰がこういう状況を作ったんだい?」
「え、っていうかさ、誰がチクったんだよ!?」
言ってからしまったと口を押さえる。
「チクったとは何」
倉木は柊から目を逸らして綾瀬を見た。すんませ~んと謝っている綾瀬。荷物はすでに纏められていて、すぐにでもこの場を出ようとしている。説教が始まって、終わるのはこれから40分も後のことである。
綾瀬は逃げるように部室を去って行った。教科書は机の中に置いてきてしまうため、エナメルバッグはたいして重くない。吹きすさぶ風は冷たくも温かくもない。綾瀬は立ち止まった。夜空を見上げると、ダイヤモンドをちりばめたかのようだ。今日はいつもよりも帰るのが遅い。いつもなら星なんて見えない時間に帰っている。いや、もしかしたら、今日偶々空を見上げただけかもしれない。
1年が失踪したこと、倉木が騒ぎ出したこと。平穏だった日々が変わりそうな気がした。まさか、と鼻で笑った。しかし一回そう考えてしまうとなかなかそれ以外のことが考えられなくなってしまう。
エナメルのジッパーを開いて、綾瀬は中から何かを取り出す。薄桃色の毛に覆われたそれは、テディベアであった。
「大丈夫だよな、姉ちゃん…」
赤いショルダーバッグをさげ、右耳から右目にかけて包帯を丁寧に巻かれて、左腕は三角巾で吊っているテディベアだ。綾瀬のエナメルには適当な物と、これが入っている。
綾瀬はテディベアに問いかけた。
「きっと、大丈夫」
当然反応などない。
「高郷も、帰ってくるよな?」
傍から見たらおかしな図だ。制服を着た少年が包帯を巻かれたテディベアと話しているのだから。一方的にだけれど。
「高郷は帰ってこなくちゃいけないよな?倉木先輩が騒ぎすぎなんだよな?そうだよな?セプ」
姉の忘れ形見。厳密にいうと、姉ではなく母親だ。14歳になると共に知らされた事実だった。姉だと思っていた人は実は母親で、母親だと思っていた人は祖母。現在同居しているのは祖父母だと思っていたが実は曾祖父母。
「姉ちゃんは、いつ帰ってくるの?」
姉という名の母は祖父であり父親である人に刺し殺された。
「セプ?違うよ、セプが嫌になったんじゃないよ」
反応はないけれど綾瀬は話し続けた。今日あったこと、腹が立ったこと、嬉しかったこと、おもしろかったこと、悲しかったこと。誕生日プレゼントでもらったテディベアだった。9月のセプテンバーからとって「セプ」と呼ばれている。
「一人で話していると、怪しまれるだろ」
背後からがっと頭を掴まれる綾瀬。
「美浦先輩…」
綾瀬は美浦を睨んだ。
「さっさと帰れ。危ないだろう」
「美浦先輩、さっき帰ってませんでした?」
「学校には授業に関係の無いお前のトモダチのことは黙っておこう。それで、俺が寄り道したとしてもおかしいことはないだろう」
優等生という印象の強い美浦に寄り道が似合わず綾瀬は怪訝な顔をした。
「俺を優等生だと思っているのはお前の偏見に過ぎない」
美浦は鍵束を持っていて、ちゃらちゃらと鳴らしている。
「何に使うんですか、それ」
「ちょっとな。悪いが話せない」
美浦相手だと警戒心丸出しになってしまう。綾瀬はこの男が苦手だった。
「そうですか」
この人との会話を断ち切りたかった。
「倉木にも言われただろう。今日は危ない。とっとと帰れ」
切れ長の瞳が綾瀬を捕らえた。綾瀬のテディベアを抱く腕に力が込められる。
「美浦先輩も、気を付けて下さいね」
やったこともない演じる笑顔。
「柄でもない。似合わんな」
美浦はそう言って、歩き出した。綾瀬とは反対方向の道に。綾瀬はネクタイを緩める。美浦が苦手だ。寒気がする。切れ長の瞳は女生徒を射止めた。けれど綾瀬はその眼差しが怖くて仕方がない。
がちがちと鳴る歯。
綾瀬は歩き出した。




