第4話 バ美肉の創造主(兄)は、アルプスのトンネルで圏外に散る
第4話です! お読みいただきありがとうございます。
前回、極上の絵本朗読でネットの荒らしたちを見事に浄化してしまった陽菜ちゃん。
しかし、その頃、海外へ「男磨きの旅」に出ていたお兄ちゃんのスマートフォンには、信じられない通知が届いていました。
無邪気な絵日記と、限界化するリスナーたち、そして忍び寄る悪意。
ここからサスペンス展開が加速します。どうぞお楽しみください!
日本から遠く離れた、スイス・アルプス山脈。
万年雪を戴く雄大な山々を縫うように走る登山鉄道の車内で、大学生の蒼太は、窓の外の絶景を眺めながら優雅にコーヒーを啜っていた。
両親の海外出張に便乗し、「男を磨く世界一周の旅に出る」と豪語して家を飛び出してから、丸一日と少し(約30時間)。
14時間を超える長時間のフライトを終えた彼は、(……フッ。やはり大自然はいい。俺のちっぽけな悩みなど、すべて吹き飛ばしてくれるぜ)と、バックパッカーとしての自分にすっかり酔いしれていた。
ブルルッ。
ポケットに入れたスマートフォンが、短い振動を伝えてきた。
山の電波は不安定だが、今は辛うじてアンテナが1本立っているらしい。蒼太はコーヒーを置き、何気なく画面の通知に目を落とした。
『MeTube:あなたのチャンネルでライブ配信が開始されました』
「…………は?」
蒼太の思考が、完全に停止した。
見間違いかと思い、もう一度目をこする。しかし、画面に表示されているのは間違いなく、彼が誰にも内緒で、親のすねを齧りながら数十万円の機材を投資して作り上げたバ美肉(バーチャル美少女受肉)チャンネルのアカウントからの通知だった。
「な、なんだこれ……!? アカウント乗っ取られたか!?」
慌てて動画サイトの専用アプリ(MeTube Studio)を開き、アナリティクス(配信データ)の画面を表示する。
そこには、蒼太の目を疑うような数字が並んでいた。
【現在の同時接続数:561人】
【チャンネル登録者数:3,512人(+3,512)】
「ご、ごひゃく!? 登録者三千五百!?」
蒼太のチャンネル登録者数は、家を出る前は『0人』だった。まだ一度も配信を行っていない、完全なテスト用アカウントだったのだ。
それが、なぜ開始わずか1時間で、中堅VTuber並みの数字を叩き出しているのか。乗っ取り犯が、何かとんでもない犯罪予告でもしているのだろうか。
鼓動が早鐘のように鳴り響く。彼はスイスの冷涼な空気の中にいるというのに、全身から滝のような脂汗を噴出させていた。
蒼太は震える指で、自分のチャンネルの配信画面をタップした。
『――妖精さんたち、はなまるいーっぱい書いてくれたんだね! ありがとう!!』
イヤホンから聞こえてきたのは、テロリストの声でも、海外のスパム業者の声でもなかった。
聞き慣れた、少し舌足らずな、どう考えても小学三年生の実の妹・陽菜の生声だった。
画面の中では、蒼太がミリ単位で胸の揺れやまつげの長さを調整した『姫ヶ崎ロゼ』の神アバターが、陽菜の動きに連動してあざとく笑い、拍手をしている。
「ひ……っ、陽菜ァァァァァ!?」
蒼太は、スイスの登山鉄道の車内で、言語に絶する悲鳴を上げた。
周囲の外国人観光客が一斉に冷ややかな視線を向けるが、それどころではない。
(あいつ、なんで俺の部屋に!? しかもよりによってロゼの起動アイコンを押したのか!? つーかボイチェン(声の変換)かかってねぇ! ガチの生声じゃねぇか!!)
頭を抱え、パニックで呼吸が浅くなる。
さらに恐ろしいのは、ものすごい勢いで流れるチャット欄だ。
【るーるくん】:【はなまる】(完全勝訴です。法廷なら全員号泣しています)
【ぽかぽかさん】:【たいへんよくできました】(お前が世界チャンピオンだ!!!)
【ぱそこんさん】:【はなまる】(システム評価:100点満点中、1億点)
(な、なんだこの狂気じみて重すぎるコメント達は!? 「るーるくん」? 「ぽかぽかさん」!? 可愛い名前名乗ってるけど、言ってることの温度差がおかしいだろ! 絶対に中身はヤバい大人(限界オタク)だ!! 陽菜、お前はなんて恐ろしい連中を手懐けてるんだ!?)
親のいない家。ネットリテラシー皆無の妹。そして、全世界への生配信。
「男磨きの旅」などと言っている場合ではない。今すぐ配信を止めさせなければ、妹の人生が終わってしまう。いや、親にバレたら俺の人生(バ美肉の秘密)も終わる。
(と、とにかく、スマホの管理画面から『配信強制終了』のボタンを押して……!)
蒼太は震える指でMeTube Studioの画面に戻り、赤い終了ボタンをタップしようとした。
――その時だった。
ガシャン、と列車が大きく揺れ、周囲がふっと暗くなった。アルプス山脈名物の、長くて深いトンネルに入ったのだ。
スマホの画面の中央で「ロード中」のマークが数秒間虚しく回転し、やがて『通信エラー』の文字が表示される。
(う、嘘だろ!? なんでこんな時に!)
蒼太は急いで通話アプリを開き、日本の実家の固定電話へと発信ボタンをタップした。もう、直接電話をかけて陽菜をパソコンから引き剥がし、コンセントを抜かせるしかない。
しかし、スマホの画面の左上には、無情にも『圏外(No Service)』の文字が点灯していた。
「う、うそだろおおおおおおお!! 電波ぁぁぁぁぁぁ!!」
スイスの山奥の暗いトンネルの中で、バ美肉お兄ちゃんの絶望の絶叫がむなしくこだました。
***
一方その頃、日本の東京都内。
兄が地球の裏側で絶望の淵に沈んでいるなどとは露知らず、陽菜は「妖精さんとお話しする魔法のゲーム」を心から満喫していた。
『それじゃあね、えほんの次は、なつやすみのしゅくだいの「えにっき」をかくよ!』
陽菜が、机の上に画用紙と、たくさんの色鉛筆が入った缶のケースを置く。
カランッ、カチャカチャ……。
色鉛筆同士がぶつかる小気味よい音や、缶のフタを開ける微かな金属音が、数万〜数十万円は下らない超高級マイクを通して500人のリスナーの耳に極上のASMRとして響き渡る。
チャット欄は、すでに陽菜の無垢な声と音に魅了され、完全に「沼」に落ちたモブリスナーたちで溢れかえっていた。
【モブリスナーA】:色鉛筆のケースの音……っ! 俺の荒んだブラック企業の労働環境に、一筋の光が差し込んだ……
【モブリスナーB】:実家のおばあちゃんちを思い出す匂いがする(※配信から匂いはしません)
【モブリスナーC】:ロゼちゃん、俺のボーナス全部スーパーチャットに投げさせてくれ……(※収益化されていません)
純度100%の癒やし空間。
そんな中、常連リスナーとなりつつある者たちは、配信の初期からロゼを護衛し続ける「謎の3人組モデレーター」を面白おかしくいじり始めていた。
【モブリスナーD】:るーるくん、今の色鉛筆の音は法律的に有罪(可愛すぎる罪)ですよね?
【るーるくん】:……ええ。情状酌量の余地なし。我々の心はすでに完全敗訴しています。
【モブリスナーE】:ノリノリじゃねーかエリート弁護士ww
【モブリスナーF】:ぽかぽかさん、いまASMR聞いてパソコンの前で「ニチャァ」って笑ってるでしょw
【ぽかぽかさん】:笑ってねぇ!! 俺は今、道場の奥で正座して、目を閉じて全神経を耳に集中させてるだけだ!!
【モブリスナーG】:ぱそこんさん、このASMRを高音質でぶっこ抜いて保存していい?
【ぱそこんさん】:個人利用に限り許可する。だが二次配布や悪用した瞬間、お前のPCのHDDを物理的に焼く。
チャット欄は、もはや一つの巨大な家族のような謎の連帯感を生み出していた。
しかし同時に、この3人の「異常すぎる対応力」に、冷静な考察を巡らせるリスナーたちも増え始めていた。
【モブリスナーH】:でもマジな話、この三闘神ニキ、ホント何者なんだよ。
【モブリスナーI】:さっき窓の外が映ったときの、ぱそこんさんの強制モザイクフィルター、素人の所業じゃないぞ。反応速度0.1秒だった。ガチのサイバー部隊?
【モブリスナーJ】:るーるくんの警告文も、テンプレじゃなくて状況に応じた完璧な法的文章だった。ガチの企業弁護士だろあれ。
【モブリスナーK】:ロゼちゃん、実は超巨大企業が極秘に進めてるAIプロジェクトか何かなのでは……?
彼らは、まさかこの3人が「今日たまたま配信を見に来て、偶然連携してしまっただけの見ず知らずの赤の他人」だとは夢にも思っていない。
モデレーターの3人も、先ほどの『ごんぎつね』による浄化の余韻と、リスナーたちとのやり取りにすっかり気を良くし、完全に油断していた。
「絵日記」という、子供の行動範囲から生み出される無垢な文章が、時にどれほど致命的な情報を含むか、大人たちはまだ気づいていなかったのだ。
『えっとね、わたし、きのうのぶんの「えにっき」かきわすれてたから、おにいちゃんがたびにでた、きのうのことをかこっと!』
陽菜は「シャッ、シャッ」と色鉛筆を画用紙に走らせながら、自分が書いている文章を声に出して読み上げ始めた。
『はちがつ、〇〇にち、はれ。……きょう、おにいちゃんが、おおきなリュックをしょって、おうちをでました。……わたしは、ベランダから、ばいばいって、てをふりました』
【モブリスナーC】:お兄ちゃん、昨日旅行に出たのか。
【モブリスナーD】:だから家で一人でお留守番してるんだな。偉いぞロゼちゃん。
『……おにいちゃんは、おうちのとなりの、「あおい屋根のケーキ屋さん」のまえで、つまずいて、すっころびました』
ピタッ。
先ほどまで和やかだったチャット欄の動きが、一瞬だけ止まった。
【モブリスナーE】:……ん? 青い屋根のケーキ屋さん?
【ぽかぽかさん】:(……おい、ちょっと待て)
『……おにいちゃんは、はずかしそうにして、駅のほうにある、「おおきな赤い鉄塔」のほうへ、あるいていきました』
【ぱそこんさん】:(マズい!!)
陽菜の口から飛び出したのは、無邪気すぎる「ピンポイントのローカル地理情報」だった。
【モブリスナーF】:赤い鉄塔があって、青い屋根のケーキ屋がある住宅街……?
【モブリスナーG】:……おい、それって〇〇県〇〇市の、〇〇駅の北口のほうじゃね?
【モブリスナーH】:俺の地元じゃん! たしかあそこ、青い屋根の有名なタルト屋があるぞ。
特定班の動きは、恐ろしいほどに早かった。
映像は見えなくとも、「テキスト情報」の組み合わせだけで、わずか数十秒で陽菜の家のエリアが特定されかけてしまったのだ。
【ぱそこんさん】:特定班、黙れ!! ローカル地名をNGワードに緊急追加!! これ以上地名を書き込んだ奴は即座に弾く!!
【るーるくん】:※警告! 本人および親族の行動範囲から住所を特定する行為は、プライバシーの著しい侵害にあたります! 今すぐやめなさい!!
【ぽかぽかさん】:テメェら、調子に乗るんじゃねぇぞ!! マジで家行くからな!!
モデレーター3人の「〇〇ニキ」たちが、再び死に物狂いでチャット欄の鎮圧に乗り出す。
表で騒いでいる特定班や野次馬たちは、ハッカーのNGワード設定や弁護士の法的威圧によって、なんとか押し留めることができた。
だが――本当に恐ろしいのは、「チャット欄で騒ぐ連中」ではない。
『あ、妖精さんたち、魔法の文字のうごきが、またはやくなったね! みんなも、ケーキすき? わたしは、おにいちゃんがきのう、れいぞうこにいれておいてくれたケーキ、あとでたべるんだー!』
陽菜が呑気に笑いながら、色鉛筆で画用紙をこすっているその裏側で。
(……なるほど。〇〇県〇〇市の、〇〇駅北口。青い屋根のケーキ屋の隣の家、か)
同接500人の中に潜む、一人の「ROM専(見るだけで書き込まない)」のリスナーが、暗い部屋の中で大手地図アプリのパノラマ写真機能を開いていた。
チャット欄で騒ぐのは、所詮「表」の連中だ。
彼らは目立ちたいだけで、実際に行動を起こす度胸はない。しかし、真の悪意は、決して自分から声を上げない。
チャット欄には一切書き込まないからこそ、ぱそこんさん(ハッカー)のNGワードにも引っかからず、るーるくん(弁護士)の警告も馬鹿にして聞き流す。ただ静かに、息を潜めて情報を集める「本物の悪意(凸犯)」が、確実にそこに存在していた。
(……確認完了。本当に青い屋根のケーキ屋の隣に、二階建ての一軒家があるな)
凸犯の男は、ニチャァ、と不気味な笑みを浮かべた。
(今、あの家には両親がいなくて、お兄ちゃんも昨日から海外旅行中。……つまり、完全に小学生の女の子が一人で留守番している状態ってことだ)
男は配信の音声をイヤホンで聞きながら、ゆっくりと立ち上がり、部屋の壁にかかっていた自転車の鍵を手に取った。
(……ちょっと、この無防備なお姫様に、会いに行ってみるか)
画面の中では、魔界のセクシーなお姫様が、無邪気に画用紙を掲げようとしていた。
『妖精さんたち、えにっき、かけたよー! 見てみてー!』
純粋な善意と、限界化する大人たちと、そして音もなく忍び寄る本物の悪意。
一人でお留守番をする陽菜の平穏な夏休みに、最大の危機が迫っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
前半は、スイスの山奥で絶望のどん底に叩き落とされるお兄ちゃん(自業自得)のパニックをお届けしました。
スマホから遠隔で配信を止めようとしたのに、運悪くトンネルに入って通信エラー……という、アンラッキー全開のお兄ちゃんです(笑)。
そして中盤、すっかりロゼ姫に沼り、モデレーターの3人をいじり倒すモブリスナーたち。和やかなASMR空間でしたが……最後に現れてしまった「本物の悪意」
ネットリテラシー皆無の小学生が配信をすることの本当の恐ろしさは、チャット欄で騒ぐ人たちではなく、こうやって「静かに情報を集めて直接やってくる人間」がいることです。
ハッカーのぱそこんさんも、書き込まないROM専相手ではお手上げ状態。
果たして、ぽかぽかさん、るーるくん、ぱそこんさんの3人は、この危機からロゼ姫を守り抜くことができるのか!?




