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魔導犯罪対策特務課シルフィエルの憂鬱~1千年を生きたダークエルフとぬいぐるみとなった王女の物語~  作者: にんじん
光の王女と影の王子

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消滅の呪薬(バニッシュ・ポーション)

 どれほどの時間が流れただろうか……。国内最高峰のドワーフの職人を集めて黄金比率の通りに仕立て上げさせた極上の名工家具は、見る影もなく破壊されていた。その破壊の嵐の中心で、レオンハルトは、怒りで血走った瞳をギラつかせ、獣のような荒い息を吐いていた。眩しかったはずの金髪さえも、逆巻く憎悪の魔力で逆立って見える。 静まり返った部屋に、コンコン、と場違いなほどに落ち着いたノックの音が響いた。入ってきたのは、王子の本性をすべて知る、側近の魔法士である。彼は散らかり放題の部屋を一瞥しても眉一つ動かさず、至極当然の平穏なトーンで声をかけた。


「レオンハルト様。……気分を落ち着かせるために、あの場所へ行きましょう」


 その言葉に、レオンハルトの荒い呼吸が不自然なほどぴたりと止まった。レオンハルトはゆっくりと息を吐き出し、乱れた衣服を整える。その顔には、いつの間にか誰もが憧れる「完璧な貴公子」の冷徹な仮面が、何事もなかったかのように貼り付け直されていた。


「……そうだな」


 短く応じたレオンハルトは、その側近の魔法士を含めた計3人の側近を従え、夜の王城の隠し通路へと足を踏み入れた。向かう先は、王都の闇。選ばれた一握りの特権階級しか立ち入ることを許されない、禁忌の社交場であった。


 隠密の魔術をまとい、王宮を抜け出した一行が辿り着いたのは、王都の一等地にそびえ立つ重厚にして絢爛豪華な大豪邸。この王国の軍と警察を兼ねる組織『聖樹騎士団』の総帥であり、5大魔道士の一角を占めるグリムワルド家の屋敷である。幾重にも防音と遮蔽の結界魔術が施された地下への階段を下りると、そこには、地上からは決して想像もつかないおぞましい空間が広がっていた。


 通称――「狩場」。


 広大な石造りの広間の床には、数十人もの獣人たちが転がされていた。一目でわかる。彼らは一人の残さず、両手と両足を根元から鋭利に斬り落とされていた。魔力を持たぬ代わりに、魔法士の魔法を減衰させる強靭な皮膚を持つ獣人たち。彼らがその肉体の強みを生かして反抗せぬよう、そしてこの場に集う貴族たちのサディズムを最も効率よく満たすために、あらかじめ「動けない肉の塊」へと改造されているのだ。床を這いずり、言葉にならない悲鳴と呻きをあげる彼らの姿は、虫けらの蠢きそのものだった。


「ふん……」


 レオンハルトは上質な外套を付き人に預けると、無造作に右手を突き出した。昼間の閣議決定で、自分から「当然の王座」を奪い去った父親への怒り。そして、何よりその栄光を掠め取った姉、エレオノーラへのどす黒い嫉妬。そのすべてを目の前の弱者へとぶつけるように、王子の指先から猛烈な「炎」の魔術が放たれた。


 轟、と紅蓮の炎が、這い回る獣人たちを容赦なく包み込む。両手足のない獣人たちは逃げる術もなく、ただ肉を焼かれる激痛にのたうち回り、絶叫をあげる。皮膚が弾け、脂肪が爆ぜる不快な音が地下室に響き渡る。レオンハルトはその地獄絵図を、冷酷な悦びに満ちた目で見下ろしていた。自らの圧倒的な力によって、抵抗できない命がゴミのように燃え尽きていく。10人ほどの獣人をじわじわと焼き尽くした頃、王子の胸中に渦巻いていた屈辱は、歪んだ全能感によってすっきりと洗い流されていた。軽く汗を拭ったレオンハルトは、狩場に併設された、血の臭いを完全に遮断した最高級の食事場へと移動した。


 白磁の皿に美しく盛り付けられて運ばれてきたのは、先ほどまで「狩場」にいた獣人の新鮮な肉を用いたステーキである。この王国において、獣人を食する文化など公には存在しない。しかしここでは、選民思想に行き着いた狂人たちによる、おぞましい「獣人食(ダーク・カニバリズム)」が日常の儀礼として行われていた。魔力を持たない獣人の肉を食すことで、彼らの持つ高い魔法耐性と強靭な肉体を取り込み、自らをさらなる「最強の魔導存在」へと昇華させることができる――そのいかれた妄信を、レオンハルトもまた深く信仰していた。王子は平然とナイフとフォークを動かし、血の滴る肉を口へと運ぶ。自分の魔法を阻害する不快な獣人どもを、肉体ごと咀嚼し、支配する感覚。それだけが彼のプライドを繋ぎ止めていた。格式高いワインを優雅に口に含んだ、その時だった。


 ――カツン、……グニュ、カツン。


 防音の施された静かなレストランに、ひどく耳障りで、ぎこちない足音が響き渡った。現れたのは、30歳という若さで聖樹騎士団総帥の座に就く男、バルトロメウス・アトラス・フォン・グリムワルド公爵であった。身長160センチ、体重80キロ。仕立ての良い最高級の絹衣を引きちぎらんばかりに膨らませた肥満体。彼は己の低身長への凄まじい劣等感を隠すため、特注の10センチもの厚底靴を履いていた。無理にかさ増しした170センチの身体を揺らし、不自然な重心でよろめくように歩くその姿には、隠しきれない滑稽さが漂っている。バルトロメウスの両脇には、奴隷売買で得た莫大な汚れた金で囲った、国中から集めさせた美しい人間の女性たちがぴったりと張り付いていた。女性たちに不格好な身体を支えさせながら、男はゆっくりと手を叩いた。


「おやおや、王子。本日の『お狩り』は、いつも以上に激しい炎でございましたな? 十分に楽しめましたかな」


 脂ぎった顔に下卑た笑みを浮かべ、バルトロメウス公爵はレオンハルトの対面の席へと、どさりと不格好に腰掛けた。かつて「人類最強」と謳われた偉大な父はすでに他界している。この男は親の七光りと、奴隷売買で得た金による容赦ない賄賂だけで総帥の地位を確立したクズであり、使える魔術も下級止まりだ。それゆえに、目の前にいる本物の魔法の天才・レオンハルトへの歪んだ憧れと、何とか対等に見られたいという浅ましい虚栄心がその眼光に透けていた。同時にその目は、昼間の閣議決定でエレオノーラが次期国王に内定し、レオンハルトがいきなり奈落に突き落とされた事実を、すでに賄賂のネットワークで完全に把握していることを物語っていた。


「……フン、バルトロメウスか。相変わらず耳だけは早いデブだな」


 レオンハルトは、はべらせた美女の身体をねっとりと触るバルトロメウス公爵を心底虫ケラのように見下しながら、不快そうに視線をそらした。しかし、バルトロメウス公爵は侮辱されてもなお、自分が優位に立っていると言わんばかりに身を乗り出し、声を潜めて囁いた。


「当然でございますよ。自動的に王になるはずだった貴方様をコケにし、たかが女の身で玉座に座ろうという、あの『ゲス女』……。この国の魔導の秩序のためにも、あれは生かしておいてはならぬ害悪。――排除したいとは思いませぬか?」

「……。父上の決定だ。そう簡単に手は出せん」


 レオンハルトが不快そうに視線をそらすと、バルトロメウス公爵は身を乗り出し、脂ぎった顔にねっとりとした笑みを浮かべて囁いた。


「当然でございますよ。ですが王子……貴方様が直接、その手を汚す必要などどこにございましょう。……ちょうど、極めて都合の良い『道具』が手に入りましてね」


 バルトロメウス公爵は下品に喉を鳴らして笑い、懐から一本の禍々しい小瓶を取り出した。


「これは、私が極秘裏に入手いたしました、完全犯罪を演出するための『完全な魔道具(アーティファクト)』――『消滅の呪薬バニッシュ・ポーション』にございます。魔力を一切含まぬよう設計されておりますゆえ、王家が誇るいかなる毒検知器であっても、これを感知することは逆立ちしても不可能です。これをあの『ゲス女』の食事に忍ばせれば、その肉体は細胞ごと内側から影も形もなく消えてなくなるという寸法です」


 バルトロメウス公爵の口から語られた恐るべき暗殺の手口に、レオンハルトのナイフを持つ手がぴたりと止まる。じっと小瓶を見つめる王子の瞳に、どす黒い野心の炎が灯るのを、バルトロメウス公爵は見逃さなかった。


「ククク……これを貴方様に差し上げましょう。王女が消えれば、次期国王の座は自ずと貴方様のものだ。……違いますかな、レオンハルト様?」


 バルトロメウス公爵は恭しく小瓶をテーブルへ滑らせながら、内心で激しい歓喜の歪んだ笑みを浮かべていた。バルトロメウス公爵にとって、レオンハルトがこの地下の「狩場」に通い、獣人を虐殺し、その肉を貪り食う異常者である事実は、最高の『弱み』だった。このおぞましい禁忌の場を提供し、王子の欲望を全肯定してきたのは、すべてはレオンハルトの退路を断ち、自らの完璧な傀儡として飼い慣らすための罠。バルトロメウス公爵にとっても、意のままに操れるレオンハルトが王になってもらわねば、非常に困る事情があったのだ。


「……いいだろう。バルトロメウス、お前の忠義、確かに受け取った」


 自分がバルトロメウス公爵の掌の上で踊らされているとも知らず、レオンハルトは傲慢な笑みを浮かべて呪薬の小瓶を手に取った。親の七光りと賄賂で聖樹騎士団総帥に君臨する狡猾な魔道士と、己の全能感に目が眩み、最悪の操り人形へと堕ちていく影の王子。血の滴る獣人の肉を挟んで、二人の最悪な利害が一致し、王女エレオノーラを死へと導く不気味な暗殺計画が、ここに産声をあげた。

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