Dear Finalist 1
この学校の1年が失踪した。誰ひとりとしてそれを悪夢の始まりとして受け取る者はいなかった。
中学生が家にすぐ帰らないなんて話はよくあることだった。心配する者はいなかった。家出という噂もあったが、彼の家の近くで血痕が発見された。
失踪事件をただの家出だと考えていたのは3年の倉木も同様だった。何者かと喧嘩をした帰りであったとか、事故に遭った帰りだったとか。失踪事件の話題で盛り上がった3年C組。それは不穏な内容ではなく、コミカルな内容へと変わっていった。
倉木は特に興味を示さなかった。それよりも早く帰宅できることのほうが重要なことだった。この辺りの治安はいい。ただの家出だ。腹が減れば帰ってくる。騒ぐほどのことでもないはずだ。
「みんな!静かにしなさい!」
担任の教師の声に3年C組は静まり返った。学校一の美人教師が担任になった時は喜んだものだが彼女はヒステリックな一面がある。倉木はだるそうに机に突っ伏しながら話を聞いていた。
「みんなも知ってると思うけど、1年高郷真鶴くんが昨夜から家に帰っていません。何か知っていることがあったら教えてください」
倉木はまたその話かとうんざりした。だが聞き覚えのある単語に、反芻する。高郷真鶴。
「高郷真鶴!?」
ガタっと大きな音が教室に響いた。
「どうしたの倉木くん」
倉木は立ち上がって周りを見渡す。廊下側から1列目の3番の席に座っている銀のフレームの眼鏡をかけた、校則に触れている長い髪の男子と目が合った。
「それオレの後輩じゃん!」
「言わなくても分かってる」
ベランダ側から1列目の倉木とは距離があるがそれも構わず静まった教室で倉木はその男子生徒・風間に話し掛けた。表情のない白い顔に大きな絆創膏が貼ってある。
「なんでそんな冷静なんだよ!」
「落ち着いたら」
倉木は落ち着いていられず担任教師の声も振り切って3年A組へ向かった。
「美浦ぁ」
3年A組の担任の顔が引き攣った。この教師は倉木を苦手としていた。
「すみません、先生。暫く席を空けさせていただきます」
特に3年A組の担任教師が苦手としているのが倉木が目的としていた美浦という生徒だった。倉木と同じ部で、生徒会副会長も務め、素行が良い分考査で同率1位の風間よりもおそらく成績は良いと噂されている。
「何の用だ」
美浦は背が高いため目の前に迫ると倉木は委縮した。ホームルームの途中だったため、注目を浴びてしまう。いかに美浦が教師から特別視されているかが分かる異様な光景に思えた。
「高郷のことなんだけど」
「ああ。その話か」
軽い調子に倉木は、え、と口を開けた。
「3‐Aではまだ話していないが生徒会のほうで聞いているな」
「じゃあ話は早…」
「勝手に調査するとか言い出すなよ」
美浦は倉木が言い終わるより早く肩を優しく叩く。倉木はその手を振り払った。
「何言ってんだよ、後輩だろ?」
「後輩だな」
それが何の要素だというのか、とばかりに美浦は倉木を牽制している。
「薄情すぎない?」
「先輩というだけだ。誰も彼もがお前みたいに情け深いわけではない」
10センチメートル以上も差のある美浦がまた肩を叩く。美浦は頼れない。倉木は踵を返す。
同じ部活。ただそれだけだ。特に1年は3年と接する機会が殆どない。それなら2年ならどうだろう。風間はもともと非協力的で美浦もまた頼れそうになかった。倉木は2年の教室へ向かう。2年B組の担任は毛髪に恵まれていない。体育教師で、倉木は運動能力に秀でていたためこの教師と関わることは多かった。教室を覗いて、近場にいた男子生徒を廊下へ引っ張り出す。
「先生、綾瀬借ります!」
教室はへ?という顔をしている。
「なんなんスか?」
今日は学校に来ているらしい。問題児として有名だった。この前も飛び降り事件を起こしていた。
「高郷のことなんだけど」
「ああ、家出したんでしたっけ」
倉木よりも背が高いため綾瀬という2年は倉木を見下ろす。いつでも挑戦的な眼差しをしている。
「あ、首突っ込む気っしょ。やめたほうがイイすよ」
「は?」
「フツーに面倒臭いっしょ。伊鶴センパイがあいつのこと特別かわいがってたのは分かりますけど、俺はカンベンっすよ」
特に目立った性格でもなく、特に目立っていた選手でもなく。特に目立つ容姿でもなく。特に目立つ頭脳でもなく。名前が近いことで倉木の中では印象が強かった1年。25人もいる2年の中の、名前をきちんと覚えていた後輩の1人。健気に雑用をこなす姿は目を引いた。25人いて選ばれるのは8人で一学年で8人埋まるとは限らない。この前7人目の退部者が出た。
「まぁ、部長ならどうか分からないッスけどね」
話は終わったとばかりに綾瀬は教室に戻ってしまった。倉木も仕方なく自分のクラスに戻る。怒られるだろう。
部活の時間も何も変わらない。高郷のことはまるで禁則事項とばかりに3年の前では誰も口にしない。いないことが大前提として部活が始まり、部活の終了はいつもより早かった。全部活の終了を急かす校内に設置されたスピーカーから流れる物憂げな音楽。片付けは1年に任せ3年は部室に戻る。特に変わりはない。高郷はそれだけの存在だった。それが倉木はなんだかやるせなかった。美浦はジャージから制服に着替えると部室にいる者たちに声を掛けて部室を出て行った。帰宅するわけではないらしい。部誌を書く部長が朗らかに、気を付けろ、と爽やかに言った。倉木はスポーツドリンクを飲みながら美浦に手を振るだけだった。
「部長~、伊鶴センパイ例の件怖がってるみたいなんスよ~」
綾瀬が部誌に集中している部長の元へ寄って行く。綾瀬は部長にしか心を開かない。部長は馬鹿にするでもなく倉木を見た。倉木も気を付けろよ。温厚な笑み。本気にしたらしかった。
「一緒に帰るか」
倉木の背後から聞こえた声に倉木はスポーツドリンクの入れ物を落としそうになった。開いたロッカーの扉で隠れていた風間だった。静かすぎて気配もなく、帰ったものだと思っていた。冗談なのか本気なのかが分からない。
「怖くねぇよ」
そう、と風間は冷ややかな笑みを浮かべて帰っていく。
怖いか怖くないかでいうと、怖かった。朗らかで優しい部長の柊。冷静で頭の良い副部長の美浦。読めな過ぎる気分屋の風間。無遠慮だが愉快な綾瀬。たまたま失踪したのが高郷で、たまたまこの部の者だった。分かっている。だがもし明日、倉木の知る者がまた消えてしまったら。
信頼していた部長の柊もいつもと同じ雰囲気だったし、部員も何も言わなかった。
「着替え終わったら危ないからさっさと帰ってね」
片付けの終わった1年たちが次々とロッカーから着替えを出していく姿に柊は声をかけた。
「センパイ、残ってるなら下さいよ」
制服姿の綾瀬が倉木のもとにやってくる。
「ほい」
意外そうに綾瀬は目を見開く。
「あざーっす」
間接チューっすよね、と笑う綾瀬をよそに「返せ」と奪う倉木は真剣な表情だ。
「高郷、大丈夫かな」
「…ま~だ言ってんスか」
「昨日の今日だろ」
「誘拐だった場合は連続して起こるかもしれないっスね。でもオレ達なら攫うの難しいでしょう」
綾瀬は笑う。
「綾瀬、倉木。謹んで欲しいな」
部誌から顔を上げて、柊が目線で1年等を指す。
「はい、すみません、柊部長」
倉木は渋々と会話を終わらせる。綾瀬は頭を下げた。
「分かればいいんだけどね」
柊はまた部誌に意識を集中させた。
「柊」
「何?」
同級生への扱いは雑で、部誌を書きながら声だけで対応するのが柊だ。
「もぉ遅いよ」
倉木は言った。
「先に帰ってればいいじゃない」
「…へーい」
倉木は気のない返事をした。柊はペンを回して考え込む。
「何を部誌だけにそんな悩んでるんすか」
倉木から離れて、柊の部誌を覗きにいく綾瀬。
「いや…何書こうかなって。みんないつもと様子が違うから」
「そーっスか?」
「倉木」
「はい?」
「君は今日、やけに落ち着いているのに気付いているかい?意識しているのなら今後有り難いんだけどね」
柊がくるくるとペンを回す様を猫のように見つめる綾瀬と柊とを交互に見遣る倉木。
「それと綾瀬」
「え」
「綾瀬も今日はやけに静かだ」
「いつもっスよ」
「そうかい?美浦なんかいつもにも増して眉間に皺寄ってたし、風間なんか貧乏揺すりが半端じゃなかったよ」
金持ちでも貧乏揺すりかー、と綾瀬は感心している。
「それで、要するになんだって?」
「俺の前じゃ同様は隠せないよ。何考えてるか分からないけど、このまま部活をやって変な癖つけられても困る。休部届けを俺から出そうか。全員」
「柊。そんな大事…なんだろうけどさ、かえって高郷に気を遣わせるんじゃないか」
倉木は言った。白けるように、沈黙が流れる。ひそひそと1年たちの会話が聞こえる。
「倉木、俺は職員室に部誌を置いてくるから、後輩の指導よろしくな」
柊はにこっと笑うと、部室から出る。
「あ~あっと。伊鶴センパイは本当に高郷心配なんすね。それとも大会出るのに部活動停止になったら困るからですか」
綾瀬の柊に見せる表情とは全く違う寧ろ蔑んでいるような、挑発しているようなそんな表情を倉木に向けた。
「後輩は心配だ。先輩にならなきゃ分かんないか」
「一応先輩っスよ、俺も」
何言ってんスか、と小突かれる。




